14 バルコニーにて
ヘンリエッタは、バルコニーにクリスを誘った。
体が火照って仕方ないので、秋の涼しい風にあたりたかった。
「あの…今日は来てくれてありがとう」
ヘンリエッタは言った。
「で、でもね。わたし、あなたとは結婚しないって言ったのよ。先に家族に話すのは違うんじゃないかしら」
「すみません。私としてはどうしてもご家族の同意を先にいただきたかったので…ヘンリエッタ様がご無理なら、先程の発言は撤回してきます」
「む、無理なわけないでしょ! でも、その、アンダーソン伯爵のことは……?」
そのことをたずねると、熱いまなざしが返ってきた。
「父のことを考えていただいて、ありがとうございました。キングスフォード伯爵のおかげで解決したんです」
「え? うちのお父様?」
「はい。父に、私宛ての手紙をくださって。それで、二人で話ができたんです」
(アンダーソン伯爵をメッセンジャー代わりにするなんて、我が親ながらその大胆奇抜な発想はどうなの…)
自分の親を少し恥ずかしく思ったヘンリエッタだったが。
「早まったことはしないで欲しいと………初めて、私から父にお願いをしました」
初めて自分の父親に願い事をしたというクリスに、ヘンリエッタの胸も熱くなった。
「ヘンリエッタ様」
「あ、待って。『様』はもうやめて?」
その先を察したヘンリエッタは、待ったをかけた。
「では、私のことも呼び捨てにしていただけますか?」
「う…うん。ねえ、クリスって、敬語はクセなの?」
「そうですね。崩したしゃべり方は、あまりする機会がなくて。こういうしゃべり方しかできない…ですね」
「分かった。ならいいわ」
ふたりは、改まって向かい合った。
「ヘンリエッタ。私と結婚してください」
「はい!」
笑顔で答えると、ヘンリエッタはクリスに飛び付いた。
「ま…また、あなたは………!」
クリスが慌てたように言うので、ヘンリエッタはキョトンと彼を見上げた。
「きょ…今日は私からと、思っていたのに」
そういう彼の顔が赤くなっていて、ヘンリエッタは幸せいっぱいのトキメキに包まれた。
「こんなわたしじゃ嫌?」
答えを分かった上でヘンリエッタは聞いた。
「…いいえ」
「ありがとう!」
クリスはヘンリエッタをギュッと抱きしめたあと、スッと腕の力を抜いた。
(わ、わ、もしかして…!)
「ヘンリエッタ。その、えっと…顔を…」
顔をあげていただけますか。
ちょうど彼の胸に顔をうずめていたヘンリエッタは、その胸のドキドキと、消え入りそうに小さくなっていった声に、もう死んでしまいそうなほど、ときめいた。
小さくうなずいてから長身の彼を見上げる。
クリスはヘンリエッタの肩に手をのせ、身をかがめた。
ヘンリエッタは目を閉じた。
唇がふれあう。
ただそれだけが、とても気持ちいい。
お行儀よく、遠慮深く、すぐに離されて、ヘンリエッタは思わず彼の首に腕をまきつけて自分の方に引き寄せた。
(やだ、わたし、また自分から……)
クリスは、フッと笑うと、今度はヘンリエッタの腰に腕をまわして引き寄せ、より深く口付けた。
「それで…すみません。本来なら婚約の証に装飾品を贈るところなんですが」
口付けのあと、クリスが言った。
「それは結婚後でいいわ。だって、結婚を考えるはずのないあなたが宝飾店に行くのはおかしいもの。でも、そうね…かわりに本が欲しいわ。わたしには宝石より本の方が価値があるの」
ヘンリエッタはクリスを許し、ほかのプレゼントを要求した。
宝石にこだわるなら、たとえば、事情を話せる人に買ってきてもらうようなやり方もあるのだが、ヘンリエッタはクリスが自分で選んだものをもらいたかった。
「分かりました」
ホッとしたように、クリスがうなずいた。
(よかった、今の答えで正解だったみたい)
きっとクリスもヘンリエッタと同じ気持ちだったのだろう。
「ねえ、今日は眼鏡はしないの?」
「もともと視えすぎるのを抑えるためにしているだけなので。今日は失礼にあたるといけないと思って外してきました。本当は正装でポーラータイもつけていたのですが、伯爵からそんなにかしこまらなくていいと言っていただいたので…」
そこでヘンリエッタは、クリスの紺色の服が視る者協会の正装であることに気付いた。
本来、王太子の侍従であるクリスは視る者協会の正装にしばられない。
(でも正装のポイントを押さえつつ、流行も考えて服を用意しなきゃいけないから、決まった制服を着る方がラクよね。視る者の正装は認定級を表すポーラータイをつけないといけないし…)
「そういえばクリスのポーラータイは特別製なのよね」
「ええ、まあ」
「もしかして好きじゃないの?」
クリスの反応が微妙だったので、ヘンリエッタは聞いてみた。
「………そうですね。式典の間とか、どうしても必要なとき以外は極力しません」
クリスは素直に認めた。
(そっか。だから、初めて会ったときもしてなかったのね)
「ねえ、見せてもらうのはいい? どんなものなのか、気になってきちゃった」
「かまいませんよ」
クリスは胸ポケットからポーラータイを取り出した。
真ん中に大粒のサファイアがあしらわれ、キラキラしていた。
「わあ、綺麗!」
ヘンリエッタは素直な感想を言った。
でも派手で目立つから、クリスなら嫌がるだろうなと納得した。
ポーラータイを返し、ヘンリエッタは改めてクリスを見た。
「今、視えすぎて辛くない?」
キングスフォード邸の魔法トラップはかなり多い。
「大丈夫ですよ。言われてみれば、魔法トラップ、多いですね」
(わわ…嬉しいかも。もし、わたしといることで視えすぎるのが気に障らなくなるのなら…)
「ひとつ、お願いしてもいい?」
「私にできることなら」
「これからは、あまり眼鏡はしないようにして欲しいの」
「ええと…それは少し難しいかもしれません。眼鏡がお嫌いなら、あなたの前ではしないようにしますが」
「違うわ、逆よ! 眼鏡をかけたクリスは格好良すぎるから……その、あなたに一目惚れする女性を減らしたいの」
説明しながら、これでは自分が一目惚れしたと白状するようなものだと、ヘンリエッタは赤くなった。
クリスもつられて顔を赤くし、そっとヘンリエッタの頬をなでた。
「私も……暴力に屈しない強い瞳をもったあなたに心奪われて……本来なら触れずに先導するべきところを、お体に触ってしまいました」
舞踏会でクリスに肩を抱かれて歩いたときのことをヘンリエッタは思い出した。
クリスはなんの他意もなく助けてくれただけだと思いながら、トキメキを止められなかった。
(わたしだけじゃなかったんだわ…)
頬に寄せられたクリスの手に、ヘンリエッタは自分の手を重ねた。
クリスが身をかがめ、顔を近付けてきた。
ヘンリエッタは目を閉じ、彼の口付けを受け入れた。




