前編
夢を見ました。
夢の中でも私は変わり者で、侍女の身なりで剣を振るっていました。
城の中庭のはずれで、落ち葉を相手に稽古をいつまでも。
そんな私を訪ねて、王子様が来てくださるなんて思いません。
「たまには色恋の修行もどうだろう? そう、ぼくと一緒に」
キザな冗談が似合ってしまう御顔で、ほほえんでくださるなんて思いません。
「王子様の『遊び好き』は国中の噂になっております」
苦笑まじりに言い返しても、王子様はうれしそうに、そして意地悪くほほえみます。
「ほう? 遊びでは不満か。妃を望むとは意外に欲ばりな」
「いっ、いえっ、そんな……!?」
驚いて剣を放り上げてしまいました。
王子様は剣が落ちるより早く、鋭い身のこなしで柄をとらえます。
「失礼。驚かせてしまったようだ」
並ではない鍛えかた。
そんなまじめさに限って、困ったような照れ笑いで隠そうとする。
「これからは真剣に言い寄るとしよう。それで許してもらえるかな?」
私は今まで、色恋と縁がありませんでした。
「いえ、そんな、あの、その……」
落ち葉の舞う中、王子様に恋する夢を見ました。
温かく高鳴る胸に、別の気配も忍び寄る。
「失礼……いたします」
生垣の陰へ走り、ひどい咳が治まるまで待つ。
「だいじょうぶか?」
「来ないでください!」
血にまみれた手を見せたくありません。
夢の中でも、私の命はあとわずかでした。
「これを受け取ってくれたら、今日は引き下がっておくよ……うつる病ではないと聞いている」
王子様は顔をそらし、ハンカチを差し出していた。
「どのような噂が立つかもわかりません。今は大事な時ですから」
王子様はそっと去る。
その先には宮廷へ向かう長い行列。
「母上も到着してしまったようだ」
王家のための飾り馬車から、柔らかくも威厳のある女性の声が届く。
「これ、ちゃんと出迎えなさいな」
王子様は仕草だけ急ぐふりをした。私も剣を収め、身を低くして控える。
女王様はお客様とお話しになられていた。
「……侍女が剣を?」
「ほほ。おもしろいでしょう? 顔を見せてちょうだい」
そっと仰ぎ見ると、女王様の気さくな笑顔の隣に、人形のように美しいすまし顔。
堂々と落ち着き、大きな切れ長の瞳に黄金色の艶やかな髪、透くように白い肌。
きらびやかなドレスも……王子様の婚約者にふさわしい、隣国のお姫様。
でも女王様は、私へも自分の娘のようにほほえみかけてくださる。
「胸を患ったのだけど、見えるところに居てほしくて。庭でなにをしてもよいと言ったら……うふふ。血は争えませんね? あなたの父君もすばらしい騎士でした」
私はもう、十分にしあわせです。
「……同盟については、締結も今日中に?」
「ええ。早いほうがよいでしょう? ようやく戦争さわぎから解放されるのだから」
両国家の命運を乗せた行列が宮廷へ去ると、私の相手はふたたび落ち葉だけ。
王子様はきっと、政治のための結婚がゆううつなだけ。
それに優しいかただから、病の私を元気づけてくださったのだろう。
だから本気になってはいけない。
いくら王子様に、優しく言い寄られたからといって……
「王子様に、言い寄られ、た?」
うろたえて剣を落としそうになり、芝生を少し掘ってしまう。
なんてしあわせな夢だろう。
数日後、王子様は馬小屋の陰に隠れていた。
「駆け落ちなんてどうだろう? あちらの国には同盟に反対の貴族も多い。挙式へ向かうというのに、姫の話は護衛の段取りばかりだ」
「もうじき出発の時刻では?」
私は相手にしない。
馬のえさやりを続ける。
「襲撃されたら便乗して森へ逃げこみ、愛しき娘と落ち合うんだ。後はふたりきりでひっそりと……」
涙がにじんでしまうと、そっけないふりも難しい。
「冗談のつもりでも、もうおやめになってください」
王子様は口をつぐんで立ち去り、探しまわっていた従者たちに見つけられる。
馬車の行列はあわただしく、それでも予定どおりに出発する。
王子様は優しいかただから、ただ傷つけに来たはずはない。
少しは本気もあったのだと思おう。
それで私は、しあわせな夢を見たままでいられる。
いくつもの山の向うへ、馬車の行列が遠ざかる。
私は小さくなる白い馬車を見送りながら、ひとりで馬を進めすぎていた。
「ほほ。乗馬の腕は剣以上ね?」
女王様の騎馬も御供と一緒に追いつき、私はちぢこまる。
「ありがとうございます。ところで、この馬はもしや……?」
女王様に貸していただいた見事な白馬は脚力もすばらしい。
「ええ。息子のだけど、いいのよ? あいつだと思ってムチいれておやんなさい」
「……いえあの……」
すべてお見通しだったようです。
たてがみに顔を隠し、恥ずかしさをこらえます。
白馬が不意に、落ち着きなくいななく。
「あらやだ。息子のアホがうつったかしら?」
白馬が気にする森のぬかるみには、蹄の跡が残っていた。
私はその数を見分けて息をのむ。
「陛下、この先へ騎馬が……従者もなしに八騎も?」
女王様の目が険しくなる。
「その先へ配置したおぼえはありません。あの森は……」
「馬車では通れない近道……王子様!?」
思わずムチを入れると、白馬は同じ気持ちで飛び出してくれた。
「お待ちなさい!? ……あの娘を追って! 城にも伝令を!」
すばらしい馬でした。
森の細い道を飛ぶように駆け抜け、蹄をひっかけることがない。
私はふたたび咳に襲われ、しがみつくだけでも大変なのでありがたい。
こぼれる血は前よりもだいぶ増えていた。
この胸には少しずつ、命の崩れてゆく感触がある。
顔を上げると、行く先では黒頭巾を深くかぶった四人の騎手が驚いていた。
「見られたぞ!?」
「逃がすな!」
口々に叫び、剣を抜いて迫ってくる。
鉄の刃は落ち葉よりも重く鋭い。
でも的としては大きく、四枚きり。
二枚を受け流して腕を斬り裂き、もう二枚は体が真横になるまで倒してかわし、左右の胴を払った。
馬に助けられて体を起こし、刃の返り血を拭う。
残りの四騎にも追いつけるだろうか?
もう私の時間も少なそうなのに。
王子様にもう一度……お会いしてもよいのだろうか?