第四章:初陣の盤面
明応二年(1493年)秋。
駿河と伊豆の国境を流れる境川の辺りは、夜の帳に包まれていた。
新九郎の率いる軍勢は、わずかに数百。のちの時代の大合戦に比べれば、いかにも小規模な兵力である。しかし、その中身は尋常ではなかった。新九郎が興国寺城で密かに鍛え上げていた、独自の兵たちであった。
当時の戦というのは、戦を生業とする「専門の武士」が行うのが常識である。だが、新九郎は違った。彼は自領の農民たちに、農閑期を利用して槍の扱いを教え込み、いざという時には一領の具足(甲冑)を身につけて戦場へ駆けつける「半農半士」の集団を作り上げていたのである。後世、土佐の長宗我部元親らが用いた「一領具足」の原型が、すでにこのときの新九郎の脳内にあった。
(合戦とは、長引かせるほど銭がかかる。一撃で首謀者の息の根を止めねばならぬ)
新九郎の戦術は、官僚特有の徹底した効率主義に貫かれていた。
彼は危険な寡兵での突撃という選択をあえて取る代わりに、緻密な「事前の情報遮断と攪乱」という対策を施した。
彼はまず、数百の兵を数隊に分け、「湯治の客」や「物売りの商人」に変装させて、伊豆の各地へと潜入させた。目的地は、足利茶々丸が籠もる堀越御所、ならびにその周辺の要衝である。さらに新九郎は、伊豆の修禅寺に逗留していた最高峰の素破たちを動かし、御所の内部に火を放つ手はずを整えていた。
「新九郎様、今川殿からの加勢、五百が到着いたしました」
闇の中から現れた腹心の部下、多目権兵衛が耳元で囁いた。甥の今川氏親が、約束通り精鋭を貸し出してくれたのである。これで手駒は揃った。
「よし。川を渡るぞ」
新九郎の低い一言とともに、漆黒の闇の中を、音もなく兵たちが動き出した。
夜半、堀越御所の裏手から、突如として真っ赤な炎が天を突いた。素破たちの放火である。
それと同時に、御所の四方から、地響きのような鬨の声が上がった。
「将軍家の上意である! 悪逆の足利茶々丸を討ち果たせ!」
あらかじめ各所に潜入していた新九郎の兵たちが、一斉に伏兵となって躍り出たのである。
足利茶々丸の軍勢は、完全に不意を突かれた。彼らにとってみれば、敵がどこから現れたのかさえ分からず、ただ数倍の大軍に囲まれたような錯覚に陥った。
「防げ! 防がぬか! 寄せ手を切り伏せよ!」
足利茶々丸は狂乱し、刀を抜いて防戦を命じたが、もともと暴政によって人心を失っていた御所の中は、恐怖と裏切りであっという間に瓦解した。近習の武士たちは次々と武器を捨てて逃亡し、ある者は新九郎の軍勢に降伏した。
足利茶々丸は、燃え盛る御所の奥深くから、わずかな従者とともに命からがら逃げ延び、南の深山へと落ち延びていった。
勝負は、夜が明ける前に決した。
朝霧が晴れ渡る中、新九郎は馬を止め、煙を上げる堀越御所の跡地を見つめていた。彼の衣服には、敵の返り血ひとつ付いていなかった。戦の全容をあらかじめ机の上で計算し、その通りに盤面を動かしたに過ぎないからである。
余談ながら、歴史家はこの事件を指して「下剋上の始まり」と言い、中世の終わりを告げる号砲であるとした。しかし、新九郎自身には、時代を変革しようなどという大それた気負いはなかったであろう。
彼はただ、室町幕府という古い仕組みの中で、もっとも正当な手続き(足利義澄将軍の命令)を踏み、もっとも効率的な手段を選んで、一つの拠点を手に入れただけのことである。
しかし、この日を境に、関東の歴史の歯車は誰も止められない速さで回り始めた。ついに一国の主となった男が、次に手を付けたのは、戦後処理という名の「国造り」であった。
次章、第五章へ続く。
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