第一章:数字を数える男
応仁の乱(応仁元年〈1467年〉〜文明九年〈1477年〉)が始まってからというもの、京の街は絶えずきな臭い灰色の霧に包まれているようであった。
伊勢新九郎盛時は、長享のころ(1487年〜1489年)、室町幕府の政所に出仕する現役の官僚であった。彼の仕事は、全国から集まる領地訴訟の書類を捌き、将軍の耳目に代わって帳簿を検めることである。
(壊れているな)
新九郎は、役所の縁側に腰掛け、煤けた京の空を見上げながら、いつもそう思っていた。
彼の手元にある書類には、山城国(京都府)のどこそこの荘園の年貢が、守護大名に掠め取られたという訴えが山のように積まれている。幕府はその都度、「返還せよ」という命令書を出す。しかし、大名たちはその紙屑で鼻をかむほどの敬意しか払わない。
統治の仕組みが機能していないのである。
室町幕府という組織は、足利将軍という「権威」の磁力によって諸国の守護を惹きつけ、かろうじて成り立っていた。しかし、応仁の乱の火がその磁力を完全に消し去ってしまった。いまや、大名たちは「力」の有無だけを信じ、京の命令など一顧だにしない。
「新九郎、またそのような顔をしておる」
声をかけたのは、同僚の若い幕臣、蜷川新右衛門親世であった。新九郎は苦笑し、手元の台帳を閉じた。
「いや、この国の帳簿をいくら付け直したところで、元となる米が京に届かぬのでは、我らは幻を数えているようなものだと思ってな、新右衛門」
「滅多なことを言うな。我らは足利家をお支えする伊勢の者だ」
新九郎はそれ以上反論しなかった。余談ながら、伊勢氏という家系は、単なる武士ではない。武家有職といって、武士の礼法や幕府の有形無形の制度を記憶し、執行する「知識の管理人」であった。新九郎の脳髄には、中世という時代が作ったあらゆる法律、経済の仕組み、形成された既得権益、そしてその「破綻の兆候」が、冷徹な数字として記憶されていたのである。
この時期、新九郎はしばしば一人の風狂な禅僧と交わっていた。大徳寺の一休宗純である。あるいは、臨済宗の禅僧たちと茶を飲み、世事を談じた。
「新九郎よ、この都はな、もう死んどる。死体が歩いて政治をしておるのだ」
一休宗純はそう言って笑った。新九郎もまた、腹の底で同意していた。
京の貴族や大名たちは、すでに実体を失った「格式」や「家柄」という名の幽霊にしがみつき、お互いの足を引っ張り合っている。ここでは、いかに優れた献策をしようとも、家格が低ければ一顧だにされない。
(このまま、この沈みゆく泥船とともに生きるべきか)
新九郎の胸には、室町幕府の限界を見据えながらも、己の信じる「秩序」をどこかで具現化したいという譲れない信念、すなわち「志」があった。しかし、京という土地は家柄という絶対的な制約で縛られており、その志を果たす余地はどこにもない。新九郎の心は、大局的な絶望と、未だ見ぬ新天地への飢えの間で葛藤していた。
そこへ、駿河国(静岡県)から届いた一通の手紙が、新九郎の燻っていた胸に、一気に火を放つことになる。
手紙の主は、駿河の守護大名である今川義忠に嫁いだ彼の姉、北川殿であった。
「今川義忠殿が戦死され、国が大騒動になっております。我が子・龍王丸が命を狙われております。頼れるのは、京の都で智恵を磨かれた貴方様しかおりませぬ」
新九郎は手紙をじっと見つめた。
駿河。東海道の要衝であり、背後には関東という広大で無秩序な未開の地が広がっている。
「……計算が、合うな」
新九郎は小さく呟いた。
京の役所で幻の数字を数え続ける人生と、秩序の崩壊した東国で新しい地平を切り拓く人生。彼のなかの「合理」という天秤は、一瞬にして後者へと傾いた。
新九郎は役所に辞表を出すと、わずかな従者を引き連れ、京の霧を割るようにして東へと旅立った。東海道を下る彼の背中は、官僚のそれではなく、時代の破壊者、あるいは新たな「国家の設計者」のそれへと変わりつつあった。
次章、第二章へ続く。
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