第五話 全天の論理値
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暗かった。
どこまでも暗かった。海の底か、宇宙の果てか、判然としなかった。
光点が一つ、明滅していた。規則的に。ゆっくりと。何かのリズムを刻んでいるように。
光点が増えた。二つ。五つ。十。パルスが複雑になった。重なり合って、何かのパターンを描いた。伝えようとしているように見えた。誰に。何を。
パルスが歪んだ。
同じ信号が、二重になった。微妙にずれて重なった。同じ場所から二つの光が出ていた。ノイズではなかった。二つとも本物だった。二つとも本物で、二つとも同じ信号で、でもずれていた。
光点が一つずつ消えていった。
沈黙。
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つむぎ
天文台のデータをLOGICAに食わせる——あいつが言い出したとき、僕は正直めんどくさいと思った。
七月に入っていた。蝉が鳴き始めていた。部室の窓を開けると、湿気と一緒に蝉の声が入ってくる。
あいつの顔から「面白い」が消えていた。いつもの興奮が、ない。代わりにあるのは——考え込んでいる顔。それとも、間に合わないって顔か。僕はその顔の方がずっと嫌だ。
先週、よはんが全身B値だと判明した。歩く爆弾。そして物理定数がずれている。世界が縮み始めている。
「集団見当識障害」はもうスマホのニュースで毎日見る。誰も原因がわからない。僕たちだけが知っている。知っていて、何もできていない。
金曜の放課後だった。あいつが部室に来るなり「国立天文台の公開データにLOGICAのフィルタをかけたい」。僕が「処理量が桁違いだぞ」と言ったら、「だから手伝って」と返された。
手伝って。
いつもそうだ。あいつの頭の中では、僕はすでに手伝うことになっている。拒否するという選択肢が計算に入っていない。
よはんは窓際で本を読んでいた。六花はまだ来ていなかった。先週の衝突のあと、六花は部室に来るようにはなったが、来る時間が遅くなった。以前は放課後すぐに来ていたのに、今は一時間くらい遅れて来る。あいつはたぶん気づいていない。僕は気づいている。
天文台の公開データは観測波長ごとにアーカイブされている。あいつが欲しいのは可視光ではなく、重力波検出器と宇宙背景放射の生データだった。LOGICAのフィルタをかけるには、データのフォーマットを変換して、あいつのアルゴリズムに通す前処理が要る。
僕の仕事だ。
いつも僕の仕事だ。あいつはアイデアを出す。僕が実装する。あいつは飛ぶ。僕が地面を固める。
二時間かかった。あいつはその間ずっとホワイトボードの前で何かを書いていた。僕が前処理を終えて「できた」と言ったら、あいつは振り向きもせず「ありがと、繋いで」と言った。
繋いだ。
部室の蛍光灯の音だけが聞こえた。
あいつが息を吸った。
僕が鉛筆を置いた。
何も変わらなかった。
三秒。
それから。
◇
部室の壁が消えた。
LOGICAの画面が変わった。あいつがスマホを掲げた。
正確にはスマホの画面がプロジェクター代わりになって——あいつが去年からコツコツ改良してきたAR表示が、スマホの画面を超えて部室全体に投影されたのだ。壁、天井、床。三畳半の部室がプラネタリウムになった。
だがプラネタリウムとは違った。
星が見えるのではない。論理値が見える。
壁の一面が銀河面になった。天の川のディスクが帯状に横切っている。その上に、LOGICAのタグが重なっている。T、T、T——ほとんどがT。普通の宇宙。普通に存在している。
だが。
天井の方角——銀河中心の方向に、巨大な赤い領域があった。
B値。⚠マーク。
光年スケールのB値。あいつが部室で見つけた矛盾の点とは比較にならない。銀河の中心付近に、途方もなく広い矛盾域が存在していた。二重化。不安定な煌き。
あいつがスマホを操作して、B値領域の形状を抽出した。三次元の等高面が浮かび上がる。
僕はそれを見て、ノートに走らせていた鉛筆が止まった。
形を知っていた。
あいつが証明を書き上げた日——ホワイトボードに書いた二百十七行の式。あの式の構造を位相的に表現したとき、こういう形になる。
銀河中心のB値領域の形が、あいつの証明の数式と同型だった。
「……おい」
「うん」
あいつも気づいていた。
「これ、お前の——」
「うん。同じ形」
あいつの声は震えていなかった。静かだった。いつもの興奮が、ない。代わりにあるのは——何だろう。畏怖、に近いかもしれない。
あいつが自分の数学に畏怖している。初めて見た。
「偶然か」
「偶然じゃない。あたしの証明が宇宙に反映されたのか、宇宙にあったものをあたしが書いたのか——どっちかわからない。でも偶然じゃない」
あいつの声が続いた。
「つむぎ、ここ見て。銀河の端の方。B値のパルス——何かが送ってる。規則性がある。ランダムノイズじゃない」
確かに、銀河の辺縁部に微弱なB値の信号源がいくつかあった。信号が二重になっている。同じパルスが微妙にずれて重なっている。
「あたしたち以外にも……いる。いるかもしれない。いる、かつ、いない」
僕は何も言わなかった。
部室の天井で銀河が回っている。壁に投影された星図が、暗い部屋の中でゆっくり動いている。窓際でよはんが本を閉じて、天井を見上げていた。
◇◇
六花
部室のドアを開けたら、宇宙だった。
壁も天井も星だった。暗い部屋の中に、光の粒が浮かんでいた。赤い点がいくつか混じっている。不安定な赤。ホワイトボードの白が、その中でぽつんと四角く光っていた。
きれい、と思った。
きれいだった。理由はわからないけど、きれいだった。
「きれい」
声に出ていた。
まどかが振り返った。暗闇の中で、スマホの画面に顔が照らされている。
「構造が——」
「ううん。きれい」
まどかが一瞬止まった。あたしの言葉を処理しているみたいだった。構造、ではなく、きれい。まどかの言語と、あたしの言語が、違う。同じものを見て、違うものを感じている。
いつもそうだ。でも今日は、そのことが少しだけ悲しくなかった。きれいはきれいだ。あたしにはあたしの目がある。
◇
銀河のことがひと段落して、部室の照明がついた。AR投影が消えて、いつもの三畳半に戻った。天井が、先週より低い気がした。
まどかが鞄からペットボトルのお茶を出して飲んだ。
「あ、そうだ。りっか」
「ん?」
「あたしたちさ、小学校のとき一緒に遊んでた子いたでしょ。三人で帰ってた。名前なんだっけ」
あたしは考えた。小学校の帰り道。まどかとあたしと、もう一人。背が低くて、よく笑う子。ランドセルの色が——赤? ピンク? 毎日一緒に帰ってた。
指が冷たい。考えているのに、指先の温度が消えている。いつからだろう。さっき銀河を見ていた時から?
名前が出てこない。
「……あれ」
「出てこないでしょ」
「うん。なんだっけ。ずっと一緒だったのに」
「あたしも出てこない。昨日の夜からずっと考えてるけど、出てこない」
二人で顔を見合わせた。
胸の奥で何かが冷たくなった。毎日一緒に帰ってた子の名前が、二人とも思い出せない。
窓の外を見た。夕方の空が赤い。いつもの空。いつもの空のはずなのに、今日は少しだけ色が薄い気がした。
二人とも黙っていた。しばらく。ペットボトルのお茶の音だけがした。
まどかは少しだけ不安そうだった。でもすぐに目が変わった。
「りっか。さっきの銀河中心のB値、あたしの証明と同型だったの。つまりこの宇宙の構造はあたしの数学から——いや、逆かもしれない。どっちにしろ、ここから干渉できる可能性がある」
「干渉って——ホワイトボードから階段を直したみたいな?」
「うん。でもスケールが桁違い。銀河中心のB値領域に直接アクセスする」
つむぎくんの鉛筆が止まった。
「やめろ」
つむぎくんの声は低かった。怒っていた。
「まだ検算してない。銀河規模の干渉なんて、副作用が——」
「縮約が進んでる。名前が消え始めてる。今やらないと間に合わない」
「間に合わないって根拠は」
「直感」
つむぎくんの目が冷たくなった。
「直感で銀河をいじるのか」
つむぎくんの反乱。宇宙が応答している。お前の証明を読んでいるかもしれない。
まどかはもう立っていた。マーカーを手に取っていた。ホワイトボードに向かっていた。
あたしはまどかの背中を見ていた。小さい背中。でも、こうなったらもう止まらない。あたしは知っている。つむぎくんも知っている。知っているのに、止められない。
よはんさんが窓際で、静かに立ち上がった。
◇
まどかがホワイトボードに式を書き始めた。
蛍光灯の白い光の下で。マーカーが白い面の上を走る。きゅ、きゅ、きゅ。
つむぎくんはノートの上に腕を組んで、書かれていく式を睨んでいた。検算できない速度で進む式を、それでも目で追っている。
三分くらいだったと思う。
まどかの手が止まった。
「書けた」
ホワイトボードの右下。あたしには意味がわからない。でもまどかの声が少しだけ震えていた。
まどかがLOGICAを起動して、ホワイトボードにカメラを向けた。
「これで——」
沈黙。
部室が、沈黙した。
LOGICAの画面ではなかった。目の前のホワイトボードだった。
式の下の空白——まどかが何も書いていない白い面の上に、何かが現れ始めた。
線だった。
マーカーのインクと同じ黒い線が、誰も触っていないホワイトボードの上に、ゆっくりと、一画ずつ描かれていった。
誰も動かなかった。
誰も声を出さなかった。
線は数字になり、数字は記号になり、記号は式になった。まどかが書いたものとは違う書体。だが同じインク。同じ太さ。まどかのマーカーの色と同じ黒。
一行。
長い一行が、ホワイトボードの白い面の上に、書かれた。
部室の蛍光灯が全て点いた。四本。普段は二本しか点かない。天井が白くなった。まどかの手が止まった。つむぎくんが顔を上げた。あたしの影が消えた。影がなくなるほど明るかった。
全部、消えた。
暗闇。一秒。空気の底で何かが脈打っている感じがした。あの鼓動。あたしには聞こえない鼓動。でも今は——空気が震えているのがわかった。体の表面で。肌で。
蛍光灯が二本だけ戻った。いつもの明るさ。
式が書き終わっていた。
ホワイトボードの上に、まどかの式と、誰のものでもない式が、並んでいた。
「……何これ」
まどかの声がかすれていた。
つむぎくんが椅子を蹴って立ち上がった。ホワイトボードに近づいた。応答の式を、一文字ずつ追っていた。
「おい。これ」
「何」
「この式の中に——お前の証明の第三十七行から四十一行が、変数として参照されてる」
まどかの顔が変わった。
「お前の証明を、この式は知ってる。——お前が宇宙を読んでたんじゃない」
つむぎくんの声が低く、硬かった。
「宇宙がお前を読んでたんだ」
部室が静かだった。ホワイトボードの上に、二つの式が並んでいた。まどかのものと、宇宙のもの。
空気が薄くなった。
息を吸ったのに、肺の奥まで届かない感じがした。体の輪郭がぼんやりする。指先の温度が消えていく。
あたしの手が消えた。
正確には——透けた。右手。自分の爪の白が、向こう側の机の茶色に負けていた。手の向こう側が見えた。
声が出なかった。
机の端を掴もうとした。指が滑った。机の感触がない。手が机を通りかけている。
声を出す前に、よはんさんの声が聞こえた。
「離れてください!」
よはんさんが叫んでいた。聞いたことのない声だった。丁寧語すら消えていた。いつも感情を抑えている人が、抑制を手放していた。制服の左袖を握る手が震えている——いや、体全体が震えていた。感情を出すと論理膜が揺らぐ。よはんさんはそれを知っている。知っていて叫んでいた。
まどかがあたしを見た。あたしの透けかけた手を見た。目が見開かれた。
「りっか——!」
まどかがLOGICAをホワイトボードに向けた。何かを消した——いや、式の一部に上書きした。走り書き。殴り書きに近い。
あたしの手が戻った。
指を見た。爪がある。指紋がある。血管が透けて見える——透けているのではなく、肌を通して青い線が見えるだけだ。普通の、あたしの手だ。
足の力が抜けて、椅子に座り込んだ。
心臓が打っていた。速く。不規則に。宇宙の鼓動じゃない。あたしの鼓動だ。
「……何、今の」
「宇宙の応答です」
よはんさんの声は、まだ少しだけ震えていた。
あたしは自分の手を見ていた。消える、ということの手触り。体が薄くなって、世界が遠くなって、声が出なくなる。指先の温度が消える感覚。
制服の首元のボタンが外れていた。叫んだ拍子に。よはんさんがそれに気づいて、指で留め直した。指が震えていて、三秒かかった。留まった瞬間、よはんさんの体の揺れが少し収まった。
「十六夜さんが式を書いた。宇宙が応答した。応答が起きている間、この空間のB値が上昇した。六花さんの体はもともと——境界が薄い。上昇した分だけ——」
「消えかけた?」
「僕と同じ状態に、一瞬だけ」
よはんさんがあたしを見ていた。いつものやわらかい目ではなかった。もっと深い目。自分と同じ場所に六花が来かけたことへの。
よはんさんは、あれを毎日感じているのだろうか。あの正確な制服の下で、ずっと。
◇
つむぎくんが鞄を掴んだ。
その前に一瞬、つむぎくんの手が震えていたのを、あたしは見た。ホワイトボードの二つの式を見ながら、鉛筆を握ったまま、指が白くなるほど強く——それから鉛筆をポケットにしまって、鞄を取った。鞄を開けた時、中にノートが見えた。いつもの検算ノートとは違う。表紙に何も書いていないノート。つむぎくんはそれを奥に押し込んだ。あたしだけが見ていた。まどかは見ていなかった。
「帰る」
「つむぎ——」
「僕はお前の証明器じゃない」
つむぎくんの声は低かった。怒っていた。あたしが先週まどかに怒ったのとは種類が違った。あたしの怒りは熱かった。つむぎくんの怒りは冷たい。
「僕にも自分の問題がある。お前はそれを一度も聞いたことがない。——だがそれは今の話じゃない」
つむぎくんがまどかを見た。
「お前は検算なしで銀河に手を出した。僕が止めた。無視した。結果、六花が消えかけた」
まどかが何も言えなかった。
「ハックされてたのはお前の方だ。お前が式を書くたびに、宇宙の側も書き換わる。証明と対象が同時に動く。僕が検算した次の瞬間に、対象がもう別物になってるかもしれない」
つむぎくんの目が、怒りの奥に、もっと暗いものを含んでいた。
「お前は僕の仕事を壊した」
ドアが閉まった。
部室に三人が残された。
あたしは椅子に座ったまま、さっきまで透けていた手を見ていた。まどかはホワイトボードの前に立ったまま、二つの式を見ていた。まどかのものと、宇宙のもの。
よはんさんが窓際で、静かに袖を握っていた。
◇
帰り道。あたしとまどか。
足元が少し頼りなかった。地面を踏んでいる感覚はあるのに、薄い。さっき透けかけた手の感触がまだ残っていて、ときどき自分の指を見た。指を触った。爪がある。血管が見える。でも——暖かくない。温度が消えたままだ。
まどかはスマホを見ていなかった。手に持ってはいたけど、画面は暗いままだった。
「りっか」
「……なに」
「ごめん」
「……」
「あたしのせいで——」
「まどかのせい——」
言いかけて、止めた。違う。違うけど、違うって言い切れるほどあたしは整理できていない。
「……わかんない。わかんないけど、まどかだけのせいじゃない。たぶん」
たぶん。たぶん、でしか言えない。怒りたいけど怒る相手がわからない。まどかに怒ればいいのか、宇宙に怒ればいいのか。宇宙に怒ってどうするんだ。
わかっていたけど、怖かった。消えかけた。あたしが。
まどかは前を向いたまま歩いていた。
「あたし、面白——」
途中で止まった。
あたしを見た。あたしは何も言わなかった。六花が消えかけた。あの瞬間、あたしはまどかの方を見ていた。
まどかは口を閉じて、前を向いた。スマホをポケットにしまった。
二人で、黙って歩いた。
まどかが「面白い」を飲み込んだのを、あたしは初めて見た。
商店街を通った。煎餅屋の前。あの、輪郭が二重に見える場所。
今日は二重には見えなかった。代わりに——声が聞こえた。
笑い声。大きな笑い声。
商店街の奥で、女の子が一人、しゃがんでスマホで何かを撮っていた。煎餅屋の軒先にいる茶トラの猫を、ものすごく近くから撮っている。猫が迷惑そうに耳を倒している。女の子は気にしていない。
「やば、めっちゃかわいい。ちょっとこっち向いて——あ、逃げた!」
声がでかかった。商店街の端まで届くくらい。うちの学校の制服だった。日焼けした腕。髪を一つに結んでいる。立ち上がった。背が高い。逃げる猫を見送って、全力で笑った。
あ、と思った。あの笑い声。遠野さんだ。
うちのクラスの遠野さん。教室ではいつも向こう側のグループにいるから、ちゃんと話したことはなかった。猫のそばで何回か会った。
その子があたしの方を向いた。目が合った。にっと笑った。
「あ、雪城さんじゃん! 猫の!」
猫の。あたしはこの子に「猫の雪城さん」と思われていたらしい。なんだかおかしかった。
「猫! ここの猫めっちゃかわいいの、知ってた? チャーちゃんっていうの。煎餅屋のおばちゃんに聞いた」
まどかは気づいていなかった。俯いていた。地面を見て歩いていた。
あたしは立ち止まっていた。遠野さんとしゃべっていた。猫の話。チャーちゃんは茶トラだからチャーちゃんらしい。安直すぎて笑った。遠野さんも笑った。大きな声で。
「ことはでいいよ。遠野って呼ぶ子いないし。あたし陸上部。六花さんは?」
「演劇部。——りっかでいい」
「りっか! いい名前。——あ、猫戻ってきた!」
しゃがんだ。スマホを構えた。あたしもしゃがんだ。二人でチャーちゃんを撮った。チャーちゃんは迷惑そうだった。
三分くらいだった。まどかが「りっか?」と振り返った。ことはちゃんが「またねりっか!」と手を振った。まどかの目がことはちゃんを一瞬見て、すぐ戻った。「誰?」「うちのクラスの遠野さん。ことはちゃん」。まどかは「ふうん」と言って、また前を向いた。
LINEを交換した。ことはちゃんの方から「交換しよ!」と言われた。断る理由がなかった。
あたしの手を見た。透けていない。もう戻った。指に温度が戻ったか確認したけど、まだ冷たい。
よはんさんは、あれを毎日——。
帰り道、駅に向かって走った。理由はない。走りたかっただけだ。足が地面を蹴る感覚が、今は少しだけ頼りなかった。さっきまで透けていた手で、走っている。でも走った。走ると、考えなくていいから。頭の中が空っぽになるから。風が顔に当たって、六月の湿った空気が肺に入って、足がアスファルトを叩いて。それだけがある。それだけで十分だった。
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まどかのノート #5
【位相同型】
銀河中心のB値領域の形状が、あたしの証明の位相的表現と同型(homeomorphism)。連続変形で移り合う構造。あたしの式と銀河の矛盾域は「同じかたち」をしている。
【応答式】
ホワイトボードに式を書いたら、宇宙が書き返してきた。応答式の中にあたしの証明の第三十七行~四十一行が変数として参照されていた。体系の内部から体系を記述する自己言及。ゲーデルの不完全性定理の外側。
【LOGICA v3.0】
天文台データ接続モジュール追加。AR投影を部室スケールから銀河スケールに拡張。




