Artémis des larmes ~アルテミスの涙~ 第十一話
「大丈夫ですよ。さぁ陛下、我々も夜を楽しみましょう」
ウィリアム様は立ち上がるとアドルフ陛下の背を押して大広間のダンスフロアに降り立ちました。
すると女性陣が一気にざわめきたち、ウィリアム様と組んで踊りたいと近寄ってきます。
アドルフ陛下は集まって来た女性たちの洪水の中で溺れそうになりながらも、近寄ってくる女性たちに顔を喜ばせております。
音楽が一気に盛り上がりを見せはじめ、人々は皆クルクルと円を描きながら大広間のダンスフロアを所狭しと踊っていおります。
ウィリアム様は一曲ずつ入れ替わるように女性たちとワルツを踊っておりますと、ウィリアム様の目の前に羽根のようにフワッと一人の女性が現れました。
淡いスミレのような紫色の裾がふわっと広がるドレスを身にまとい、亜麻色に輝く髪を華美な装飾など施さずに品よくまとめ上げてペリドットのような薄い緑色の大きな瞳を輝かせながらウィリアム様に膝を折ってお辞儀をされました。
「…フローレンス!」
「お久しぶりでございます…陛下」
フローレンスと呼ばれたその女性は、甘く、しかしどこかしっとりとしたお声でご挨拶をされると艶やかな紅を引いた唇を優しく広げ、にっこりと微笑みます。
ウィリアム様もどこか嬉しそうなお声と表情でフローレンスを見つめております。
「…もう身体の方は良いのですか?」
「えぇ…おかげ様で。主人が亡くなってもう5年も経っているんですもの。いつまでも塞ぎ込んでなどいられませんわ」
「そうですか…」
「陛下はもう…すっかりとご立派になられましたわね」
「もう私も19ですよ」
「そうですわね…うふふ…」
「…本日の最後のワルツは私と一緒に踊ってくださいますか、フローレンス」
「光栄ですわ」
ウィリアム様はスッとフローレンスの手を取りその手に優しく口づけをされました。フローレンスもまぁ…と喜んで微笑み返しまたお辞儀をされると力強く引き寄せられたウィリアム様の腕の中にすっぽりと入り込み、お二人はチークダンスのように身体を寄せ合い、緩やかなワルツの音楽に身を委ねて踊り始めました。
「おい、あそこに居らっしゃるのはフローレンス殿じゃないか?」
「ホントだ!かつて社交界の華としてその名を馳せたあのフローレンス殿じゃないか!」
「このようなパーティーに出て来られるなんて何年振りだろう!」
「昔と変わらずに相変わらずお美しい…」
周りに居る者たちはウィリアム様と一緒に踊っている麗しい女性がフローレンスであることに気が付き、次第にザワザワとし始めました。
ですがそんな声を気にすることも無く、ウィリアム様とフローレンスは優雅にステップを踏んでおります。
「社交界の華と謳われた貴女とこうやってワルツを踊れるようになるとは…光栄です」
「そんな昔の話…恥ずかしいですわ」
「何を仰られる!貴女がダンスフロアに現れると皆が貴女に目を奪われておりましたよ。そんな貴女と今こうやっていられるなんて夢にも思っていませんでした」
「まぁ…!あんなにも小さくて可愛かった少年がすっかりとお上手になりましたわね」
「貴女に教えを乞うていた時はまだ10そこそこでしたからね」
「そうでしたわね」
ウィリアム様の手がフローレンスの華奢な背中をそっと支え、お二人はゆったりとワルツの音楽に身を委ねながらお顔を見合わせて何やら昔話に花を咲かせているようでした。
フワッとフローレンスが動くたびにのユリの気品高い香りの香水がウィリアム様の鼻をくすぐります。どこか懐かしいこの香りにウィリアム様は嬉しそうにフローレンスのお顔を見つめておりました。
「そう言えば陛下…今日は珍しくヴィンスとはご一緒されていないのですか?」
「アイツは今重要な任務の最中なんですよ」
「パーティーの最中でも任務だなんて…ヴィンスも大変ですわね」
「あはは…。申し付けているのは私なので耳が痛いですね」
「陛下ったら…人使いが荒いんですわね」
「申し訳ない」
「忙しいからのかしら。ヴィンスったら、最近全く音沙汰なしなんですのよ。たまには顔を見せに来てほしいと伝えいただきたいですわ、陛下」
「前にも何度か伝えてはいるんですがね。ですが仕事が忙しすぎるの毎日アイツは自分の家にも寝に帰るだけなので、一日のほとんどはこの城におりますよ」
「まぁ!働き者ですこと」
「えぇ、アイツは仕事が恋人ですから」
「悲しい男ね…」
「えぇ」
お二人はお互いの瞳をしっかりと見つめ合いながら微笑み合います。とそこに少し音楽が転調して徐々に大きく盛り上がりを見せると、ウィリアム様とフローレンスはその音楽に合わせてこれまた華麗なステップを踏んでフィナーレに向かって軽やかに踊り始めました。
すると近くにはシャルロット様とゲルハルト王子、ドミニク様とアンジェリカと言ったカップルもおり、三組を中心に大きな円が出来ました。その周りをアドルフ陛下を始め多くのカップルが回り、入れ代わり立ち代わり人々が入り乱れてワルツを踊っております。
更にその円の外にはその華やかなワルツを見て楽しんでいる人々の歓声が響いております。
「…なかなか華やかなパーティーですね」
「おや?お気に召したかな?凰華殿」
皆の輪から外れた大広間の端の一角で、ワイングラスを傾けながらニヤリといやらしい口元で笑う、ギョロッとした目つきの大柄な中年男性と共に凰華と呼ばれた劉 黒豹はシャンパンをクイッと喉に押し込みながら遠くからにぎやかなワルツを見ておりました。
「えぇとても。やはり噂通りローザタニアは平和で穏やかな国ですね」
「あははははっ!仰る通りこのローザタニアは平和で穏やかで何も無くてつまらない国ですよ!」
「だかそこが良い」
「はっ!どうだか…。平和すぎて毎日会議も欠伸しか出ませんよ!何か刺激でも欲しいものですな」
「刺激…ねぇ…。ではこちらはいかがですか?」
「…なんですか?」
少し宙を仰ぎ何かを考えていた劉 黒豹は、懐にスッと手を入れるとなにやら深い紫色をした液体の入った小瓶をガストン大臣の前にスッと差しだしました。ガストン大臣はその小瓶を手に取り、中身の液体を訝しげに眺めております。
「ラドガ大国とリテーリャ国で最近流行っている『エカテリーナ』と言う薬です」
「『エカテリーナ』?」
「えぇ…何やらとんでもなく強い惚れ薬だとか。これを一滴相手の口に含ませれば…すぐにでも相手は貴方が欲しくなるとか」
「胡散臭いのぉ…」
「ラドガの国王陛下もお使いだそうですよ」
「ホントかぁ?」
「…試してみられますか?」
「あぁ」
フフンッと半信半疑で鼻で笑うガストン大臣に対して劉 黒豹はニヤリといたずらっ子ぽく笑うと、近くのボーイから新しいシャンパンを貰いました。そしてその中に小瓶の液体を一滴垂らし入れます。シャンパンゴールドの色に一瞬紫色が出ましたが、すぐに混ざり合ったのかシャンパンの色は元に戻りシュワシュワと泡立ちを立てております。
劉 黒豹は近くを通りがかった美しい若い女性に声を掛けました。そしてガストン大臣の隣の席にエスコートし、女性に薬の入ったグラスを手渡します。戸惑いながらもシャンパンを一口口に含んだ女性は一瞬目を大きく見開きガクンっと身体をガストン大臣の方へと沈みこませました。
「お…おいっ凰華殿っ!」
「大丈夫ですよ…」
自分の方に倒れ掛かった女性を見て慌てふためくガストン大臣に劉 黒豹は腕を組んで落ち着いた様子で答えて自分のグラスのシャンパンを飲み干しました。
女性が顔をゆっくり上げ、何やらもう顔を赤らめて潤んだ瞳でガストン大臣にしなだれかかりそして耳元で何やら囁き、ガストン大臣にキスをねだり始めました。
「…っ!」
「どうされます?大臣殿…」
「い…今すぐこの薬を私におくれっ!!」
「5万ルリカですね」
「ホレっ!!」
ジャラっと音を立ててお金の入った袋をガストン大臣が劉 黒豹に投げました。劉 黒豹がその袋の中身をチラッと確認すると、ニコッと微笑みながら懐にその袋を仕舞い込みました。
「いつもありがとうございます。では刺激的な夜をお過ごしください…」
「あぁ…っ!もう居ても経っても居られぬっ!ワシは屋敷に戻る!ではまたな!」
ガストン大臣は鼻息荒く立ち上がると、その女性の腕を引っ張って足早にこっそりと大広間を出て行かれました。きっともうお互い既に我慢できないのでしょう、お互い呼吸荒く、もつれ込み絡み合う脚を何とか動かしながら血走った眼で前かがみに走り去っていったのでした。
「…まったく本当に平和ボケの国ですねぇ」
ガストン大臣の後姿を見送った劉 黒豹は呆れたようにはぁ…っと溜息をつくと、すっと立ち上がりバルコニーの方へと移動しました。
皆が大広間で盛り上がっている中、バルコニーには人影もなくとても静かでした。
まん丸の満月の光を浴びながら劉 黒豹は眼下に広がる庭を眺めております。
「警備の兵士の数も少ない…。とことん平和だな」
劉 黒豹は懐から葉巻を取り出すと、火をつけてその煙を大きく肺いっぱいに吸い込むとふぅ…と息を細めて吐いて出します。
そして月を見上げると、ふと何かの気配を感じたのかパッと振り返りお城の屋根の辺りを見つめました。
「…気のせい…か?何やら視線を感じたような気がしたんだか…」
月明かりに照らされた白い屋根をじっと鋭い視線で睨むように見つめまが、しかしそこには何もなくただ静かなか闇だけが広がりました。
しばらく辺りを警戒するように辺りを見回しておりましたが、何もないことを確認したのか再び大きく葉巻の煙をスゥ…と胸いっぱいに吸い込み吐き出しました。
そして大広間の大賑わいをバルコニーから冷めた目で静かに見つめました。
その視線の先にはちょうどシャルロット様のお姿がありました。大きな瞳を輝かせながらキラキラとした笑顔を振りまきるで大輪のバラのように華やかにクルクルと軽やかなステップを踏んでいるシャルロット様のお姿を劉 黒豹は目で追いながら葉巻の煙りを燻らせております。
「…花の摘み頃は…まだ先かな」
独り言のように小さい声でそう呟くと、劉 黒豹は葉巻をポイッと投げ捨てて火を消し、そのまま夜の闇の中へと消えて行ったのでした―――…。




