第4章 Jardin secret ~秘密の花園~ 第二十七話
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「カルロ…単刀直入に聞くけれど貴方…犯人なの?」
「何を馬鹿なことを言っているんですか、ルチア…。そんなしょうもないことを聞くためにわざわざ私の屋敷を訪ねてきてくれたのですか?」
空が今にも泣き出しそうなくらい重くて暗くどんよりとし、辺りは薄い霧が広がる午後の事です。カルロ伯爵のお屋敷に一人の修道女―――…ルチアがこっそりと訪ねてきました。
落ち着いたアイボリーの壁紙に深い緑色をした質のいい少し硬めのソファーが部屋の真ん中に設置されているアンティーク調のカルロ伯爵の自室で、バラの花の香り高いお茶を一口飲みながらカルロ伯爵は真剣なお顔でこちらを訝しむように見ているルチアを一蹴しました。
「でも…街の人たちが皆言っているわ!貴方が女好きなのは女の血を飲むためだって!ねぇカルロ…私には本当のことを話して…?貴方は…吸血鬼でなの?」
「私が人間なのは元婚約者である貴女なら知っているでしょう」
「…そうだけど…でもッ!」
「でも?」
「…貴方は大人の遊びを覚えてからかすっかり昔とは変わってしまったわ…」
「都会の社交界で遊んでいたら誰だってこうなりますよ。こんな田舎でのんびりと暮らしている人たちには刺激が強すぎるんでしょう。きっと私の事が嫌いな人が私を犯人のスケープゴートとして仕立て上げようとしているんですよ。派手な私が憎いんでしょうかね」
「馬鹿なこと言っていないで…っ!ねぇカルロ…もし本当に犯人じゃないならちゃんとそれを証明しないと!街の人たちは貴方が犯人だってほぼ決めつけているわ!今だってたくさんの街の人たちが神父様のところに相談に来ているの…」
「…あの神父のところに?」
「えぇ…」
「…」
ルチアは眉間に皺を寄せて必死の表情で、カルロ伯爵の座っているすぐ隣のに駆け寄りギュッと強く伯爵の手を握りました。カルロ伯爵はいきなりのことに驚いて顔を上げてそんな真剣なルチアの顔を見つめます。
「カルロ…神父様のところに行ってちゃんとお話ししましょう?もしかしたら…貴方自身自覚がないのかも知れないけれどもしかしたら吸血鬼にその身体を乗っ取られているかも知れないわ。だったらちゃんと神父様に清めてもらわないと…!」
「何を馬鹿なことを言っているんですか。だから私は殺人犯でもないし吸血鬼でもないですよ」
「でも神父様が神をも恐れずにそんな…不特定多数の男女構わず破廉恥なことをする者は…吸血鬼に違いないって仰っていたわ」
「神父様…?あぁ…あの最近赴任してきたあの若い男のことですか…。ルチア、貴女はその神父と私と…どちらを信用するのですか?」
カルロ伯爵の顔が強張りました。真っ直ぐな瞳でカルロ伯爵を見つめていたルチアはハッと驚き、握っていた手を離そうとしましたがカルロ伯爵はその手を離すことなくさらに強く握りしめます。
「…でも…」
「ルチア…私は吸血鬼などではない。ただの人間です。そして今でも貴女を心の底から愛している…ただの愚かな一人の男だ」
「カルロ…」
「ルチア私を信じてほしい」
「軽薄で嘘つきの貴方をどう信じろと言うの…?」
「ルチア…」
伯爵はアッシュグレーの瞳を悲しそうに曇らせてルチアのお顔をずっと見つめております。ルチアも凛と輝くヘーゼルナッツ色の瞳をカルロ伯爵から離すことなく見つめておりました。しばらく二人は見つめ合ったまま少しの沈黙が流れます。ルチアはカルロ伯爵の手を解きパッと瞳を逸らしておもむろにソファーから立ち上がりました。
「お使いの途中なの…。もう戻らないと…」
「待ってくださいルチア…」
「ごめんなさいカルロ…もう行かなきゃ」
「行かせない…」
「きゃっ…!」
ルチアの手再び取り、グイッと強引に引っ張ってそのまま抱き寄せました。
「カルロっ!?」
「…ルチア、ずっと君だけを愛しているんだ…」
「やめて…」
「愛している…」
「離してカルロ…お願い…」
「ルチア…」
カルロ伯爵はギュッと強く抱きしめられている腕の中から逃れようと身を捩るルチアをさらに強く抱きしめ、そして瑞々しい赤い紅を引いたような唇に強引に自分の唇を重ね合わせました。
「…やめ…っ」
「ルチア…」
抵抗して逃げようとして離れるルチアの唇を何度も何度も捉えては唇を重ね合わせておりますと、次第にルチアは敵わないと思ったのか抵抗することを止めてカルロ伯爵の唇を受け入れるようになり、二人は甘い口づけを交わし始めました。静かな部屋の中には二人のため息交じりの甘い吐息が響いてきました。ん…っと甘い吐息を放ってルチアが赤らめた顔をずらし、そのままカルロ伯爵の胸に倒れ込むように抱きつきました。
「…どうして…こんなこと…」
「貴女を愛しているからですよ、ルチア…」
「…じゃあどうして…私以外の他の人達ともこういうことしたの…?」
「ルチア…」
「私だって貴方を愛してたわ…。だからどうしても許せないのよ…。どうして…?私を愛しているのに…どうして…他の人にもキスしたり…平気で触れたりできるの…?」
「…」
「私だって…貴方に触れたかった…いつだって貴方のぬくもりを感じたかった…でも…私は嫌。私以外の人が触れたその身体で私に触れないで…」
「ルチア…」
「お願い…もう私を困らせないで…。両親が亡くなってから修道女として強く一人で生きていこうと決めたのよ。もう…私は貴方の知っているシャロン子爵家のルチアじゃない…シスタールチアなの」
「戻って来てくれないのか…?」
「…もう無理よ。全てが遅すぎるわ」
「まだ君は修道女となるための勉強をしている身だ。まだ神に忠誠を誓っていない」
「…ごめんなさいカルロ…」
「ルチアッ!」
ルチアは伯爵の胸に埋めていたお顔を上げてその腕の中から出て行こうとしました。しかしカルロ伯爵は逃さまいとルチアを再び強く抱きしめるともう一度唇を重ねて熱い口づけを交わします。
「駄目…っ!」
少し息が上がり頬が紅潮しているルチアはカルロ伯爵のお顔を叩き、涙ぐんだ瞳で伯爵を見つめます。頬を叩かれた拍子にうつむいたカルロ伯爵はゆっくりとお顔を上げてルチアと目が合うと、一気にルチアをベッドに突き飛ばしました。
「修道女の条件は清らかであること…でしたね?」
「カル…ロ…?」
ルチアはベッドから起き上がろうとしましたが、それを阻むかのようにカルロ伯爵はルチアに覆いかぶさるようにベッドに足を掛けました。そしてゆっくりとタイのリボンを外して胸元を少し緩め、ルチアの耳元で囁くように愛している、と呟くとそのまま小さく震えているルチアのベールを外しました。
「最初からこうしていればよかった…」
「やめ…」
「ルチア…」
カルロ伯爵はそのままルチアに覆いかぶさるようにベッドに沈むと胸元に掛かっているロザリオを引きちぎりました。部屋中に薄いピンク色のロザリオの珠がバラバラと散らばっていきます。
「あ…っ!」
「ルチア…愛している」
「やめて…カルロ…お願い…。これ以上私を…困らせないで…」
「ルチア…」
カルロ伯爵はルチアに再び熱い口づけをぶつけてきました。伯爵の絡みつくように迫ってくる舌から逃れようとルチアは必死に抵抗しますが、頭がぼんやりとするほどの自分の身体の芯から込み上げてくる甘くて熱い衝動にほだされて徐々に抵抗する力が無くなっていき、次第にカルロ伯爵を受け入れ、そのまま伯爵の愛を素直に受け入れだしました。
どれほど時間が経ったでしょうか。
涙で頬を濡らしたルチアは伯爵に身を委ねて降り注ぐ愛を全身で感じておりました。
伯爵はそっとその頬に優しく手を添えて、その涙を拭います。
「…もし貴方が吸血鬼なら…私の血を一気に飲み干して今すぐ殺して…」
「それが出来たなら幸せでしょうね…。愛しい貴女を永遠に独り占めできるのに…」
「…やっぱり大嫌いよ…カルロ…」
「嫌いでも構わないですよ…。貴女の中で…私がいっぱいになるのならこれ以上にない幸せですよ…」
「…愛しているわカルロ…」
ルチアはぼんやりとした意識の中でカルロ伯爵を睨むように真っ直ぐに見つめながらそう呟きました。そんなルチアを見た伯爵はフッと笑いルチアの目の縁に溜まっている涙をそっと指で拭い、優しい口づけをして上体を起こして強く抱きしめました。
「ルチア…愛している」
ルチアは何も答えずに潤んだ瞳でにっこり微笑み、カルロ伯爵の首に手を回してぴったりと身体を重ね合わせました。伯爵はルチアをもう一度強く、そして優しく抱き締めると、そのままそっとお顔を合わせて何度も何度も甘い口づけを交わし、二人は再び崩れるようにベッドへと沈んで行ったのでした―――…。
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死臭と血の臭いの混ざったような吸血鬼の臭いに誘われるかのように、カルロ伯爵は一心不乱に一人森の中を歩き続けます。森の中を掻き分け進み続けると、目の前には古びた小さな納屋がポツンと佇んでおりました。
伯爵は辺りを見回し、誰の気配もないことを確認するといつでも剣を抜けるようにと剣柄に手を置き納屋の扉をゆっくりと引きました。ギギギ…と古めかしい音を立ててドアが開き明かりもついていない真っ暗な納屋の中に伯爵は足を踏み入れます。
納屋にはスコップやハサミと言った刃物はあるもののガーデニング用品が整然としまってあるだけで、特にこれと言って変わった物はなく、ごくありふれた空間でした。カルロ伯爵は意識を集中させてるように瞳を閉じ、スゥ…っと大きく息を吸い込みました。そして金色に輝く瞳をゆっくりと開けると、足元にある絨毯の方に視線をやりました。
「…この下だ」
そう呟かれるとおもむろに絨毯を引き剥がします。すると頑丈な鉄の扉で出来た地下室への入り口が姿を現しました。その扉が目に入ってきた瞬間、カルロ伯爵の目は大きく見開いてキッと睨みつけるかのようにその扉を凝視しております。
「…この下から…バラの香りと共にたくさんの血の匂いと薄汚い獣の臭いが漂っている…」
カルロ伯爵は扉の取っ手を持ちグッと力を込めて開けようとすると、鍵が開いており思いのほか扉は簡単に開きました。
扉の下には石造りの階段が真っ暗な先まで長く続いており、下から吹いてくるヒンヤリした風に乗ってむせ返るほどの甘ったるいバラのお香の香りが広がってきました。
「く…っ」
鼻腔に広がる何とも言えない香りに顔をしかめながら、伯爵は恐る恐る階段を降りて行きます。
所々、階段を照らす松明がユラユラと揺れて薄暗い足元を照らしてはおりますが、暗くて見通しが悪く、伯爵は警戒しながらそっと壁に手を添えて長い階段を降りて行き細長い廊下へと辿りつきました。
伯爵はキョロキョロと左右前後を見回しますが薄暗い空間にはただ壁だけがあり、他に何もありませんでした。
そのまま道なりに歩いていると、左右に別れた道へと出くわしました。伯爵はスゥ…と大きく息を吸うと、左側から血生臭い臭いが漂っており、伯爵はう…っとなりながらそちらの方へと歩みを進めて行きます。
すると徐々に道が開けてきて、アーチ状の柱が何本も建つ広い空間へと出てきました。カルロ伯爵は左右に目をやり吸血鬼の気配を探しましたが、ただピチョン…ピチョン…と天井のどこかから水が落ちて跳ね返る音だけしか聞こえてきませんでした。
「これは…?」
石造りの壁の中にはアーチ状の模様が組み込まれており、よく見るとそれは聖書の中の逸話をレリーフにしたものでした。伯爵はそのレリーフをジッと見つめると、右の端にある女性が神の声を聴き、神の子を宿したという逸話が描かれたレリーフにそっと手を添えました。
添わせている指が神の声を聴いて法悦している女性に触れると、壁が動きだし伯爵はそのままくるっと壁の反対側へと入り込みました。
「…っ!」
勢いに弾き飛ばされ、伯爵は2、3歩よろめきます。壁の反対側はさらに薄暗く、伯爵は目を凝らしながら辺りの様子を伺います。そして鼻の奥を通り頭の中まで侵入してくるさらに強烈な臭いに思いきり顔をしかめ、暗闇になれてきた金色に光る瞳をこらしてゆっくりとお顔を上げると、目の前の風景に伯爵は思わず息を飲み込み驚愕してしました。
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背後からガサガサと大きな音を立てて何かが近づいてきたのに気が付き、ウィリアム様とヴィンセントが振り返ると、そこには手に木の棒を持っているバードリー神父が震えながら立っておりました。
「…神父殿っ!」
「…ウィリアム…陛下…っ!」
「無事だったのか…!シャルを…妹を連れた貴方が行方不明になったと聞いていてもたっても居られなかった…っ!」
「申し訳ございません陛下…。敵の目を欺くために…シャルロット様を確実にお守りするために陛下にお知らせできずにいたことをお許しください」
スッとバードリー神父は膝を折ってかしこまったお辞儀をウィリアム様にされました。そしてそのまま、神妙な面持ちで声を潜めて話しはじめます。
「…陛下、やはりあのカルロ伯爵と言う男が…200年前にここグララスで吸血鬼事件を起こした吸血鬼と同一人物の様です」
「…だがあの時の犯人は―――…」
「陛下、あの男の話は全くのデタラメです!お耳を貸さぬよう…」
「だが教会の総本山の焼印が…」
「…あれは偽物です」
「だがしかし…」
「陛下や我々を欺くためにあの男が偽装したのです」
「…教会の総本山の鷲をモチーフにした紋章が胸にあったぞ?」
「…本当にあの教会の総本山の紋章でしたか?」
「…」
「私の胸に刻まれている紋章こそが本物です」
そうバードリー神父は告げると、スッと立ち上がりキャソックと中のシャツを脱ぎ、意外と筋肉質で逞しい胸を露出されると、その胸の左側に刻まれている焼印をウィリアム様とヴィンセントに見せました。
そこには先ほどカルロ伯爵に見せてもらった焼印と似たような焼印が押されておりました。
「…どこがどう違うのかがいまいち分からないのですが…」
「おそらく一瞬しかご覧になっていらっしゃらないかと存じます。ですが…私のこの胸に刻まれている紋章こそ本物なのです」
「…」
「…陛下、化け物の戯言に耳を傾けてはなりません。私こそが教会の総本山から派遣された本物の使者です」
「…では…あれは全て演技なのか…?」
「確実に陛下を騙すために…手の込んだ芝居をしているのでしょう」
「…」
「あの男は狂言を言って陛下を騙し、あわよくば陛下をも己の歯牙に掛けようとしているのです。訳の分からないことを言って陛下を混乱させて、本物の教会の総本山の使者である私の目を欺き高貴で美しい魂をお持ちの貴方方からエネルギーを奪おうとしているのです」
「…本当にそうなのか…?」
「陛下、教会の神父である私こそが真の使いです…」
「まぁ正体不明の伯爵よりかは信ぴょう性はありますよね」
「ヴィンセント殿…!」
バードリー神父は一瞬自分の言っていることに同意してくれたヴィンセントに対してキラキラした瞳で見つめ、今にも抱きつかんばかりの勢いで近寄ってこようとしました。ヴィンセントはサッとバードリー神父の目の前に手を突き出してその動きを制止します。
猪突猛進と言わんばかりの勢いだったので、バードリー神父はキュッと飛び上がるように止まり、バランスを崩して思わずずっこけてしまいました。ヴィンセントは呆れながら手を差しだしてバードリー神父を起こし、声を掛けます。
「まぁ私自分の目で見たことしか信じないので、神父殿、貴方の仰っていることもまだ疑心暗鬼ですが。…それで神父殿、姫様はどちらに?姫様がちゃんと安全に保護されているのをこの目で確認できれば神父殿、貴方を信用いたしましょう」
「あぁ…お手をすみません。実は…シャルロット様はお疲れの様でして、より安全な地下のシェルターに身を移してお休みになっております。ご案内いたします」
「えぇ、早い所お願いします」
「…バラの香り…」
「あ…先ほどバラの植え込みのところを突っ切って参りましたので…」
「なるほど」
「あのバラは…何だかとても頭がクラクラしてしまいそうなほど濃厚な甘い香りですよね。とても好きな香りです。お茶やお菓子に入れたりしていただくのも好きなんですよ」
「そうですか」
「落ち着いたら是非ご馳走いたしましょう」
立ち上がりパッパと服に着いた砂を落とすとふんわりとバードリー神父から甘い香りが漂ってきました。ヴィンセントはこの香りが嫌なのか、バードリー神父の申し出に眉をひそめて嫌そうな顔をして無言で返事をしております。
あはは…と笑いながらバードリー神父はお二人を先導するように歩き始め森の中を進み始めます。
もうすっかり暗くなり、空には星が瞬き始めました。霧も晴れて今夜は星がよく瞬いているのか、たくさんの星が煌々と輝いております。
ふと、ヴィンセントは空を見上げました。キラキラと輝く光をジッとしばらく無言で遠くを見つめておりましたが、ヴィンセントの名を呼ぶウィリアム様の声に視線を戻し、バードリー神父の案内の元、暗い森の中を再び歩いて行ったのでした。




