第2章 運命の女 ~Femme fatale~ 第六話
ペルージュの街の中心に位置する1番街を抜けて進んでいくとだんだんそこは華やかなファッションに身を包んだ者たちが闊歩するファッションエリアの5番街へとつながっていきます。
高級な布やリボン、レースををふんだんに使用した服を着て闊歩している貴族、パトロンと共にショーウィンドゥを見て渡り歩いている派手な夜の女性たち、そして持っている服をリメイクに出して楽しんでいる庶民たち―――…。
5番街はそんな人たちに彩られ、ペルージュの街の中でも一際色鮮やかな街並みを形成しております。
そしてそんな5番街の小さな教会の横に3階建の深い青色の屋根をした仕立て屋が一件あります。
店の名前は『ラ・ベール』。先程服のリメイクを注文していた女性が満足した顔で店の中から出て行きました。そんなお客に店の外まで着いて行き、深くお辞儀をして見送る一人の女性の姿が見えました。
ブラウンの質素なワンピースに店のエプロンをしており、肩にかかりそうなくらいの亜麻色の髪がゆるく束ね、薄いブルーの瞳で客の後姿が角を曲がって見えなくなるまで見送っておりました。
「ジャンヌ!今日もお客喜んでいたじゃないか!やっぱりあんたセンス有るね!」
「おかみさん!ありがとうございます」
ジャンヌがお店の中に戻ってくると、カウンターからヒョイっと赤毛の中年女性が身を乗り出してジャンヌに話しかけてきました。ジャンヌははにかみながらこの赤毛の中年女性―――…『ラ・ベーヌ』の女主人にベッキーにそう答えて少し照れておりました。
「だいぶこっちの言葉も分かって来たしね!最初は全然喋られなくて困ったけれど、あんたは仕事も丁寧だしセンスもいいし器量よしで最高だね!いやぁ…我ながらいい人材を採ったわ!」
「そんな…褒めすぎです!」
「しかもメルヴェイユの坊ちゃんと付き合っているんだろ?玉の輿じゃないか!」
「そうよ!性格はちょっと頼りなくてあれだけど、黙っていればイケメンだし優しそうっちゃ優しそうだし!いいの捕まえたわね」
「いえ…そんな!」
ジャンヌが真っ赤になって居るところにおかみさんがニヤニヤとした表情で肘でツンツンと突くと、近くにいた同僚のお針子たちも寄ってきて矢継ぎ早に質問攻めにしてきました。
「この間も贈り物もらったんでしょ?毎回毎回凄いわよねぇ!」
「え何?貰ったの?」
「ドレス?」
「指輪?ネックレス?」
「…っ!」
皆によって来られてジャンヌはのけ反るほどびっくりしており、答えに戸惑っておりました。しかしジリジリと皆が寄ってくるのでジャンヌは逃げることが出来ません。ついに観念したジャンヌは消え入りそうなほどのか細い声でおどおどと話し始めました。
「…お…お花を一輪…」
「えっ!?」
「それだけ??」
「はい…」
「なにそれーっ!あんなにも熱烈にジャンヌのこと口説いておいて…プレゼントは花一輪だけぇ!?」
皆期待していた豪華絢爛な答えではなくて呆れた様子でしたが、ジャンヌはすぐさまタジタジとしながらですが一生懸命負けじと言い返しました。
「でもとても素敵なお花よ!」
「真っ赤なバラ?」
「いえ…白いデイジーを一輪…」
「デイジー!?」
全員が声を合わせてそう叫んで一斉に笑い出しました。
「デイジー一輪で女を口説こうとするなんて…っ!馬鹿にしてるのかしらっ!!」
「子供の恋愛じゃないんだからねぇ?!」
「でもほら、遊び慣れていないメルヴェイユの坊ちゃんだから仕方ないんじゃないの~っ?!」
「言えてる~!イケメンなのにホント残念な人よねぇ~っ!!」
「でも私は…とても嬉しかった…」
「アンタも純情ねぇ~っ!!」
皆でガハハと笑っていると店のドアのベルが鳴りお客が入ってきました。すると皆すぐに営業スマイルに変わり、お客の対応をテキパキとし出しました。
「ジャンヌ!皆笑ったりしてすまなかったね!」
「おかみさん…」
ジャンヌが少し俯いていると、おかみさんが近くに寄ってきてジャンヌの肩を優しく叩いて声を掛けてくれました。
「いえ、大丈夫!私気にしてません…!」
「そう?ならいいけど」
「はい!高い宝石なんて私には似合いません!それに…白いデイジーの花はとても綺麗で…私にとってはどんな宝石よりも輝いていました!」
「…アンタがそれが一番ならそれでいいんだろうね」
「はい!」
屈託がない笑顔でジャンヌが微笑むと女将さんもつられて笑顔になり、二人は顔を見合わせて笑っていたその時、またお店のドアのベルが鳴りました。ジャンヌは挨拶をしようと顔を上げると大きくてまん丸の目をさらに大きくして驚いた表情で入ってきた人物を見つめました。
「いらっしゃいませ…ジャック!」
「…今から出られる?」
「何言ってるのよ!まだ私仕事中よ!」
「ドミニクの旦那がジャンヌに会いたがっているんだ」
「でも…」
オシャレで華やかな仕立て屋には似合わないどこか刺々しい雰囲気を抱いたジャックがジャンヌを見つけると彼女の腕を掴み、今すぐにでも連れ出そうと引っ張ろうとしました。しかしジャンヌはそのジャックの腕を振り払い困惑した表情でジャックの顔を見つめております。
「何だい?何やら揉めているみたいだけど…姉弟ケンカなら外でやっておくれよ!」
「おかみ!ジャンヌもう今日上がってもいいか?急用が出来たんだ」
「ジャックっ!!」
ジャックはおかみさんのベッキーの方に向きを変えてそう言い放しました。ジャンヌは少し怒ったようにジャックの名前を呼びましたが、ジャックはジャンヌの方に振り返ることなく無視したままおかみさんの方を見ています。おかみさんはまるでキッと睨みを利かせるジャックの視線に、鷹に狙われる獲物のような気分になり少し後ろに引いてしまいました。
「…よ…用事があるなら仕方ないね。少し早いけれど…今日はもう上がってもいいよ!」
「だとよ、ジャンヌ。ほらさっさと行こうぜ」
「ごめんなさいおかみさん…っ!」
ジャックは強引に店の外に連れ出そうとジャンヌの腕をグイッと強く引っ張ります。ジャンヌは申し訳なさそうにおかみさんに謝りながらジャックに強引に引っ張られて店を出て行ったのでした。
お店の中に居た客さんたちは何が何だか分からずビックリしている者、ちょっと怖がっている者など居りましたが、お針子たちはすぐさまお客さんに謝り接客を続けておりました。
まだカウンターで立ち尽くしているおかみさんのもとに手が空いているお針子たちが集まってきて心配そうに声を掛けてきました。
「おかみさん…大丈夫ですか?」
「あ…あぁ、大丈夫よ…」
「さっきの…ジャンヌの弟ですよね?何だか若いのにちょっと怖い感じですね…」
「…アンタたち『スカーレットシャーク』って聞いたことあるかい?」
「確か…この辺りを荒らしているギャング集団…ってまさか…」
「あのジャックって子、その一員だって聞いたことがあるよ。あの鋭い目つき、横暴な態度…もしかしたら噂は本当かもね」
「嘘でしょ…あのジャンヌの弟が?」
「でもジャンヌもジャックも…移民だったわね」
「アタシは…移民でもちゃんと生活していれば差別なんてしたくない。ジャンヌはしっかりしているし仕事もちゃんとする子だしね。でもあの弟は危険だね」
「おかみさん…」
「ジャンヌ自身はいい子だけれどね…あのジャックからこっちにも何か飛び火で面倒事来なきゃいいけどね…。とりあえずは逆らわないことだね」
「…ドミニク様は大丈夫なのかしら」
「あの様子だと大分あの弟にやられているかもね。でも私らの知ったこっちゃないよ。私らは日々あくせく働いて食って行かなきゃならないんだ」
「…」
「さぁ!仕事の続きだよ!働く働くっ!!」
おかみさんはお針子たちの背中を叩いて仕事に戻るように促しました。お針子たちはちょっと何か言いたげな子、困惑している子など様々でしたがおかみさんにバシバシ背中を押されてそれぞれ仕事に戻っていきました。
「…ジャンヌ、アンタたちに何もないことを祈るよ…」
おかみさんはジャンヌが出て行ったドアの方を見つめて祈るようにそう呟くと、自分もお店の奥にある席に戻り仕事に再び取りかかったのでした。
・・・・・・・・
「ジャック!痛いってば…っ!」
ジャンヌの腕を強く引っ張ったままズカズカと歩いていくジャックの手を精一杯の力で振りほどき、ジャンヌは立ち止まりました。人気のない裏路地にはジャックとジャンヌの声が響き渡りました。
パッと振り返ったジャックは怪訝そうな顔をしてジャンヌを睨むように見つめています。
「…なんだよ」
「ジャック、やっぱりもうやめましょうよ…こんなこと…」
「…」
ジャックはめんどくさそうな顔をして頭をボリボリと掻いてジャンヌを睨み続けました。ジャンヌは臆することなく、ジャックの手を取ってお願いしだしました。
「ねぇジャック…お願いよ」
「…なんだよ、今更怖気づいたのかよ」
「だって…こんなことして…いつか罰が当たるわ」
「…」
「あんな人の良いドミニク様からお金を巻き上げるようなマネ…もうしたくないっ!」
「…俺たちにはお金が必要なんだっ!」
今度はジャックがジャンヌの手を振りほどき、声を荒げて怒るようにそう叫びました。
「分かってる!…でも…っ!!」
「堅気で稼いだ金なんてたかが知れてる。その日を生きていくのに精いっぱいだっ!だったら…金があるところから貰おうじゃねぇか!ドミニクの旦那はジャンヌに会うためだったら金に糸目は付けねえ…あんな純朴そうな虫も頃さねぇ様な顔をしてやることやってるじゃねぇか」
「ドミニク様を侮辱しないで!あの方は…そんなんじゃないわっ!」
「はっ!貴族なんてどいつもこいつも一緒だろっ!…向こうでだって何人もの貴族や成金野郎どもがジャンヌを手に入れたい、抱きたいって金積み上げてきてたじゃねぇかっ!ドミニクの旦那だってやつらと同じだっ!」
「やめてジャック…ドミニク様とは全然そんな関係じゃないわ…っ!私たちはただ一緒にお話をして楽しく過ごしているの…まだ手しか握ったことないわ」
「はぁ?」
「…最初は他のやつらと一緒かと思っていたわ…でも違った。ドミニク様はいつだって優しい笑顔で…言葉の分からない私に一生懸命優しく話しかけてくださるの。そして…優しく手を握ってくださる。まるで祖国に降るまだ誰も触れたことの無い雪のように真っ白で柔らかかくて…そして綺麗なの」
「…誰が信じるかそんなこと…。ドミニクの旦那だって…そのうちジャンヌを抱かせてくれって言うに違いない。ジャンヌのこの柔らかくて美しい肌は100万ルリカ積まれたって触らせるもんかっ!」
「ジャックっ!」
「なんだよ、本気でドミニクの旦那に惚れているのか?」
「…」
「図星かよ…」
ジャックの指摘に、ジャンヌは言葉が詰まり次第に頬が紅く染まっていきました。そんなジャンヌの姿を見てジャックは呆れたように溜息をついて、馬鹿にしたようにハッと小さく笑い出しました。
「…ドミニク様は今まで私が出会ってきた男たちとは全然違う…。清らかで無垢で…優しくて…あの方にお会いするたびに私の心は真っ白に塗り重ねられていく気がするの」
「…諦めろよジャンヌ…黒く汚れちまっている俺たちは、どんなに白く塗られても真っ白になんかなれねぇんだよ」
「…でも、これ以上黒くならないようにすることは出来るわ」
「無理だな。俺たちには無理なんだよ…ジャンヌ…」
「…」
「とにかくドミニクの旦那が今日もジャンヌに会いたいって待ってる。行こうぜ」
「…分かったわ。でも…お金はドミニク様に私から返す。今すぐここで私に頂戴」
「…」
「ジャック!」
「…分かったよ」
ジャンヌはキッとジャックを睨みつけると、お金を返す様にとジャックの前に右手を差しだしました。惹句はチッと舌打ちをすると渋々上着の内ポケットからドミニク様からもらったお金を取り出してジャンヌに渡しました。
「…さぁ行きましょう。いつものホテルでしょ?」
受け取ったお金をすぐにワンピースのポケットにしまい込むと、ジャンヌはジャックを置いてさっさと歩き出しました。ジャックはクソッと小さく叫んで路地裏のゴミ箱に八つ当たりをして蹴りを一発入れて気持ちを落ち着かせるとジャンヌの後を追って路地裏をあとにしました。
ジャックに蹴られたゴミ箱はグラグラと揺れた後、バランスを崩して中のゴミを散乱させながら転がっていきました。そしてゴミが散乱したその場にはカラスがどこからともなくやってきてゴミを漁りだしたのでした。
・・・・・・・・
「ドミニク様…っ!」
「ジャンヌ!会いたかったよ…っ!!」
程なくしてジャンヌとジャックは、ドミニク様とシャルロット様が待っているホテルへと到着しました。
そして3階の部屋にやってきてドアを開けてドミニク様のお姿を見た途端、ジャンヌはドミニク様の方に一目散に駆け出しました。ドミニク様もパッと満面の笑みで両手を広げてジャンヌを迎え入れ、駆け出したジャンヌギュッと強くを抱きしめておりました。
「あぁ…ジャンヌ…僕の大好きな大好きなジャンヌ…」
「ドミニク様…」
二人はお互いの存在を確認し合うかのようにギュッと強く抱き合い、しばらくそのままの状態でした。少しお二人の熱い様子にびっくりしているシャルロット様、そしてさらに離れたドアの所で呆れたように見ているジャックはめんどくさそうに溜息をつくともたれていたドアからスッと起き上がり、三人に背を向けて部屋を出て行こうとしました。
「…じゃあ俺はその辺うろついてるから。また頃合いを見て戻ってくるし」
「あ、あぁいつもすまないね、ジャック」
「じゃあせいぜい頑張れよドミニクの旦那」
ヒラヒラと手を振って、ジャックは靴音を響かせながら階段を降りて行きました。ドアが閉まって、完全にジャックの足音が聞こえなくなるとドミニク様とジャンヌは再び抱き合い、シャルロット様のことなど眼中にない雰囲気で二人の世界に入っておりました。
「あのぉ…叔父様ぁ…ちょっといいかしら」
「あっ!忘れてたっ!!ごめんシャルっ!!!」
シャルロット様がそっとドミニク様にお声を掛けるとドミニク様はハッと我に返られてガバッとお顔を上げられて二人の世界から戻ってこられました。
「シャル…?もしかして…いつもお話ししてくれている可愛い姪っ子さんの…?」
「そうだよ!ジャンヌ!!」
「まぁ…っ!!貴女がシャルロット様…っ!!」
「シャル、紹介しよう。こちらが私の…恋人の…ジャンヌ・ジュノー」
「初めまして、プリンセス…」
二人はくっ付いていた身体を少し離し、少し身なりをパッパと正してシャルロット様の方をしっかりと向きなおると、ジャンヌは一生懸命慣れないきっちりとしたお膝を付いたお辞儀しました。
「ジャンヌ、こちらは私の姪っ子のシャルロット」
「お初にお目に掛かって嬉しいわ」
「いえ、こちらこそ…!まさか本当にお会いできるなんて思ってもいなかったので…驚きと…嬉しさでいっぱいです!」
「そんなに堅苦しくしないで、ジャンヌ!」
「でも…!」
「ここでは、叔父様はただのドミニク、私はただのシャルロットよ!だからお顔を合わせましょうジャンヌ」
「…」
「ジャンヌ、シャルがそう言ってくれているんだ、さぁ…立って」
「えぇ…」
シャルロット様、さらに横に居たドミニク様に促されてジャンヌはおずおずと立ち上がりましたが、まだ視線を上げられずに下を向いておりました。
「ジャンヌ、お顔を上げて?一緒にお話ししましょう」
「は…はぁ」
「シャルもああ言ってくれていることだし…さぁジャンヌ」
「え…えぇ」
どこか緊張した面持ちのジャンヌはやはり未だにお顔を上げることが出来ずに視線が泳いだままでした。そんなジャンヌの腰にドミニク様は優しく手を添えて支えておりました。
「ねぇ叔父様、こんな辛気臭いところなんかじゃなくて、もっと風通しのいいところでお話ししたいわ」
「でもシャル、人目に付かずに私たちが密会できる所なんて他にないんだよ…」
「どうして?だいいち、こんなお茶も出ないようなところで一体何をお話しするのよ!それだったらお外で…例えば誰も居ない湖の畔とか…お花畑の真ん中とか、探せば誰も居ない場所なんてたくさんあるはずだわ!」
シャルロット様は換気も出来ていなくてどこかジメジメと埃臭いこの部屋をグルッと見渡して溜息をつくと、ドミニク様にお外に行こうと促しました。しかしドミニク様はうーんっと困ったような表情でシャルロット様に返します。そんなドミニク様の返答にシャルロット様は少しイラっとした感じでさらに返されました。
「ジャックがどうしてもここで会えっていうからさぁ」
「ジャック?あぁ…さっきのあの失礼で無愛想な人ね!」
「まぁ…弟がシャルロット様に無礼をっ!?申し訳ございません!!」
「あ、ジャンヌ違うんだ…ジャックにはシャルを紹介していないんだよ。一応シャルはこの国のお姫様だし、こんな街中をうろついているのがバレたら大変だからね」
「…ねぇ叔父様、お外に出ましょう?」
「でも…」
「あのジャックが戻ってくるまでにここに帰ってこればいいのよ!」
「…シャル~!」
「…ドミニク様…私も…お外に行きたいわ…」
「!」
「ほら、ジャンヌもそう言っていることだし、皆でお外に行きましょう!そうだ、ゴンドラに乗るのはどう!?あれなら一か所に留まらないし、船頭さんにランダムに動いてもらえばきっと誰にも場所が特定されないはずよ!」
「まぁ…!私、ゴンドラ乗ってみたいです!」
「ジャンヌ!」
「ジャンヌもそう言っていることだし、決定ね!さぁ行きましょうっ!」
「あ、ちょっとシャル!」
シャルロット様は半ば強引に決定すると、くるっと踵と返して早々にドアを開けて足音軽く出て行かれました。ドミニク様は急いでシャルロット様の後を追おうと、ジャンヌの手を取り一緒に部屋を出て行かれたのでした。
・・・・・・・・
だいたい2時間くらいで迎えに来ればいいか…とぼんやり考えながらホテルを出て『マントゥール』に戻ってきたジャックは、ポケットから煙草を出して銀色に鈍く光るライターで火をつけてたっぷりその煙を吸いこみ、一息つくとふぅ…っと長く吐き出しました。
「あらぁジャックぅ~❤こんな時間にここにいるなんて、珍しいわねぇ!」
「ねぇ、暇なら一緒に遊ばない?」
派手なメイクと肩と胸を露わに露出させた二人の女性が奥のソファーで座っているジャックを見つけるとそそくさと寄ってきてジャックにしな垂れかかってきました。
「なんだよ…お前らか…相変わらずお前ら暇なんだな…」
「ねぇジャック~、今日は一緒に朝まで一緒に遊ぼうよぉ」
「…彼氏が捕まって暇だから俺と遊ぼうってか?」
「ボビーは多分あと1ヶ月は出て来れないんだから…ちょっとくらい火遊びしてもバレないわよ」
女の一人…メアリーはジャックの後ろからそっと肩を抱き、口元に媚びた笑みを浮かべてジャックの耳元で甘ったるい声で囁きました。ジャックは眉間に皺を寄せてメアリーの手を払いのけて、再び大きく煙草を吸いました。
「今はそんな気分じゃねぇンだよ」
「んもぅ!つれないんだからぁ~!まぁそう言う硬派なところがジャックの良いところなんだけどねぇ」
「お前ら俺に構っている暇あったらその辺の成金や貴族様でもたぶらかして金せしめて来いよ!特にメアリー、お前先月に引き続き売上が落ちてるぜ。ロバートに上納金払わねぇと俺ら『スカーレットシャーク』潰されちゃうぜ」
「最近警察の取り締まりが多くて、なかなか上手くいかないのよ!」
「そうそう!私たちはちょーっと酔っぱらっていい気分になっているお金持ちに、安くていい店があるわよー、一緒に飲まない?って誘ってただ一緒にお酒を飲むだけなのにねぇ。何がいけないのかしら!」
「もっと上手くやれよ。メアリー、アビー、お前ら下手くそなんだよ」
「なによぉ~!」
ジャックは煙草を灰皿に押し付けて火を消すと、ワインを一口飲んで喉を潤しました。赤毛の髪を緩く結った面長のアビーはそのワインをジャックから奪って自分も一口飲むと、ジャックと向き合うように膝の上に跨って座ってジャックに抱きつきはじめました。
「いいか、男は馬鹿なんだ。そして成金や貴族様たちはさらに輪をかけて馬鹿なんだ!その馬鹿さ加減を最大限に利用するんだよ…そう、ジャンヌみたいに」
「ジャンヌ…あぁ、あんたの姉さんね」
「ジャンヌのお蔭で…ドミニクの旦那からはしっかり稼がさせてもらってるよ!本当にボンクラ貴族様だぜ!」
「アンタも悪だねぇ~!」
「構うものか。俺たちは毎日食べていくだけの稼ぎしか手に入らねぇ…だったら金が余っているやつらから少-しばかり貰っても悪くねぇだろう?」
「その通りさ!あたしたちは経済を回してやってるんだ!感謝して欲しいくらいだよ!」
「そう、俺たちは…生きるために仕事してるんだ。その手段がどうであれ…俺たちは生きて行かなくちゃならねぇ」
ジャックはアビーの髪を撫でると自分の方に引き寄せてアビーと熱い口づけを交わしました。そしてアビーの唇からゆっくり離れると、次は後ろにいるメアリーの顔を引きよせてメアリーとも熱い口づけを交わしました。
「相変わらずジャックって…キス上手よね。何だかあたしうっとりしてきちゃった…」
「ねぇ…奥の部屋で楽しいことしようよ…」
「そんな気分じゃねえって言ってるだろ」
ジャックの熱い口づけにメアリーとアビーはうっとりと頬を染めてジャックにもたれ掛って胸を押し寄せたりジャックのシャツに手を差しいれてジャックの首筋や鎖骨の辺りを触りだしたりしました。
しかしジャックはそんな二人を払いのけて再びワインに手を取って飲み干すと、めんどくさそうにソファーの背もたれに身体を預けて深く沈みました。
「俺は疲れてんだ。少し休ませてくれよ」
もぅっ!とメアリーとアビーが怒りだしましたが、ジャックはお構いなしに二人にあっち行けとばかりに手を振りどっか行けとばかりに追い払おうとします。アビーはそれでもジャックをその気にさせようとシャツのボタンを外して服を脱がそうとし始めました。するとその時、ジャックたちが居る奥のソファーのジョーゼットのカーテンがバッと力強く開けられました。
「よぉおめぇら!おっぱじめるなら舞台の上で見せびらかしてヤルか、奥の部屋のベッドに行けよぉ~」
「…なんだよ、ロバートの旦那か…」
大柄な体躯の良い男を三人引きつれ、色白で少し長めの金髪の髪をオールバックにし濃い色のサングラスを頭にかけて右頬に古傷の刃に切られた傷がある、にやけた顔の男がそこに立っておりました。
ロバートと呼ばれたその男はメアリーを自分の方に抱き寄せて肩を抱くと、コルセットで余計に強調された豊満なメアリーの胸を鷲掴みにして揉みしだきながら顔を近寄せてガン付けて話し始めました。
「おいメアリー、おめぇ最近売上悪いみてぇだな。これ以上悪くなったら…分かってんだろうな?」
「…っ!」
「今月売上悪かったらおめぇ売り飛ばすからな!」
「わ…分かったよっ!だから離せよっ!」
「フンっ!若いのが良いって客も居るんだぜ?未成年だからて安心してんじゃねぇぞ!」
「…っ!!」
涙目になって震えているメアリーを突き放すと、ロバートはソファーを飛び越えてジャックの横に座り、アビーを払いのけてジャックの膝にドカッと足を掛けてふんぞり返りました。ジャックはメアリーとアビーに合図をしてこの場化から立ち去るように促し、さっさと二人を逃がしました。ロバートはそんな二人には目もくれずにジャックの顔をジロジロとまるで品定めをするかのように見ています。
「よぉジャック!今日も相変わらず綺麗な顔してやがるなぁっ!」
「…足痛いんすけど…」
「おぉっ!いいねぇその冷たい目っ!ジャンヌそっくりのその顔に睨まれるとゾクゾクするねぇ~!」
「…」
ジャックは眉間に皺を寄せてじろっと横目でロバートを睨みました。しかしロバートはそんなことに一切無視をしてジャックの背中を叩きながらげらげらと下品に笑い出しました。
「冗談だよ!そんなことよりもよぉ~、最近どうよ、メルヴェイユの跡取りとジャンヌの方は」
「まぁ…いい感じでがっぽりと稼がさせてもらってますよ」
「いやぁ~…虫も殺さねぇ様な顔してよくやるよなぁおめぇの姉ちゃん!あんな清純そうな顔しておきながら…ルテーリャじゃあ噂の悪い女だったんだろ?何人もの男たちを狂わしてきたって聞いたぜぇ~?俺も一度くらい相手して狂わされてぇわぁ~」
「…やめてくださいよ、そんな昔の話」
「なんでもすげぇテク持ってるらしいじゃねぇか。そのテク使ってあのメルヴェイユの跡取りを虜にしてんだろ?」
「さぁ…興味ないんで分かんないですよ」
「なんだよ、つまんねぇ奴だなっ!まぁいいや、今月も上納金期待してるぜっ!」
ロバートはガハガハと笑いながらジャックの背中をバシバシ叩き続けます。ジャックは結構な力で叩いてくるので痛みに耐えながら下を向いて黙っておりましたが、ロバートが満足してソファーの背もたれにバウンドするくらいもたれ掛ると、今度はちゃんとロバートの顔を見てキッと睨みつけました。
「…本当に約束守ってくれるんでしょうね?」
「あ~?」
「俺たち『スカーレットシャーク』を守ってくれるんでしょうね?本当にボビーを助けてくれんのか?」
「あん?」
「俺たち結構頑張って金納めてるんっすよ?でも全然ボビー釈放されねぇじゃねぇっすか」
「…おいガキ、口のきき方に気を付けろよ?」
ソファーにのけ反って座っているロバートはジャックの方を見ずに空返事で適当にしておりました。ジャックはそんなロバートの態度にだんだんと腹が立ってきたのか、少し強い口調でロバートに突っかかっていきました。
すると少し間が空いたあと、先ほどまでの明るい声色から一転し凄味がかかった声でロバートは答え、歯をギリギリ言わせながらギロッとジャックを睨みつけました。
「おい…勘違いしてんじゃねぇぞ。俺たちはボランティアで『スカーレットシャーク』の相手してるんじゃねぇンだよ。こっちだって命張って警察や警備隊と戦っているんだぜ?おめぇらの尻拭いだって今まで数えきれねぇくらいしてきてやってるんだぜ?少なからず俺たちの仲間も捕まってるし、ケガだって負わされてるんだぜ?それの対価としての上納金だぜ?もっともらってもいいくらいだと思わねぇか?あぁんっ!?」
「…ッ!」
「…いいか、おめぇらみたいなガキなんざいつだって売り飛ばせるし、なんだったら消せるんだぜ?ジャック…おめぇみたいなクソ生意気なガキをヒィヒィ言わせて服従したい野郎なんざこの世界にはザラに居るんだ…。そこん所よぉーく肝に銘じとけよ」
ロバートは下品な笑いを口元に浮かべてジャックの襟を掴んで自分の顔の近くに寄せてきました。
そしてジャックの顔を上から下へ見定めるような鋭い視線で下から上へと舐めるように見ると、小汚い舌でジャックの頬をベロッと舐め回しました。ジャックはいきなりのことに訳が分からず目を大きく見開いたまま言葉を失っておりました。
「きめ細かい綺麗な肌してんじゃねぇか。ルテーリャは美人が多くて有名な国だもんなぁ…?煙草なんか吸ってると商品価値下がるぜぇ?」
「…っ!」
「…冗談だよ冗談っ!まぁ…色々と気を付けな」
静かに睨みつけているジャックを馬鹿にするようにガハハッと唾が飛ぶくらい吹き出し笑いをしたあと、ロバートは乱暴にジャックを投げ捨てるようにソファーに放り投げました。
「じゃあな!今月の上納金も楽しみにしているぜぇ~!」
満足したのかロバートはニタニタと下品な笑顔を浮かべて去っていきました。
「…クソっ!あの野郎…いつか殺してやる…」
ロバートの下品な笑い声が遠くなっていくのを背中で見送ると、ジャックは先ほどロバートに舐められた頬を赤くなるくらい強い力で拭ってドンッとソファーを叩いて小さくそう呟くと、先ほどロバートに掴まれて乱れた襟元をキュッとしめました。
薄いブルーの瞳は少し潤んだようにも見えましたが、冷たい氷のような鋭さが灯っており真っ直ぐ前を見据えて確かな意思を持っていたのでした。




