少女の鎮魂歌(レクイエム)
「失礼致します」
シエルはドレス姿で簡素なベッドにうつ伏せで顔を埋めていた。
しかしそう言って開かれた扉に力なく顔を上げる。
「シエル」
見た目はこの屋敷の衛兵の姿だったが、シエルは直ぐにその声にハッとする。
「レイブン……?」
仮面を外し、レイブンの顔が現れた途端に、シエルはその瞳からポロポロと涙を零し始めた。
彼女ももう限界なのだろう。けれど自殺すら許されていない彼女はただ涙を流し絶望に耐えるしか無い。
「どうする?」
レイブンはそう言って掌を差し出した。そこには宝石の嵌め込まれたネックレスが乗っていた。報酬としてシエルがレイブンに渡したものだ。
「……初めて子爵に養女として迎えられた時、ドレスとその真っ赤な宝石のネックレスをもらった。君に似合うよってとても優しい人だと思ったの。でも違った……気にくわないことがあれば直ぐに鞭で打つの、外からは見えないところ……凄く凄く痛いの」
シエルはそのネックレスを手に取った。しばらく眺めていたけれど、やがてそれを壁に投げ付ける。小さな音を立てて、ネックレスは冷たい床に転がった。
宝石の筈のそれは、粉々に砕けてしまった。
「ガラス玉、だったんだね」
そう、それは脆い硝子で出来たモノ。本物の宝石ではない。
「どんなに見た目が綺麗でも、どんなに幸運の女神だなんて言われても、あの男にとってはしょせん下賤の汚れた血。私は病気持ちで金もかかる出来損ない、役に立てるだけ有難く思えって」
レイブンは黙っていた。シエルはベッドに力なく座り込み格子越しに窓の外を見ていた。
「でもそれもいいかなって……どうせどこへ行っても私は奴隷だし……自分のせいで誰かが死ぬのは見たくない……」
シエルは微笑んだ。涙はもう枯れていたけれど、その頬には涙の跡が紅く残っている。
「やはりお前はキルナの娘らしい」
「え?」
「気高く、優しい」
レイブンのその言葉にシエルは一瞬辛そうに眉を寄せたが、力無く笑うと「ありがとう」と消え入りそうな声を出した。
「お前が決めたならそれでいい」
レイブンは言いながら再び仮面を被った。
シエルは再びベッドにうつ伏せに顔を沈める。これ以上は、心が揺れる。
何もかも捨てて逃げ出したくなる。
けれど絶対に、後悔すると分かっている。
「だが、あいつは違う」
パタリ、扉が閉まる音。その言葉を落としてレイブンは行ってしまった。驚いて顔を上げたシエルは誰もいなくなった部屋の扉をじっと見つめる。
「エルピース……?」
まさか、まだ諦めていないのか。いいや、自分が巻き込んでしまったのだ。何の関係もないあの優しい人を。優しい人とは、きっと彼女のことを言うのだ。
嫌だなぁ、そう思ったけれど、けれどもうシエルにはどうすることも出来ない、どうにかしようとする力も湧かない。
「もう、私は死んだの」
シエルの悲しい呟きは、誰にも聞かれることなく部屋の中で消えた。
窓の外では変わりなく青い空と風が木々の緑を揺らしている。
故郷の窓の景色はいつも雪で白かった。けれどここから見える世界はやけに鮮やかでシエルの心をズキズキと締め付ける。
雪は平等に全てに降り積もる、そして全てを真っ白に染める。自分たちにも、高貴なものにも、変わりなく全てに平等に降り注ぐ真っ白な雪。
それでも大好きだったのだ。兄が寒いだろうと気紛れに手を差し出してくれたあの雪の日。それがどれだけ嬉しかったか。寄る辺なく生きていた自分にとって、その優しさがどれほどのものだったのか。
兄は知らないのだろう。
シエルは真っ白なシーツを握りしめた。
「お兄ちゃん」
叶うなら、最後にもう一度会えたら良い。
シエルは目を閉じた。
瞼の裏には、あの日の雪景色が映っていた。




