昼の月
シーザーは目の前に座る怪しい輩を神妙に見つめながらキャラバンに揺られていた。
◆
話は先刻に遡る。アリスは別件があると言って軍服姿でどこかに行ってしまったので、結局一人で約束の場所まで来れば、子爵の言う通り数台のキャラバンと十数人の男女が自分を出迎えてくれた。
キャラバンの中に通されると、そこは数日分の食料や毛布などが積まれており、一応寛げそうな雰囲気になっていた。他の同行者は別のキャラバンに乗るようで、どうやらこのキャラバンは自分に特別に宛てがわれたものらしく、他に誰も乗り込んでは来なかった。
そして馬車が動き出そうとしたほぼ同時である。この見るからに顔をフードで覆い隠した怪しい輩が慌ただしくキャラバンに乗り込んで来たのだ。
もちろん、自分は女装で喋れないふりをしているから話すことは出来ないし、あちらも何故か何も話さず黙って離れたところに座っている。
もともと乗る予定だったのかもしれない、だが見るからに怪しい風貌に、もしかしたら全く関係ない密航者の可能性も拭いきれない。自身もこのキャラバンの部外者故に答えのないシーザーは、ただひたすらにどうすべきか悩みながら何もしてこないその輩を見つめ続ける他無いのであった
と、ふいに馬車が揺れた。道が悪かったのか少し大きな揺れだった。
「きゃあっ」
シーザーは目を瞠る。何か聞こえた、しかしどこから?
ひとつしかない、あの怪しい輩から聞こえた。
信じられない面持ちでその輩を見つめていると、ようやく観念したようにフードを勢いよく脱いだ。
「お前っ、シャルロッテ!?」
「やっぱり!! 喋れないなんて嘘だったんですわね!」
シャルロッテは言いながら馬車の中をズカズカと立ち上がってシーザーに詰め寄る。
シーザーはその余りの迫力に後退るが、また馬車が揺れたと同時にシャルロッテの足がもつれる。
「キャアっ」
「危ねぇ!」
慌ててシーザーはシャルロッテを抱きとめた。
その途端、面白いほどにシャルロッテの頭から火が吹いた。もとい、顔が真っ赤に染め上がった。
「大丈夫か?」
「あ、あ、あ、あなた……本当に女の子ですの!?」
シャルロッテは慌ててシーザーから離れると、距離を置いてそう叫ぶ。
シーザーは耳まで真っ赤に染まっているシャルロッテに困ったように頭を掻きながら、どう答えたものか逡巡する。まさかアリスのような歯の浮くことは言えないし。かと言って本当の事を言う訳にもいかない。その間も、シャルロッテの少し吊り目のキツイ瞳が何故だか涙に濡れてこちらを睨んでいる。
「何で?」
溜息を吐きながら、結局そう答えた。
「わっっ、私、男は嫌いなんです! 粗野で汚くて乱暴で大嫌いなんです!」
シーザーは首を傾げた。急に何を言ってるんだろうこの娘はと唇を尖らせ眉を歪める。
しかしふいに思い至る、アリスが女装をさせた理由のひとつ、女装の方が都合が良いというのは、つまりシャルロッテが居るから男であることが都合が悪いという事だったのだ。
どこか呆れた風の表情で自分を見るシーザーに、シャルロッテは更に涙目で怒った様子で続ける。
「あなたがもし私に嘘を吐いていて、男だとしたら、私あの時の、く、く、く、く……っ」
「く?」
「く……くち……づ……っとにかく許しません!」
顔は依然茹蛸のまま、シャルロッテは言い切るとゼェハァと肩で息をした。
対してシーザーはほんとうに訳が分からないようで、けれどこれ以上騒ぐと馬車を操る御者に勘付かれてしまう。それはそれで面倒臭いことになるに違いない、それだけは明白だったので、とりあえず立ち上がると、無遠慮にシャルロッテの目の前まで行き「静かにしないとバレるぞ」と耳元で囁いた。
シャルロッテはやはり真っ赤になって後退る。幸いシャルロッテはキャラバンの後方に居た為、車輪の音に紛れまだ御者は気付いていないようである。
「騙してたのは悪かったよ……でもこれには事情があるんだ」
「な、なんの事情ですの!? 女装の事情なんて!」
「だから静かにっ」
咄嗟にシーザーはシャルロッテの口を両手で塞いだ。そして御者の様子を伺う。どうやらまだ大丈夫そうだ。
ほっとしてその手を離しながらシャルロッテの様子を伺えば、やはり真っ赤になってわなわなと震えている。
「お、男の手だわ……っっ」
「わ、悪い……そんなに男が苦手なのか?」
シーザーは慌ててシャルロッテから離れると、シャルロッテは先程までの威勢の良さとは正反対の、涙を溜めた弱々しい様子でシーザーを上目遣いで見つめた。
その光景にシーザーの心臓が跳ね上がる。
そして、跳ね上がった事にシーザーは困惑し顔をしかめる。
「苦手ですわ……どうしても駄目ですの。これのせいで婚約者にも愛想を尽かされてお父様にとても叱られて……あの屋敷に追い出されたんですの……」
シャルロッテは力なくそう言うと、何ともしおらしく「ごめんなさい」と呟いた。
「な、何で謝るんだよ! こっちこそ事情も知らず不躾に色々と悪かったな……それより、ここは危ないんだ。用が済んだなら早く屋敷に帰れ」
心なしか優しい口調でシーザーが言う。まさか単身こんなところに飛び込んで来るなどと、貴族の令嬢にこんな行動力があろうとはシーザーも思ってもみなかった。
運が悪い事に、このキャラバンは普通のキャラバンではないのだ。
アリス曰く、十中八九襲われるキャラバンなのだ。
巻き込まれて何も知らない、縁もゆかりもない彼女に被害が及んではあまりに夢見が悪い。
何とか助けてあげたいが、馬車が止まらない事には降りることも出来ないし、降りたところでもうかなり街から離れてしまっている。ひとり歩いて返すわけにもいかない。
「あんた、一応聞くけど従者は?」
「一人で来ましたわ、怒られますもの」
「だよなぁ……」
シーザーは大きな溜息を吐いた。しかし当のシャルロッテはその点だけは何故か呑気で不思議そうにシーザーを見つめている。
「貴族の令嬢が何で一人で……」
「ですから、厄介者ですのよ……私」
独り言のつもりだったが、シャルロッテはそう答えると力なく微笑んだ。
シーザーはその様子に少しだけシャルロッテに興味が湧いた。自分と彼女は生きる世界が全く違う、貴族と奴隷だ、交わることなどあり得ない。だが、自分たちを踏みつけて幸せに贅沢放題だと思っていた憎き貴族のその娘が、その笑顔が、何故に妹の笑顔に重なるのだろうと。
シーザーは舌打ちする。
その様子に、シャルロッテは敏感にびくりと体を硬直させた。
「あ、ごめん……」
少しだけ震えている。本当に、苦手なのだと分かるほどに怯えている。自分のような年下の男にまでこれほど怯えるなんて。
いや、しかし。
「でも、あんたアリスには懐いてたじゃないか?」
そうなのである、なんならアリスのことは大好きオーラを飛ばしまくっていたのだこの少女は。
「そうなんです、アリス様だけは平気なの、私」
アリスの名を出したからだろうか、シャルロッテはパッと笑顔に戻ると嬉しそうに声を弾ませた。
「あんなオカマの何が良いんだか」
「オカマだからよ! アリス様は他の男とは全然違うわ! とても女性的で紳士的で……とにかくあの方だけは、特別なのよ」
シャルロッテは、とても幸せそうに目を細めて微笑んだ。
シーザーはやはりそれが気に入らなくて、途端良いことを思いついて、にやり、口角を上げた。
「どうしましたの?」
その様子にシャルロッテが気づいた直後、シーザーはまるで少女のように微笑んでシャルロッテに顔を近づける。
そしてその耳元で囁く。
「これなら平気なのかしら?」
少しだけ声音を上げアリスの真似をした。
しかしボンと、やはりシャルロッテの顔は爆発的に赤く染まった。耳や首まで真っ赤になって、硬直している。
「付け焼き刃の女のフリじゃやっぱ駄目か」
声にならない声を口パクしながらシャルロッテはシーザーを睨みつける。それにシーザーは苦笑しながら「悪かったよ」と彼女から離れる。
「さて、問題はあんたをどうやって街に返すか……」
「大丈夫です、私帰りませんわ」
シーザーは耳を疑った。しかし、シャルロッテを見ればそれはもう曇りなき眼でこちらを見つめている。本気である。
「お前なぁ……」
「私、オーロラが見たいんですの! だから貴方と一緒にキルナに行きますわ」
シーザーは思わず今までで一番大きな溜息を吐いた。違う、そうじゃない。そして何故そうなったのか。どこから話せばいいのか分からないほどに話が噛み合わない。
シャルロッテはそんなシーザーに呑気に首を傾げている。
「あのな? この馬車は……!」
シーザーがそう口火を切った直下であった。
「逃げろぉ!」
御者の大声と同時に、馬車が大きく揺れた。それは道の悪さ故の揺れとは明らかに違う。
シーザーは咄嗟にシャルロッテを抱きしめた。
「おうおう! 一人って聞いてたが二人居るじゃねえか!」
キャラバンに雪崩れ込んできたのはいかにもな強面の男たちだった。
シーザーの腕の中で、シャルロッテが震え上がったのを感じ、シーザーは更に強くシャルロッテを抱きしめる。
不可抗力とは言え、巻き込んでしまった。よりによって、何も知らないこの世間知らずのお嬢様を。
「とりあえず二人連れてけ!」
「おうよ!」
乱暴に腕を掴まれるが、シーザーはシャルロッテを離すまいと抵抗する。声を出しては終わりだ、そう思い黙って歯をくいしばる。
その様子に男たちは面倒臭くなったのか、二人合わせて縄で縛ると「こっちに来い!」と二人をキャラバンから引き摺り出して隣に付けてある馬車へと移す。
そしてそのままその馬車にあった恐らく一人用に用意したであろう木箱に二人一緒に押し込めて、蓋を閉めた。
「喋れねぇ方はいいが、おい!! もう一人の方も喋ったらただじゃおかねぇぞ!」
木箱を蹴った音がして、シャルロッテの身体がびくりと跳ねる。先程から可哀想なくらいに震えているシャルロッテに、シーザーはハッとして自分も少しでも離れようとしたのだが。
「お願い……そのままでいて……」
とても弱々しい声で、シャルロッテはシーザーの胸に顔を埋めながら呟いた。
その姿にシーザーは目を見張り頬が紅潮する。ギシリと体は硬直し、しかし言われた通りにたどたどしくシャルロッテを抱きしめる。
「アリス様と同じ匂いがする……」
しかし、直後呟かれたその言葉にシーザーは全身から力が抜けた。文句を言ってやりたいが、喋ってボロが出てしまっては何もかも失敗に終わってしまう、そう思いぐっと言葉を吞み込むと、せめて小さく溜息を吐く。
そうだ、あの時アリスに言われたのだ。けして喋らず女のフリをしろと。けれど自分はそれを守りきれなかった、シャルロッテの前で喋ってしまった。そのせいで、無関係の彼女をこんなことに巻き込んでしまったのだ。
やはり震えているシャルロッテを、シーザーは見つめる。
自分が守らなければ、助けなければ。
シーザーは自分の甘さに胸が、喉が焼けるような悔しさを覚えた。自分は今まで常に誰かに頼ってばかりで、肝心な時はいつも逃げて来てしまった。レイブンに、シエルに、エルピースに、アリスに……どこかで自分は、他人に自分の運命を委ねて来てしまったのだ。
自分はクズだから、奴隷だから、何も出来ないからと、卑屈さに身を包み責任から逃れて生きてきた。だってその方が楽だから。そうしていれば何もかも自分のせいではなくて、誰かのせいにしていられるから。逃げ道ばかりを探して生きて。
本当に、クズだ。
自分の人生を自分で背負うこともせず、下らない意地や感情でぶらついて、何も考えていなかったから、結局こうしてシャルロッテを巻き込んでしまった。
情けない。
馬車は揺れる。
キャラバンはどうなったのだろう、この無頼漢はあの子爵に雇われたのだろうか。依頼は恐らく妹によく似た自分を攫って来いとかそんなところだろう。
だとしたらシャルロッテはどうなるだろう。見れば彼女は忍ぶためか豪華なドレスも装飾も付けず、まるで町娘のような姿をしている。いや、貴族の姿をしていようが、事実を知ってしまったら始末されるかもしれない。野盗に襲われ殺された、そういう筋書きが容易に見える。
ならば彼女が死なない為には何とか価値があると思わせて一緒に連れて行くしかない。
シーザーは懐に潜ませたナイフを確認すると、まだ震えているシャルロッテを見つめ、一人静かに唇を噛み締めた。
勝負は子爵の屋敷に着いてからだ。
昼下がり、穏やかな光の中。まるで世界は何事もなく平和であるように、馬車は悠々と丘へ向かう。




