第21話 希少な魔法
昼休みの食堂は、いつもより少しだけ騒がしかった。
五日目の午前測定を終えた新入生たちが、それぞれの最終判定について話している。
「標準クラスだった」
「私は補助指導つきだって」
「グランフィールは上位クラス確定らしいぞ」
「ノルフェインさんも当然、上位だろうな」
そんな声が、長い木の机のあちこちから聞こえてくる。
追加測定のない生徒たちは、午前のうちに最終判定まで告げられていた。
彼らにとって、基礎魔術適性測定はもう終わったものになりつつある。
けれど、ユリスには終わっていなかった。
目の前には、昼食の皿が置かれている。
温かなスープ。焼いた肉。白いパン。
昨日までなら、少しはありがたいと思えたはずの食事だった。
でも、今日は匂いだけが先に届いて、味のことまで考えられなかった。
発動不安定率、零パーセント。
午前の測定で告げられた数字が、まだ耳の奥に残っている。
零。
失敗しない数字。
普通なら、誇っていいはずの数字。
けれど、ユリスの中では違った。
術式は崩れていた。
魔力は乱れていた。
欠けた線は補えていなかった。
反動の逃げ道も分からなかった。
それなのに、結果だけが先に灯った。
あの白い点。
測定盤の上に浮かんだ、ありえない判定光。
何も起こしていないのに。
魔法を発動させていないのに。
結果だけが、どこかから先に顔を出していた。
ユリスはスプーンを持ったまま、しばらく動けなかった。
「食べないの?」
声をかけられて、顔を上げる。
向かいの席に、セリアが立っていた。
「……セリア」
「座っても?」
「あ、ああ」
ユリスが慌てて頷くと、セリアは音を立てずに椅子を引いた。
周囲が一瞬だけざわつく。
けれど、セリアは気にしなかった。
「午後の追加測定」
セリアが静かに言った。
「行くのよね」
「……行かないわけには、いかないだろ」
「そうね」
短い返事だった。
慰める言葉ではなかった。
でも、突き放す声でもなかった。
ユリスは皿の上に視線を落とす。
「俺だけなんだろうな」
「分からないわ」
「でも、追加測定って、普通じゃないから呼ばれるんだろ」
「普通では判断できないから呼ばれるのよ」
ユリスは顔を上げた。
セリアは、まっすぐこちらを見ていた。
「その二つは、同じではないわ」
「……同じに聞こえるけど」
「違うわ。危険だから見る場合もある。希少だから見る場合もある。通常の評価基準では切り分けられないから見る場合もある」
「俺は、どれだよ」
尋ねてから、ユリスは少し後悔した。
答えを聞きたいようで、聞きたくなかった。
セリアはすぐには答えなかった。
「少なくとも」
やがて、彼女は言った。
「あなたは、まだ何も壊していない」
「……でも、壊すかもしれない」
「だから測るのよ」
その声は冷静だった。
冷たいのではなく、揺れない。
「分からないまま怖がるより、分かったうえで怖がる方がいいわ」
「怖がるのは変わらないんだな」
「ええ。怖いものは、怖いでしょう」
その言い方があまりにも真面目で、ユリスは少しだけ息を吐いた。
笑えたわけではない。
けれど、胸の奥で固まっていたものが、ほんの少しだけ形を変えた気がした。
「セリアは、怖くないのか」
「怖いわ」
意外な答えだった。
ユリスが目を瞬かせると、セリアは続けた。
「分からないものは怖い。でも、分からないものから目をそらす方が、もっと怖い」
その言葉は、食堂のざわめきの中で静かに落ちた。
ユリスは、自分の掌を見下ろす。
午前中、測定盤に置いた手。
まだ、何か薄い膜の感触が残っているような気がした。
自分の内側を、測定盤に覗かれたような感覚。
あの白い点。
あの零という数字。
ユリスはスプーンを置いた。
「午後、行ってくる」
「ええ」
セリアは頷いた。
「待っているわ」
その一言に、ユリスの胸がわずかに詰まった。
逃げるな、と言われたわけではない。
頑張れ、と励まされたわけでもない。
ただ、待っている。
それだけだった。
でも今のユリスには、その言葉が一番逃げ場を作ってくれるように思えた。
昼休みが終わる鐘が鳴った。
食堂の生徒たちが、少しずつ席を立っていく。
ユリスも立ち上がった。
足元は重い。
けれど、動かないほどではなかった。
――追加測定は、午前と同じ大型測定室ではなかった。
測定棟の奥。
普段は新入生が入らない区画にある、小さめの測定室。
白い壁。
銀色の扉。
扉の上には、閉鎖式測定用結界の起動を示す細い光が走っている。
ユリスは喉の奥が細くなるのを感じた。
追加測定に回されたのは、自分だけだと思っていた。
けれど、違った。
閉鎖式測定用結界の前に、ひとりだけ先客がいた。
リナ・クラウゼだった。
オレンジ色の髪が、測定室の白い光を受けて揺れている。
いつもならぱっと花が咲いたように笑う彼女も、今は少しだけ表情を硬くしていた。
「リナ?」
思わず名前を呼ぶと、リナがこちらを振り向いた。
「あ、ユリス」
彼女は笑おうとした。
けれど、その笑みは少しだけぎこちなかった。
「ユリスも、追加測定?」
「ああ。リナも?」
「うん。なんかね、補助系の反応が少し珍しいって言われて」
「補助系……」
ユリスは昨日の属性測定を思い出す。
淡金色。
光・補助属性。
支援、回復、安定、温かさを示す色。
リナの明るい雰囲気には、不思議とよく似合っていた。
「治癒とか、状態安定とか。そういうのに向いてるかもって」
リナは自分で言って、少し照れたように肩をすくめる。
「でも、すごいっていうより、ちゃんと測らないと危ないからって。人に使う魔法だから、適性があるなら余計に慎重に見るんだって」
人に使う魔法。
その言葉に、ユリスは胸の奥が重くなるのを感じた。
ユリスは、自分の魔法を人に向けることが怖い。
傷を治したいと願って、別の何かを壊すかもしれない。
助けたいと思って、誰かに負荷を押しつけるかもしれない。
だから、リナの言葉は少し眩しかった。
人を支えるために測られる魔法。
自分のように、何を壊すか分からないから測られる魔法とは違う。
「リナは、すごいな」
「え?」
「人を助ける魔法なんだろ」
リナは驚いたように目を丸くした。
それから、困ったように笑う。
「まだ、そう決まったわけじゃないよ。わたし、攻撃魔法はそんなに得意じゃないし、魔力量もすごく多いわけじゃないから」
「でも、向いてるんだろ」
「……うん。そうだったら、いいなって思う」
その声は、小さかった。
けれど、はっきりしていた。
リナも緊張している。
でも、怖がっているだけではない。
自分の力が誰かの役に立つかもしれないことを、少しだけ信じようとしている。
そのとき、測定室の扉が静かに開いた。
「追加測定対象者、入室」
測定官の声が響く。
リナが小さく息を吸った。
ユリスも、掌を握る。
扉の奥へ入った瞬間、薄い膜のような感覚が体に触れた。
冷たい布を一枚、肌の上に重ねられたような感触。
閉鎖式測定用結界の内部保護層が作動したのだ。
午前の測定室よりも狭い。
そのぶん、結界の気配が濃かった。
中央には、二つの測定台が置かれている。
一つは淡金色の測定盤。
もう一つは、黒銀色の測定盤。
色が違うだけでなく、刻まれている術式もまるで違っていた。
淡金色の測定盤には、細かな円と流線が重なっている。
流れを整え、乱れた魔力を穏やかに戻すための術式に見えた。
一方、黒銀色の測定盤には、午前よりもさらに複雑な不完全術式が刻まれていた。
主流路が途中で切れている。
反動線の一部が閉じていない。
それなのに、盤面の奥には、発動結果を読むための判定層だけが妙にはっきり見える。
ユリスは目を逸らしたくなった。
だが、その前に、別の気配が測定室の奥から届いた。
測定官たちが一斉に姿勢を正す。
奥の席に、一人の男が座っていた。
黒い短髪。
銀色に近い白い瞳。
年齢は五十代後半ほどだろうか。
穏やかに見えるのに、そこにいるだけで測定室の空気が整う。
王立魔術学院学長。
オルディス・レイヴァン。
ユリスは一瞬、呼吸を忘れた。
なぜ、学長がここにいる。
そう思ったのは、ユリスだけではないらしい。
リナも少しだけ目を見開いている。
オルディス学長は、ゆっくりと口を開いた。
「すでに多くの生徒には、午前の測定結果をもって最終判定が下されている」
低く、落ち着いた声だった。
「だが、君たちは通常判定だけでは扱えない。危険性を見る場合もある。希少性を見る場合もある。指導方針を誤らないために見る場合もある」
ユリスは、昼休みにセリアが言った言葉を思い出した。
「必要以上に恐れることはない。だが、軽く見ることも許されない。君たちの力は、君たちだけのものではなくなる可能性がある」
その言葉が、測定室に静かに沈んだ。
君たちの力は、君たちだけのものではなくなる。
リナの力は、人を助けるために使われるかもしれない。
ユリスの力は。
何のために使われるのだろう。
「クラウゼ。前へ」
測定官が告げた。
リナが一歩進む。
「はい」
彼女は淡金色の測定盤の前に立った。
「本測定では、補助・治癒系統における魔力循環安定性を確認する。対象は擬似魔力回路。生体ではない」
測定盤の中央に、小さな透明な結晶が浮かび上がった。
結晶の中には、細い光の流れがある。
だが、その流れはところどころで乱れていた。
まるで傷ついた魔力回路を、人工的に再現したもののようだった。
「測定盤に掌を置き、流れを整えろ。過剰な魔力供給は禁止。目的は修復ではなく、循環の安定だ」
「はい」
リナは両手を測定盤に添えた。
その表情から、いつもの明るさが少し消える。
けれど、それは怯えではなかった。
目の前のものに集中する顔だった。
「開始」
リナの掌から、淡金色の魔力が流れた。
それは、レオンの赤い魔力のように強くはない。
セリアの白銀の光のように鋭くもない。
けれど、温かかった。
春の日差しを薄く溶かしたような光。
淡金色の魔力は、結晶の中へゆっくり染み込んでいく。
乱れていた細い光の流れが、少しずつ落ち着いていった。
強引に押し流すのではない。
欠けた部分を無理に埋めるのでもない。
速すぎる流れを少し緩め、滞っている場所へそっと道を作る。
揺れていた光が、呼吸を取り戻すように整っていく。
ユリスは、思わず見入っていた。
リナの魔法は、壊れたものを一瞬で元通りにする魔法ではなかった。
結果だけを先に置く力ではない。
流れを見て、乱れをほどき、回復しやすい状態へ導く魔法。
誰かの体や魔力に寄り添うような力だった。
「循環安定、確認」
測定官の声が響く。
「過剰供給なし。拒絶反応、軽微。淡金反応、安定」
記録用水晶板に文字が浮かぶ。
「補助・治癒系統、希少適性あり。状態安定化、上位相当。継続観察対象」
リナの肩から、少しだけ力が抜けた。
けれど、測定官の表情は真剣なままだった。
「クラウゼ。治癒系統は、便利な魔法ではない。人に作用する魔法だ。今後は、通常の補助魔法以上に慎重な訓練を受けることになる」
「はい」
リナはまっすぐ頷いた。
その声には、緊張と、少しの嬉しさが混ざっていた。
彼女が台座から下がるとき、ユリスと目が合った。
リナは小さく笑った。
今度は、少しだけいつもの笑顔に戻っていた。
感想、レビュー、ブクマ、評価、待ってます!!




