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落ちこぼれ魔術師の俺だけが、魔法を失敗できない  作者: 香森 みんと
第二章

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20/21

第20話 失敗率零

 翌朝。


 ユリスは、測定棟へ向かう廊下を歩いていた。

 窓の外には、王都アルヴェリアの白い朝が広がっている。


 昨日までと同じ景色。

 同じ白い壁。

 同じ制服。

 同じように測定棟へ向かう新入生たちの足音。


 けれど、空気だけが少し違っていた。


 基礎魔術適性測定、五日目。

 特殊測定と最終判定。


 その言葉だけが、朝からずっとユリスの胸に引っかかっていた。


 特殊。

 何が特殊なのかは、まだ詳しく説明されていない。

 ただ、昨日までの測定では見えなかった性質を確認する日だとだけ聞かされている。


 それだけで十分だった。


 ユリスには、自分でも見ないようにしてきたものがある。

 成功したはずなのに、成功と呼べないもの。

 失敗したはずなのに、失敗として残らないもの。


 もし今日、それに名前や数字を与えられたら。

 そう考えるだけで、胸の奥がゆっくり沈んでいった。


 昨日の実技・応用測定では、どうにか課題を終えた。

 小箱を完全にはどかさなかった。

 水たまりも消せなかった。

 標識板も直せなかった。

 ただ、確認札まで通れる道だけを作った。


 通れる分だけでいい。

 そう答えたときの測定官の目が、まだ記憶に残っている。


 褒められたわけではない。

 けれど、否定もされなかった。

 それだけで、ほんの少しだけ息がしやすくなった気がした。


 だが、その感覚は長く続かなかった。


 今日は、最終日だ。

 この五日間で見えてしまったものに、学院が判断を下す日だった。


 ――大型測定室に入ると、中央には四つの台座が並んでいた。


 昨日までの課題盤は片づけられている。

 代わりに置かれていたのは、平たい黒銀色の測定盤だった。


 四つの台座には、それぞれ同じ術式が刻まれている。

 属性へ変換される前の、魔力流路。

 魔力を受け、巡らせ、発動へ移る直前で止めるための測定用術式。


 ただし、その術式は完全ではなかった。

 主流路の一部が、わずかに欠けている。

 補助反動線への接続も、あえて細く絞られている。


 発動させるための術式ではない。

 欠けた術式に魔力が触れたとき、生徒の魔力がどこへ流れ、どこで乱れ、どこで止まるのかを見るためのものだった。


 見ているだけで、喉の奥が詰まる。


 完成していない術式。

 足りない線。

 閉じていない形。

 それは、ユリス自身を見せられているようだった。


 測定官が前へ出る。


「これより五日目、特殊測定および最終判定を行う」


 測定室のざわめきが静まった。


「本日の測定は、四日間の結果を踏まえ、各自の発動傾向、制御傾向、術式欠損への反応を確認するものである」


 測定官は、黒銀色の測定盤へ手をかざした。

 四つの台座に刻まれた白い線が、同時に淡く光る。


「各台座の測定盤には、同一の不完全術式が刻まれている。条件は全員同じだ」


 その言葉に、何人かの生徒が小さく頷いた。


「なお、本測定では学院標準杖を使用しない」


 生徒たちの間に、小さなどよめきが広がった。

 ユリスも思わず、自分の腰に差した白木の杖を見る。


「測定盤に掌を置き、直接魔力を流し込む。実際に魔法を発動させる必要はない。測定盤および閉鎖式測定用結界が、魔力流、制御の乱れ、術式欠損への反応、反動経路を演算する」


 測定官の声は淡々としていた。


「その総合結果として算出されるのが、発動不安定率である」


 測定官は、測定盤の白い線を示した。


「一般には失敗率とも呼ばれるが、魔法が発動しない確率を示すものではない」


「魔力流、制御、術式欠損への反応、反動経路。それらにどれだけ乱れが生じるか。つまり、魔法をどれだけ安定して発動できるかを示す数値だ」


 発動不安定率。


 その響きだけで、ユリスの胸の奥が重くなる。


 ユリスは無意識に掌を見下ろした。

 昨日まで杖を握っていた手。

 今日、その手で直接、欠けた術式に触れなければならない。


「レオン・グランフィール。前へ」


 最初に呼ばれたのはレオンだった。

 赤い髪が、白い測定室の中でよく映える。

 レオンは落ち着いた足取りで台座の前に立ち、測定盤へ右手を置いた。


「開始」


 レオンの掌から、赤い魔力が流れ込む。

 炎は出ない。

 熱も生まれない。

 ただ、測定盤に刻まれた不完全術式の線が、赤く細く染まっていく。


 途中で欠けた線の手前で、魔力がわずかに揺れた。

 だが、乱れはすぐに収まる。


 レオンの魔力は、欠けた部分で暴れなかった。

 余計な方向へ流れ込むこともない。

 主流路を通り、欠損部に触れ、その反応を測定盤へ正確に残していく。


 大きな力なのに、荒くない。

 派手ではないのに、強い。

 昨日の実技と同じだった。


「魔力流、安定。欠損部への過剰反応なし。反動経路、許容範囲内」


 測定官が記録用水晶板を確認する。


「発動不安定率、二パーセント」


 生徒たちが息を漏らした。


「二パーセントって、すげー安定してるってことだろ」


「さすがとしか言えないな」


 レオンは表情を変えずに一礼し、台座を下がった。


 その赤い瞳が、一瞬だけユリスを見た。

 勝ち誇ったようには見えなかった。

 ただ、自分が正しく測られたことを疑っていない目だった。


「セリア・ノルフェイン。前へ」


 セリアが静かに進み出る。

 銀色の髪が、測定盤の光を受けて淡く輝いた。


 彼女は掌を置く前に、盤面の術式をじっと見た。


 主流路だけではない。

 欠けた線だけでもない。

 魔力がそこへ触れたとき、どこで乱れが生まれるのか。

 その先で、反動がどちらへ向かうのか。


 おそらく、彼女はそういうものを見ている。


「開始」


 セリアの掌から、白銀の魔力が流れた。


 白銀の光は、測定盤の術式へ静かに入り込む。

 欠損部へ触れた瞬間も、光は大きく乱れなかった。


 無理に補おうとしない。

 不自然に押し込もうともしない。

 欠けた線に触れた魔力は、その反応を淡く残し、余った流れを測定盤の反動経路へと逃がしていく。


 測定盤の光は、ほとんど濁らなかった。


「欠損認識、極めて早い。流路反応、安定。反動処理、最小」


 測定官の声に、別の測定官が小さく頷く。


「発動不安定率、一パーセント未満」


 周囲がざわめいた。


 けれど、セリアは少しも表情を変えなかった。

 軽く頭を下げ、台座から下がる。


 その横顔を見て、ユリスは思った。

 セリアは、失敗を怖がっていない。

 欠けた術式に魔力が触れたとき、どこで乱れが生まれるのかを知っている。

 だから、彼女の魔力は不完全な線の上でも暴れない。


 自分とは違う。

 ユリスは、自分の魔力がどこで崩れるのかさえ、まだ分からない。


「ユリス・フォルク。前へ」


 名前を呼ばれた瞬間、測定室の音が遠くなった。


 ユリスは台座へ向かう。

 足音が、やけに大きく聞こえた。


 台座の前に立つと、測定盤の表面が目の前に広がる。

 黒銀色の盤面。

 そこに刻まれた、欠けた術式。

 火でも水でも風でも土でもない。

 属性へ変わる前の、ただの魔力流路。


 だからこそ、ごまかしがきかない。


「掌を置け」


 ユリスは右手を上げた。


 ほんの一瞬、躊躇する。

 杖を使わない。

 魔法と自分の間にあった、白木一本分の距離がない。

 掌を置くということは、自分の魔力が直接、術式に触れるということだ。


 測定盤へ手を下ろす。

 冷たくはなかった。

 むしろ、体温を吸わない不思議な感触だった。


 石でも金属でもない。

 何か薄い膜を一枚挟んで、自分の内側を覗かれているような感覚。


 胸の奥が少し沈む。


「開始」


 ユリスは息を吸った。


 少しだけ。

 流すだけ。

 何も起こさない。

 そもそも、これは発動させる測定ではない。

 そう、自分に言い聞かせた。


 掌から、細い魔力が測定盤へ落ちる。

 白い線が淡く光った。


 最初は、何も起きなかった。

 魔力が主流路を通る。

 欠けた線へ近づく。


 そこで、光が乱れた。


 ユリスの呼吸が浅くなる。


 あ、崩れる。


 そう思った。

 本来なら、そこで記録されるだけだった。


 術式の崩れ。

 魔力の乱れ。

 欠損部で止まった流れ。


 それらを測定盤と閉鎖式測定用結界が読み取り、発動不安定率を算出する。

 ただ、それだけの測定のはずだった。


 だが。


 測定盤の盤面に、小さな白い点が浮かんだ。

 欠けた術式の先。

 本来なら、まだ何も示されないはずの場所。

 そこに、発動結果を示す判定光だけが、ぽつりと灯っていた。


 ユリスは息を止めた。


 その光を、昨日も見た気がした。

 結果に近い光。

 発動へ至ったときに示されるはずの反応。


 けれど、魔法は発動していない。

 発動させる測定でもない。

 それなのに、結果だけが、どこかから先に顔を出した。


「停止」


 測定官の声が鋭く響いた。


 ユリスの掌の下で、測定盤の光が消える。


 ほぼ同時に、閉鎖式測定用結界の床面へ淡い白い波紋が走った。

 測定盤の判定光ではない。

 結界側の分散層が、遅れて反応したのだ。


 暴発ではない。

 衝撃でもない。

 ただ、床に刻まれた結界線が、一瞬だけ白く濁った。


 測定官たちが記録用水晶板を覗き込む。


「術式崩壊反応、確認」


「欠損補完、確認できず」


「魔力制御、不安定。流路逸脱あり」


「反動経路、不明瞭」


 言葉が、ひとつずつ落ちる。


 ユリスは手を測定盤から離せなかった。


 掌の下には、もう何の光もない。

 何も起きていない。

 それなのに、測定官たちの顔だけが硬くなっていく。


「結果成立予兆」


 誰かが、低く言った。


 測定室の空気が止まった。

 周囲の生徒たちには、その意味が分からなかったのだろう。

 ざわめきはすぐには起きなかった。


 ただ、セリアだけは、最初から目をそらしていなかった。


 ユリスの掌の下で術式が崩れた瞬間も。

 測定盤の盤面に、ありえない白い判定光が灯った瞬間も。

 床面の結界線に、淡い濁りが走った瞬間も。

 測定官たちが言葉を失った瞬間も。


 彼女は、そのすべてを見ていた。

 青い瞳が、まっすぐユリスの結果を見つめている。


 驚きではない。

 恐怖でもない。

 やはり、という色だった。


 測定官は記録用水晶板を確認し、もう一度だけ測定盤へ視線を落とした。


「再演算」


 水晶板の中で、白い文字が組み替わっていく。


 魔力流。

 制御。

 術式崩壊。

 欠損補完。

 反動経路。

 結果成立予兆。


 それらの記録が、ひとつの数値へ収束していく。


 ユリスは、自分の鼓動が耳の奥で鳴るのを聞いていた。


 失敗するはずだった。

 いや、違う。

 これは、失敗する測定ですらない。

 ただ、失敗へ向かうかどうかを見るだけの測定だった。


 なのに。


 測定官が口を開く。


「発動不安定率」


 そこで一度、声が止まった。


 ユリスは顔を上げる。


 測定官の表情は、これまでで一番硬かった。


「……零パーセント」


 誰も、すぐには声を出さなかった。


 零。


 発動不安定率、零。


 普通なら、それは優秀な数字なのだろう。


 失敗しない。

 安定している。

 確実に魔法を扱える。


 けれど、今の測定結果は違う。


 術式は崩れていた。

 魔力は乱れていた。

 欠けた線は補えていなかった。

 反動の逃げ道も分からなかった。

 それなのに、発動不安定率だけが零だった。


 失敗へ向かうはずの反応が、全部そろっている。

 それでも、失敗にならない。


 ユリスは、自分の手を見下ろした。

 掌に痛みはない。

 火傷もない。

 何も壊していない。

 それなのに、胸の奥だけが重かった。


 まただ。

 また、自分は失敗できなかった。


 測定官の声が、測定室に響く。


「通常測定範囲を超過」


 周囲が、そこでようやくざわついた。


「零って……すごいんじゃないのか?」


「でも、今の反応、なんだ?」


「測定官の顔、変じゃないか」


 声が耳に入る。

 けれど、遠い。


 ユリスは、測定盤に残った消えかけの白い点を見ていた。


 あれは、結果の光だった。

 床に走った波紋ではない。

 結界の反応でもない。

 測定盤そのものが、結果の成立を先に読んでしまった光だった。


 何も起きていないのに。

 起こしていないのに。

 結果だけが、先にそこへ向かっていた。


「ユリス・フォルク」


 測定官が、記録用水晶板から目を離さずに告げた。


「午後の追加測定対象とする」


 その言葉に、ユリスの肩が小さく強張った。


 今すぐではない。

 けれど、終わったわけでもない。

 午前の測定で出た数字が、午後まで自分を待っている。

 そう思うと、測定室の空気が急に重くなった。


 隣で、セリアが一歩だけ前に出かけた。

 けれど、すぐに止まる。


 今は、何も言わない。

 ただ、その青い瞳だけがユリスを見ていた。


 逃げないで。

 そう言われた気がした。


 ユリスは掌を握る。

 測定盤に触れていた手は、まだ自分のものではないように感じた。


 発動不安定率。


 いや。


 ――失敗率、零。


 その数字は、褒め言葉ではなかった。

 それは初めて、自分の異常に与えられた形だった。

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