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落ちこぼれ魔術師の俺だけが、魔法を失敗できない  作者: 香森 みんと
第二章

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第18話 理由のない成功

 発動測定は、その後も続いた。


 けれど、ユリスはほとんど覚えていなかった。


 誰かが水球を作った。

 誰かが風を起こした。

 誰かが土を盛り上げ、小さな壁を作った。


 測定官の声が、何度も測定室に響く。


「発動速度、標準」


「術式安定、やや乱れあり」


「魔力消費、範囲内」


 ひとつひとつの結果が、記録用水晶板へ刻まれていく。


 けれど、ユリスの耳には遠かった。


 杖先に灯った火。

 小さく、静かで、指定された通りの火。

 あれは確かに、成功だった。


 それなのに。

 床面に滲んだ白い濁りが、どうしても頭から離れなかった。


 発動点と一致しない反動。

 術式流路の中途崩壊。

 属性変換の不完全。

 そして、結果成立の理由不明。


 理由が分からない成功。

 それは、失敗よりもずっと気味が悪かった。


「本日の属性・発動測定は、以上とする」


 測定官の声で、新入生たちの間に緊張がほどけた。


 息を吐く者。

 隣の生徒と結果を話し始める者。

 自分の杖先を見下ろし、ほっとしたように笑う者。

 それぞれが、自分の測定を終えた顔をしていた。


 ユリスだけが、終わった気がしなかった。


「明日は、実技・応用測定を行う」


 測定官が続ける。


「基礎術式を、実際の課題の中でどう使うかを見る。属性や威力だけでなく、判断、制御、周囲への影響も評価対象となる。各自、体調を整えておくように」


 実技。

 応用。


 その言葉に、ユリスの指がわずかに強張った。


 今日の測定は、杖先に小さな火を灯すだけだった。

 それでも、床の分散層が反応した。


 なら、明日はどうなる。


 課題の中で魔法を使えと言われたら。

 自分の魔法が、どこへ何を残すのか。

 それを考えた瞬間、胸の奥が締め付けられる。


「解散」


 測定官の声とともに、新入生たちは測定室を出ていく。

 ユリスも流れに押されるように歩いた。


 閉鎖式測定用結界の外へ出ると、体を覆っていた薄い膜の感覚がふっと消えた。


 守られていたはずなのに。

 その感覚が消えた瞬間、少しだけ息がしやすくなった気がした。


 廊下には、測定を終えた生徒たちの声が満ちている。


「レオンの火、見たか?」


「あれ、基礎術式だよな。的の中心だけ焦げてたぞ」


「ノルフェイン嬢の結界もすごかった。薄いのに、全然破れなかった」


 そんな声が聞こえる。


 当然だと思った。

 レオンの火は、誰が見ても分かりやすく優れていた。

 セリアの結界も、静かなのに美しかった。


 では、自分は。


「フォルクのも、成功してたよな」


 不意に、誰かの声が聞こえた。


 ユリスは足を止めかける。


「成功はしてた。でも、測定官の顔、変だったぞ」


「あれ、何だったんだ? 火は普通だったよな」


「普通の火なのに、普通じゃないってことだろ」


 笑い声ではなかった。

 けれど、好意でもなかった。

 分からないものを見る声。

 近づいていいのか、離れた方がいいのか迷っている声。


 ユリスは顔を上げられなかった。

 自分でも、同じことを思っていたからだ。


 普通の火だった。

 普通ではない火だった。

 その二つが、同時に成り立ってしまった。


「ユリス」


 名前を呼ばれた。


 振り向くと、セリア・ノルフェインが立っていた。

 銀色の髪が、廊下の白い光を受けて静かに輝いて見える。


 周囲の生徒たちが、少しだけざわついた。


 セリアはそれを気にした様子もなく、まっすぐユリスを見ていた。


「少し、いいかしら」


「……何?」


「確認したいことがあるの」


 確認。


 その言葉に、ユリスの喉が詰まる。

 測定官にも、同じようなことを言われたばかりだった。


 もう一度、確認する。


 また火を灯せと言われるのかと思って、ユリスは無意識に杖を握りしめた。


 セリアは、その手元を見た。


「今ここで発動しろ、という意味ではないわ」


「……じゃあ、何を」


「あなた自身は、さっきの発動をどう感じたの?」


 ユリスは答えられなかった。

 どう感じたか。

 そんなことを聞かれるとは思わなかった。


 測定官は結果を見ていた。

 術式を見ていた。

 反動を見ていた。


 けれど、ユリス本人が何を感じたのか、そんなことを聞かれるのは予想外だった。


「普通に……火を灯そうとしただけだ」


「それは分かっているわ」


「なら」


「その途中よ」


 セリアの声は静かだった。


「火が灯る前。魔力が火へ変わる前に、何か違和感はなかった?」


 ユリスの胸が、どくりと鳴った。


 指先の奥で、細い線が裂けるような感覚。

 魔力が火へ変わる前に、どこかで引っかかった感じ。

 術式が閉じない。

 本来なら、そこで消えるはずだった。


「……あった」


 小さく答える。


 セリアの青い瞳が、わずかに細められた。


「どんな感覚?」


「うまく言えない。線が……途中で裂けたみたいな」


「線?」


「いや、線っていうか……流れが、途中で切れたような。そこで止まるはずだったのに、止まらなかった」


 言葉にすると、余計に分からなくなる。

 ユリスは視線を落とした。


「変だよな。自分でも、何を言ってるのか分からない」


「変ではあるわ」


 セリアは即答した。


 ユリスは思わず顔を上げる。


「でも、無意味ではない」


「無意味じゃない?」


「ええ。あなたは今、発動前の崩れを感じていた」


 崩れ。

 その言葉は、測定官が告げた所見と重なった。

 術式流路、中途崩壊。


「やっぱり、失敗してたってことか」


「結果としては失敗していないわ」


「でも、術式は崩れてたんだろ」


「ええ」


「じゃあ、失敗じゃないか」


「違う」


 セリアは首を横に振った。


 その声は冷たくはなかった。

 けれど、はっきりしていた。


「普通なら、そこで失敗していた。けれど、あなたの魔法は失敗として終わらなかった。だから問題なの」


 だから問題。

 ユリスはその言葉を胸の奥で繰り返した。


 普通なら失敗していた。

 でも、失敗として終わらなかった。

 それは、ずっと自分が感じていたものに近かった。


 落とした皿が割れなかったとき。

 倒木が止まったとき。

 火が灯ったとき。


 いつも結果だけは届いた。

 けれど、そのたびに何かが間違っていた。


「あなたの火は、成功したように見えた」


 セリアが言う。


「でも、成功までの道筋が足りていなかった」


「道筋……」


「魔法は、結果だけでできているわけじゃない。魔力が流れて、術式が閉じて、属性へ変わって、発動後に余った反動が処理される。そういう過程がある。レオン・グランフィールの火は、その過程が整っていた」


 ユリスは、測定室で見た赤い炎弾を思い出した。


 細く絞られた熱。

 的の中心だけを貫いた火。

 焦がして、燃え広がらない魔法。


「あれが、正しい成功なんだろ」


「少なくとも、測定上はそうね」


「セリアの結界も」


「私のことは今はいいわ」


 少しだけ早口だった。

 ユリスは思わず黙る。

 セリアは、すぐにいつもの調子へ戻った。


「あなたの場合、結果は成立している。でも、そこへ至る過程が抜けているように見える」


「抜けてる?」


「ええ。あるいは、壊れた過程を、何かが後から無理やりつないでいる」


 何かが。

 ユリスは、背筋が冷えるのを感じた。


「それって、俺がやってるのか?」


「分からない」


 セリアは正直に答えた。


「あなた自身の魔力反応なのか。術式外の補正なのか。あるいは、もっと別のものなのか。今はまだ判断できない」


「分からないのに、俺に聞きに来たのか」


「ええ」


 セリアは当然のように頷いた。


「分からないから、聞きに来たの」


 その答えに、ユリスは言葉を失った。


 変なやつだと思った。

 けれど、不思議と嫌ではなかった。


 分からないものを、分からないまま決めつけない。

 それだけで、少しだけ息ができる気がした。


「覚えておいて」


 セリアが言った。


「火が灯る前に感じた、その違和感。線が裂けるような感覚。そこに、あなたの魔法の手がかりがあるかもしれない」


「俺の魔法の……」


「ええ」


 セリアはユリスを見た。


「あなたは、ただ失敗していないわけじゃない。失敗が、結果として残っていないのよ」


 その言葉は、ユリスの胸に深く沈んだ。


 失敗していないわけじゃない。

 失敗が、残っていない。


 それは、怖い言葉だった。

 けれど同時に、初めて誰かが自分の感覚に近づいてきた言葉でもあった。


「……それ、普通じゃないよな」


「普通ではないわ」


 セリアは迷わず言った。


「でも、普通ではないことと、価値がないことは違う」


 ユリスは目を見開いた。


 セリアはそれ以上言わなかった。

 ただ、記録用水晶板の方へ一度だけ視線を向ける。


「明日の実技・応用測定で、また何か出るかもしれない」


「怖いこと言うなよ」


「怖がらない方が危険よ」


 淡々とした声だった。

 けれど、その言葉は責めているようには聞こえなかった。


「怖いなら、見なさい。目をそらすよりは、その方がいい」


 それだけ言って、セリアは歩き出した。


 銀色の髪が背中で揺れる。

 周囲の生徒たちは、まだこちらを見ていた。

 けれど、ユリスはしばらく動けなかった。


 怖いなら、見なさい。


 簡単に言う。

 でも、セリアらしいと思った。

 逃げろとも、平気なふりをしろとも言わない。

 ただ、見ろと言う。

 自分の魔法を。

 自分の中で何が壊れているのかを。


 その廊下の少し離れた場所で、レオン・グランフィールは二人のやり取りを見ていた。


 声のすべてが聞こえたわけではない。

 だが、セリアがユリスの前で足を止めたこと。

 自分から話しかけたこと。

 そして、あの青い瞳が、測定中と同じ熱を帯びていたこと。

 それだけは、はっきり見えた。


 レオンは静かに眉を寄せる。


 セリア・ノルフェインは、誰に対しても必要以上に踏み込まない少女だった。

 優秀な者にも。

 未熟な者にも。

 一定の距離を置き、冷静に見て、必要なことだけを口にする。


 その彼女が。


 ユリス・フォルクの魔法には、あそこまで目を向けている。


 正しく成功した火ではなく。

 美しく制御された火でもなく。

 術式が崩れているはずの、理由のない火に。


「……なぜだ」


 小さく漏れた声は、誰にも届かなかった。


 レオンの握られた拳に力が入る。


 正しく成功したのは、自分のはずだった。

 測定官を納得させたのも。

 周囲の生徒を感嘆させたのも。

 火属性の適性を、誰より明確に示したのも。


 自分だったはずだ。


 それなのに、セリアが見ているのは。

 あの、失敗しているはずの少年だった。


 ――その日の夜。


 ユリスは寮の自室で、机の上に学院標準杖を置いていた。


 白木の杖。

 飾り気のない、全員に同じように支給された杖。

 その先端には、今は何の火も灯っていない。


 部屋は静かだった。


 ユリスは手を開いた。

 指先には、まだあの感覚が残っている気がした。

 細い線が裂けるような感覚。

 魔力が途中で引っかかり、そこで終わるはずだった感覚。


 でも、終わらなかった。

 火は灯った。

 結果は成立した。

 理由は、不明。


 ユリスはゆっくりと息を吐く。

 失敗したのではない。

 けれど、成功したとも思えない。


 セリアは言った。

 失敗が、結果として残っていないのだと。


 もしそうなら。

 自分の失敗は、どこへ行ったのだろう。

 床に滲んだ白い濁り。

 発動点と一致しない反動。

 あれが、自分の失敗の行き先なのだとしたら。

 明日、自分は何を壊すのだろう。


 明日は、実技・応用測定。


 魔法を、課題の中で使う日。

 ただ火を灯すだけでは済まない。

 ただ結果が成立するだけでは、きっと済まない。


 ユリスは杖を見つめたまま、小さく呟いた。


「……怖いなら、見ろ、か」


 答える声はなかった。

 けれど、セリアの言葉だけが、静かな部屋に残っていた。


 目をそらすよりは、その方がいい。


 ユリスは目を閉じた。

 瞼の裏で、小さな火が灯る。


 理由のない成功。

 その火は、消えてもなお、胸の奥に冷たく残り続けていた。

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