5.エピローグ
空が漆黒から藤色に変わる頃、ディディエとユリウスは生まれて初めて荷車を引いていた。
転移で良くないかと言ったユリウスに、シェリエルが「一人は平民で瀕死状態なので魔力に耐えられない」とすごい剣幕で怒ったのだ。
その怒りようはかつて城の一部を焼け野原にしたときを思わせ、二人は黙って荷車を引くことになった。
「……私は気づかいが足りないと怒られたのかな?」
「やー、アレは八つ当たりじゃない? ほら、今回シェリエル汚いことばかり当たったじゃない?」
「あぁ…… それで」
小声で話す二人の声は前を歩くシェリエルにもしっかり聞こえている。
「八つ当たり? こうなったのは誰のせいです!」
「ヒッ……」
「手入れされてない馬小屋に連れて行かれ、知らない男の全裸を見せられ、知らない男の血を被って、知らない男に好き放題汚された女性を洗浄し、二人も担いでひたすら屋敷を歩いたのは誰のせいです!」
「え、僕……?」
「そうでしょう! 最初から調べる気もなくわたしを囮にする気だったくせに!」
「や、まあ、そうだけど…… 少女とくればシェリエルかなって」
「お兄様、今月はお酒禁止です」
「は……? そんな、なんで僕だけ」
「じゃあユリウス先生も」
「え、私も? 今“じゃあ”って言ったねよね。元は私を含めていないという心理のあら——」
「なにか?」
「いや……」
ユリウスはこくりと黙ってスイと視線を外す。
こうなったシェリエルに理詰めで対抗しようとするととんでもない事になると学んでいたので。
凍りつくような笑みで振り返るシェリエルに二人揃って背筋を冷やし、その後一切無駄口を叩かずに黙々と屋敷まで荷車を引いた。
屋敷の外ではトリクシーが両手を握り合わせ、地面に膝を付いて祈るように三人の戻りを待っていた。
トリクシーはもうダメかと思っていたソフィアが荷車に横たわる姿を見つけ、ヨロヨロ立ち上がり駆け寄った。
「お、ねえさま……、お姉様! 無事なのね、お姉様!」
その声にソフィアが薄っすら目を開ける。
カサついた手を必死に上げ、それをギュッと両手で握りしめたトリクシーは大粒の涙を流して声が枯れるまで泣いた。
「おかえりなさい」
「ごめんなさい」
「よかった」
そんな言葉がずっと響いていた。
屋敷の客室ではすぐに治療が行われた。
「あー、なるほど。手足をこういうふうにか。ふむふむ、このまま頭を落として腹に埋めていたと…… 合理的なようで不可解だな」とユリウス。
「それよりさ、二人とも記憶あるかな? 殺してあげる?」とディディエ。
もちろんシェリエルは「何言ってるんですか…… まあ、ソフィア様よりこちらの彼女ですね。目覚めるのもいつになるか」と呆れ顔である。
「記憶があると厄介だ。回復しても魔物に堕ちる可能性がある」
「じゃー、やっぱりここで殺してあげようか。二度手間だし」
「そんなわけに行かないでしょう! 自宅で療養できないようならベリアルドに連れて帰りますよ」
「そこまでするの? ベリアルドは慈善団体じゃないんだけど」
まだご立腹のシェリエルはぐちぐち文句を言う二人をピシャリと黙らせ、的確に指示を出して治療の助手とした。
ソフィアの回復は早かった。監禁期間が数日だったことと、ベリアルドから来た三人が常識外れの治癒力を持っていたことが幸いした。
もう一人は酷い有様だったが、それでもシェリエルの治療は彼女を普通の人の形に戻した。
衰えた筋肉は完全には戻らないが、切れた筋や変形し外れた関節もほとんど再生することができた。
少し前に某要人を治療した経験が役に立った。
少し回復したソフィアはしっかり記憶があるという。
半年ほど学院に通っていたのも関係しているのだろう。
そして、夕方には気丈に笑ってトリクシーに支えられながら談話室に降りて来た。
シェリエルたちはすでに帰り支度を終え、ギャレットと対価の交渉をしているところだった。
「シェリエル様。ディディエ様にユリウス様。この度は命をお救いくださり、本当に心より感謝申し上げます」
「いえ、こちらもそれなりに対価をいただく予定ですのでお気になさらず。お礼ならトリクシー様に。彼女の手紙が無ければここに来ることもありませんでしたから」
ソフィアはハッとトリクシーを見つめ、二人涙を溜めてしっかり手を握りあっていた。
これからたくさん話す時間はある。トリクシーならソフィアを支えられるだろう。
すると、ディディエが思い出したように契約書の手を止める。
「あ、そうだ! ギャレット様ひとつお聞きしたいことが」
「はい、何でございましょう。娘の大恩人です、何でもお答え致しますよ」
「ソフィア嬢の寝台に残っていたシミ、あれギャレット様のものですよね?」
「……ハ、」
「いや、あれ精液でしょう? 夜な夜な忍び込み実の娘で欲情していました?」
「な、何のご冗談です…… それは流石に笑えませんぞ!」
当たり前に場は凍りついた。
彼らが今までディディエの冗談で笑ったことなどなかったが。
ソフィアとトリクシーは青ざめ、夫人は真っ赤な顔で唇を噛んでいる。
シェリエルはスッと一番怒った時の無表情に変わり、ユリウスは興味津々で眺めていた。
ディディエは怒り狂うギャレットにさらに気分を良くしてペラペラと舌を回し始める。
「町でも色々と噂を聞きましたが、攫われた女性たちは何かしら家庭で問題を抱えていたようです。一見問題には思えなくてもね。それで、あの男はそういう女性を選んでいたんじゃないかと」
「それで、なぜ私がソフィアに…… 関係ないでしょう」
「んー、でも貴方。子が攫われて最後はどうなるかも分かっているのに何もしませんでしたよね? 憔悴していたのは何故ソフィア嬢が狙われたのか気付いたからでは? 夫人もそれを知っていた。違います?」
言葉なく土気色の顔でジッと床を見るギャレットと夫人。
「あの男も知能に問題があるわけではなかったらしいですし、攫っても大丈夫な家を選んでいたんでしょう。そうだよね、ユリウス」
「ああ、それくらいの頭はあったね。それに、私たちでも最初はギフトか精霊だと当たりを付けたんだ。平民たちも当然あの犯行が貴族のものだと思っただろうから、本気で外の機関に訴えることなんてしなかっただろう。彼はそれも分かっていたんだと思うよ」
「アハハ、傑作だと思いません? 平等だの何だの言って、心の底では貴族を恐れて口を噤んだってわけです。……や、失礼。笑うところじゃなかったな」
ディディエはポンと自分の後頭部を叩いて反省した素振りを見せた。
心にもない反省であるが、配慮していますよというポーズである。
「う、嘘よね。お父様…… 何とか言ってちょうだい、よ」
「……ちがう、そんなことッ! ……決して」
「あれ? 違いました? でも使用人のなかにそれほど罪悪感を持つ男性はいませんでしたよ? 貴方の罪悪感、それは娘を守れなかった罪悪感かと思ってましたが、やっぱりおかしいんですよね」
「……いや、本当に、私は」
「もしシェリエルが同じ目にあったら父は一軒一軒たずねて回ってシェリエルが見つかるまで全員を殺して行ったでしょう。母が父にそうさせます。家族ってそういうものでしょう? いくら気持ちを落ち着ける花があると言っても、ここまで動きがないのはおかしい」
シンとあたりは静まり返る。
「ねぇ、お前たちもおかしいと思ってただろう? 何故両親である二人が僕たちに何も言わないのか。何故他の遺族たちもそれほど大事にしなかったのか。何故あんな事件がいつまでも続くのか…… ふふ、当然気になっていたはずだ。おかしいなと思いつつ、こういう町だからきっとそういうものなんだろうなって思ってた?」
ソフィアはその場で崩れ落ちた。
自分がこの数日どんな目に遭っていたか。
やっと生還出来たと思ったら夜な夜な実の父にどんな欲を向けられていたか。
それがあの悪夢の原因になったと知って、その場で胃の中のものを吐き出した。
使用人たちはディディエの言葉に凍りついて彼女を介抱することも出来ない。
「ケダモノ……」
落とすように呟いたトリクシーの声に、ついにギャレットが落ちた。
頭を抱え呻きながら「許してくれ、すまない」と掠れ声で繰り返す。
夫人はギッとソフィアを睨んでいた。
「おや、夫人は娘に怒りを向けますか。女性の心はやはり難しい、僕もまだまだですね」
「お、お母様? ソフィアお姉様は悪くないでしょう? なんでそんな怖い顔……」
「この子が色目を使ったに決まっているわ…… 忌々しい、あのま」
「そこまでです、夫人。その先を口にすることはわたくしが許しません」
殺気をもって夫人を制したシェリエルはゆっくりソフィアのもとへと歩み寄り、膝をついてまず彼女の吐瀉物を洗浄してやった。
「ソフィア様、よろしければベリアルドにいらっしゃいません? 平民と距離が近いクレイラという町があるのですが、そこならお二人の経験も役に立ちますし、生活の心配は要りませんよ。トリクシー様と一緒なら二人でやっていけませんか?」
「家を……出られるのですか?」
「ソフィア様が望むなら」
「お姉様! わたくしも行きます! こんな家、こんな町! もう一時も居たくありません!」
「トリクシー…… ごめんね、わたしのせいで」
「お姉様のせいじゃないでしょう!」
「シェリエル様、やっていけるでしょうか…… わたしは……」
「似たような境遇の者も多くいます。心配ありませんよ」
クレイラにはかつて違法奴隷として売られ、心身共に傷付き回復した者たちがいる。人手はいつでも足りないので彼女たちなら喜んで受け入れられるだろう。
シェリエルは自身のメイドに目配せすると、一人がコクリと頷いた。
クレイラなら今後の心のケアも問題ない。
「はぁ、スッキリした! 僕あの男と話せなかったから気になってたんだよね。じゃ、ギャレット様対価の交渉を続けましょう。中断してしまって申し訳ない」
力なく頭を抱えたままのギャレットから返答はない。
ディディエは仕方なくハッキリした声でギャレットに聞こえるよう対価の内容を口に出して読み上げていた。
そこには二人の当面の生活費も加えられて。
シェリエルたちが乗って来た馬車にはトリクシーとソフィアが二人並んで座り、向いにはもう一人平民の少女が横になっていた。
二人の姉妹はしっかりと手を握って夜のトリンデルを眺める。
もう戻ることは無いだろう。
一方、シェリエルたちは転移でベリアルドの城に戻り、家族に土産話を聞かせていた。
他領へ出かけるのが好きなディディエは嬉々として父に成果を披露する。
「というわけで、これが今回得た金品と権利、あとはあの周辺と改革派の情報です」
「ディディエは本当に何をしに行ったんです?」
「えーっと、何だったか…… シェリエルとの旅行、じゃなくて情報収集ですよ、父上」
「ま、そこらへんは任せますが。ユリウスもご機嫌ですね」
「ああ、私も良い学びがあったからね」
ユリウスはゆったり笑って熱い紅茶を少しずつ飲んでいた。
「あの夫妻はどうなるでしょう。彼ら、穢れを溜めないでしょうか」
「魔物になればまた討伐に行けばいいじゃない。もう座標は保存したんだろ?」
「わたしは行きませんからね!」
フンと顔を横に振るシェリエル。これに嬉々として手を挙げたのは父のセルジオである。
「じゃ、僕が行きますよ! ユリウスお願いしますね! ……て、シェリエル機嫌悪くありません?」
「アハ、は…… ちょっと怒らせてしまって」
「……早く仲直りしてくださいよ? シェリエルが怒ると執務が増えるので困ります」
「お父様、今までの話聞いていました? わたしとても酷い目に遭ったのです」
「あれ、そんな話でしたっけ? 羨ましいなとは思いましたが……」
「酷い、酷すぎる……」
シェリエルはその日、家族ってなんだろうと思いながら眠りにつき、翌日にはすっかり機嫌を持ち直していた。
お読みいただきありがとうございます。
初めてのホラーというかサスペンスというかサイコというかクリミナルマインドを書いてみたので良く分からない感じになりました。