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貧すれば、揺らぐ

 初めての代筆の仕事は、成功だった。


 長年会っていなかったお兄さんのお祝いの品に、花嫁であるれんさんはいたく感激して、旦那様になる方とわざわざしゃそうさんを訪ねてきたのだという。

 奏さんは実家と和解する気はさらさらなかったようなのだが(頑固だな!)、やっぱり妹は可愛かったらしく、愛らしいおねだりに負けた彼は、休暇をもらって一度、実家のあるりつに戻るそうだ。

 そんな話を私は伯父であるだいさんから伺ったのだが、当の本人である奏さんは、碩庫で顔を合わせても知らんふりだったりする。やっぱり、気恥ずかしいのかな?

 手紙が雪解けのきっかけになればいいなと思ったが、これから先は奏さん自身の問題だ。


 そして、奏さんと台さんから報酬をもらって半月ほどした現在……。


「仕事が……お金が、ない!」


 ため息をついた私は、粗末な籠を抱えたまま川べりに立ち尽くしていた。


 そうなのだ。いくら初仕事が成功したからと言って、それが次の仕事につながるとは限らないのである。

 自営業の世知辛さを、私はひしひしと感じていた。雇われに慣れた身としては、流行らない自営業のわびしさは身を切るようにつらい。

 挙句、先日写本の仕事まで完了してしまったのである。後金が入るとはいえ、家賃などを考えると、どう見てもそこまでの余裕はないだろう。貯金があるとはいえ、それだってどんどん目減りする一方なのだ。新規依頼がない今、店の存続が問われる可能性すら出てくる。なんて恐ろしいのだろう。


 その結果、私は西華にいた頃より痩せた。ダイエットをしたわけではないが。

 なにせ、前の雇い主であったせき家はお金持ちだったし、当主の捷俱しょうぐ様も一人娘の香燕こうえん様も美食家だったから、彼らのおこぼれに預かってというか、彼らの意向で肉しか登場しなかった。川魚なんていうびんぼったらしいものは見たくもないらしい。庶民の私なんかは「おいしいじゃん、魚」と思うのだが、香燕様に言わせると、細かい骨が存在する魚は見るのも食べるのも嫌らしい。


 だが、今は小さな小魚を獲ってでも食べなければ、非常にヤバい。私が削れるのは、衣食の部分だけだが、服飾費は元からかけていないので、必然的に食事があおりを受けることになるのだ。

 大きな魚は魚屋さんの売り物となるのだが、売り物にすらならない小魚や沢蟹、泥の中に潜むドジョウなどは、破棄されてしまうため、頼めば分けてもらえる。この世界が小魚を食べる習慣がなくてよかったというか、なんというか、悩んでしまうところだ。

 まぁ、恥を忍んで(「こんなものどうするの?」と怪訝そうなご主人を前にして、どう説明していいかわからなかったよ!)頼み込み、それと野菜で生き繋いでいる私なのであった。単なる木の根としか見られていないごぼうも食べてるなんて知られたら、どんな顔されるかわかったものではないね。


 ちなみに、味噌や醤油は豆を買って手作りしている。日本で食べていたものとは違うけれど、お米だってあるので(玄米ともち米しか売っていないけど、十分だ)、私の食生活は質素な割においしいものばかりだと思う。栄養だって偏ってはいないだろう。

 ただね、痩せたよ。カロリーが違うんだろうね。油多めな中華(肉メイン)より、和食(魚メインの粗食気味)の方が総カロリーは低いよね。


 籠に入った沢蟹とドジョウを眺めながら、私は何度目かもわからないため息をついた。将来さきの見通しがつかないって、かなり不安なのである。ため息くらい見逃してほしいものである。幸せが逃げるって? 不幸がこれ以上来なければ、いいよ、もう、そんなのは。


          ◆


れいさぁ、恋文も、請けたら?」


 差し入れの煎饅頭を渡しながら、えいくんが言う。真面目なその表情に、私は眉を曇らせた。


「やっぱ、恋文請けないと、仕事来ないと思う?」

「庶民は手紙なんてあんまり出さないしね。恋文ならまだしも」


 たしかに、書院時代の恋文代筆バイトは頻繁に依頼があった。手紙はわざわざ書かなくても、恋を始めるには恋文が必要という風習のせいで、恋文代筆の需要は高いのだ。


「聞いたぞ。最近川魚捕りに行ってるくらい困ってるんだろう? いいじゃん、恋文くらいさらさらっと代筆しちゃえば」

「ううう……」


 揺れる。もう恋愛にかかわってめんどくさいことになるのなんてごめんなんだけど、それと同時に私の代筆した手紙で恋が実った同期たちの笑顔を思い出してしまい、非常に迷うのだ。

 一度きりの失敗で、逃げ出していいのだろうか。

 思えば私は逃げてばかりな気がする。理由を付けて、仕方ないからと言い訳をして。

 たしかに、人の恋路に口を挟むのはよくないけれど、お手伝いを当人が望んでいて、そのきっかけになる程度であれば、大丈夫ではないだろうか。


「だからさ」


 悩み始めた私に、暎くんはずいっと身を乗り出すようにして顔を寄せた。陽に焼けた肌に、白い歯が眩しい。


「オレの恋文、代筆してよ!」


 思いもよらなかった申し出に魂が抜けかけた私だったが、手にしていた煎饅頭を落としかけ、ハッと正気に戻る。


「それは……自分でやろうよ」


 恋文代筆を請けようかと方針転換しかけた私だったが、さすがに思いとどまってしまう。


「プロの力を見たい。オレがうまくいったらさ、玲の自信もつくだろ!?」

「つかないよ」


 ジト目で睨まれ、暎くんが口を尖らす。そんな顔してもダメだ。だって嫌な予感がする。


「あのさ、暎くんが恋文を出したい相手って……」

「……せつさんだよ」


 耳まで赤くしながら、暎くんが片恋の相手を吐露した。ああ、嫌な予感的中! そんな気はしてたんだよ!

 私は頭を抱えた。恋文代筆とかそんな話ではない。次元が違う。


「あのさ」

「オレ、この前勇気出して訊いたんだよ。そしたら薛さん、独身だっていうじゃん! 髪結ってるし、人妻だとばかり思ってたけど、別れた後なら、恋文渡しても構わないだろ!?」


 女性の髪型だが、結婚後は髪を結い上げていなければいけないけれど、離縁や死別で独身に戻った場合、再び髪を下すのも、結ったままでいるのも自由である。ただ、髪を下していないと、再婚相手を探せないという前提はあるけれど。


「……いや、あのね、話を」

「まだ前の旦那が忘れられないっていうなら、お友達からでもいいんだ。オレの本気を知ってほしい!」


 暎くんの目は真剣そのものである。そのまっすぐな想いを届けてあげたい気持ちもどこかにあるけれど、そういうわけにはいかないのだ。絶対成就しない、むしろ黒歴史になってしなう恋文なんて、出させるわけにはいかない。

 ごめん、暎くん。友人として、その片想い、あんまりお勧めできない。

 事実を知っても尚アタックするって言うなら、全力で応援するけども!

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