55 第17章 校内戦闘
「……っ!」
ルミナリアが息を飲んで立ち止まった。
前方の方から、黒く濃い霧の中から、何か来るところだからだ。
「憑魔……」
それは四足の獣だった。
クロフトに来る前の道で出会い戦闘したものと同じ様な姿。
けれど、その体格は一回り大きく、口に生えた牙、手足の爪も鋭くなっている。
「どうして、憑魔がこんな所に。まだ終止刻は始まったばかりなのに」
憑魔と呼ばれたその生物は、半開きになった口の隙間から、辺りに漂っているような黒い息を漏らしながらゆっくりとこちらに近づいてくる。
瞳孔が開いていて焦点が定まっていない瞳を向けて。
「ヒメちゃん、下がってて。少しでも、こいつに触れちゃだめよ」
「どうして……?」
「それは……」
憑魔は体勢をすっと低くして、廊下を蹴った。
「サンダー!」
ルミナが右手を前に出し、雷の魔法を飛ばす。
走ってきた憑魔に命中して、その体を打ち抜いた。
「闇の魔力に汚染されちゃうからよ。だから、できるだけ近づかないで」
撃ち抜かれた憑魔は倒れたまま動かない。
「汚染……?」
何ともいえない表情でその倒れた憑魔を見ている姫乃。
「ヒメちゃんは優しいわね。旅の間ずっとそんな顔してたの? 私はそれどころじゃなかったのもあったけど、ちょっと前に割り切っちゃったわ」
ルミナリアは、右手を使おうとして……、少し考えてから左手にして、その姫乃の髪を優しくなでてやる。
「汚染って言うのは、体汚染と精神汚染、両方あるのよね。詳しく説明している時間あるかしら。とりあえず行きましょう……。ええと、どっちに行けばいいのかしら」
姫乃は変わらない太陽色の優しさを受け取って、周囲を見回して走り出したルミナリアについていく。
すぐに後ろから何者かが追ってくる気配がした。
振り返ると、黒い霧の向こうにぼんやりとした四つ足のシルエット。
「えっと……こっちだよ、ルミナ」
今度は前後を入れ替えて、姫乃が先導する。
わずかに迷いながらだったスピードを上げた。
頭の中に、一週間分の学園生活を思い出したり、未利がくれた学校地図のパンフレットを思い出したりしながら、学校内を進んでいく。
「ヒメちゃん、旅で憑魔と出会った?」
「ううん、いなかったはず。すくなくとも私達は会わなかったよ。その憑魔っていうのは……?」
言葉自体はルミナリアお手製紙芝居の時にも触れたけど、深くは掘り下げなかったはずだ。
「そこからだったわね……。この子達、この大陸に乗っけて連れられてきたのかしら。誰なのかしら、まったく。そんな迷惑な事をする輩は」
こんな事になるならあの時に一緒に説明しておけば良かったわね、とため息交じりに呟き、ルミナリアは先を話す。
「終止刻は分かってるわよね。光と闇の均衡が崩れて、闇の魔力が何故だか分からないけど増えちゃうヤツ。憑魔はその闇の魔力にとり憑かれてしまった生物の事なの」
「とり憑く……?」
幽霊みたいなものだろうか。
でも魔力、なんだよね。
「そこは、物の例えみたいなものかしらね。魔力と接触すると起こるものよ。昔の人……それこそ最初に発生した終始刻の時代に生きてた人達なんかは、どうしてそうなるのか分からなくて、ほんとに混乱してたみたい。それで、原因は分からないけどこの生物変化、何か説明をつけなきゃ気持ち悪い、って思ったんでしょうね」
握る手に少しだけ力がこもる。
「よく分からない気持ち悪いものが傍にあると、やっぱり皆不安になるのよ……」
「ルミナ?」
「あ、ごめん、脱線しちゃったわね。続けるわ。具体的に何が起こるかというと、すべての生物に共通して理性と意思の崩壊、そして肉体の変化が起こるわ。憑魔になった生き物たちは、何の例外もなく欲求に素直になり意思を失い、肉体が何か恐ろしい感じになっちゃうの」
何か恐ろしい感じって……。
まあ、さっき見たような憑魔の感じだと思っておこう。
「それって人にも起こる事なの?」
「……ええ。そうね」
ルミナリアはすべての生物、といった。
だから人も例外ではないと、そういう事だ。
「人の場合は抵抗力があるみたいで、急にはならないらしいのよね。時間をかけてゆっくり、ぐつぐつと……っていう感じに」
よく煮て美味しくなるのはシチューとかカレーだよねー、と何故だか啓区の声が聞こえたような気がした。
ルミナ、そんな美味しそうに言わないでほしい。
「さっきも言ったけどまず精神汚染が始まるわ……理性のタガが外れたり、意思が弱くなったりするの。そして次に体汚染、肉体に変化が起きるの。全例で言えば、肌が固くなったり、黒っぽくなったり、ツノが生えたりとか。こうやって闇の魔力にさらされてるだけでも、人にとって良くない症状が出るはずなんだけど……」
ルミナリアが心配げにこちらを見つめてくる。
姫乃としては何の違和感も感じてないわけだが、そう言われると不安になってくる。今の話を聞いた後なら、なおさらだ。
「ルミナは平気なの?」
「まあ、ね……」
歯切れの悪い言葉に、もう少し突っ込んで聞いてみようと思った矢先だ。
背後から足音が。
近い。
それも数が増えている。
このままでは追いつかれるだろう。
「いったん止まって迎撃するわ! ヒメちゃん援護お願い!」
ルミナリアが足を止め、背後の追手に向き合った。
姫乃もそれにならう。
援護、お願いされちゃったな。
それって、頼りにされてるってことだよね。
私に頼るくらい余裕がないって事なのかもしれないけど。
でも、ちょっと嬉しいな。
ルミナに頼られるって、セルスティーさんや皆に頼られるのとは何かちょっと感じが違うんだよね。
ほんの少し、舞い上がりそうになって、頑張らなきゃって思えて……。
「ヒメちゃん!」
「うんっ……。アクアリウムっ!」
「サンダー!」
姫乃が水球の魔法でとらえた憑魔達に、ルミナリアが電撃をくらわしていく。
まずほんの少しだけ先に出ていた先頭一体の行動を奪う。
残りは……、霧でよく見えないけどおそらく全部で三体。
「ウィンド!」
ルミナの判断は速い。
間を入れずに風がまき散らされる。
近づいてこようとした敵を足止めする。
突風の中に突っ込む形になった憑魔達は、足を止めて体を低くした。
「ヒメちゃん、使わせてもらうわね」
ルミナリアはそのわずかな間を使って、最初に無力化した一体、電撃のショックで倒れている憑魔に走り、その周囲の床を濡らしている水の上に手をかざした。
何をするつもりなのか。
「くらいなさい! ヒメちゃんと私の、コンビネーション友情魔法よ」
ルミナリアは、何か大げさな感じに命名された魔法を発動させた。
水の一滴一滴が針の様に細くなり、ルミナリアのかざした手の前に集まって、いくつも浮かぶ。
「……そんでもって、ウォーター!!」
魔言の発声とともに、魔法が放たれる。
風の束縛から逃れれ、ようやくこちらに向かって来ようとしていた憑魔達へと殺到する。
すごい!
無数の水の針達が、隙間なく一斉に襲い掛かった。
撃ちもらしがまるでない。
水の針はどれも的確に命中してる。一つもミスがなかった。
三体の憑魔は……、倒れた。
眉が下がりそうになるような気持ちだが、いまは余計な事は考えてる場合はないだろう。気を散らしながら進めるような場所ではないはず。
これで、と思いかけた瞬間。
もぞり、と近くで何かが動いた。
「ルミナ! まだ生きてる!!」
そうだ、最初の一体。倒したわけじゃなかった。
行動不能から回復したらしい。
痺れを残して動作に支障が出ているのだろう、その速度はダメージを受ける前よりはあきらに落ちていた。
だから姫乃は、落ち着いて……とまではいかないが、相手に対して対処することができたのだ。
一体がルミナリアにせまる。
「アクア……っ」
させないっ!
魔言は言いきってなかった。
けれど発動してくれた。
いままでとは少し違う、絡みつくように憑魔を捕らえた水球のなかで水流が渦をまいている。
もがこうと動く、憑魔の動きが阻害された。
「サンダー!」
ルミナリアがトドメを刺して、戦闘終了。
終わった……。
姫乃は安堵と共に、一瞬つめていた息を大きく吐いた。
「すごい。……ヒメちゃん、強くなってる……」
「だったらいいな」
ルミナリアに肩を叩かれて笑みを返す。
……あんなにすごい魔法使えて、判断も早いルミナに言われてもね。
「お世辞なんかじゃないわ。本当よ。最後のあれ、良い反応だったわよ」
「似たような事が前にもあったから」
あの時は危なかった。なあちゃんがだ。
クロフトの町を前にしてリーブス街道での事。
今みたいに終わったと思って気を抜いている際の出来事で、反応が出来なかった。啓区のおかげで助かったけど……。
できれば同じことは二度も起こしたくはないと思っていた。
「寂しくもあるし、嬉しくもあるわね。もちろん嬉しい方が大きいけれど、私の知らない所でヒメちゃんがこんなにも育っちゃってるのね……」
ルミナリアは感慨深いものね、としきりに頷いている。
「大げさだよ……」
「のんびりできたらヒメちゃんの成長についてゆっくり話を聞きたいところだけど、……当分そういうわけにもいかなさそうなのが残念だわ。本当に。本当の本当に」
すごく残念そうだった。
「私もルミナとゆっくり話せないのは残念だけどね……」
しかし、しょうがない。
前と後ろに足音が聞こえる。
新手が来てしまったようだ。
今度は両方から、二人は囲まれたようだった。
「どうしよう……」
「こういう時は正攻法は駄目ね。第三の選択肢、横道を選ぶわ!」
迷う姫乃にルミナリアは即断即決だった。
と、廊下の横道……つまり教室のドアをスパーンと開けた。
「グルルルル……」
憑魔だ。
……中にもいた。
しかし、その判断がたまに間違っていることもあると、姫乃は知った瞬間だ。
ルミナリアは速攻でスパーンとドアを閉める。
中には廊下のとは比べものにならない数の憑魔、ひしめくようにして存在していたからだ。
一瞬後にすごい勢いで体当たりがドアを襲ってくる。
「ブリザード!」
ルミナリアは氷の魔法を放ち、ドアを凍結。
ドアは完全に封鎖されたが、中からの音は絶えない。
「手ごわい相手だったわね」
今の一瞬で何か戦ってたんだろうか。心理戦?
「誰なのかしらあんな所に獣さん達を詰め込んだのは。待機所? 裏の裏をかかれたわね」
ルミナリアは裏をかいたつもりだったらしい。
確かに予想外の一手だった。
けれど返された一手も予想外だった。
気を取り直してルミナリアは首を巡らせる。
「大丈夫よ。まだ横道はあるから」
「え」
教室のドアとは反対側に視線を寄越した。
まさか、だ。
そこには窓があった。
え……と、まさかだよね。
まさか……、するの?
窓と言ってルミナリアがしそうな事に思い至る
黒い霧でまるで夜の空が見えなくなっている窓の向こう。
窓の外では、とても気持ちのいい風は味わえなさそうだ。
「砕けなさい! ウインド!」
窓ガラスに向けて思いっきり風をぶつける。
姫乃の脳裏にいつかの思い出がよぎった。
風の魔法で窓からセルスティーさんの家に乗り込んだな……。




