第8話
第8話
少女ミリアの指示に従い、再び地下に降り立った麻耶は管制室へと駆ける。もし麻耶一人であったならば複雑に入り組んだこの地下室で管制室を見つけることは難しかったが、逐一ミリアが方向を指示してくれたおかげで迷い無く進むことができる。
「ホント何でこんな迷路になっているのかしら」
と思わず麻耶は愚痴をこぼす。迷い無く進めているといっても地下は広大だ。走っても、走っても中々たどり着くことはできない。
「そうぼやかないでください。もう直ぐつきますから」
ミリアは麻耶を慰めるように言うが、少女は麻耶の隣をフワフワ浮きながらついて来る為、全然疲れた様子は見られない。まあ実際に走ったところで彼女は実態ではないので疲れることは無いのだろうが。
「ココです!」
しばらく走っていると突如ミリアは立ち止まり、一室を指差す。そこには今までのように部屋の名前を書き示したものは見当たらないが、少女が言う以上ここが目的地で間違いないのだろう。
「行くわよ…」
用心のため腰に携える天上桜を握り締め、恐る恐るドアを開けた。中は真っ暗であり、ここからでは中の様子を伺うことはできない。壁をあちこち触っていると何かに触れた。スイッチであると考え、アレコレ触っていると少しずつ明かりが灯る。
「さて…、一体どれが牢の鍵なのかしら…」
その部屋には大きな棚が一つあるだけで、とても管制室と言われるような代物ではなかった。まあビルとかでもないのでただ名前がそう付いているだけなのだろう。他に怪しい物も見当たらないし、一先ず一安心であるといえるだろう。…なのだが。
「どんだけこの部屋に鍵があるのよ…」
そう、棚にはありとあらゆる鍵があった。大きなものから小さな物まで優に500はあるだろう。これではチルノの牢の鍵を探すのに時間がかかり過ぎてしまう。何かいい方法はないものか…。
「ねえ、ミリア。あなたはどの鍵か分からない?」
とミリアは何かに気を取られているのか何かを見つめたまま返事をしない。何を見ているのか気になった麻耶は視線の先に目を向けると床に何かが落ちている。
「これは髪飾りかしら…」
特にこれといった装飾はされてない普通の髪飾りが一つ床に落ちていた。どうしてこれが気になったのだろうか。
「ねえ、ミリア。何か気になるの?」
麻耶はミリアに問いかける。するとミリアは小さな声で
「まさか…そんな…」
と呟いた。心なしかミリアの体が震えている。一体どうしたのだろう。
「それ、ティアちゃんの付けてた物なんです…」
「ティアちゃん?」
「はい。私は体が弱く、殆ど毎日寝たきりの生活でした。当然外で遊ぶことはできなくて、いつも部屋で皆が遊んでる様子を眺めていました。そんな中、いつもティアちゃんは私のとこに来てくれて…。こんな遊びをしたとか、こんなお花を見つけたとか話してくれたんです」
「そう…」
「普通の人にとってそんな事は大した話ではないかもしれません。ですけど、私にとってはそれが外の世界そのものでした。ティアちゃんが追いかけっこをした話をしてくれたら私は野を駆けていける。お花の話をしてくれたら私の部屋はお花畑に変わる。それはちっぽけであったけど、私の幸せの時間であって…そして生きる支えそのものだったんです」
人は生きる支えを、その人それぞれ形は違えど持って生きている。ミリアにとってティアちゃんこそがそうだったのだろう。
「でも…これがここにあるってことは…」
「ええ、でも覚悟はしてました」
ティアちゃんの髪飾りがここにあるという事は少女がここにきた事を意味する。そして、姿が見えないということは…。
「大丈夫です。さあ鍵はこれです。行きましょう」
ミリアは振り切るように部屋の外に出て行った。何て声をかけていいのか麻耶には思いつかない。だけど、声をかけることができなくても出来る事はある。それは少女の思いを、最後の望みを叶える事。ただそれだけだ。
「待ってなさい、チルノ!」
麻耶はミリアが指差した鍵をしっかり握り締めると管制室を後にした。
その後はお互い口を開くことなく黙々と走り続けた。そして再びあの悪夢の部屋へと辿り着く。
「行きましょう」
麻耶は静かに扉を開ける。一瞬、先ほどの叫びを思い出し体が硬直しそうになるがチルノを救う意思で跳ね除ける。
「無事よね…チルノ」
思わず心の願望が口に出てしまう。正直既に手遅れである可能性も信じたくは無いがあるのだ。
「それにしても静かね…」
麻耶は周囲を警戒しながら進むが、牢の中から物音が聞こえてこない。先ほどのような光景も不気味ではあるが、何も音が聞こえてこないというのもまた不気味である。だからといって牢の中を注意深く観察する余裕も、そんな度胸もないので、麻耶は黙々と歩を進める。その間、ミリアは一言も口にすることは無い。何かに必死に耐えている姿が、健気であり、痛々しくもある。早くこの部屋を出たほうが賢明であろう。
「…ん?」
黙々と進む麻耶であったが、何か違和感を覚え立ち止まる。ミリアがいないのだ。
「ミリア? どこ?」
周囲を見渡すと一つの牢をみて立ち竦んでいた。そこは年端の行かない少女のエリアのようだ。…まさか!?
「駄目よ、ミリア! 早く行きましょう!」
麻耶はとっさにミリアの手を引こうとして倒れそうになる。ミリアに実体がないので触れることができないのだ。しかし、そんな事も忘れてミリアを何とかこの場から離れさせようとさせる。もし麻耶の予想が当たっていたら…。
「テ、ティアちゃん…なの?」
牢の中を見つめ、恐る恐るミリアは問いかける。麻耶は意を決し、牢の中に目をやる。その瞬間
「うっ…」
一瞬胃の中からせり上がって来るのを感じ、思わず目を背けてしまう。そこにいたのはもはや人ではなかった。以前この部屋で見たものは人と言えないまでも、形は人間だった。しかし、そこにいたのはもはやそれでもない。舌は長く伸びており、骨が皮膚を貫き、触手のような物まである。こんなものは人とは言わない。ただの『化物』だ。
「ミリア、こんなのがティアちゃんな訳無いじゃない! きっと勘違いよ!」
必死にミリアに話しかけるが、ミリアは微動だにしない。何か気を引くものはないかと辺りを見渡すが、そこで麻耶は見てしまう。その牢にかかってるプレートを――――。
「ティア・ワイルダー…13歳…」
まるで生物の標本のように、名前と年、顔写真まで張ってある。そこにはあどけない笑顔の、まるで向日葵のような少女だった。そこから見える笑顔はきっと周りのものを幸せにする、そんな事を感じさせてくれたのだ。だからこそ麻耶は信じたくなかった。今自分の目の前にいる『化物』がこの少女である事を。
「行きましょう…」
ミリアはそう呟くとトコトコと歩いていってしまった。結果的にそこから離す事になったが、気のせいであったのだろうか?
「今ミリアの姿が変わったように見えたのよね…」
とにかく今はここにいても仕方ない。ミリアの後を追うように麻耶は部屋の奥に向かう。
「チルノ!」
最奥の牢にはまだチルノはいた。どうやら間に合ったようだ。
「お願い! 開いて!」
麻耶は祈るように鍵を鍵穴に入れ回す。どうやらビンゴだったようで牢はすんなり開いた。扉を思い切り開けてチルノの元に駆け寄る。脈などを取るが、脈自体は正常のようだ。息もしている。だが…。
「チルノしっかりしなさいよ! チルノ!」
必死に呼びかけるがチルノは目を覚まさない。あせる麻耶は思わず
「ねえ、チルノはどうしたの? どうしたら、目を覚ますのよ!」
とミリアに噛み付く。もちろんそれがお門違いである事は麻耶も承知している。しかし、今この場で頼れるのはミリアしかいないのだ。口惜しいが今の時点で麻耶にできる事は何も無いのは事実なのだから。
「それは…」
ミリアは徐にチルノの耳に何かを囁く。麻耶の耳には何を言ったのかは聞こえなかった。だが
「嘘!? どこ? どこ?」
突如チルノは目を覚まし、飛び起きたのだ。これには麻耶も目が点である。先ほど必死に語りかけても起きなかったのに、一体何故? WHY?
「ミリア、あなた一体何したの?」
どうしても気になって麻耶は問いかける。しかし
「ふふふ、今はそれよりも急ぎましょう。彼を早く止めないと」
確かに気になるが優先事項はそっちだ。無事にチルノと合流できたし、馬鹿も目覚めた。もうここに用は無い。
「そうね、行くわよチルノ!」
「う、うん…。でもどこに?」
麻耶たちは他に目をくれず、出口へと駆け出した。しかし、麻耶は後に後悔することになる。歯車はもう狂いだしていたのだから――――――