0-2 誰かの賛美
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0-2 誰かの賛美
ああ、貴女は素晴らしい。掛け値なしに素晴らしい――
何処かの誰かが一途に愛していた女性に贈った賛美の言葉。
貴女は美しい。貴女は綺麗だ。貴女は愛らしい。貴女は美麗だ。
結局は同じような言葉を繰り返しているだけというのにそれを言う人物と言われる人間が変われば数多の結果が見れるだろう。
あるものは素直に賞賛される。
あるものは謙遜する。
あるものはそれを侮辱と憤る。
あるものは激昂する。
賛美と言う物は総じて自身が美しいと、美麗だと感じたものを素直に賞賛できるものであると俺は考える。
有名所で言えばファウストがメフィストに贈ったものがある
――時よ止まれ お前は美しいから――
っと、たしかこんなフレーズの言葉だったような気がする。
え?確かではないのか?知らんよ。俺とて記憶は磨耗し劣化し風化していくのだから。
言ってしまえば記憶の断片からふと気になったそれっぽい言葉を羅列として語っているに過ぎない。
それはさておき、彼の美観が如何であったのか等は知らないし知る術など無い。
ただ彼にとって、それは、その刹那は何よりも美麗であったのだろう。
ん?ああ、唐突に話がそれた。侘びを一つ…と言いたいところだが、生憎此処では俺が一人で語っているだけなので遠慮していただこう。
――あの人は誰よりも綺麗だ。あの人は誰よりも頭がいい。
なんて典型的で有溢れた誰かを賞賛する言葉にくだらない、と感じる方々も多々居るだろう。
だがそれは真に己がそういう事柄に直面し経験していないから言えるものである。
テレビを見て少しばかり他人《その他大勢》より頭の良さや容姿が抜きん出て居る者に少なからず情景や嫉妬或いは無関心等。
あの人の様に美しくなりたい。あの人の様に賢く聡明な人になりたい。
そういった渇望を抱いた経験はあるだろう?
経験とはつまりは糧だ。
常日頃からそういった言葉を聞いて育ってきた方々ならば大まかに、なんとなく理解していただけるだろう。
例えば小学生だかそこいらの年齢等が一番意欲的だったのではないだろうか?
自らの知らぬ未知の物事を理解して既知として塗り替える。
周りが理解して胸を張って教師の質問に応える姿を見て、自身が無知であるのが嫌だから、周りに置いて行かれたくないから。
そんな子供染みた考えでひたすら教科書と睨めっこして、教師に質問し解答までの過程を辿り答えを得る。
当然、その解答に至るまでの過程を思考し繰り返す事になる。この経験の蓄積を、言うなれば経験値と呼ぶ。
…経験値と聞いて某ポケットに入るモンスターが思い浮かんだ方はもしかすると誰かさん《作者》と似たような年齢かも知れないな。
話が逸れたが、大雑把に言えば当たって砕けろと何処かの誰かも言っていた言を使わせてもらう。
失敗でも成功でも、自身が経験したことを次に活かせる様にすれば良いのだ。
その過程で経験する事柄はその時その刹那でしか得ることが出来ないものであり、何時の日か役に立つ事もあると思う。
まあ是非も無く普遍的に、世間的社会的に言わせて貰えば所詮結果論なのだ。
いくら経験を積んでも行動に移しても結果を出せなければ意味が無い。
此れが理不尽だというのであれば自分は其処までだったと思い込み立ち止まる方も多いだろう。
では何故立ち止まる?何故諦める?
そんなものは簡単だ。自分で自分の限界というものを決定付けているからだ。
ああ、自分はこれ以上は無理だと自分勝手に自虐に陥り泥沼にはまっていく悪循環。
助言者がいてその意見や考え方を参考に出来ればまた違うのだろうが、これも所詮もしも《IF》の可能性でしかない。
全員が全員同じ状況、同じ思考、同じ環境であるのは土台、無理な話であるのだから。
――さて長々と語ってなんだが、俺が語った事を律儀に鵜呑みにする必要など無いのだ。
俺とて人間なのだから間違いもあるし何より、これは俺の論理というのもオコガマシイ文字と言葉の羅列。
所詮は何処かの誰か、赤の他人の実にくだらない考え方なので宛てにするのはお門違いなのだ。
ああそうか、そういう考え方もあるのかと、飽く迄一個人の浅はかな思考である事をお忘れないように。
ん?口調が安定していないだって?
だから何度も言っているだろう?これは飽く迄言葉と文字の羅列だと、ね。
最後に、この様な下らぬ文字の羅列を最後までご覧になられた方々に深くお礼申し上げましょう。
因みに――まだ僅か二話で終わるということは無いので、続きが気になる方は暫しお待ちを――
0-2投稿。次話を書き次第投稿いたします。