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世界が眠る日、あるいは青い光の記憶

1. 静寂の国

風が、錆びついた鉄の匂いを運んでくる。

かつて数万の人人間がひしめき、栄華を誇ったという王都の跡地には、今や崩壊した石壁と、それを覆い尽くす名もなき白花しか残っていなかった。

怪物もいない。喧騒を好むドワーフもいない。それら全てを「寿命」という静かな波が攫っていった。

コツ、コツ、と、乾いた石畳に一つの足音が響く。

「誰も、いないわね」

呟いたのは、プラチナブロンドの長い髪を風に揺らす女性、レムリア。

そのサファイアブルーの瞳は、世界の終わりを映しているかのように冷徹で、そして深く、静かだった。

彼女は今年で1500歳になる。世界で最後のエルフであり、この世界で「生きている」唯一の存在だった。

彼女は、世界の死を悲しんではいない。ただ、季節が冬を迎えるように、世界が長い眠りについたのだと淡々と受け入れている。彼女の旅の目的は世界を救うことではない。かつてこの世界に満ち溢れていた『奇跡』の残骸を、看取るためだった。

2. 岩山の上の約束

レムリアには、一つだけ拠点にしている場所がある。

世界の中心近くにそびえ立つ、険しい岩山の頂上。そこに、不釣り合いなほど小さく、けれど頑丈な木造の小屋がぽつんと佇んでいた。

そこは彼女の生活の拠点であり、旅道具や、これまで回収してきた数々の不思議道具が眠る保管庫でもある。けれど、彼女はそこに「必ず帰る」とは決めていない。数ヶ月、時には数年も帰らないことすらある。

なぜなら、その小屋は彼女にとって『ただの家』ではなく、『彼が遺してくれた場所』だからだ。

小屋のテラスからは、死にゆく世界が一望できる。

その特等席には、主を失った一脚の木製車椅子と、小さな作業机が遺されていた。机の上には、オイルの染みついた古い工具と、書きかけの設計図。

レムリアは旅から戻るたび、その椅子にそっと触れる。そこだけは今も、微かに温かいような錯覚を覚える。

「ただいま、アレン」

その時だけ、1500歳の凍りついた瞳が、まるで恋する少女のように柔らかく、切なく揺れるのだった。

3. 天才魔道具製作師

アレン。

彼こそが、レムリアが1500年の生涯で唯一、魂の底から愛したエルフの男性だった。

アレンは、世界に数十人しかいなかった最高峰の『魔道具製作師』だった。手先が器用で、いつも指先を煤で黒くしながら、子供のように目を輝かせて新しい道具を作っていた。

世界から魔力が薄れ始めたあの日、人々は絶望した。だが、アレンの発明した独自の機構――少ない魔力を効率よく循環させるシステム――は、世界中の職人たちに模倣され、結果として世界全体の寿命を数百年も延ばすことになった。アレンは、世界をほんの少しだけ長く生き長らえさせた、天才だった。

けれど、そんな天才も、世界の衰退の波には逆らえない。

アレンはレムリアよりもずっと早く、魔力の枯渇と共に、静かに息を引き取った。

『レムリア。いつか僕がいなくなっても、僕の作った機構が、君の退屈を少しだけ紛らわせられたらいいな』

それが、彼の最期の言葉だった。

4. 旅の始まり

現在に意識を戻したレムリアは、王都の廃墟にある、崩れた時計塔の中へと足を踏み入れた。

ガレキを退けると、そこに古びた真鍮のランタンが転がっている。

レムリアはしゃがみ込み、ローブの裾が汚れるのも気にせずに、ランタンの泥を優しく拭った。そして、その底面のカバーを器用に外す。

「……あった」

暗い内部の心臓部。そこに、淡く、けれど確かな主張を持って輝く『六角形の青い魔力結晶ヘキサ・ルーン』があった。

チチチ……、チチチ……。

静寂の空間に、ガラスが微かに触れ合うような、愛おしい鈴の音が響き始める。それは、アレンが作った機構だけが奏でる、彼自身の呼吸のような駆動音。

「もう、こんなところに置き去りにされてたのね。可哀想に」

レムリアの口調から、先ほどまでの冷徹な大人の響きが消えていた。

まるで、大好きな人の忘れ物を見つけた時のように、少し拗ねた、けれど愛おしさに満ちた少女の声。

「大丈夫よ。私がちゃんと、直してあげるから」

彼女は慣れた手つきで、腰のポーチから小さなドライバーを取り出した。アレンに昔、何度も怒られながら教えてもらった、簡単な修理の技術。

世界はもう終わる。けれど、彼が遺した青い光は、今もこうして世界中で呼吸している。

レムリアはランタンを愛おしそうに抱きしめると、再び、誰もいない静かな廃墟の先へと歩き出すのだった。


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