第二十三話 襲撃
戻ると言われてから、少しだけ時間が経った。
レイランの昼は、まだ続いている。
店は開いているし、人も歩いている。
笑い声も、消えていない。
なのに、サラの胸の奥は、もう浮ついていなかった。
さっきまでは、楽しかった。
体が軽くて。
シェイラより人が多くて。
色も声も、全部がごちゃごちゃしていて。
(……ちょっと、わくわくしてたのに)
ママの手が、少し強い。
痛いわけじゃない。
でも、ぎゅっと指が絡んで、ほどけない。
サラは、息を浅く吸った。
(……黒獣の話、かな)
パパのことが、少しだけ頭をよぎる。
心配だけど……隼丸も一緒だ。
だから、きっと大丈夫。
そう思おうとした。
でも、落ち着かなかった。
通りに出ると、空気が少しだけ変わった気がした。
湿った土と、油と、焼けた匂い。
それに混じって、どこか冷たい、金属みたいな匂い。
人が増えている。
正確には、近くなっている。
肩が触れそうなのに、誰も目を見ない。
歩く速さは同じなのに、顔が硬い。
声だけが、似た調子で流れていく。
「……外だって」
「ほんとに?」
「詰所が動いたらしい」
はっきり言わない。
でも、同じ話ばかりが聞こえる。
(……いやだ)
怖い、とは違う。
でも、楽しくない。
サラは、思わず前を見た。
アオがいる。
すぐ前。
ママの腕越しに、背中が見える。
(……話したい)
本当は、今すぐ声をかけたかった。
仲直りできていない。
ちゃんと話せていない。
それなのに、こういうときだけ頼りたくなるのが、ずるいと思った。
サラは唇を噛んで、何も言わなかった。
歩いているうちに、まわりの動きが変わった。
気づいたら、横にいた人が減っている。
前も、後ろも、少し遠い。
ママの手が、さらに強くなる。
引っ張られているわけじゃない。
でも、離れちゃいけない気がした。
(……なんで、こっち?)
道が、変わっていた。
広い通りじゃない。
建物が近くて、壁が高い。
空が、細い。
さっきまで聞こえていた声が、遠くなる。
(……静か)
安心、とは思えなかった。
むしろ、音が減ったぶん、変な感じがした。
足音が、少し多い気がする。
後ろじゃない。
横でもない。
上。
屋根のほうで、小さな音がした。
石が転がったみたいな、軽い音。
(……気のせい?)
風が、うまく抜けない。
匂いが溜まって、濃くなる。
油。
湿った石。
それから――焦げた、魔石の匂い。
サラの喉が、きゅっと縮んだ。
(……いや)
理由は分からない。
でも、ここにいたくない。
アオを呼びたい。
でも声が出ない。
声を出したら、なにかが壊れる気がした。
歩いていた足が、止まる。
みんな、同じタイミングで止まった。
その止まり方が、なんだかおかしかった。
サラは、反射的にママの影に寄った。
そのとき――
乾いた音が、路地に弾けた。
一瞬、なにが起きたのか分からなかった。
でも次の瞬間、胸の前で白い光が散った。
当たった。
当たったのに、痛くない。
ママの服の下、薄い布の奥で、
なにかが衝撃を受け止めたみたいに光がはじけた。
息が止まる。
遅れて、もう一つ音。
今度は、壁の石が欠けて、粉が舞った。
耳が、じんと鳴る。
誰かの腕が、サラの前に来る。
ママが引かれる。
位置が、変わる。
なにが起きているのか、分からない。
ただ、その中で――
アオが、半歩だけ前に出たのが見えた。
守りの隊列を崩さない、半歩。
でも、確かに前。
サラは、アオの横顔を見た。
笑っていない。
泣いてもいない。
ただ、目だけが、いつもと違った。
路地の空気が、さらに冷たくなる。
そして――
もう一度、乾いた音が鳴った。




