運命の分かれ道
元々貧民街の地図はジェラルディーナの頭に入っていた。
何度となく出入りするうちに
「たちの悪い連中がたむろしやすい区画」
「人が立ち寄らない区画」
を認識していた。
一般市街地同様に貧民街も
「豚を放し飼いにして、道路に廃棄された生ゴミを処理させている」
ので普通に道端に豚がいるのだが。
豚小屋の辺りはくさいし、豚の糞尿が汚い。
誰も立ち寄らない。
なのでジェラルディーナは豚小屋へ出る路地裏へ向かい
小銭の詰まった袋を懐から出し
小銭を鷲掴みにして頭上へ投げた。
金をばら撒きながら路地裏へ向かったのだ。
追手が金を拾う間の時間を稼げる。
この手口は
「人殺しより金が好き」
な相手には有効だが
「金よりも人殺しが好き」
な相手には全く効かない。
(半数は釣れる筈だ)
と思い、逃走経路を迷いなく突っ走った。
普段から早足で歩いたり走ったりして体力も持久力もつけていた。
瞬発力や速度は大した事はないが…
その辺は金をばら撒いたり
豆を投げつけたりする事で相手の意識を一瞬逸らすのだ。
気配を経って、足音を立てずに走れば、大抵は逃げきれる。
そして実際、逃げきれた…。
ジェラルディーナは普段から不測の事態に備えて自分を鍛えていたが
(ほぼ父親による強制で)
その日はそうした普段からの鍛錬が役に立った日だった。
貧民街を無事に抜け出すと
(…ヴァレンティノとアリーチェはどうなったかな)
と気になったので
真っ先に支部に戻って
「貧民街で暴動が起きました」
と報告した。
(アリーチェを見捨てればヴァレンティノも活路は拓けた筈だけど…。どうなんだろう?)
ジェラルディーナは
「ヴァレンティノから『囮りになれ』と自己犠牲を命令されましたが従う必要性を感じませんでした」
とも報告していた。
心情的にも
「他人をかえりみず自分一人で逃げ出して正解だった」
と思った。
ヴァレンティノとアリーチェがジェラルディーナに対して親切で仲が良かったなら、自分一人で逃げ出す事に罪悪感を感じただろうが…
生憎と罪悪感を感じる程の親和性は無かった。
だが
(コスタ家からは「仲が悪かろうが、お前が犠牲になって二人を逃がすべきだった」などと悪意を向けられそうだ…)
と覚悟はしていた。
身勝手なダブルスタンダードな情緒主義者達。
そういった人達は何故か他人に対して
「お前は命をかけて自己犠牲して、私と私の大切な人間を守り優遇するべきだ」
と本気で思ってしまえるのだ。
前々から
(コスタ家はそういう人種なんじゃないのか?)
と疑ってはいた。
騎士団が出動して、翌日、人間の原型を留めていなかった肉塊の中から、ヴァレンティノとアリーチェの持ち物が発見されて以降…
ジェラルディーナがいつも座るベンチに小動物のバラバラ死体が置かれたり、通勤路に血がばら撒かれたりする事態が続いた。
ジェラルディーナの父、ライモンド・フラッテロは
「コスタ家と全面戦争する」
と言い出したが
本家からは
「刑吏一族同士の内ゲバはガストルディ侯爵派にとって都合が良すぎる。本部の人事権は財務省との癒着で成り立ってるし、財務省はフラティーニ侯爵が勤務している。
ジェラルディーナは本部への配置換えとする」
という通達が来た。
「貧民街で貧民から攻撃を受けても反撃せずに逃げるだけ」
なのと同様に、やはりその件でも逃げるだけだった。
その後ーー
「首都は人攫いが多く、犯罪も凶悪事件が多いと聞く。くれぐれも気をつけるんだ」
と何度も繰り返し注意を受けてジェラルディーナ自身も気をつけて首都へ出て来たものだったが…
ジェラルディーナは首都へ出て来て1ヶ月くらいで人攫いに遭い、ダレッシオの地下で半年も囚われる事になった。
ジェラルディーナが16歳の誕生日を地下牢で迎えたのはーー
ジェラルディーナ本人にとっても家族にとっても残念な出来事だった。
今世では、彼女は家族からちゃんと愛されているのだから…。
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ジェラルディーナは両親から大切に、それでいて厳しく育てられた。
ルーベンの言っていたように、父親のライモンドが早々に
「この子は既存社会の瘴気とは別の瘴気の影響を受けている。『転生者』なのだろう」
と気が付いていたのだと仮定すれば、家庭内環境の違和感の諸々が腑に落ちる。
ライモンドはリナルドには
「妹を護れ」
と言い
ロベルトにも
「姉を護れ」
と言い聞かせていた。それこそ何度も何度も。
「『転生者』は【強欲】の加護有り『転生者』に狙われる」
と知っていたからこそなのだろう。
ジェラルディーナにも
「自分で自分の身を護れるようになれ」
と言い、教育と訓練を課した。
それらが役立ってジェラルディーナは未だ生きている。
ジェラルディーナは実家で暮らしていた頃には
家族や従姉妹達とばかり関わっていて
赤の他人とはろくに関わっていなかった。
なのでヴァレンティノのような人間と組まされて妙に悪意を向けられ、初めは怒りよりも戸惑いが大きかった。
同じ時に特殊官吏採用試験を受かり同僚となったヴァレンティノとジェラルディーナだったが…
年齢差の分だけ優秀さの差もある。
(もしかしたらヴァレンティノは劣等感を感じたくないから、何かと私を貶めるような見方に固執しているんじゃないのかな?)
と思い当たるまでは
「何故よく知らない人間から一方的に嫌悪感を向けられてるんだろうか?」
と意味が分からなかった。
ヴァレンティノの脳内妄想では何故か
ジェラルディーナはヴァレンティノに気が有る事になっていて…
ヴァレンティノはそれを迷惑だと対外的に表明したがっていた。
(劣った人間が優れた人間を貶め嫌悪する事で優越感と嗜虐心を満たそうとしていた?のか?)
と解釈すれば、ヴァレンティノとアリーチェの言動にも辻褄が合う。
自分よりも優れた人間を卑しめて見立てるのも
「一人でやるより複数人でやった方が効果的」
である。
ヴァレンティノとアリーチェの場合はそれに性欲も合わさって更に当人達の欺瞞は深まっていった。
劣った人間のくせに
「劣等感を感じたくないから」
と自分よりも優れた人間を貶め嫌がらせ。
泣き寝入りさせる事で
「自分が優れた人間であるかのように優越感に浸る」
という欺瞞。
そういう欺瞞に耽る人間は少なくない。
(ああいう人達も、別に世間的には特殊じゃない。ああいう人間性の人達は普通に何処にでもいる。ヴァレンティノが異端審問官じゃなければ、ああいう平和ボケ欺瞞嗜虐趣味のクズでも長生きできたのかもね…)
と今更ながら思う。
ハァ〜ッとジェラルディーナの口から大きな溜息が漏れた。




