「神ではない」
ジェラルディーナが王立学院の学生のレベルの低さに呆れたのは何も
「成績優秀者の平民が社会の実情を理解できていない」
という事のみによるものではない。
平民から
「差別するな」
と言われた貴族の坊ちゃんの方も発想に不穏な点があるからだ…。
件の貴族坊ちゃんは、平民から突っかかられて
「確かに『神の御許では人間は平等』と言われているが、我々は神ではない」
と言い出した。
その時点でジェラルディーナは
(…この坊ちゃん、何?)
と不審者を見る目を向けた。
貴族坊ちゃんの主張する
「人類はアドリア文明・トゥーリア文明の頃から数えるなら実に4000年の歴史を持つし、これからも続いていく。
そして有史以来、人間が平等になった事はない。
ゆえに『格差は必然的に生じるものであり、身分制度は人類にとってなくてはならないものだ』と考える方が自然だと分かる。
なに、我々の人生などせいぜいが半世紀ほどだ。
人類の歴史・この世界の歴史と比べるなら瞬きする程の短い時間でしかない。
人生は短い。人類にとっての必然を否定してまで憎む必要のない貴族を憎むのは、『君自身の人生の無駄使いだ』とは思わないか?」
という言葉に、全く共感できない…。
平民学生が
「屁理屈を言うな!」
と怒ったが
(怒るのは尤もだ)
とジェラルディーナも思った。
『人間が平等になった事はない』のは真実ではある。
神を崇めるラスティマ圏では
「我々は神ではない」
という古代の賢人の言葉が名言もしくは迷言として語り継がれてもいる。
だが
「我々は神ではない」
という言葉の意味する所は
「既得権益層である貴族が努力も自己犠牲もせず既得権益層に居座り続ける事を正当化する」
ようなものではない。
「全知全能の神ではないから公平でもなく過ちも犯す」
という事実に対して
開き直るのではなく
「神に近づくべく可能な限りの改善を試みるから猶予が欲しい」
という意図が込められた賢人の言葉というのが元々の解釈である。
それが誤用され
「神様じゃないのだから不正の限りを尽くしながら民を搾取して虐げても良い」
という屁理屈へと、一部の派閥で意味が歪められるようになった。
そうした
「名言の迷言化」
は大抵何処の国の異端審問庁でも
「国内の和を乱す作用がある」
と認識されている。
要は
「異端思想」
である。
「何を以てして異端と見做すか?」
という基準自体が撹乱されれば
「国内の和を乱す作用がある」
異端思想がさも
「先進的知性的思想」
のように美化・歪曲される事にも繋がる。
リベラトーレ公国の異端審問庁がつつがなく機能していれば…
国内に内ゲバを生じさせる異端思想が野放しになる筈が無いのだが…
異端審問庁がガストルディ侯爵派に乗っ取られて以降
こういった思想の歪曲による人心分断と国内不和の火種は
とどまるところを知らず広がり続けている。
「神ではないのだから不正と悪事を働いても仕方ない」
「神ではないのだから不正と悪事を止めずに延々続けても良い」
と思う貴族達は
庶民側に対しては
「(神ではないのに)神技的忍耐を強要している」
のである。
そんな事態が野放しになっては
人心がまとまる筈もない。
立場の強い者達が
「神ではない」
という言葉を免罪符代わりにして公平性を放棄すると
社会は無駄に荒れる。
多くの一般人が勘違いしているが
「異端審問庁は神を後ろ盾として存在している」
のではない。
「異端審問庁は権天使を後ろ盾として存在している」
のだ。
教会権力が国家の独立性を否定して国境越えた信仰上のヒエラルキーを絶対視する権力ならば、異端審問庁は国家の独立性を支持する権力。
方向性は真逆とも言える。
異端審問庁は
「国家権力に身を置く教会権力の亜流」
なのである。
ハァァーッ
と精神的に疲労を感じたジェラルディーナの想いとは裏腹に
貴族坊ちゃんは
「…何故君のような平民はそんなに心が荒んでいるのだ。そんな風じゃ天国へは行けず、地獄へ落ちるぞ」
と平民学生を煽っている。
一見すると貴族坊ちゃんは品行方正。
好戦的な平民学生を平和的に諭してやってる風に見えなくもない。
(…何にでも限度や有効値があるんだよ…。既得権益層の貴族が「下剋上を企てる平民は地獄へ落ちるぞ」と脅すにしても、貴族側がノブレスオブリージュを持って自己犠牲的献身をしていない事には、そんな理屈はただの妄言だよ…)
とジェラルディーナは内心でツッコミを入れた。
まだ学生だから
物の道理を理解できていないのだろうけど…
(こういう貴族令息って、成長せずにずっとバカのままなんじゃないかって気がする…)
教師がしっかりしてれば
「社会奉仕も自己犠牲もしてない貴族令息が格差正当化するのは間違ってる」
と教えてやるのだろうが…
教師もバカなのかも知れない…。
(この国の未来は暗いな…)
と思っていると
図書室へ人が複数なだれ込んできた。
「えっ?何?喧嘩か?」
「またアイツか」
「いい加減退学になれば良いのに」
「退学になったらなったで『差別だ!』って逆恨みを拗らせるんじゃね?」
「んじゃ、死ねば良いのに」
どうやら野次馬のようだった。
平民の学生は随分と嫌われている。
この平民学生…。容姿的には生粋のリベラトーレ人に見えるが…
プライベートな交友関係で、他国の工作員と知らないうちに関わってしまっているのかも知れない。
「何でもかんでも『差別だ!』と喚き立てて国民同士の和を乱す内ゲバ決起人」
というのは
「自然発生する」
よりは
「敵性国の諜報工作によって思考誘導されて作られる」
方が確率が高い。
それこそ
「何でもかんでも『差別だ!』と喚き立てて国民同士の和を乱す内ゲバ決起人」
が在住国民に成りすましている異邦人だった場合には
「確信犯の内ゲバ扇動工作員」
である可能性もある。
(一応、アンジェロ様に報告しておいた方が良さそうな案件だよな)
と思い、ロベルトに喧嘩してる人達や野次馬の名前を訊いたが
「ごめん、知らない人達だ」
との事。
「情報通の友達に訊いておくから手紙で教えるよ」
「宜しく頼みます」
思わず事務的敬語になってジェラルディーナはロベルトに向かって頷き念押しした…。




