44.ヒロカ
高校に入学してギターを始めてから半年間、特に中学時代と何も変わらない毎日が続いていると感じていた。
何曲弾き語れるようになっても、十六歳になってみても、私の人生はそれまでと全く同じテンポで、拍子抜けするくらい起伏がなかった。
だというのにここ最近はいったいどうなっているんだろう。
あまりに濃密すぎて、今までの学生生活のイベントすべて合わせてみてもまだこの一ヶ月とつりあわない。
果たして、この後普通にギターを弾いて練習することができるだろうか?
腕に力が入らないし、指先なんか震えていた。
どうして告白は今日じゃなきゃいけなかったんだろう。
勝手な意見を言わせてもらうならば、文化祭までに彼女が欲しいなんて考えは、少し不純だと思う。
早くメイに会いたい。
メイの真っ直ぐな言葉を聞きたい。
それだけで何もかも癒されると信じられる私達の関係こそが、一番純粋で自然な繋がりなんだと確信する。
だから、それを優先した自分の選択に罪悪感なんか感じるなと自分に言い聞かせる。
私はスマホのロックを解除して、メールアプリを立ち上げた。
『高橋くんが、今日はステージの仕上げだから練習場所貸せないって言ってた!高架下に行く?あ、もし空いてたら楽器屋さんのスタジオ借りてみる?最終日の練習には丁度いいかも』
できるだけ意識して明るい文面になるようにして、メッセージを送った。
続いてブラウザを立ち上げ、ナカシマギターショップの貸しスタジオの予約ページを確認する。
Bスタジオなら三時から六時までは空いているようだ。
Aスタジオに較べて手狭なようだが、二人なら持て余すくらいだろう。
返事を待つ間、少しでもギターに触れておくことにした。
椅子に腰掛けてネックを握ると、少しだけ精神的に安定した気がする。
毎日繰り返してきた動作だけに、心も体も落ち着くのだろう。
何を弾くともなくコードをストロークしていると、ふと以前作った曲のことを思い出した。
「カノンコード」なんて別名が付くくらいの、ポップス音楽のテンプレートとも言えるコード進行。
素直な気持ちを乗せるには、やはり凝った構成の曲よりもこっちのほうがいい。
ハミングでメロディを思い出しながら奏でると、緊張していた気持ちがほっと和らいでいくのを感じる。
言葉にしきれない気持ちを形にすると、自分も自覚していなかった側面を見つけることがある。
何度も何度も、その曲を作った時に想っていたことを反芻するように弾き語る。
ワンコーラスしかなかった曲に、Cメロと最後のサビを作って付け足すことにした。
そこには、メイとキスしてから今この瞬間までの気持ちを込めたいと思った。
スマホを録音モードにして、数小節の短い部品フレーズを吹き込んでいく。
告白するメールの文面を書いては消してを繰り返しているような気持ちだった。
強い気持ちがあると、当然のように簡単にメロディが出来上がって行く。
ものの一時間で録音まで終わった。
出来上がった曲を初めから通して演奏する。
改善できそうなところも、弾いていて違和感にひっかかるところも全く無かった。
録音した音源を改めて聞き直してみる。
……この曲が、私がメイを想う気持ち。
自分で作ったくせに、そのまとまりの良さに感心してしまう。
好きなことをしている時間は短い。
気が付くと二時間近くが経っていて、メイの作業状況が気になり始めた頃、スマホがメールを受信した。
『ステージは使えないのかぁ。じゃあスタジオに行ってみようか。もう少ししたら抜けられると思うから、予約お願いできる?』
その文面だけでも強力な精神安定剤だった。
私は両手でスマホを包むようにして持って、すぐに返信した。
『オッケー!じゃあ予約取れるだけ取っちゃうね!もうすぐ入れる時間だから、先に行って練習してても良い?』
スタジオの内観写真に、私の胸くらいまでの高さがある巨大なアンプが写っていた。
大音量で思い切りギターをかき鳴らして、頭の中から余計なものを追い出してしまいたかった。
メイからの返信はすぐに来た。
『了解。できるだけ早く終わらせて合流するから。待っててね』
『Yes, Honey!』
ハートとキスマークをたっぷり付けて送る。
すぐに画面をブラウザに切り替えて、スタジオの予約フォームに必要事項を埋めて予約申請を出す。
すぐに自動返信で、予約完了通知が返って来た。
私は立ち上がり、ギターをケースに戻して肩に担いだ。
鞄を拾い上げ、空き教室を出る。
階段を駆け下りて、昇降口で靴を履き替える。
明日の来客用か、壁のあちこちに案内の貼り紙が貼られていた。
行き交う生徒たちはベニヤ板や、画材や、模造紙を抱えている。
お祭り前日の雰囲気というのは独特だ。
特に本格的な学園祭というものに参加するのは初めてなので、正直かなりわくわくしていた。
当日はバンドバトルのことで頭が一杯で文化祭自体を満喫することは難しいだろうから、準備中の空気くらいはしっかり楽しんでおきたいのだが……。
再優先すべきはやはり練習だ。
私はナカシマギターショップに向けて早足で歩き出した。
特設入場門が設けられた校門をくぐって、アーケード街へ。
時折、商店の窓や壁にも文化祭を告知するポスターを見かける。
麻生祭のスポンサーや協賛の立場にあるお店は意外と沢山ある。
そういえばナカシマギターショップの店長も明日の審査員らしい。麻生高の生徒はスタジオ代割引とかないだろうか……。
図々しいことを考えながらアーケードの下を歩いていると、あっという間に目的地に到着した。
時刻は二時五十五分。
少し早いが、問題無いだろう。
前回と同じく少し緊張しながら、店内に踏み込む。
今日のBGMはデレク・アンド・ザ・ドミノスだった。
エリック・クラプトンが好きなのだろうか?
レジの中で退屈そうにしていたアルバイトらしい金髪の青年に声をかけ、三時からスタジオの予約をしている旨を伝えた。
「こちらどうぞー」
気だるげな青年店員に促されるまま、店の奥に進む。
楽譜の陳列棚の間のやたらと重そうなドアを押し開いた先は、短い通路になっていた。
コンクリート打ちっぱなしの壁に防音らしい重厚そうなドアが二つ並んでいる。
店員さんは体重をかけてハンドルを下げ、Bと書かれた防音扉を開く。
六畳ほどの空間に、堂々たる姿で鎮座しているドラムセット。
壁際に大小四つのアンプが並べられた隙間に、マイクスタンドやシールドが置かれている。
「終わりましたら、電源だけ切って出てきて下さい」
非常に簡単な説明だけを終えて、店員さんは出て行ってしまった。
防音の空間に一人残される私。改めて見回してみる。
窓のないその部屋の閉塞感は独特だった。
ドラムの表面についた無数の傷跡やアンプの塗装の剥げが年季を感じさせるが、基本的に室内は清掃が行き届いていて、貸出用の備品も整然としていた。
壁には機材の使い方や注意事項が書かれた張り紙が何枚か貼られている。
カラフルな手書き文字で、とても分かりやすい。
いつまでも室内を眺めているわけにはいかないので、私は鞄を置き、ギターを取り出した。
八の字巻きにされているシールドを一本借りて、巨大なMarshallのアンプと私のエレアコのお尻を繋ぐ。
ボリュームをすべて0にしてから、恐る恐る電源を入れた。
少しずつマスターボリュームのつまみを上げていき、ちょうどいいと思う音量よりもやや大きめに設定する。
ベース、ミディアム、トレブルは均一に。
ゲインは、ディストーションを使わない私には関係ないと思うのでいじらないでおく。
他にも何に使うのかわからないつまみがいっぱいあったが、とりあえず私がいつも自分のアンプで出している音に似せるように設定をいじって、あとはマスターボリュームだけを調整することにした。
アンプから二、三歩離れて、試しに『Whatever』のイントロを弾いてみる。
音を発する面積が大きいためか、体全体にぶつかってくるような音だ。
前髪がビリビリ震える。
凄い。
自分のストロークがその巨大な音を生み出していることが信じられないほどの音量と迫力。
本番前に一度体験しておいてよかったかもしれない。
本番も、かなり大きなアンプが用意されると高橋くんに聞いていた。
大音量で弾いていると、なんとなくいつもより上手くなったような気がしてくる。
気持ちよくなって激しく弦をかき鳴らしていると、その内に物足りなくなってきた。
マイクスタンドを部屋の中央に引っ張りだしてみる。
先端のクリップにマイクを挟んで、ケーブルの先端がスタジオミキサーに繋がっていることを確認する。
アンプと同じように電源を入れてから音量を少しずつ上げる。
ギターの音量とバランスが取れるまで、微調整を繰り返す。
すべての準備が完了し、私はドキドキしながらマイクスタンドの前に立った。
弾き語りは久しぶりな気がした。
マイクスタンドを使うと、メイの前で『Whatever』を初披露した時を思い出す。
あの時より、上手に引き語れるようになっただろうか?
そういえば、『そばかす』はほとんど自分で歌ってみたことがない。
自分を試すような思いで歌い始めようとしたとき、ポケットでスマホが震える。
メイからのメールだった。
『もうスタジオに入ってる?ギターショップ、着いたよ』
いいタイミングだ。
どうせなら、メイに聞いてもらおう。
私はBスタジオに入ってくるように返信した。
ほどなくして、メイが防音扉を押し開いて入ってきた。
私は笑顔で出迎えながら、『そばかす』を弾き始める。
私がマイクスタンドに顔を寄せて歌い始めると、メイは鞄を床に下ろしながら少し驚いた顔をした。
でもすぐにいつもの笑顔を浮かべて、備品の中からタンバリンを拾い上げ、アドリブのリズムで振る。
私が視線で、「聞いててくれる?」と問いかけると、「もちろん」と返事が返ってくる。
メイのように表情豊かな歌唱はさすがに無理なので、ただひたすら元気に、力一杯歌う。
切ないはずの心境を振り切って、明るいメロディで歌うこの曲が、今の私の気持ちとリンクしていくのを感じた。
凄く良い曲だと思っていたけど、心情によって楽しげにも、切なげにもなる要因を持っていることを実感した。
ワンコーラス歌い終えて、私は覚悟を決めながらメイの顔を見た。
いつの間にかタンバリンは止まっていて、彼女は心配そうな顔で私を見つめていた。
「ヒロカ……」
「あはは、やっぱり、メイにはバレちゃうよね。ごめんね、前日にこんなんで」
「何か、あったの?」
メイは私に歩み寄って、ギターのネックを必要以上に強く握りしめていた左手を放させて、両手で包んでくれた。
防音の個室内にアンプのノイズだけが微かに聞こえる。
「……高橋くんにね、告白された」
メイの手がピクリと震える。
その顔を直視できなくて、私はエレアコのペグの辺りに視線を彷徨わせていた。
「それがね、笑っちゃうんだよ。全然似合わない凄く真面目な顔で好きだって言ってきたのに、聞いたら文化祭までに彼女が欲しいからみたいな事も言ってて、もーわけわかんなくて」
「ヒロカ、何て返事したの?」
「すぐ断ったよ!だって……」
メイのことが好きだから。
高橋くんには悪いけど、私の気持ちは揺れたりなんかしない。
メイよりも大切な人なんて、これから先見つかるはずもない。
そうはっきり分かっていて、それでもこんなに動揺してしまうのが情けなくて、メイに申し訳なかった。
その理由を考えだすと膝や指先が震えて、めまいさえしてくる。
罪悪感に押しつぶされそうになっているだけだと思いたい。
言葉にするのが難しい気持ちは、メイの目を見れば伝わる。
そう思って、私は目の前にいるメイと視線を合わせる。
深い眉間の皺が少しずつ目立たなくなっていって、ほんの数秒でその表情は微笑みに変わった。
「……そっか」
メイの左手が、私の頬に触れる。
すこしひんやりとした、指の長い手の感触。
私が数時間前に流した涙の跡をなぞるように、優しい手付きで撫でる。
「ごめん……。こんな風になるの、私、嫌なのに……。私は、メイだけいてくれたらそれでいいのに……」
人差し指が、唇に触れる。
少し目を細めたメイの笑みはいつもより大人びていて、まるで小さな子どもをあやしているかのようだ。
「今日は、私からおまじない」
え?と声を上げる暇もなく、私の唇が塞がれる。
私はバランスを崩して、後ろのアンプに寄りかかる。
メイの手がMarshallのロゴに重なる。
繋ぎっぱなしのギターがハウリングを起こして、甲高いキーンという音がスタジオと私の頭の中を満たした。
不快なはずの高周波音に包まれながら、私たちはいつもより少し激しいキスをした。
お互いどうするのが正解なんてわからないから、辿々しく探りあうような接触だった。
侵入と迎撃、後退と追撃、何度も攻守交代していると、普段のじゃれ合いとやっていることが同じだと気づいた。
十数秒そうしていて、離れようとするメイの気配を感じて、私は強めに下唇に吸い付く。
しょうがないなと言いたげに、首の角度を変えて改めて唇をぶつけてくるメイ。
その手がサウンドホールの上の弦をミュートして、ハウリングが止まる。
いままで聞こえなかった、お互いを貪ろうとする音が室内に響く。
メイの手が私の腕を導いて、私の肩にかかったストラップを外しにかかる。
目を閉じたままなのに、絡まり合う私たちの間からギターを器用に抜き出して、隣のアンプに立てかけた。
下着を脱がされたみたいで、何故か猛烈に恥ずかしくなった。
頬に触れていた手のひらが、私の髪の中に潜り込む。
頭を撫で、髪を指に絡ませ、耳たぶや首筋を指先でくすぐり、思いつくままに弄る。
私はメイの制服の裾を両手で握りしめたまま、されるがままでいる。
ドラマや漫画のキスシーンでもたまに妙に情熱的なものがあるけど、見るのとするのとではまるで別次元の出来事だ。
頭の中が相手でいっぱいになっているのに、もっともっとと欲しがる気持ちは一向に収まらない。
もしメイが理性のブレーキをかけてくれたなかったら何をしでかしていたか、想像すると怖い。
「ちゃんと、効いた?」
私が恍惚として、抜け殻のようになってから、メイはゆっくりと唇を離した。
そのまま私の背中に腕を回して、ふんわり抱きしめてくれる。
私はメイの胸に顔を埋めて、一回はっきりと頷いた。
効いたなんてもんじゃない。もう、メイ以外のことは考えられないし、どうでもいい。
落ち込んでいた自分はなんだったんだろうと不思議になるくらい、全ての余計な物が頭の中から押し出されていた。
メイの腕の中に収まって、もうずっとこのままでいたいと願う。
心も体も全て、この人に独占してほしい。
私個人の欲求や感情は全部無視してもいいから、肌身離さず、愛用の腕時計や指輪のように、身につけていてほしいと思う。
メイにそういう習慣がなくてよかった。
下手したらアクセサリーに嫉妬することになっていたかもしれない。
こんな不思議な感覚と欲求、きっと誰にも共感はしてもらえないだろうけど、メイだけに理解してほしい、叶えてほしい。
「ねぇ、メイ?」
「ん?」
私はメイの胸元から顔を上げて、上目遣いに彼女の顔を見つめる。
なぁに?と優しく言葉を促すように小首をかしげるメイ。
きゅんと胸が締め付けられる。
好きだと言いたい。
でも、きっと何度言葉にしても足りないと感じてしまう。
それに、ちゃんと言葉にして気持ちを伝えるのは、明日の文化祭が終わった後と決めていた。
でも、どうにかしてこの気持ちを表に出さないと、胸が破裂してしまいそうだった。
「あのね、聞いて欲しい曲があるの」
「ヒロカが作った曲?」
「うん。メイのこと考えて作ったの」
私の語彙力じゃとても言葉にしきれない想いを、きっとメイなら感じ取ってくれると思った。
「聞かせて」
私の両肩に手をおいて、ゆっくりと体を離すメイ。
私は背伸びをして、もう一度短いキスをしてから、ギターを拾い上げ、改めてストラップを肩にかけた。
ドラムセットに備え付けられている黒い丸椅子をマイクスタンドの前に移動させて、メイはそこに腰掛けた。
背筋を伸ばして、私が演奏を始めるのを待つ。
私はギターを構えて、もう一度マイクの前に立った。
左手はもう震えていない。
前奏はサビの部分のコードをアルペジオで弾いて、数日前に出来上がったばかりの歌詞のないメロディを、ラララで歌い始めた。
……何故か、メイと初めて会った時のことを思い出した。
随分昔のことのように思えるのはどうしてだろう。
歌いながら、この一ヶ月前後の記憶を思い返していく。
休日の職員室。
初めて見た長い黒髪の少女。
ただただ綺麗で見とれた姿が、今は私の目の前にある。
学年集会で、たった一人で立ち上がって私のために声を上げてくれた勇姿。
本当に王子様みたいで輝いて見えるくらいかっこよかった。
私はその時から、もうメイのことが気になっていたんだと思う。
メイに聴かせるために、何度も何度も同じ曲を練習し続けて、夢中になってギターを弾いた毎日。
あんなに一生懸命になったのは、今にして思えば生まれて初めてだったと思う。
カラオケで初めてメイの声を聞いて、初めて私のギターに合わせて歌ってもらった。
狭い個室の熱気を今でもはっきりと思い出せる。
一緒に練習した夕方の音楽室。
歌うメイの黒髪を夕日がキラキラと照らして、まるで映画を見てるみたいだった。
うっとり見とれながらも、もっといい声を聞きたくて、もっといい表情を見たくて、一心不乱にコードをストロークした。
二人で晴れた日の商店街を歩いて、衣装を選んだり、クレープを食べたり、最高に楽しい初デートだった。
伴奏のアレンジに頭を悩ませたこと、アルペジオの練習をひたすら繰り返したこと、何度も動画を見てハモリパートを歌えるようになったこと。
どれもまったく苦だとは思わなかった。頑張っただけメイの声を引き立てることができると分かっていたから。
一緒に学校をサボったりもした。
二人きりのホテルの部屋で、内緒でいろんなことを話して、そして、初めてキスをした。
好きな人と気持ちが通じ合うことが、こんなにも幸せなことなんだと知ることが出来た。
……メイと過ごした色々なことが、メロディのあちこちに散りばめられている。
そして、これからもまだまだ、私達の時間が続いていくという余韻を残しながら、私はその曲を歌い終えた。
私は、ふうと一つ短い息を吐いてから、メイの方を見やった。
メイは、穏やかに微笑んで、私を真っ直ぐに見つめていてくれた。
ゆっくりと拍手をくれる。
「困ったなぁ。前日だから本番の曲を練習したいのに、こんなの聞かされたらこっちの曲に歌詞をつけて、歌ってみたくなっちゃう」
目を閉じて、余韻を噛みしめるような表情をするメイ。
「ごめんね、でも、どうしても今聞いて欲しくて」
私は、胸の中身をすっかり吐き出したような、すっきりした気分だった。
メイの少し照れた笑顔が、私の思いがちゃんと伝わっていることを教えてくれた。
「……ありがとう」
ぼそりと、でも心からの感謝を込めて、メイは応えてくれた。
少し頬が赤い。
はにかむようにしながらも、その顔は幸せだと言ってくれているように見えた。
まるで告白が実ったかのような充足感だった。
「この曲、私に歌詞をつけさせてね」
照れ隠しなのか、勢い良く椅子から立ち上がってメイは宣言するように言った。
私はもちろん大きく頷く。
きっと、私が伝えた気持ちに対する返事がそこに書かれるんだろう。楽しみだ。
「あ、今の演奏、録音しておけばよかった」
演奏の前に気づかなかった自分を責めるように顔を顰めるメイ。
「後でもう一回弾くよ。スマホ繋いで、演奏と声が一緒に録音できるようにしておくから、今日の練習も全部録っておこうよ」
「……ヒロカ、任せるね。あとで私のスマホでも聞けるようにして」
「はいはい」
私は壁の張り紙に書いてある録音手順に従い、コンソールとスマホをピンジャックのケーブルで繋いだ。
録音アプリを立ち上げて、赤いRECボタンをタップする。
「じゃあ、時間もあるし」
「そうだね。始めようか」
メイは軽い咳払いと深呼吸をして、大きく伸びをする。
私はマイクの前を開けて、メイの左斜め後ろに回った。
メイの横顔が見えるか見えないかの角度。
やっぱりここが一番落ち着く位置だった。
メイの背中が、私の前奏を待っている。
今日も、この時間が始まるんだ。
私が私で居られる時間。
大切な人と、二人きりで音楽を紡ぐ瞬間。
私はゆっくりと右手を振り上げて、メイとの出会いのきっかけになったその曲を奏で始める。
数え切れないほど繰り返した、『Whatever』のイントロ。
もう、視線を交わす必要もなかった。
アンプから飛び出す和音が、私からメイへのリクエストを伝える。
『今日も、夢中にさせてね』
高めにセットしたマイクを力強く握るメイの仕草が、私に答える。
『任せて。惚れ直させてあげる』




