第029話 シャルロッタ、誇りを選ぶ
シャルロッタは、秀直の名を使わなかった。
使えば、早い。
光の英雄が望んだ調査です。
秀直様の判断です。
そう言えば、相手は一度ひるむかもしれない。
けれど、それでは現実側に残った意味がなくなる。
夢の中へ入った秀直たちを守るために、こちら側に残った。
ならば、こちら側の判断は、こちら側の名で立てなければならない。
「調査は中止すべきです」
神官団護衛の一人が言った。
声は固い。
剣の柄に手をかけてはいないが、いつでも動ける位置に立っている。
「夢接触が予定時刻を超えています。光の英雄本人は夢内にあり、確認が取れません。外部者であるあなたに判断権はありません」
「予定時刻は超えていません」
シャルロッタは即答した。
感情を乗せない。
相手の不安へ、不安で返さない。
彼女は事前合意書を開く。
「浅層接触の上限は、呼吸周期三十六回。現在は二十七回目です。調圧値は緑域。地温上昇は許容範囲内。帰還線はクリスティーナが維持しています」
クリスティーナが祭壇脇で頷く。
「帰還線、保持。師匠側の反応は不安定ですが、切断ではありません」
ソフィアは白い谷の出口に立っている。
「避難路は二本とも確保しています。地面の呼吸は速くなっていますが、撤退基準までは上がっていません」
シャルロッタは二人の報告を、自分の補助として扱わなかった。
「現実側判断は三系統です。帰還線はクリスティーナ。避難路と地形変化はソフィア。合意書と撤退判断は私。いずれも事前に承認されています」
護衛の表情が曇る。
彼はシャルロッタを見た。
「あなたは貴族令嬢でしょう。守られるべき立場の方が、危険判断を担うべきではありません」
その言葉には、侮りだけではなかった。
本当にそう信じている響きがある。
守るべきだ。
傷つけてはならない。
だから下がれ。
善意が混じっているぶん、面倒だった。
「守られる立場であることと、判断できない立場であることは違います」
シャルロッタは言った。
「私は仲間に守られています。秀直にも、クリスティーナにも、ソフィアにも。だからといって、私の判断が誰かの所有物になるわけではありません」
護衛は言葉を探した。
「しかし、責任は」
「責任の話をしましょう」
シャルロッタは合意書の該当箇所を示した。
「強制中断時の危険値。夢接触中に外部から帰還線を切断した場合、夢内記録と現実記録の同期が乱れる可能性あり。対象者の意識混濁、記録層の逆流、地温急変を誘発する恐れあり」
護衛の顔が強ばる。
「それは、推定です」
「はい。だからこそ、事前に中止基準を数値で定めました。現在、その基準には達していません」
ミラの副官が横から口を挟む。
「ですが、竜皇伝承の誤りが」
そこで彼は言葉を止めた。
言ってしまった、という顔だった。
秀直を守るため。
そう言っていたはずの中に、別の恐怖が混じっていたことが、石の上に落ちた。
シャルロッタは責めなかった。
「伝承の誤りが確定することを恐れているのですね」
副官は黙る。
「その恐れは、記録します。ですが、調査中止の理由にするなら、責任者名が必要です。今この場で強制中断を命じる方は、どなたですか」
護衛たちが互いを見る。
誰も名乗らない。
危険だと言うことはできる。
守るためだと言うこともできる。
だが、条件を満たしていない中断で何かが起きた時、自分の名を残す者はいない。
シャルロッタは勝ち誇らなかった。
勝ち誇れば、相手を敵にしてしまう。
ここで必要なのは、相手を黙らせることではない。
勝手に止められない状態を作ることだ。
「撤退判断は、数値が基準を超えた時に私が出します」
彼女ははっきり言った。
「その判断には、私の名を残します」
クリスティーナの手が、帰還線の上で止まらず動き続けている。
ソフィアは出口から目を離さない。
二人とも、シャルロッタの影ではない。
それぞれの場所で、必要な判断をしている。
その事実が、シャルロッタの背を支えていた。
夢の水面の向こうで、秀直がこちらを見た気がした。
正確には、見えていない。
ただ、帰還線を通じて、彼の焦りが一度強くなり、すぐに落ち着いた。
遠くで、彼の声が揺れる。
「シャルロッタ」
こちらへ戻ろうとする気配。
シャルロッタは帰還線に触れず、声だけを置いた。
「進んでください。こちらは、こちらで保ちます」
その言葉は、夢の水面に橋のように浮かんだ。
秀直たちの足元が一瞬だけ安定する。
彼女が守っているから、彼らは夢の奥へ進める。
守られることと、守ることは、反対ではない。
同じ関係の中で、向きが変わるだけだ。
神官団護衛は、なおも不安げに夢の水面を見ている。
シャルロッタはその不安も記録させた。
「現実側記録。護衛側は危険増大と伝承不安を理由に中止を要求。基準値未達のため強制中断せず。公開は保留。護衛個人を責める材料として使用しない」
副官が驚いたように彼女を見る。
「責めないのですか」
「恐れたことは罪ではありません」
シャルロッタは答えた。
「恐れを隠して、別の名目で他者の判断を奪うなら、記録する必要があります」
白い谷の地温が一度だけ跳ねた。
ソフィアが即座に言う。
「まだ基準内。でも、上がっています」
「確認しました」
クリスティーナが帰還線を調整する。
「師匠側、継続可能。ただし長くはありません」
「夢内へ送ります」
シャルロッタは短く息を吸った。
「残り九周期。そこを越えたら、私が撤退を宣言します」
夢の奥から、竜皇の声が届いた。
境を置いた。
それだけだった。
称賛ではない。
正しさの認定でもない。
境界を置いたという、事実の確認。
シャルロッタはそれで十分だと思った。
自分の誇りは、誰かに褒められて成立するものではない。
秀直に守られる自分もいる。
秀直を守る自分もいる。
そのどちらも否定しない。
ただ、今この場の境界は、自分の名で引く。
夢の奥で呼吸が乱れた。
声なき記録が泡立つ。
ティアナの息が、帰還線越しに細く震えた。
歌えば鎮まるのではない。
歌わなければ、潰れる声がある。
その気配が、白い谷全体へ広がっていった。
少しでも続きが気になったら、ブックマーク・評価・いいねで応援していただけると励みになります。




