第018話 古代炉の封鎖区域
管理所は、封鎖扉から少し離れた岩壁の中にあった。
建物というより、火山そのものを削って作った空洞だ。壁には黒い石板が何枚も埋め込まれ、赤い線が脈のように走っている。線は常に光っているわけではない。山が息をするたび、遅れて明滅する。
その呼吸も、七つ目だけ欠けた。
シャルロッタは、最初にそれを見た。
ただし、口に出さなかった。
ここで言うべきことは、異常の断定ではない。
相手が守ってきたものを、壊さずに聞き出す手順だった。
ヴォルケンは管理所の中央に立ち、石板の一枚へ手を触れた。
細い文字が浮かぶ。
「封鎖区域規則。外部者の立入りを禁ずる。記録装置の持込みを禁ずる。未登録神器の持込みを禁ずる。歌唱術、祈祷術、共鳴術の使用を禁ずる」
彼はそこで視線を上げた。
「すべて、あなた方に当てはまる」
フレアが舌打ちを飲み込んだ。
ティアナは自分の口元を押さえたまま、まだ少し青い顔をしている。扉が鼻歌へ反応したことを、誰より本人が怖がっていた。
秀直は端末を閉じている。
閉じていても、完全に停止しているわけではない。記録層だけは動いているはずだ。シャルロッタはそこを責めなかった。
記録を止めることと、公開を止めることは違う。
その違いを、今から交渉の条件にしなければならない。
「規則の撤廃を求めるつもりはありません」
シャルロッタは言った。
ヴォルケンの眉が、わずかに動く。
「では帰るか」
「いいえ。規則が何を守るためのものか、一項目ずつ確認させてください。守る対象が明確なら、その範囲を越えない条件を作れます」
「条件を作れば、封鎖を破っていいと?」
「破るためではありません。あなたが責任を負える形で、最低限の調査を許可できるかを確認するためです」
言い負かすための声ではない。
シャルロッタは、そう自分に命じた。
外交や宮廷の場なら、相手の矛盾を突くやり方もある。けれど、ここでそれをすれば、ヴォルケンは扉を閉ざすだけだ。
彼は隠しているのではない。
守っている。
少なくとも、本人はそのつもりでいる。
「外部者を禁じる理由は?」
「地形を知らない者は、熱の逃げ道を塞ぐ。足場を踏み抜けば、調圧路へ落ちる」
「危険区域への無理解による事故防止ですね。では、同行する火神官の指示から離れないこと、単独行動をしないこと、立入範囲を外環に限ることを条件にできます」
ヴォルケンは答えない。
否定もしない。
シャルロッタは続けた。
「記録装置を禁じる理由は?」
「熱暴走ではない」
先回りするように、ヴォルケンは言った。
「装置が壊れるだけなら、禁止するほどではない。問題は、記録が外へ出ることだ」
ミリアムが顔を上げた。
「過去に、古代記録が流出したのですね」
ヴォルケンの目が鋭くなる。
「内容を聞くな」
「聞きません。いま確認したいのは、禁止理由が機材事故ではなく、文脈を失った記録の流通にあるという点です」
ミリアムはすぐに言い換えた。
シャルロッタは頷く。
「なら、原記録の扱いを条件化できます。記録を即時公開しない。複製者を明記する。神官側にも同一複製を提出する。公開判断は保留し、あなた方の確認を経る」
「確認を経た後で、英雄の都合のいい物語にするのではないか」
その言葉には、秀直の方へ向けられた棘があった。
秀直は否定しなかった。
少しだけ息を吐き、端末を開く。
コメント欄は畳まれているが、外の配信はまだ救助情報として生きていた。
「ここで生配信を止めます」
彼が言うと、クリスティーナが驚いたように振り向いた。
「師匠」
「調査中断じゃない。公開の自動化を止める」
秀直は画面に指を滑らせた。
配信画面へ、短い告知文が出る。
封鎖区域内の調査に入るため、生配信は一時停止します。
避難情報と救助情報は火神官側の確認を経て継続掲示します。
調査記録は事故検証用に非公開で保存し、公開可否は後日判断します。
コメント欄が一瞬だけ開いた。
『隠すのか』
『ここから面白いところだろ』
『英雄の判断なら見せて』
『竜どうなった』
秀直は、その反応を見た。
見てから、閉じた。
「見たい気持ちはわかる。俺も、見せることで進めてきた」
彼は配信に向けて言った。
「でも、今ここにあるのは、誰かの生活圏で、誰かが守ってきた封鎖区で、苦しんでいる竜の体です。見世物にする権利はありません。救助情報は残します。調査記録は残します。だけど、生のまま流しません」
画面の光が落ちた。
管理所の中に、火山の低い音だけが戻る。
ヴォルケンは秀直を見ていた。
「配信者が、自分で配信を止めるのか」
「記録者でいることと、生配信者でいることは同じじゃない」
秀直の声は静かだった。
「やっと、そう分けられるようになってきたところです」
クリスティーナが、少しだけ誇らしそうに唇を引き結ぶ。
弟子は師を褒めない。
ただ、手順表を開いた。
「原記録は師匠の端末内。暗号封印をかけます。複製はミリアムさん、神官側、私の三者で照合。公開版は作成しません。事故が起きた場合のみ、原因検証用として開封条件を記録します」
「あなたは何者だ」
ヴォルケンが問う。
「弟子です」
クリスティーナは即答した。
「師匠が勢いで世界を相手にしないよう、手順で止める係です」
「強いな、うちの弟子」
秀直が小さく言う。
「今は黙っていてください」
「はい」
フレアが、ほんの少し笑った。
緊張の中で、その笑いはすぐに消えたが、場の熱がわずかに下がった。
シャルロッタは次へ進む。
「未登録神器について。七環錫杖は封鎖を開ける鍵ではありません。少なくとも、私たちはそう扱いません。共鳴値の観測以外に使わない。扉、炉心、調圧装置へ接触させない。異常反応が出たら即時退避」
「神器が勝手に鳴った場合は」
「ミリアムが記録し、秀直が保持者として距離を取る。必要なら外へ出します」
秀直が頷いた。
「俺が持って近づかない方がいいなら、そうする」
ヴォルケンは次にティアナを見た。
「歌唱術は」
ティアナの肩が揺れる。
「歌いません、と言った方が安心ですか」
「言えるのか」
ヴォルケンの問いは厳しい。
ティアナは少し黙り、首を横へ振った。
「さっき、無意識に息が出ました。歌わないと約束しても、苦しんでいる竜を見たら、また反応するかもしれません」
フレアが彼女を見る。
責める目ではなかった。
ティアナは続ける。
「だから、約束を変えさせてください。歌唱開始は、フレアさんとヴォルケンさん、双方の許可がある時だけ。無意識に音が出そうになったら、誰かに止めてもらいます」
「止める側に、俺も入れてくれ」
秀直が言う。
「ティアナを責めるためじゃない。条件を守るために」
「お願いします」
ティアナは小さく頭を下げた。
ヴォルケンはすぐには答えなかった。
彼はフレアを見た。
フレアは腕を組んでいる。
「私は不十分だと思う」
「フレア」
「でも、何もしないよりはまし。竜の呼吸は待ってくれない。外環だけでも、異常の位置がわかるなら意味がある」
ヴォルケンの顔に、疲れが滲んだ。
反対しているだけの人間なら、ここで切り捨てればいい。
だが、彼はずっと判断を背負ってきた顔をしていた。
シャルロッタは、最後の条件をまとめる。
「限定調査案です」
彼女は石板の空いた面へ、項目を映してもらった。
「一、立入りは外環まで。炉心へ触れない。二、封鎖扉を開放状態で固定しない。三、記録は非公開原本と同一複製のみ。公開判断は保留。四、七環錫杖は観測補助に限定し、装置へ接触させない。五、歌唱開始はフレア、ヴォルケン双方の許可制。六、異常値が出た場合、火神官側の指示で即時退避。七、調査目的は原因断定ではなく、湖の異常と火山の異常が関連するかの検証」
そこでヴォルケンが口を挟んだ。
「目的はそれだけか」
管理所の熱が、また一段上がった気がした。
彼の視線は秀直へ向いている。
「あなたは、何を探している」
シャルロッタは答えなかった。
ここは秀直が答えるべき場所だ。
秀直は端末を見た。
湖で見た黒い街。
月の紋章。
銀白の髪。
そして、自分の中だけにある弟の名前。
それをここで言えば、交渉は歪む。
火山の封鎖区は、弟を探すための道具ではない。
竜の苦痛も、集落の危機も、誰かの希望の材料ではない。
「湖で、届くはずのない記録を見ました」
秀直は言った。
「その記録と、ここの熱欠落に似た部分がある。俺が知りたいのは、同じ異常なのか、違う異常なのか。記録して、検証して、誤魔化さないことです」
「個人的な目的はないと?」
「あります」
秀直は逃げなかった。
「でも、それを調査許可の理由にはしません」
ヴォルケンは黙った。
長い沈黙だった。
山の呼吸が、管理所の石壁を揺らす。
七つ目が欠ける。
ティアナが唇を結ぶ。
フレアが扉の方を見る。
やがて、ヴォルケンは石板へ鍵札を当てた。
「外環のみ、一度だけ許可する」
フレアがすぐに言う。
「一度だけじゃ足りない」
「最初の合意を守りましょう」
シャルロッタは、穏やかに止めた。
「足りないと証明するためにも、まず合意した範囲を守る必要があります。ここで条件を破れば、次の扉は開きません」
フレアは不満そうに息を吐いた。
けれど、反論はしなかった。
「わかった。外環で、竜道の圧を見る」
ヴォルケンは管理所の奥へ続く通路を開いた。
赤い光が床に細く伸びる。
「古代炉の内部では、コメント表示を切れ。声も必要最低限にしろ。壁へ触れるな。扉の脈に合わせて歩くな」
「扉の脈に合わせて歩くな、ですか」
ミリアムが記録する。
「意味は後で説明する」
「説明できる範囲で構いません」
ヴォルケンは少しだけ目を細めた。
ミリアムのその言い方が、彼の警戒を少し緩めたのかもしれない。
外環へ入る直前、秀直は端末をもう一度確認した。
生配信は止まっている。
非公開原記録は動いている。
公開されない記録にも、意味はある。
むしろ、公開されないから守れるものがある。
その当たり前のことを、彼はようやく自分の手で選んだ。
シャルロッタは、それを横目で見てから前を向く。
外環の空気は、管理所よりさらに重かった。
熱が肺の内側を撫でる。
壁の赤い線が、一、二、三、と脈打つ。
四。
五。
六。
七つ目が、消えた。
その瞬間、床下の竜道から圧が抜けた。
空気が落ちる。
耳の奥が痛む。
フレアが弾かれたように走り出した。
「一頭、呼吸が止まりかけてる」
合意したばかりの外環が、すぐに試される場所になった。
少しでも続きが気になったら、ブックマーク・評価・いいねで応援していただけると励みになります。




