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【連載版・完結済】婚約破棄&追放された悪役令嬢、辺境村でまったり錬金術生活(元勇者家政夫&その娘の女児付き)  作者: シルク
二部 追放令嬢と雲雀館を巡る騒動と追放勇者家政夫

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51/51

番外編 初キス

二人の初キスを丁寧に書きました。

番外編をお楽しみ下さい!

 ココを幼稚園に送り届けた帰り道。


 私は、いつもより少しだけそわそわしていた。


「アンジュ、どうした」


 隣を歩くユースティスが、すぐに気づいて声をかけてくる。


「別に。何も」

「何もない顔ではない」

「……ユースティスって、そういうところ鋭すぎない?」

「毎日見ているからな」


 さらりと言われて、胸が跳ねた。


 婚約してからというもの、ユースティスは時々、こういうことを平然と言う。

 本人はまったく意識していないのかもしれない。

 でも、言われた私はいちいち動揺してしまう。


 私たちは婚約した。

 雲雀館は正式に私の家になり、ユースティスとココにとっても帰る場所になった。


 それなのに、日々の暮らしは大きくは変わっていない。

 ユースティスは朝食を作り、ココは幼稚園へ行き、私は工房で錬金術をする。

 夜には三人で同じ食卓を囲む。


 変わらない。

 でも、確かに変わった。


 ユースティスと目が合うだけで、胸の奥が甘く疼く。

 彼が私のためにお茶を淹れてくれるだけで、頬が熱くなる。

 同じ家にいるのに、前より近くて、前より遠いような、妙な距離感だった。


 だから、今日は。


「その……せっかくココを幼稚園に送ったし」

「ああ」

「午前中、少し時間があるでしょう?」

「そうだな」

「だから……風待ち辻まで行かない?」


 私がそう言うと、ユースティスは少しだけ目を見開いた。


「風待ち辻?」

「うん。雑貨屋もあるし、焼き菓子屋もあるし。冬用の糸とか、工房で使う小瓶も見たいし。……それに」

「それに?」


 私は視線を逸らした。


「婚約してから、二人だけで出かけてないでしょう」


 言ってから、顔が熱くなる。

 これは、つまり。

 デートに誘っているのでは?


 いや、婚約者なのだから、別におかしなことではない。

 おかしくはない。

 でも、恥ずかしい。


 ユースティスはしばらく黙っていた。

 私は不安になって彼を見る。


「……嫌?」

「いいや」


 彼は静かに首を振った。


「嬉しい」


 低い声で、そんなことを言う。


 ずるい。

 朝の道端で、そんな顔をしないでほしい。


「では、行こう」

「え、今から?」

「今からでいいんだろう?」

「そうだけど」

「なら、行こう」


 ユースティスはいつも通りの落ち着いた顔で、風待ち辻へ向かう道に足を向けた。

 風待ち辻。

 風待ち辻は、スズ村から少し歩いた先、大街道と村へ続く小道が交わる場所にある小さな宿場だ。旅籠が二軒、飯屋が一軒、雑貨屋と馬屋、それから行商人たちが品を広げる小さな市がある。村というほど大きくはないけれど、旅人や商人が風向きや馬の休息を待つ場所だから、いつの間にか「風待ち辻」と呼ばれるようになったらしい。


 私は慌てて、歩き出したユースティスの隣に並ぶ。


 冬のはじめの空気は冷たい。

 でも、今日はよく晴れていた。

 スズ村から大街道へ向かう道には、霜の溶けた草がきらきら光っている。

 しばらく歩いていると、ユースティスがふと手を差し出した。


「道が少しぬかるんでいる」

「……うん」


 私は、その手を見つめた。

 大きくて、温かそうな手。


 以前なら、荷馬車を避ける時や、足場の悪い道を歩く時に、何度か手を取ってもらったことはある。

 でも、今は違う。

 これはたぶん、道がぬかるんでいるからだけではない。

 

 私はそっと、彼の手に自分の手を重ねた。


 指が包まれる。

 思った通り、温かい。


「……歩きやすいか?」


 ユースティスが聞いた。


「うん。とても」


 歩きやすい。

 でも、それ以上に、心臓が忙しい。


 手をつなぐだけで、こんなに胸がいっぱいになるなんて。

 自分でも少しおかしい。


 けれど、ユースティスも少しだけ指に力を込めてくれた気がして、私は黙ってその手を握り返した。


 ◇◇◇◇◇


 風待ち辻は、今日もほどよく賑わっていた。


 大街道からスズ村へ入る分岐にある、小さな宿場のような場所だ。

 旅籠が二軒。

 飯屋が一軒。

 雑貨屋と馬屋、それから小さな市が並ぶ。


 大きな町ではないけれど、旅人や行商人が立ち寄るので、スズ村では手に入りにくいものが少しだけ揃う。


「思ったより人がいるわね」

「今日は市の日らしい」

「そうなの? ちょうどよかった」


 私は雑貨屋の前で足を止めた。

 店先には、色とりどりの糸、瓶、木べら、小さな金具、布切れ、乾燥香草が並んでいる。


「見てもいい?」

「ああ」


 ユースティスは自然に私の荷物を持つ体勢になった。


「今日は荷物持ちではなくて、デートの相手なんだけど」


 私がからかうと、ユースティスは真面目な顔で言った。


「両方できる」

「……そういうところ、ずるいわ」

「ずるい?」

「なんでもない」


 私は誤魔化すように、小瓶の棚に向き直った。


 薄い琥珀色の小瓶。

 丸い青硝子の瓶。

 細い首の香油瓶。


「これ、可愛い」


 手に取ったのは、小さな青硝子の瓶だった。

 婚約指輪に使った青い石と少し似た色をしている。


「香油を入れるのに良さそうね」

「アンジュに似合う」

「瓶が?」

「色が」


 また、さらりと言う。

 私は瓶を落としそうになった。


「……買うわ」

「そうか」

「ユースティスのせいだからね」

「俺の?」

「そう」


 店主がにこにこしながらこちらを見ている。

 恥ずかしい。


 私は青硝子の瓶と、冬用の白い糸、それから小さな銀のボタンを買った。

 会計しようとしたら、ユースティスが先に銀貨を出す。


「ちょっと、これは私の買い物よ」

「今日は俺に払わせてくれ」

「でも」

「婚約者とのデートで、少しくらい格好をつけたい」


 私は言葉に詰まった。


 婚約者。

 デート。


 ちゃんと言葉にされると、胸が爆発しそうになる。


「……じゃあ、ありがとう」

「ああ」


 ユースティスは少しだけ満足そうだった。


 その後、市を回った。

 焼き栗を買って、二人で分けた。

 旅人向けの飯屋の前で、香草入りの腸詰めが焼かれていて、ユースティスが珍しく興味深そうに見ていたので一本買った。


「研究?」

「味付けが気になった」

「やっぱり料理人みたい」

「家政夫だ」

「はいはい」


 二人で笑いながら歩く。

 手は、いつの間にかまたつながれていた。


 最初は足場が悪いからだった。

 でも、今はもう、理由なんてなかった。


 ◇◇◇◇◇


 昼近くになって、私たちは飯屋に入った。


 旅人向けの簡素な店だけれど、窓際の席からは大街道を行き交う馬車が見える。

 私は熱い香草茶と、白身魚の揚げ焼きが挟まった黒パンのサンドイッチを頼んだ。

 ユースティスは、豆と塩漬け肉の煮込み、黒パン、そして珈琲。


「外で食べるのも、たまにはいいわね」

「ああ」

「でも、やっぱりユースティスのごはんの方が美味しい」

「店に聞こえるぞ」

「小声で言ったもの」

「聞こえたらどうする」

「正直な感想ですって言うわ」


 ユースティスは困ったように眉を下げた。

 その顔を見るのが、最近少し楽しい。


 料理が運ばれてくると、私たちはゆっくり食べた。


 黒パンは少し硬いけれど、白身魚の揚げ焼きは香ばしくて美味しい。

 酸味のあるソースがよく合っている。


「これ、雲雀館でも作れそうね」

「魚が手に入ればな」

「風待ち辻に来たら買って帰ればいいかも」

「なら、夕飯に試すか」

「本当に?」

「ああ」


 何気ない会話。

 でも、それが嬉しい。


 今日見たものが、夕飯になる。

 私が美味しいと言ったものを、ユースティスが覚えて、雲雀館の食卓に持ち帰ってくれる。

 そういう小さな積み重ねが、私たちの暮らしを作っていくのだ。


「アンジュ」

「なに?」

「今日、誘ってくれて嬉しかった」


 突然言われて、私は手元の香草茶を見つめた。


「……私も、一緒にここに来られてよかった」

「婚約してから、お前が少し緊張しているのは分かっていた」

「ばれてたの?」

「ばればれだ」

「そんなに?」

「ああ」


 恥ずかしい。

 私は両手でカップを包んだ。


「だって、婚約者って……どうしたらいいのか分からなくて」

「俺も分からない」

「ユースティスも?」

「ああ。勇者としての旅も、ココの父親としての暮らしも経験した。一度は妻を持った。だが、常に仲間と一緒だったし旅から旅の生活だった。そして、……だめになった。こうやって、落ち着いた暮らしの中で、婚約者として誰かと向き合うのは、初めてだ」


 その言葉に、少し安心した。


 私だけが戸惑っているわけではない。

 ユースティスも同じなのだ。


「じゃあ、一緒に慣れていく?」

「ああ」


 ユースティスは真面目に頷いた。


「一緒に慣れていこう」


 その言い方があまりに彼らしくて、私は笑ってしまった。


 ◇◇◇◇◇


 食事を終えた後、私たちは風待ち辻の外れまで歩いた。


 そこには、小さな風除けの祠がある。

 旅人たちが無事な道中を祈る場所だそうだ。

 祠の横には、白樺の木が一本立っている。


 その向こうには、大街道が伸びていた。

 東方面、王都へ続く道。

 そして、もう一本北方に伸びる雲雀館へ帰る道。


 私はしばらく、その道を見つめていた。


「王都へ戻る道でもあるのね」

「ああ」

「前は、その道が怖かった。いつか連れ戻されるんじゃないかって」

「今は?」


 ユースティスが静かに聞く。

 私は少し考えてから答えた。


「今も、全然怖くないわけじゃない。でも……帰る場所があるから」


 私は彼を見る。


「あなたとココがいる雲雀館に、帰れるから」


 ユースティスの目が、少しだけ柔らかくなった。


「俺も同じだ」

「ユースティスも?」

「ああ。旅をしていた頃は、道はどこかへ向かうものだった。今は、帰る場所へ続くものだと思える」


 胸が温かくなる。


 私たちは、白樺の木の下で並んで立っていた。

 風は冷たいけれど、つないだ手は温かい。


「アンジュ」

「うん?」

「手をつないでいてもいいか」


 もうつないでいるのに、改めてそんなことを聞く。

 私は笑いそうになって、でも胸がきゅっとした。


「いいわよ」

「これからも?」


 その言葉の意味が、ただ今だけの話ではないことくらい、私にも分かった。

 私は指を絡めるようにして、彼の手を握り直した。


「これからも」


 ユースティスが、ゆっくり私の方を向く。

 近い。

 いつもより近い。


 琥珀色の瞳に、私が映っている。

 真面目で、不器用で、優しい人。


 私は小さく息を吸った。


「ユースティス」

「なんだ」

「……キス、してもいい?」


 言ってしまってから、全身が熱くなった。


 な、なにを言っているの私は。

 いや、婚約者なのだから、おかしくはない。

 おかしくはないけれど、自分から言うのは恥ずかしい。


 ユースティスは一瞬、完全に固まった。


「……俺から……ではなく……アンジュに言わせてしまったな」

「だ、だって。待ってたら、あなた、ずっと我慢しそうだから」


 ユースティスは目を伏せ、少しだけ困ったように笑った。


「否定できない」

「でしょう?」

「ああ」


 彼は、つないでいた手を少しだけ引いた。

 私は自然と一歩近づく。


「アンジュ」

「はい」

「俺は、お前を大切にしたい」

「うん」

「だから、急ぎたくない」

「うん」

「だが、触れたいと思っている」


 低い声に、胸が震えた。


「……私も」


 ユースティスの手が、そっと私の頬に触れた。

 大きな手。

 温かくて、少し硬い手。


 私は目を閉じた。


 唇に、柔らかな温もりが触れる。


 ほんの短いキスだった。

 でも、胸の奥まで甘く響いた。


 離れた後、私はしばらく目を開けられなかった。

 開けたら、自分がどんな顔をしているのか分からなくて怖かった。


「アンジュ」

「……なに?」

「顔が赤い」

「言わないで」

「すまない」

「ユースティスだって、赤いわよ」

「そうか」

「そうよ」


 二人で顔を見合わせて、少し笑った。


 白樺の葉が、冬の風に揺れている。

 大街道を、遠くで馬車が通り過ぎていく。


 世界は何も変わっていない。

 でも、私の中では何かが確かに変わっていた。


 手をつなぎ、キスをして。

 それでも怖くなかった。


 むしろ、安心した。


 この人となら、少しずつ変わっていける。

 今の暮らしを壊すのではなく、続けながら、形を変えていける。


「そろそろ戻ろうか」


 ユースティスが言った。


「ココを迎えに行かないと」

「そうね」


 私は頷いた。


「でも、その前に焼き菓子を買って帰りたい。ココにお土産」

「ああ」

「あと、今日の夕飯用の魚も」

「分かった」

「それから……」

「まだあるのか」

「デートだから、もう少し寄り道したいの」


 そう言うと、ユースティスはほんの少しだけ笑った。


「なら、付き合おう」


 私たちはまた手をつないで、風待ち辻の方へ歩き出した。


 王都へ続く道を背にして。

 雲雀館へ帰る道を、二人で選んで。


 手の中にある温もりを、私はぎゅっと握り返した。


(番外編 終)

これにて、連載は完結となります。

この作品のキャラクター達が大好きなので、またいつかひっそり番外編を書くかもしれません。


少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。

特に評価頂けるとより多くの方に読んで頂けるので、ありがたいです。

感想などもお待ちしております!次回作は活動報告やSNSでご確認下さい。

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