3話 サンタクロースの家には・・・
「……ちゃん! ぼっちゃん、しっかりせいやー!」
夢心地に白い世界をふわふわと漂っていたイブンは、どこかで聞いたような声に起こされて、重い瞼を持ち上げました。
目の前にあった巨大なトナカイの顔にびっくりして、一気に目が覚めます。
「うわあっ! ……なんだトナか。びっくりした」
「びっくりしたんはこっちや。死んでしもうたんやないかと心配してんで」
トナの心底安心した声を聞き、イブンは夢の中で生死の境を彷徨っていたのだと分かり、少しだけ怖くなってふるえました。
それには気がつかないトナはとにかくホッとして、イブンをソリから引っ張り出しました。
「とりあえず、着いたで。ここがサンタのじいさんの家や」
ふかふかの雪の絨毯に危なっかしく体を立て、イブンは目の前の小屋を見上げました。
それは丸太をつなげて作った小さなログハウスで、想像していたものよりもかなりシンプルで、かわいい家です。
玄関のドアの周りにはピカピカ光る玉やクリスマスツリーがバランスよく飾られており、暖かくわくわくした気持ちに胸が躍りました。
玄関ドアの前まで行き、呼び鈴を鳴らそうとすると、後ろからトナが言いました。
「ぼっちゃん、家の中に入るんはええけど、気ぃつけよ。中にはこわーい魔女がおるからな」
「魔女?」
ソリを引っ張ってログハウスのそばに立っている小さなトナカイ小屋に向かっていくトナの後ろ姿を見送りながら、イブンは首を傾げました。
ガランガラン。
玄関の呼び鐘を鳴らし、おじいさんが出てくるのを、イブンはじっと待っていました。
しかし待てど暮らせど、目の前のドアが開く様子はありません。
お母さんは連絡しておくと言っていたけど、ひょっとしたらおじいさんはこのことを知らないのかもしれません。
そう考えると少し不安になり、大声で叫びました。
「ごめんください! サンタのおじいさんはいませんか? 孫のイブンが会いに来ました!」
………。
しかし中からは何の返事もなく、イブンの声がやまびことなって辺りに響きわたるだけでした。
でもトナカイのトナが迎えに来てくれたのだから、おじいさんがイブンが来ることを知って、トナを差し向けてくれたのです。
やっぱりおじいさんは家にいるはずです。
意を決して、イブンは玄関のドアノブを回してみました。
ふわり、まるで空気のように軽く、音もなくドアは内側に開きました。
「お、お邪魔します……」
恐る恐る、イブンは家の中に足を踏み入れました。
入ってすぐ目の前は談話室になっていて、明るい木の壁とやわらかそうな白いソファ、煉瓦造りの暖炉がお洒落で印象的です。
暖炉の中では薪がパチパチ燃えており、芯まで冷えきっていたイブンの体を一瞬にして溶かしてしまうほどでした。
たしかに人がいそうな様子が小屋の中から伺えますが、物音すら聞こえてはきません。
他の部屋も見てみようと、イブンは部屋の奥の壁についているドアをひらきました。
扉の向こう側は狭い廊下になっており、突き当たりには上へあがる階段がついています。 そこへ向かう途中には、左右にいくつかの部屋のドアらしきものがありました。
らしき、というのも、イブンが一番側のドアノブに手をかけると、突然ドアに大きな口が開いてイブンを食べてしまおうと長い舌を伸ばしてきたり、別の扉は近づくと独りでに動き、イブンをはさみ潰そうとものすごい勢いで壁にぶつかってきたり、とにかく奇妙で不思議なものばかりだったからです。
すっかり困惑して怯えてしまったイブン。
とどめの一撃と言わんばかりに、頭の上からドガーン!
何かが爆発する音と、地揺れが家全体を襲いました。バランスを奪われて、もつれる足を何とかふんばって壁に両手を張り付けます。
しかし手袋が滑って残念、床にへたり込んでしまいました。
それくらいひどい揺れだったのです。
起きあがったイブンは、素早く耳をすませました。
爆発と同時に、誰かの悲鳴を聞いた気がしたからです。
それはやはり、爆音が聞こえた頭上からしたようでした。
ひょっとしたらおじいさんが何か事故に巻き込ませたのかもしれません。
心配になったイブンは、慌てて二階へつながる階段を登り始めました。
少しミシミシ音のする階段を登りきると、二階の様子は悲惨なものでした。
一番奥、突き当たりの部屋の中からはみだしたものが辺りに散乱して、足の踏み場もありません。
散らばっているのは壊れたおもちゃや、破れた本、ひどいところは空き缶や紙屑など、どこかのゴミ置き場から拾ってきたようなガラクタばかりなのです。
なぜおじいさんの家の中がゴミ屋敷のようになってしまっているのか。
イブンにはまったく分かりません。
とりあえず前へ進もうとゴミの隙間に足を突っ込みながら歩き出しますが、不幸にもチラシを踏んづけてすっころんでしまいました。
危ないなあ、起きあがったイブンは廊下のものを拾って端に寄せるように片づけながら、今度こそ慎重に前に進みました。
そしてやっとのことで部屋の前にたどり着き、一息。
でも部屋の入り口にはドアの代わりにガラクタの詰まった木箱が積み重ねてあって、辛うじて隙間から中が見えるくらいでした。
のぞきこんでみると、中は外よりはガラクタが少なく、幾分すっきりしているようです。 フローリングの床には赤いペンキで落書きしたような不思議な丸い模様が一面に描かれていました。
社会歴史の教科書に似たようなものが載っているのを見たことがあります。
たしかあれは、はるか昔に魔女が使っていた、魔法陣と呼ばれる模様です。
魔女――大古の昔から人間に紛れ込んで暮らしてきた、不思議な力を操る者たちがそう呼ばれています。
魔女を異端の者として迫害し続けてきた人間たちは、この魔女の事を知ろうともしなかったため、その正確な事実は誰にも分からないと書かれていました。
今となっては魔女も人々の記憶から姿を消し、伝説上の架空の存在としか考えられていません。
その架空の魔女が使う魔法陣がなぜおじいさんの部屋に?
ふと、イブンはトナが最後に言った言葉を思いだしました。
「魔女がおるで、気をつけや」
教科書に載っていた、真っ黒なマントを身にまとった皺だらけのあやしげなおばあさんの姿が頭に浮かびます。
それを初めて見たときと同じように、イブンはブルっと体をふるわせました。
「やれやれ、やっと片づけが終わったです。次は失敗しないようにやらないと」
部屋の中から声がしました。高い、女の人の声です。
イブンはごくりと唾を飲み、木箱に全身をはりつけて隙間からのぞき混み、目を大きく開きました。
カツカツ、堅そうな靴の音が近づいてきます。
魔法陣の上に、黒い陰が立ちました。
小さめな人影です、黒いマントを頭からすっぽりかぶってうつむいているため、顔は分かりません。
黒い人影は足元にガラクタを置きました。
腕がちぎれて綿の飛び出したクマのぬいぐるみと、ボロボロに縮れたすすだらけのリボン。
そして、さわると手を切ってしまいそうなくらい粉々になってしまった空き瓶が床に乱雑に並べられています。
何が始まるのでしょう、イブンの胸はドキドキ、高鳴ります。
最初に感じた怖さはどこかへ吹き飛び、好奇心いっぱいに目の前の様子に見入っていました。
黒い人影は大きく両手を広げました。
その右手にはきれいな水晶玉が大小様々に飾り付けられたきれいな杖が握られています。
「サラマン サラルラ リンドン シャントン!」
そして、呪文のような言葉を唱えると、杖の一番先端の大きな水晶玉がかっとまぶしい光を放ち、イブンは思わず目を閉じました。
瞼の中に残った光がいつまでも明るく点滅し、夜空に太陽が輝いているかのような不思議な感覚に襲われます。
やがて瞼の向こうのまぶしさを感じなくなり、イブンは目を開きました。
何事もなかったようにさっきと何ら変わらない様子の部屋。
しかし一つだけ変わっていることがありました。
黒い人影の足元に散らばっていたガラクタがなくなっていたのです。
代わりにあったのは、輝くように透き通った瓶の中に収まっている、作りたてのようなクマのぬいぐるみでした。
コルクで栓をされた瓶の口には光沢を放つ金色のリボンが花のように結ばれています。
それはとても素晴らしい一品でした。
あの壊れて使いものにもなりそうになかったガラクタたちが、あっと言う間に綺麗な置物に変わってしまった。
そのことが分かると、イブンは目を輝かせて感動しました。
「ふう、今度は成功したです。さあ、早く次に取りかからないと夜までに間に合わないです」
瓶詰めのクマを白い大きな袋に放り込むと、新しいガラクタをかき集めて魔法陣の上に散りばめました。
そしてさっきと同じように呪文の言葉を唱え始めます。
「サラマン サラルラ リンドン シャント……」
しかし全て唱え終わる前にそれは中断していまいました。
あまりに強く木箱に張り付いてしまったために、バランスを崩した木箱と一緒にイブンが部屋の中に突っ込んできたからです。
「うわあ!?」
ものすごい音とともに部屋へなだれ込むイブン。
それに驚いた黒い人影はビクッと体を大きくふるわせ、体と一緒に杖をイブンの方へむけていました。
するとどうでしょう、杖の先端の大きなガラス玉から光が走り、倒れるイブンめがけて走りました。
中断されてしまった呪文は生きていて、不思議な魔法がイブンの体を包み込んでしまったのです。
たちまちカーッと熱くなるイブンの体、まるで、自分が自分でなくなってしまうような、奇妙で怖い感覚でした。
しばらくして杖の光が消えてなくなると、イブンの体も正常さをとりもどしました。
けれど何だか様子がおかしいのです。よくよく見てみれば、体中に真っ白な綿のような花が咲き乱れ、その中心でイブンは身動きのとれない木のようになってしまっていました。
「キャー! 大変です、大変です!」
黒い人影はとても慌てて、生け花のようになってしまったイブンの周りに咲き誇る綿のような花をむしり始めました。
その激しい動きのせいでマントのフードが外れ、その魔女の姿が露わになります。
その姿を見て、イブンはびっくり、自分がこんな姿になってしまったことよりも驚きました。
フードの中から出てきたのは、燃えるような赤い瞳の、イブンと同じくらいの小さな女の子だったのです。
瞳と同じ色の髪の毛は長くまっすぐで、今はじゃまにならないように一つにまとめて結ばれていました。
雪のように白い肌をした、綺麗な女の子。
必死で綿の花をむしるあまり、すぐ側まで近寄ってきたその顔をみると、イブンの顔が赤く火照っていくのが自分で感じ取れるのでした。
彼女の顔に見とれているうちに、イブンの体はすっかりきれいになり、動けるようになりました。女の子も安心したらしく、額に浮かんだ冷や汗をぬぐっています。
「ふぅ、これでいいです。ご主人さまに怒られなくて済みそうです。ところで、あなた誰ですか? どうして人様の家に勝手にあがりこんでるです? ここがサンタクロースさまのお家と知って入ってきたですか?」
女の子は不審者を見る目で、イブンをにらみ付けました。
たしかに、おじいさんの家とはいえ、勝手に上がり込んだのは事実だし、悪いことだと知っています。
「ご、ごめんなさい。でも僕は……」
イブンは女の子に事情を分かってもらおうと必死に身振り手振りを使って説明しようとしました。
しかし、その真っ赤な瞳にじっと見つめられるとどうにも恥ずかしく、頭の中がこんがらがって、ぐちゃぐちゃになって、うまく言葉が話せなくなってしまうのです。
「今日はクリスマス! 今日という日がサンタやあなたたち人間の子どもにとって、どれだけ重要な日か知っていてこんなところまで進入してきたですか。大方、ちゃんとお願いしたプレゼントが用意されているか気になって忍びこんだってところですか? 心配されなくったってアリーがちゃんと作ってるです、分かったならさっさと家に帰って布団に入って丸まっていればいいです!」
その表情からも口調からも、女の子がとても怒っているということがはっきりと伝わってきました。
「ご、ごめんなさい……」
ここにやって来たこと自体悪いことだったような気がして、イブンは目にたくさんの涙を貯めます。
「こりゃ、アリー! さっきの音はいったい何じゃ!?」
ドスドス、音を立てて誰かが後ろから近づいてきます。
女の子は肩を震わせて「まずい!」と言った表情を見せました。
イブンが振り返ると、そこには大男が壁のように立ちはだかって入り口を塞いでいました。
これにはイブンもびっくり、思わず固まってしまいました。
「また失敗をやらかしたのか、アリー?」
大男は低い声で女の子を叱りつけました。
口の周りを覆った長くて白いヒゲのせいでどんな顔をしているのか分かりませんが、同じ色の長めの眉毛がつり上がっていることから、この人は怒っているんだ、そう分かりました。
「ちち、ちがうです、ご主人さま! 変なガキンチョが突然部屋に忍び込んできて、アリーの邪魔をしたです。本当です、信じてです!」
女の子は必死で大男に訴えます。
しかし大男はいまにもこの子を食べてしまいそうな勢いで見下ろしています。
「ガキンチョ?」
大男が次に見下ろしたのは、側にいたイブンでした。
今気づいたかのように体を丸めてイブンをジーッと見つめ、首を傾げます。
「はて、どこかで見たような顔だな。坊主、名前は?」
「い、イブンです…」
「イブン? はて、どこかで聞いたような。なぜこんなところに?」
「お、おじいさんに会いに来ました。トナカイのトナに駅から連れてきてもらったんです」
イブンの返事を聞いて、しばらく考え込んでいた大男でしたが、やがて何か思いつくことがあったのか、手をポンと叩きました。
その音にびっくりして、イブンと女の子は同時に飛び跳ねて後ずさります。
「思い出したぞ、思い出したぞ。そうか、お前さんがイブンか。マリアから話は聞いとるよ、よう来た。よう来た」
大男はうれしそうに眉毛を動かし、わしゃわしゃとイブンの頭をなでました。
思いっきりなで回され、髪の毛はもうグシャグシャです。
髪型を直しながら、イブンは大男を見上げました。
マリアと言うのは、イブンのお母さんの名前です。
それを知っていて、お母さんから話を聞いていると言うことは、もしかしてこの人が?
「じゃあ、あなたが僕のおじいさん?」
「そうじゃ、わしが十三代目サンタクロース、ノヴァ・クロースじゃ。赤ん坊の頃会ったきりじゃが、いや大きくなったなぁ。ほっほっほっ」
豪快に笑うおじいさん。
その優しい目元は、どことなくお母さんに似ている気がしました。
やっと目的のおじいさんに会うことができて、イブンもホッと一安心です。
「しかし、よう来てくれた、紹介しておこうか。イブン、わしらサンタクロースに力を貸してくれる魔女、その見習いの娘アリーじゃ。前に働いてくれとったこの子の婆さんがぎっくり腰で倒れたでの、今年から代わりに来てもらっとるんじゃ」
おじいさんはイブンに、目の前の女の子を紹介しました。
アリーと言う名前のその女の子は、どことなく不満そうな顔でイブンを横目に見ています。
「こりゃアリー、お前の将来二番目のパートナーになる子じゃ、きちんとあいさつせんか」
「……よろしくです」
「……あの、パートナーって何のことですか?」
イブンは訪ねました。
アリー本人のことも気になりましたが、おじいさんの言葉の方が何か心に引っかかるものを感じたのです。
イブンがここへ来た理由に近いことのように思えたのでした。
「うん? お母さんに聞いておらんかい? そのことでここまでやって来たのではないのか」
「いいえ、僕は、どうしてクリスマスには僕だけプレゼントがもらえないのかを教えてもらいたくて」
「なるほど。確かにわしの考えていたものとは少し違うが、結果は同じになりそうじゃな。よろしい、教えてあげよう。下の暖かい部屋で話そうか。アリー、下の部屋にお茶の用意をしておくれ。茶菓子は戸棚の奥の、とぐろせんべいでな」
アリーは無言でイブンの前を素通り、階段を音もなく降りていきました。
その後ろ姿を見送っていたイブンも、おじいさんに連れられて下へ向かう階段へ足を向けたのでした。




