8-4 殺すのならば《あなた》を択ぶ
戦いになった。
怒涛の如く襲いかかってくる騎士隊の斬撃を弾き、掻いくぐりながらメリュは槍を振るった。
横薙ぎに振るえば、風。すくいあげるように縦に跳ねあげれば、水。万象を模すように流れに倣って彼女は動き続ける。数に物を言わせた敵にかこまれても槍をしならせて跳びあがり、易々と鎧の壁を乗り越えた。まさに乱舞だ。
ラグスもまた、強い。短剣と弓を同時に扱いながら、敵の数を減らしていく。
素早く矢を放ったと思えば弓を頭上に投げ、真横からせまってきた敵の懐に斬りこむ。敵を倒してから落ちてきた弓を取り、また矢を番い――目にもとまらぬ敏捷さだった。
それでもなお、ふたりは敵をひとりも殺してはいなかった。腕を折り、脚を斬って、動きを制してはいるが、どれも致命傷ではない。
聖ヨルゴス騎士隊がいったん後ろにさがろうとする。
だが間合を取らせず、ふたりは騎士隊にせまった。騎士隊と距離ができれば今度は弓隊だと読んだからだ。敵の隊といり雑ざっているあいだは弓隊が矢を放ってくることはない。
鎧を軋ませて、騎士の群れが後ろに後ろにさがっていくなか、ひとりだけ、前に進みでてくるものがいた。ミカウスだ。彼は黒い剣を振りかぶり、勢いよくラグスに斬りかかる。
ラグスは短剣を盾にして、剣撃をふせぎ。
「……――それ、は」
彼は真紅の双眸を剥いた。
僅かに隙ができ、短剣が弾きとばされる。ラグスの頬に敵の剣がかすめた。青みがかった銀の血潮がほとばしる。ラグスは端正な貌をゆがめ、真後ろに跳びすさった。
ラグスは思考を巡らせるようにうつむき、すべてを理解したのか、ゆらりと視線をあげた。
昏い。メリュはぞっと凍りついた。
血潮が時を経てかたまったような双眸のなかに業火が燃えさかっている。熱をともなった焔だ。燃えた水銀は毒を噴く。ひとを死に到らしめる毒だ。
新たな短剣を抜き放ち、彼はうなる。
「かえせ、それは僕のものだ」
ミカウスはまじまじとみずからの剣に視線を落としてから、にっこりと笑いかけた。
「おやあ、貴方のものでしたか。遅れ馳せながら感謝いたします。この剣は非常につかい心地がいい。幾度も竜を斬らせていただきました。殺せないのが難ですが……」
ラグスは最後まで聞かずに斬りかかった。
剣と短剣が衝突してはまた離れ、殺意と悪意が絡みあう。
ラグスの動きが明らかに違っていた。これまでどれだけ手を抜いていたのかがわかる。彼は確実にミカウスを殺すつもりで短剣を振るっていた。メリュが後ろから懸命に呼び掛けたが、彼は振りかえりもしない。
いけないと、メリュは青ざめた。
かあんと――鋭い音があがる。
ラグスの振るった短剣がミカウスの鎧のすきまを捉えていた。腹に喰らいつくように短剣がななめに刺さる。ぐふっとミカウスが息をつまらせた。その隙を逃がさず、ラグスは屠竜の剣を遠くに蹴りとばす。武器を奪われたミカウスは膝をつき、崩れ落ちた。
ミカウスに短剣をつきつけたラグスにむかって、幾十もの剣がむけられる。されど騎士隊とラグスのあいだには距離があり、騎士隊もそこからさきには踏みこめない。
ミカウスは事態を把握するように視線を動かして、こみあげてきた笑いに喉を震わせた。
「は……そのように怒りをあらわにして、敵を憎み、殺意を振るう……到底、もとが竜だったとはおもえませんね。壊れた竜ならば竜らしく、彼女に殺してもらえばいかがですか」
「ッ……減らず口をたたくなよ」
「あいにくと、もはや喋ることくらいしかできないもので」
「ふうん、だったら喋ることもできないようにしてやろうか」
ラグスは勢いよく、短剣を振りあげた。喉を裂けば、心臓を刺せば、ひとはかんたんに殺すことができる。彼は仇敵を殺せるだろうとメリュは漠然と考える。
ひとを殺すのは難しいことではない。だがきっと。
「やめましょう、こんなことは」
騎士隊の壁のむこうから、メリュは努めて静かに語りかけた。
ラグスは振りおろしかけた剣をとめ、胡乱な視線をあげる。怨嗟に捕らわれているような昏い目に睨めつけられ、メリュは身が竦んだ。
「僕が、どんな思いで生き延びてきたか、おまえにわかるのか」
燃えあがる憤怒の焔からは想像もつかないほどに、深沈たる響きだった。彼の怨嗟がどれほどの重みのあるものかがうかがい知れて、メリュは暗澹たるきもちになる。
「角を折られたとき、燃えあがるような怒りが湧いた。それは竜の身には濁りすぎた激情だったよ。胸を焼き、腹のうちからこの身を食い破らんばかりに暴れるそれを、僕はかみ砕いた。続けて憎しみがあふれはじめた。喉に絡み、肺を潰そうとするそれを、僕は飲んだ。あたかも尾を飲む竜だ。笑ってくれても構わないよ。悪意を取りこんだ僕は竜ではなくなり、ひとに落ちた。それでも僕は、生き延びたかった。復讐を遂げるために」
業火の燃える双眸は毒々しく、澱んでいる。
けれども、それはどこか。
「とめないでよ、おまえだけは」
縋りつくような激情だった。
彼は眉の端を垂らし、ひき結んでいた唇を緩めてみせた。
いつもの嘲笑とは違う、いまにも壊れてしまいそうな微笑だ。それをみて、メリュは段々疑いはじめていたことが、真実なのだと理解する。竜の逆鱗だと知りながらも、それでもなお、彼女はそっといたわるように触れた。
「けれども、それは、あなたの望みじゃない」
硬い結晶に細かな罅がはいるように、沈黙が落ちた。ラグスは頬を強張らせ、喉頭を震わせたが言葉にはならず、やがては無理やりに口の端を持ちあげた。
「おまえに、なにが」
「わかりますよ。だってあなたは」
メリュは腕を差しだす。
「泣いて、いるじゃないですか」
距離がありすぎて、メリュにはラグスの頬に触れることはできない。
それでも彼はうながされるように、みずからの頬に指を這わせた。
涙の雫が頬から細い顎の輪郭にすべり落ちる。頬につけられた傷にしみたのか、それとも。彼はひどく痛みをこらえるような表情をして。
「僕は」
「あなたは、竜ですよ」
彼は竜だ。ひとの姿に落ちてしまったとしても。
かなしいほどに竜なのだった。
「あなたは、憎みたかったのでしょう。これまでむざと傷つけられてきた竜のぶんまで。確かに竜は怒るべきだった。恨むべきだった。けれども竜は、どれだけ傷つけられようとも、ひとを恨むことなく静かに息絶えることを択ぶ。択んでしまう。だからあなたが」
彼女はなにげなく、とんと槍を地につけ、跳びあがった。騎士の群れは毒気を抜かれ、呆然と頭上を跳び越えていく娘を眺めていた。
靴音も響かせずに彼女はラグスの側に着地する。
「あなただけが、憎み続けようとした」
彼の焔にはいつだって、熱がなかった。
彼がほんとうに人類を憎んでいたのならば、もっとかんたんにひとを殺してきたはずだ。彼にはそれだけのちからがあり、そうするに到る動機がある。それを権利というのかどうかは、メリュにはわからないけれど。
逢ったばかりのときから、彼はひとを殺そうとはしなかった。竜を冒涜した盗賊も逃がしてやった。葡萄と醸造の町でもそうだ。身勝手な群衆に怒りながらも傷つけることはしなかった。
「ゆえにそれは、あなたの願いではあっても、望みでは、ない」
そうでしょうと尋ねれば、ラグスは項垂れるように視線をさげた。
だが短剣はさげない。重い重い短剣をどこに振りおろすべきか、彼は考えあぐねている。
この好機を逃せば、ふたたびには復讐が遂げられないかもしれない。いま、だけなのだ。この濁った焔のゆくえを、彼は決めかねている。
メリュはぎゅっと、銀製の斧槍を握り締めた。
「ひとを殺せば、あなたは嘆いてしまう。あなたのなかの竜が」
怒りをかみ砕き、憎しみは飲みくだせても、それが嘆きとなれば彼の精神を壊すかもしれない。彼が嘆きに壊されるさまなど、想像したくもないけれど。それでも、誰よりも誇り高き竜が壊れていくさまを、メリュは嫌だというほどに見続けてきたのだ。
「それならば、わたしが殺しましょう」
震える腕でも毅然と、彼女は血に濡れた槍を構えた。
普段ならば竜の血潮を滴らせている槍が、いまは激しい戦いを経て、ひとの血潮にまみれている。純白の服にも、彼女のものとも敵のものともつかない紅がとび散っていた。
ミカウスが微かに感嘆する。受けいれるように。
「それもまた一興でしょう。あなたは竜を愛しておられる。わざと竜を嘆かせた私が憎くないはずがない」
されども彼女は地に頽れた聖騎士になど、一瞬たりとも視線をむけなかった。
振りあげられた槍は他でもない――。
「あなたを、殺します」
ラグスにむける。
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