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8-3《黒き竜》は舞い降りる

 黒き竜だった。

 竜は娘と騎士隊のあいだに立ち塞がり、翼を拡げる。

 その身を覆いつくす艶のある鱗には紫も青も雑ざっていない、純然たる黒だった。

 いや純黒という表現さえ、あの美しき制圧を表現するにはふさわしくない。黒砂漠の砂も新月の緞帳も、これほどまでに黒くはない。地上にあることが異様なほどの、あらゆる色彩にたいする拒絶がそこにはあった。

 鋭い弓なりの曲線を描いた翼は、絶望と暗澹を織りあげた天鵞絨を張ったようで、あらゆる光を吸いこんでなおも静寂を帯びていた。

 騎士隊は驚き、されども誰もが影を踏みつけられたように動けなかった。

 闇だ。ひとは暗闇に恐怖する。それは生き物の本能だった。

 故にひとは眠らぬ都を築きあげた。しかしながら人類の文明が如何に栄華を誇ろうとも、華やかなあかりを掲げ続けようとも、闇を完璧に斥け、締めだすことだけはできない。建物の影に路地の裏に、ひとのこころの隙に。闇は絶えず、息づいている。

 その闇が竜のかたちをとって現れたのだ。

 如何に聖騎士隊とはいえども震えるのも無理はなかった。遠巻きにみていた貴族の群などは恐怖のあまり、卒倒している。

 されども竜は美しかった。あるいはそのおそろしさゆえか。


 黒竜が静かに振りむく。娘を映すその双眸(ひとみ)は、あざやかな辰砂(しんしゃ)の輝きを湛えていた。


「あなたは」


 メリュは驚いて、竜の角に視線をむける。

 その角は根もとから折られていた。


「ラグス……なの、ですか」


 黒竜は頷きもせずにメリュから視線を外す。

 騎士隊を睨み、竜は吼えた。

 低くからはじまり、段々と透きとおるような響きに変わる。

 狼の遠吠えか、鯨の歌か。波紋のように咆哮は拡がり、かたかたと共振するようにあちらこちらでなにかが震えだす。いったいなにが、とメリュが捜すまでもなく、眼前でミカウスが構えていた銃がぼろぼろと崩れはじめた。

 ミカウスがあ然としているうちに、銃は黒い錆になって崩壊する。聖騎士隊でも階級の低いものがもっていた鋼鉄の剣や槍が次から次に砕けていった。それはあたかも、ひとがひとを殺すために産みだしたあらゆるものが、無に帰すかのようだった。

 だがいんいんと響き渡っていた竜の咆哮が、鋏で絶つように、ぷつりと途絶える。


 かわりに竜のからだが崩れはじめた。

 鱗がそりかえり大地を踏みしめていた鉤爪が砕ける。双眸からは融けだすように水銀の涙が滴った。


「あ、……いやっ、らぐ……」


 メリュは言葉にならない声をあげ、地を這いながらそのひび割れた翼にしがみついた。黒竜は喉をのけぞらせ、とぎれとぎれの息を洩らす。竜は瞬きのうちに崩落し、黒い髪をなびかせた青年だけが残された。


「やっぱり、なかなか維持できないね」


 そうつぶやいてから、彼は服のすそを握り締めていた娘を振りかえる。

 満身創痍の娘をみて、真紅の双眸が柔くとろけるように瞬いた。


「あいかわらず、愚かだね、おまえは」


 ぐいと顎をつかまれ、メリュは強くひき寄せられる。


 唇に熱が、ともされた。

 接吻をされているのだと理解するまで、メリュは数秒掛かった。

 とろりと。涙のように熱いものを喉をそそぎこまれ、彼女はそれをなんの疑いもなく飲みくだす。あまい香りが満ちる。それはなぜだか、遠い昔に憶えのある――。

 重なっていた唇が、緩やかに遠ざかる。


「……聖ヨルゴス教会を敵にまわすなんて命知らずもいいところだ。けれど、さっきのはよかったね。所詮は竜殺しにすぎなくても、矜持くらいはあったわけだ」


 銃に撃ち抜かれた激痛がすうとやわらいだ。からんとなにかが、転がる。足許に視線を落とせば、潰れた銃弾があった。血の跡はそのままだが、傷は塞がっている。


 竜の血潮を飲まされたのだ。


「なん、で」


 こんな敵陣のただなかに、なぜ、きたのか。

 助けにきて、くれたのか。


「おまえが意志も願いも望みも損なって、屠竜(とりゅう)の槍になりさがっていたら。おまえを、殺してやろうかとおもってね」


 殺意に満ちた、それなのにその言葉には愛を囁きかけるような、あまやかな響きがあった。美しく細められた上弦の双眸をむけられ、メリュは微笑みかえす。まだ残る痛みを蹴散らすように地を踏みしめ、彼女はあらためて騎士隊に槍の先端をむけた。


「あいにくと、わたしは竜殺しの娘ですから」


 聖女ではなく。屠竜の槍でもなく。


 聖騎士隊は呪縛が解かれたようにいっきに騒然となる。

 消息を絶っていた角折れの竜が聖都に現れたのだ。ましてやひとの姿を取って。しかも武器は残らず、錆びにされてしまった。混乱しないはずがない。


「動じるな! 我らには神がついている!」


 ミカウスが隊に号令を掛けた。


「敵はふたり。角のなき竜はすでに竜ではない、勝機は我々にある。毀竜の剣と矢を構えよ」


 彼は腰に帯びていた毀竜の剣を抜き放つ。

 白い鎧にふさわしくない黒の剣だ。鉄の剣や銃は壊れてしまったが、竜から造られた剣と鏃はまだ残っていた。毀竜の武器を装備している騎士はかぎられているが、それでも五十を超える軍隊がいっせいに剣や弓を構える。


「異教徒の娘と竜落ちを捕縛せよ!」


お読みいただき、御礼申しあげます。

続きは29日20時に投稿させていただきます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 二人の間に絆があったと、この目で見られて良かったです。それでもまだ窮地ではあって、どのように話が進んでいくのか目が離せませんね。この先も楽しみです。 [一言] 竜の姿をとったときのラグズは…
[良い点] ラグスが来てくれた……! 竜の姿で! メリュにとって辛く困難な場面が続いていたので、彼の登場がとても嬉しいです。 黒い竜の姿の描写が美しくて惚れ惚れしました。 中でも、「純黒という表現さ…
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