視界の広がるあの場所で - 12
あまり、本屋で言うべきことじゃなかったかも。
そう想うわたしにも、お姉さんの雰囲気は変わらない。
心のなかはわからないけれど、変わらないっていうことに、すごく安心する。
「そうですね。ただ、ある意味では本当の世界でもあるんですよ」
優しく教えるように、お姉さんは話してくれる。
でも、わたしには、その言葉の意味がわからなくて。
「ある意味で……本当?」
「逆に、お客様のような方にこそ、読んでいただきたいです」
すっと、手元の二冊の本を、もう一度差し出してくる。
どうして二冊なのか聞いてみると、区切りとして良いのがそこまでだから、ということみたい。
「け、決して、押し売りしているわけじゃないんですよ?」
慌てたようにそう言うお姉さんの様子が、同級生に話しかけるみたいで、かわいらしく。
わたしはちょっと微笑んで、いいなって想えてしまう。
それに……お小遣いは、まだ、少し残っているから。
「あの、読んでみます。その本、買わせてください」
「ありがとうございます!」
周囲に聞こえるような高い声。
満面の笑みを浮かべるお姉さんの顔は、でも、とても嬉しそう。
それが、わたしが本を読む気になった嬉しさなのか、本を買ってもらった喜びなのか、わからなかったけれど。
(……あいつも、こうやって話せる時間が、好きなのかな)
ちらりと周囲を見れば、わたし達を見つめるお客さんの姿もいた。
恥ずかしかったけど、なぜかその人達も、同じように優しい笑顔をしてくれている。
(もし本が自分に合わなくても、いいかな)
この本をすすめられて、お姉さんと話した時間は、確かに楽しかったから。
そんなことを想いながら、レジでお金を支払う。
カバーをつけてもらい、袋に二冊の本を入れて、お姉さんはわたしへ本を差し出してくれた。
受け取ろうとしたわたしに、なぜか、お姉さんはちょっと困ったような顔をしていた。
なんでだろう、と不安になるわたしに、お姉さんは口を開く。
「ただ、あの……。最後に、いいですか」
今まで、穏やかだけどはっきりしていたお姉さんの口調が、少し弱いものになっていた。
「あ、あの、なんでしょうか」
不安になったわたしは、緊張しながら聞いてしまう。
お姉さんはゆっくりと、苦笑しながら、小声で理由を言ってくれた。
「できれば、帽子はともかく、サングラスは外して入店をお願いできますか。私もあまり、強く言いたくはないのですけれど……」
一瞬、わたしは無言になってから。
「す、すみません!」
帽子をとりながら、一生懸命、頭を下げた。
「いえ。ただ、気になさるお客様も、いらっしゃいますので」
最後に、自分の格好を想いだして、反省する。
(次から、この格好はやめよう……)
顔がまた、赤くなっているのがわかる。
うぅ、今更ながら、わたしはなにをしてたんだろう……!
そんなわたしにも、お姉さんはやっぱり穏やかな笑顔で、言ってくれる。
「楽しい時間を過ごされますよう、願っています」
「あ、ありがとうございます」
「それと、ですね。よければ、またのご来店も、お待ちしております」
「……はい」
お姉さんと少し会話をして、わたしは、店を後にした。
(明るい、な)
サングラスを外した外は、日差しが強くて、気持ちがいい。
……心の中も、店へ入る前より、ずっと明るくなった気がした。
(じゃあ、帰ろっかな)
他によるところもなかったから、家へ帰る道をまっすぐ歩く。
練習と想い、自転車には乗ってきていない。
ゆったりとした風と日差しをあびながら、手の中の本を見て、今日のことを想いだす。
(……買っちゃった)
紙袋の手触りが、今日のことは夢じゃないって教えてくれる。
学校とは違う表情の学に。
不思議な雰囲気のお姉さん。
それに、今まで避けていた種類の本が二冊、手元に残る。
――昨日までと、なにかが変わったわけではないけど。
わたしの心は、不思議と大会前のような気持ちになっている。
新しいなにかを始めたときのような、興奮と不安。
そんな、跳ねだしてしまいそうな、楽しい気持ちが。
「……!」
だんだん心に合わせて、足のテンポがあがっていく。
弾む足に従ったら――玄関に着くまで、あっという間だった。
帰ってきたわたしは、まず家の手伝いと食事。
それからお風呂に入って、お母さんにお小言を言われつつ、家族と団らん。
少したってから、自分の部屋へ。
いつもなら、ネットで大会の動画や、参考になるフォームの動画なんかを見ているけど。
「読んで、みないとね」
袋を開けて、二冊の本を取り出す。
……せっかく買ったんだから、読んでみよう。
わたしはベッドに横たわりながら、購入した本を広げ、パラパラとめくり始める。
本当に久しぶり、な気がする。
最近、休日の空いている時間も、練習したりイメージトレーニングをしたりしていた。
友達と遊ぶのも、ウィンドウショッピングや、カラオケなんかが多くなっていたし。
(こうしてゆっくりと本を読むのは、久しぶりかも)
昔、あいつと一緒に、児童書を読んでいた頃。
学の横で、その楽しそうな話を聞いていた頃が……懐かしい。
(あの頃は、そういえば学と一緒に、読んでいたな)
ぼんやりと記憶を振り返りながら、ページをめくる。
あの頃に読んでいたのは、どんな本だったっけか……。
確か、二人の誰かが……なにかをして……。
(想い出せそうで、覚えてないなぁ……)
ぜんぜん集中していないわたしの眼に、入ってくる漫画の世界。
最初は、ぼんやりと眺めていた。
似たような顔の、違うセリフを話す、何人もの人達。
なんとなく読んで、寝てしまおう……そんな気でいたはずなのに。
(あれっ……?)
次第にわたしは、眼を離せなくなっていく。
今の気持ちは、覚えがある。
まるで、コンマ一秒を争って走る、本物のスプリンターを見るような気持ち。
そこに描かれていた世界に、わたしは――。
「……っ!」
――ぱたん、と本を閉じた音は、しばらくたってから。
「……」
無言になって、ばたっとベッドへ横になる。
ちらりと見た時計は、日付が変わっていた。
「……どう、なっちゃうの」
誰に向けて言ったのか。
でも、言わずにはいられなかった。
それくらいわたしの気持ちは、あの世界に、惹かれていたから。
(でも、今日は……寝よう)
気持ちを落ち着けるように深呼吸をしていると、意識はすっと、闇の中へ。
――でも、一つだけ、ずっと考えていることがあった。
――今度の休みに、どこへ行くか。
――それだけは、決めてから。
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