二十二節 助けて……くれるのですか?
ララから……正確に言えばオスニエル隊長から連絡が来たのは四日前だった。
任務の命令だった。内容は単純。フロックスとかいう小さな新興貴族の現当主、クライヴの殺害命令だ。
殺せって命令なんだから、何かしら国の不利益になることや、犯罪を犯したって訳だ。当然だ。いくら俺達が処刑権限を持っていても、超えちゃいけないラインってのがある。あくまでも法律に則って殺人をすることが、俺達に許された行動なんだから。
クライヴは……ララの班員三人を殺した。
ララから聞いたところ、彼らは偶然フロックスがやってるきったねぇことの証拠を掴んだらしい。裏金とか、人身売買とか、とにかく法に触れることだ。
ララ達は上司に相談する前に、直接フロックス家に乗り込んでしまった。結果として、ララ達は捕まり拷問にかけられた。男達は惨殺され、ララともう一人いた女性の隊員……アナベラは慰みものになりかけたらしい。
しかしアナベラが自分を犠牲にしてララを救出、ララは必死に逃げて隊長と俺を頼った……というのがざっとした経緯だ。
目の前で家族とも言える仲間達が拷問され、レイプされる現場を見たララの苦しみは俺にはわからない。わからないが、キツイだろうというのは理解できる。想像はできないけど。
まあなんだっていい。ララのことは非常に残念だが、今は考えてはいけないことだ。大事なことはただ一つ。『死者の手』の秘密を知ってしまった馬鹿が増えたってことだ。
クライヴは、手を出しちゃいけない存在に手を出した。今考えるべきはこれだけ。
軽く助走をつけ、俺は屋根を蹴った。フロックス家の塀を飛び越え、芝生の上に着地する。《身体強化》を施しているので、衝撃はほとんど伝わらなかった。
適当な窓を《構造破壊》で切り抜き屋敷に入る。少し廊下を進むと、丁度俺の真隣の扉が開き、中から使用人らしき女がベッドシーツを抱えて出て来た。
「えっ――!?」
使用人の女が、シーツを落として小さく声を上げた。
俺は使用人の女の腰を引き、そのまま部屋の中に押し戻した。一緒に部屋に入り、後ろ手で扉を閉める。
「な、なんですっ――」
「静かに」ショートソードを抜き、腹に押し付けてやる。「君に訊きたいことがある」
「な……なん……ですか……?」
使用人の女は、腹に押し付けられた剣を見て、声を震わせた。
「当主のクライヴはどこだ?」
尋ねると、使用人の女は目を見開き、俺をもう一度見た。
『死者の手』の制服は有名だ。どこを歩いていても、大概忌避するように見つめられる。この女も、ある程度事情が飲み込めたのだろう。当主が何かをしてしまったのだと。
声だけじゃなく、肩まで震わせて使用人の女が答えた。
「クライヴ様は……三階の、執務室に……」
「よし。もう一つ質問。最近、屋敷内で変わったことはあったかな? 普通じゃあり得ないような、変なことが」
――例えば、不死のはずの『死者の手』が死んだ、とか。
「いえ……わたくしは、存じ上げません」
ふむ……。隊員が死ぬことを知ったのは、クライヴとその周辺の人間だけか? 手間が省けそうでよかった。罪のない人間を殺すのはなんだかんだでやりたくないし。
「ありがとう。執務室に案内してくれるか? 公務執行妨害とか、しょうもないことで死にたくないだろ?」
「は……はい……」
使用人の女が了承したので、剣を鞘の中に戻した。それを見て使用人の女は安堵し、胸を撫で下ろした。
二人で一緒に部屋を出る。シーツを先程の部屋に押し込むと、俺は使用人の女に付いていく形で、屋敷内を悠々と歩き始めた。
途中で何人かの使用人とすれ違ったが、全員必死に笑顔を作って会釈をしてきた。一応客だと思ってくれているらしい。
「こ、こちらです……」使用人の女が、三階のある部屋の前で止まった。「も、もう行っても……?」
「まだだ。もう少し待って」
言いながら《意思感知》を発動させる。薄く伸びたマナの網に、いくつかの気配が引っかかる。執務室の中には、一人しかいないようだった。恐らくクライヴ本人だろう。
「ノックして、俺を中に入れろ。名前は……テキトーに、奴が懇意にしてる貴族の名前でも出してくれ」安心させるように、肩を軽く叩く。「ポジティブに考えてみろ。長年君達をいじめてきたクライヴがようやく死ぬんだ。後を継ぐのは評判のいい次男、よかったじゃないか」
事前の調査によれば、クライヴはぶっちゃけ評判の良くない当主だった。使用人達や領内の人間には辛く当たるし、税も厳しい。女の使用人なんかは、大体奴にヤラれているなんて噂もあるようだ。女好きらしい。
「助けて……くれるのですか?」使用人の女が、顔を上げて俺を見た。睫毛が潤んでいた。
「助かるかどうかは知らん。俺は俺の任務をやるだけだ。後のことはお前達が、自分で動け。――さ、ノックして」
促すと、使用人の女が意を決したように一歩前へ進み出て、扉をノックした。コンコンコンと音が廊下に響く。
部屋の中から、男が声を上げた。クライヴだろう。
「誰だ?」
「旦那様、お客様がいらしております。アイメント家のジョージ様でございます」
「おお、ジョージか。急に来るなんて珍しいな。入れてやってくれ」
クライヴがそう言うと、使用人の女が一歩下がり俺に扉を譲った。小さく「お願いします……」と呟いたのが聞こえたので、もう一度肩を叩き頷いてやる。
俺はショートソードの鞘を掴み、扉を開いた。クライヴと目が合った。全く予期していなかった仮面の男の登場に、目を丸くし驚愕している。
扉が閉じられた。先程の使用人の女が閉めたらしい。ありがたい気の使いようです。
クライヴが俺から逃れようと、椅子から転げ落ちながら窓の方へと走っていった。飛び降りて逃げるつもりか。不死は羨ましいね、そういうことができて。
懐から小さなナイフを取り出し、投げる。命中。投げナイフは太ももに直撃し、クライヴは痛みを我慢できず転がり呻き声を上げた。
床の上でのたうち回っていたクライヴの上に座った。太っているせいか、柔らかい座り心地。
「クライヴ=フロックス。貴殿には殺人の容疑がかかっている」
「そ、そんなもの、不可能だ! 人間は不死なんだぞ!」
クライヴが俺の尻の下で叫んだ。面白い返しだな。
「はっはっは」笑い声を作ってみせる。「俺から逃げようとした時点でアンタは有罪だよ。法律書はちゃんと読んでおくんだな」
「オレを殺してみろ! 他の貴族や……憲兵が黙ってないぞ!」
「そんなの関係ねぇな。俺たちゃ独立した組織だ」暴れないように、クライヴの首根っこを押さえる。「さ、じゃあ楽しい質問タイムといこうか。お前が俺達の仲間を殺したのは知ってんだ、覚えてるだろ? アナベラをヤッたのは気持ちよかったか?」
クライヴは一言も喋らなかった。仕方がないので質問を続ける。
「お前以外に誰が知ってる? 一緒にヤッたのは誰だ? ジャックとヘンリーを拷問したのは? こっちも忙しいんだよ。秘密を知った奴は全員殺さないといけないんだ。誰がこのことを知ってる? 言ってくれないと、屋敷中の人間を殺さにゃいかなくなる。面倒くさいし、疲れるだろ? さ、答えろ。どうせもう死ぬしか道は残ってないんだ。なら最後に、少しだけでも周りのことを考えてみろよ。家を滅ぼしたいか?」
矢継ぎ早に尋ねてやると、クライヴは喉の奥から小さな声を絞り出した。泣いているようだ。情けない。
「…………し、知ってるのは……オレ以外には、三人だけだ。と……取引を……しないか?」
「話してみ?」
「その三人を今からここに呼ぶ。そいつらはもちろん殺してくれて構わない。ただ、オレだけは、助けてくれ」クライヴは首を回して俺を見た。「いくらでも金はやる。女も酒も、何一つ不自由しない生活を約束する。もちろん、秘密は誰にも喋らない。まだ誰にも喋ってないし、他の三人も話してないはずだ」
「ほお……なるほどね」
俺はクライヴの上からどいて、太ももに刺さったナイフを抜いた。「うぅっ……」とクライヴが呻き語を漏らす。
ナイフから血を拭き取りホルダーに戻すと、クライブの首にショートソードを刺して一度殺した。ややあってクライヴが巻き戻り、立ち上がった。
クライヴに握手を求めつつ、俺は言った。
「良い提案だ。約束しよう。俺は、お前を、殺さない」
「は、話がわかる奴でよかったよ……」クライヴが手を伸ばし、握手を返した。
「その三人を呼んでくれ。一人ずつ順番に」
一度に来られると処理がめんどいからな。《死への誘い》を使ってる時はどうしてもスキが大きくなっちまう。なるべく一対一が基本だ。
クライヴは呼吸を落ち着けるためか一度大きく深呼吸をした。
扉を開くと、先程の使用人の女が立っていた。顛末が気になって、待っていたのかもしれない。
使用人の女はクライヴの顔を見て肩を震わせた。その視線は、明らかに後ろにいた俺に向けられている。
「バイロンを呼んでこい。ここまで連れてくるんだ。いいな?」
「は……はい……旦那様」使用人の女が、掠れた声で返事をした。
使用人の女は、その姿が見えなくなる最後の最後まで、軽蔑と落胆の感情を瞳に宿し続けていた。
用語解説
ロズメリア統治法:城塞都市国家ロズメリアに制定された法律の総称。以下一部抜粋。
・窃盗は死刑とする。
・器物損壊は死刑とする。
・傷害沙汰は加害者を死刑とする。自己防衛の範疇を越えた暴力行為が見られた場合、被害者も死刑とする。
・無銭飲食は死刑とする。
・憲兵隊並びに特殊犯罪及び凶悪犯罪対策選抜部隊の職務の妨害は死刑とする。
・路上での排泄行為は死刑とする。
・路上での姦淫行為は死刑とする。なお、その判定は憲兵もしくは特殊犯罪及び凶悪犯罪対策選抜部隊に委ねることとする。
・交通機関の運行に関して、意図的に遅延を発生させることは死刑とする。
・人身売買は死刑とする。
…………など。
実態としてはそこまで厳しく監視されている訳ではないが、小さなことでもバレれば一発死刑になってしまうため、基本的に治安はいい。
一部の住民(貴族など)は、憲兵に金を支払い犯罪を揉み消している。
不死が発生するまでは、死刑制度はなかった。




