二十節 これだけはゆずらない
射撃練習で使わせてもらっている憲兵の施設を後にし、家路につく。
アシュリーの肩にはライフルが入ったケース。俺が買ってやったものだ。買ってやったっていうか、アシュリーの持ち物は全部俺が買ってんだけど。まあとにかくそれ。なるべく自分で持たせるようにしている。担いだまま動くことに慣れさせるためだ。最初の頃は重い重いと文句ばっかり垂れていたが、今ではすっかり慣れたのか、顔色を一切変えずに歩いている。
コイツは『死者の手』に入るつもりはないらしいし、実際の所ライフルを担いで走り回るなんてことは恐らくないだろう。前のように暴漢に絡まれたら銃を見せれば大概逃げるだろうし、それでも向かってきたら適当に蹴飛ばしてやればいい。正当防衛なら罪には問われない。……ついでにちょっと卑怯だけど、俺の認識タグを持たせている。万が一いわれのない罪に問われそうになっても、コレを見せれば俺との繋がりがわかるって寸法だ。
しばらく歩き自宅に戻ると、アシュリーが手を大きく上げ伸びをした。
「んっな~……」
スラッとした腕が持ち上げられたせいで、タンクトップの隙間から腋と膨らみが主張を始めた。若干目のやり場に困る。
「……さーて、メシメシ。すっかり遅くなっちまった」
サッとアシュリーの脇を通り抜け、キッチンに向かう。これでよし。目のやり場に困るなら視界に入れなければいい。
「アタシも手伝おーか?」
ライフルを置いてきたアシュリーが、テーブルに手をつきながらピョンピョン跳ねて言った。なぜお前は俺の気苦労を察してくれないのか。
「……材料がねぇな。手伝うどうこうの問題じゃないわ」買うの忘れてたらしい。夏だから痛むの早いし、あまり備蓄してないのだ。「今日は外で食おう」
どうせ家で作っても手抜きになるだけだし。金に困ってる訳じゃないんだからいいだろう。一般人に比べれば、これでもそこそこ金持ちなのだ、俺は。
「また出るのー?」少しだけ不満気にアシュリーが言った。「アタシ、コーヒー飲めるとこがいいでっす!」
「はいはい。……お前ホントコーヒー好きよな。俺には理解できん」
なんであんな苦いだけの飲み物が好きなんだ。世の中の女ってのは、もっと違うもんを好むもんなんじゃないのか。俺の中じゃ、少なくともコーヒーにそのイメージはない。仕事に疲れた奴が眠気覚ましに飲むイメージだ。
「なんでわかんないかなぁ」アシュリーが心底可哀想なものを見るような目つきになって言った。「あんなに美味しい飲み物は他にないのに」
「言ってろ。――ほれ行くぞ」
上着を羽織り玄関へ向かうと、慌ててアシュリーが後ろから付いてきた。鍵をかけ、再び二人並んで歩く。辺りはもうすっかり日が落ちてしまい暗くなっていて、ぽつぽつと設置されたガス灯が通りをクリーム色に照らしていた。
少しだけ肌寒いかもしれない。俺じゃなくて、アシュリーが。流石に夜ともなれば気温は落ちるし、土地柄風もよく吹く。
上がタンクトップだけ――正確にはタンクトップの下に何か着ているらしいのでだけってことではないが――のアシュリーには寒いかもしれない。というか、現に両腕を擦って寒そうにしている。
「仕方ねぇからコイツをくれてやろう」
俺は羽織っていた上着を脱いでアシュリーの肩に掛けた。ぶっちゃけ想定の範囲内。むしろこのために着てきたと言っても過言ではない。夜になれば寒いってのはわかっているのに、なぜかコイツは上着を着ないで外に出ちまうことが多いのだ。
「えへへぇ……」アシュリーが妙な声を出しながら、上着に腕を通した。「ありがとっ、パーシヴァル」
にっこり笑顔が、上手いことガス灯の明かりに照らされ俺の目にしっかりと映った。少しだけ頬を染め嬉しそうにしている。顔の辺りに手をやっていたが、アシュリーには少し大きい服のせいで袖が余っている。普段は動きやすい服ばっかり狙って着ているせいか、印象が違って見えるのは気のせいじゃないだろう。
なんだか気恥ずかしくなってきてしまったので、俺はアシュリーから目を逸らし、レストランに向かって早歩きで進んでいった。
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食事――とついでにギリギリ閉まってなかった店で明日の朝食の材料調達――を終え、俺とアシュリーは愛しの我が家へ舞い戻ってきた。
適当に買ってきた食材を棚にぶち込み、水道管温め機械のスイッチを入れる。もうしばらく経てば、いい感じの温度になるだろう。そうしたら風呂だ。
なぜかよくわからないが、水が温まるまでの間、俺とアシュリーの間で会話がなかった。珍しいことではある。大概どうでもいい馬鹿話をアシュリーがして、俺が適当に受け流す感じなのだが。……流石に対応がテキトー過ぎて嫌気が差したとかだろうか? そうだったらちょっとだけ寂しい。
しばらく無言のままそれぞれ過ごしていると、水がすっかり熱いお湯に変わったので、順番に風呂に入ることにした。アシュリーの要望により俺が先に入ることとなった。
なんとなくむず痒い気持ちのまま浴室に入り、シャワーを浴びて汗を流した。寝間着に着替え、アシュリーに風呂が空いたと伝える。
アシュリーは「う、うん。じゃ、入ってくるね」と言い、俺の前からそそくさと姿を消してしまった。
……何? 今の反応? 俺も相当不自然だったけど、それ以上だ。いつもだったら「おっしゃーおっふろー!」みたいに叫びながら入ってくイメージがあるんだが。……流石に誇張したけど。だがさっきみたいに、微妙に頬を赤らめながら風呂に入るなんてあり得なかったぞ。
だがまあ、こうなる原因はなんとなくわかっている。だって俺にも自覚があるから。
射撃の練習した時に言ったあの約束のせいだろう。
あの時は……こう……話の流れでね? あとあれ、親子――に近い関係――なんだし、一緒に寝るぐらいどうってことないわ的な感覚もあって、何の気なしに了承した訳ですよ。それがメシ食ったりで時間を置いて、ちょっと恥ずかしくなってきたというか、いくら親子のような関係でもそれなりに成長してるし、ね? みたいな。
要するに、マジで一緒に寝るんだよな、と意識して二人で恥ずかしがってる訳である。
ついでにここでやっかいなのが、俺とアシュリーが変な所で似た者同士ということだ。つまり……頑固というか、引っ込みがつかないとか、そういう部分。一緒に入ろう? いいぞ。と答えてしまったが故に、なんか撤回しづらい。多分アシュリーも同じだろう。どうしてあんなこと言っちゃったんだと思いつつも、引くに引けなくなっているんだと思う。
だがまあ冷静に考えてみれば、確かに恥ずかしいことではあるが、二年前はしょっちゅうやっていた訳だ。中層に戻ってからしばらくは一緒に寝ていたし、下層にいた頃なんか毎日だ。一緒に寝なくなったのは、こっちに来て数ヶ月が経ってからだ。
なんてことはない。久しぶりに、ちょっと一緒のベッドで寝ようか。それだけ。よし、落ち着け。
頭の中でつらつらと考え込んでいたら、気づいた時にはどっぷり時間が経っていた。濡れた髪を丁寧にバスタオルで拭きながら、アシュリーがリビングに戻ってきた。
顔が僅かに赤いのは、風呂に入ったせいだと思う。全身に血が巡って、赤くなっているのだ。自然なこと。
それから特に会話らしい会話もなく、歯磨きやらを全て済ませてしまった。俺とアシュリーは黙ったままリビングの椅子に座り、なんとなく俯き合っていた。
話のきっかけが欲しい。もしくは何か切り出して欲しい。なんでこんなに会話ができなくなってしまったんだろうか。
「――ん……えっと……」アシュリーがモジモジしながら言葉を発した。「やること全部やっちゃったし、寝る?」
「…………そ、そうだな……寝るか」
誰かどうにかしてくれ。誰でもいいから、この微妙な浮遊感というか、地に足着いてない感じをどうにかしてくれ。俺達当事者にはどうしようもできないんだよ。
理由はなんとなくわかっている。でも、それを肯定したら、ありとあらゆることが変わってしまう。そこをどうにか、理性という名の壁がギリギリ押し留めている。だが増えた水量を減らすことはできず、決壊するのも時間の問題って感じだ。
熱に浮かされながら、俺とアシュリーは寝室に向かった。無言。何も話さない。
ベッドに入ると、俺はいつもしていた通りに胸のスペースを空けてやった。アシュリーがそのスペースに頭を差し入れたのを確認してから、シーツを持ち上げ掛け直す。
「……なんか、久しぶりだと、緊張するね」アシュリーが胸の上で言った。なんとなく、声が骨を通じて響いた気がした。
「その割には、前と変わらず頭乗せてんじゃねぇか……」
「パーシヴァルだってそうじゃん。それに、ちょっとは緊張してるよ?」
そう言って黙ったかと思うと、アシュリーは身じろぎをした後に、少しだけ身体を密着させてきた。二年前よりも成長した、女らしい身体から体温が伝わってくる。心臓の鼓動も。
アシュリーが俺を見上げた。なぜわかるかと言えば、単純に俺がアシュリーを見ていたからだ。視線が合う。暗がりだったけど、頬が赤く染まっているのが見える。
「ねぇ……、いい加減、気づいてるでしょ……?」
アシュリーが小声で言った。目を瞑り、何かを待つように顔を固定した。両腕が俺の首に回され、足と足が絡み合う。
心臓が馬鹿みたいに早く動いている。何が不思議って、爆速で動いている心臓の鼓動が、なぜかアシュリーの心音と繋がっていることだろう。同じタイミングで、脈打っている。
「……」
俺は言葉を発せずにいた。ただ視線だけは、僅かに突き出された唇に釘付けになっていた。
アシュリーの頭に手を添えると、アシュリーが一瞬肩を震わせた。だが頭は動かさず、その時を待っていた。
額を覆う髪の毛を優しく払い、俺は顔を近づけた。俺の肩に置かれたアシュリーの手に力が入り、少しだけ傷んだ。
「……どうして?」アシュリーは目を開き、悲しそうな目で俺を見て言った。「どうして口に……してくれないの?」
「……それは……」
「親子くらい、歳が離れてるから、ダメなの? アタシ、歳の差なんて気にしないよ。パーシヴァルは保護者なんだぜって言うけど、アタシ達、別に血が繋がってる訳じゃない。リンリとか、そういうこと、考えなくていいんだよ?」
「……そうじゃない」
「じゃあ何? アタシ……ずっとパーシヴァルのこと……好きだったのに……。子供じゃ相手してもらえないと思って、二年我慢したんだよ? エッチな姿見せたら反応してくれるかなって思ったけど、無理だったから、我慢したの。でももう、大人になった。……パーシヴァルだったら、アタシの身体、好きにしていいんだよ?」
アシュリーは俺の手を握り、自分の胸の上に導いた。無理やり手のひらを動かさせ、成長した身体を触らせる。だが俺はアシュリーの胸から手を離した。
「何でよ……。もしかして、ララのことが、好きなの? それとも他の人? し、『死者の手』の隊員より、アタシの方がいいよ。パーシヴァルが、おじいちゃんになっても、アタシは若いまんまなんだよ? だって、不死なんだもん! ず、ずっと綺麗なままだし、お世話だって、してあげる……!」
「そうじゃないんだアシュリー。そういうことじゃないんだよ」
「じゃあ何なの……!?」
アシュリーは目からボロボロ涙を零しながら言った。胸が痛い。コイツに、こんな顔をさせてしまった。そんなつもりじゃなかったのに。
「俺は……自分の感情がわからないんだ。お前に対して抱いている感情が、家族としての愛なのか、それとも異性に対する愛なのか、わからない。それだけならまだいい。この心臓の高鳴りが、大人らしく成長したお前への、ただの劣情だったら? お前を養っているこの現状自体、俺の自己満足だ。お前をペットみたいに、弱い奴の上に立って自尊心を満たしているだけなのか、わからないんだよ……」
「アタシ、それでもいいよ……!」アシュリーが顔を目一杯近づけて言った。「だから、お願い、アタシを抱いてよ。道具みたいに扱って、滅茶苦茶にしていいから……! アタシをパーシヴァルの色で染めて……!」
「俺が嫌なんだ……! 正直に言うけど、お前と久しぶりに寝るってなって、なんか――ドキドキしたよ。でも、それがどういう感情なのか理解できないまま、お前をどうにかしたくないんだ! お前を大切にしたいんだ……。自己満足だし、お前の気持ちをないがしろにすることだ。それでも、嫌なんだ。もやもやしたまま、お前を傷つけたくない……」
アシュリーの頭を抱いて続けた。
「だから、今日はおでこで我慢してくれ。絶対に、近い内に答えは出す。頼りねぇおっさんで悪いとは思うけど、男として、ケジメをつけないままお前を抱きたくないんだ」頭を抱く手を緩め、俺はアシュリーを見つめた。涙を拭ってやる。「待ってて、くれないか……? もう二年も待たせてるけど、もう少しだけ、待っててくれ」
「……ホントに、絶対?」
「ホントに、絶対だ。時の女神に誓ってもいい」
「……そんなの、いらないよ。アタシ、パーシヴァルのこと信じてるもん。でも――」
そう言って、アシュリーは俺の胸に手を置いて身を乗り出した。柔らかな感触が俺の唇に触れ、小さく音を立てた。
「これだけはゆずらない。アタシのファーストキスは、パーシヴァルって決めてたから」
アシュリーは尖った歯を見せ、頬を赤らめたまま笑った。照れ隠しなのか「ヒゲでちょっとチクチクした」と言い、ベッドから抜け出す。
「アタシ、自分の部屋で寝るね。おやすみ、パーシヴァル。――待ってるから!」
バタンと勢い良く扉が開け閉めされ、気づけば俺は部屋に独り取り残されていた。
唇の辺りをなぞる。急に顔が沸騰したように熱くなり、アシュリーがいなくなって冷えた胸に熱を移そうと手で仰いだ。
俺は……子供かよ……! アシュリーの方がよっぽど大人っぽいじゃないか……!
悶々としながら枕に顔を埋め、俺は長い長い夜を過ごすのであった。
用語解説
時の女神に誓う:約束事をする際の、最上級の言い回し。時の女神フェノムの信仰はロズメリアを含む、フロウェール大陸全土で行われていて、その女神に誓うことで約束は絶対に破らないという決意の現れを相手に示す言葉。口約束といえど、これを破ることは信用を大きく損ねる行為となる。
※追記(1/12):一部表現の修正。




