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HAKATA  作者: 白地紅点とヨナハ
1/2

野球帽の男 1

 近未来 2030年から2060年頃のHAKTAでのお話。

 擬似細胞で作ら得た生体ウナイ。シナプス交信システムの使い手、エミリ金城(21歳 ガッツな女の子)。左目義眼の古沢警部(旧車好きの中年男性)。醜い顔をした狙撃者、醜面狼(殺し屋)。などが登場する、少しばかりSFでアクションな物語です。

 未来の都市『HAKATA』でのお話です。


『HAKATA』01


 2050年12月1日 日本国。


 特別自治法の適用受けて創られた経済都市のHAKATA。旧博多および、その周辺域をアジアの経済活動の中心地として、他の日本国内の地方自治区とは異なる、特別の自治が認めらていた。


 早朝。

 空には、まだ夜色が残っている。


 オフィスビルの一室。大きな硝子窓の向こうに、大規模な港湾施設、トマリンが見下ろせる。

 部屋の中には、必要最低限の物だけが合理的に配置されている。


 部屋の扉が開いて、美しい女性が入ってきた。体にピタリと張り付いた短毛生地の黒い服。輝く金髪が強烈にアピールしている。

 

 天井の照明器具は通電しておらず部屋の中は暗い。窓の外から射し込んでいる弱い光量だけである。


 薄暗い部屋の中。

 女性の金髪は人の心を引きつけるだけの魅力は十分。

 タイトに張り付いた服は、魅力的なスタイルを証明していた。


 女性は、部屋の中央に置かれたオフィスデスクのイスを引いて座った。

 デスクの上に置いてある、コンピューターディスプレイの電源が入り、抽象化された顔の画像が映し出された。

 その画像に、ディスプレイ枠に埋め込まれている四つのカメラで捉えた女性の画像が重ねて表示された。


 [画像認識クリヤー]の文字がディスプレイに表示されてから、女性は言った。

 「金城エミリ。沖縄県勝連。サーターアンダギー」


 この時点で、画像、予めの登録文字、音声と三つの情報を使ったセキュリティーチェックの処理が完了した事になる。


 ディスプレイの中で通信ソフトが立ち上がり、鬢に白髪の混じる初老の男が映った。

 「早いな、古沢はどうした?」

 通信ソフトの交信者を示す欄には、こちら側には金城エミリ、相手側には福岡厳一の文字が表示された。

 

 「古さんはテダコ街かも、途中で分かれましたから」とエミリ。

 「だろうな、セル(都市監視装置)に捕まらない」と福岡厳一。




『HAKATA』02

  

 エミリは右手の人差し指を、締め付けの強い襟首に差し込んで、緩めようと引いた。


 福岡厳一の画像の背後には、二人の女性が映っている。髪型や服装は全く違うが、同じ顔をしている。二人ともエミリを真似るようにして、右手の人差し指で襟首を引いた。

 

 「シナプスパターンの更新中は、ウナイの脳波モニタレベルは低下します」

 とエミリ。

 同時に、通信ソフト上にテキストフィールドが開いた。そこには通常では読みとれない(理解できない)記号や文字列が、エミリの話す言葉を追いかけるようにしてスクロール表示された。テキストフィールドのタブの部分に、シナプスローダーと書かれていた。

 

 「了解だ。すでに脳波モニタは、こちらで引き継いでいる。ジェンマの方にはジラフ号のデータ暗号処理を継続させるから、更新の処理はジェミニの方だけにしておけ、いいか」

 と福岡厳一。


 「了解」

 とエミリが短く答えると、福岡厳一の背後に映っている二人の女性。その左側の方、白い頭髪をしたジェンマは操り人形の’操りの糸が切れた’かのように襟首を引いていた仕草を突然やめた。


   ・             


 特別自治法、第二条の適用により福岡県の中に経済都市HAKATAが設置されたのは、2021年。東京五輪の翌年である。

 沖縄県は、先行して同法の一条の適用を受けている。沖縄県は過去にも、日本国の統治権を離れた履歴がある。その時期には琉球政府が置かれていた。

 制度上は特別の自治であり、あくまで日本国の地方公共団体の沖縄県であるが’琉球’と呼ばれていた。

 

 オフィスビルの一室で福岡厳一とエミリが連絡している頃、古沢祐一の運転する愛車、117クーペは居住区と商業区の境、6車線が交わる’クロスロード01’と呼ばれる交差点を、法廷速度の半分にも満たない速度で、商業区ビイジラント側から居住区テダコ側へと走行してきた。


 117クーペは外観同様、機械的構成も旧式である。1970年頃にデビューしたスポーツカーで、自動車博物館に行けば、展示されている物を見ることができる。


 117のボディーカラーは濃いブルーメタリックである。ボディー形状は、人間の美意識を基に設計された流線の美しいデザイン。その美しさは、コンピューターソフトでは計算できない女性の魅力、それと同じである。


 運転の古沢祐一は、助手席とを区切る中央コンソールに配置されているウインドウ開閉のレバーを左手の指先で軽く引いた。運転席側の窓ガラスが少しだけ開いた。外から流れ込んだ風の冷たさが、顔に心地よい。


 古沢祐一は、コンソールパネルにある、シガーライターを押し下げた。フロントウインドに通信ソフトの画面が映った。


 「俺だ。エミリ」と古沢。

 古沢は117を停車させ、窓ガラスに映っている通信ソフトを煩わしく思いながら、その向こう側に立ち並ぶビルの一階に入っている店舗を眺めながら、エミリからの応答を待った。


 一分もしないうちに応答してきた。内容は音声ではなく、フロントウインドウに展開された通信ソフトのテキストフィールドに文字列で表示された。

 【スケジュールタスクの起動を確認。後数分で野球帽の男は現れる】とエミリ。


 「了解」と古沢。


 【古さんの現在位置、こちらで捕捉不可。危険可能性上昇。ダメージコントロールの範囲不明。私が行くまで積極的行動はダメ】


 「状況による」

 と古沢は言いながら、後部座席に置いてある黒のコートを掴み車を降りた。


 【117のエンジンを停止して。車の中に居てよ。20分で合流できるから】とエミリ。

 117を降りた黒のコートを羽織る古沢。


 「オッパイをさわらせてくれたら、約束するよ」

 と古沢は言いながら運転席の扉を閉めた。


『HAKATA』03


   ・

 暗がりの一室。窓の向こうに交差点がみえる。辺りには誰もいない。

 紅色の陽光が、立ち並ぶビル群の間に差し込んでいる。

 差し込みの一つが、向こうに見える交差点に及んで、信号機の黄色の点滅表示を見えにくくしていた。

 

 信号機に下げられたプレートには’クロスロード01’と表示されている。


 暗がりの一室。部屋の中は、貸し店舗の引っ越し後で、片づけられていない様子。床は汚れ、壁紙は変色している。部屋の中央に梱包用の木箱をテーブルがわりにして、5人の男たちが座っている。

 部屋のすべての窓は、内側からブラインドが下ろされている。


 男たちの一人が言った。

 「コ・チイから連絡は?」

 

 野球帽を被った男が、足下に置いてあるコーデュロイのバックから、ラップトップPCを取り出して、テーブルがわりの木箱の上に置き、PCを開いた。


 「脱出路のデーターは受信している。暗号化されているから、解読中だ」

 と野球帽の男。


 「まだ信用できない。こいつは怪しい」

 と別の男は言いながら、野球帽の男の腕を掴んだ。


 「ここまでは、問題ない」

 と野球帽の男は言いながら、捕まれた手を解き、ラップトップPCの画面を、他の男たちに見えるようにして向けた。画面には、この場所からの逃走ルートが3つ示されている。


 男たちは、確かめる目つきで互いを見ながら話だした。日本語、中国語、及びよく聞き取れないがアジア圏のどこかの国の言葉で。


 野球帽の男だけは、なにも話さないでいる。自分に向けられた嫌疑について、他の男たちによる、なにかしらの決定を静かにまっている様子。


 男たちは、呂(リョ/ボウリョクダン)からの、ヤバイ仕事を請け負い、その途中であった。


『HAKATA』04

 

 西暦2000年以後、急速に経済力を増大させた中国。世界経済は中国をメインエンジンとして加速した。

 しかし中国政府の経済活動への態度は恣意的であり、他国から参加している企業には得られる利益より不利益の方が、次第に増加した。

 2020年頃には、主要な産業、及び利益効率のよい労働価値は他のアジア域へと移転した。


 世界経済を牽引する力。たとえそれが歪んだものであっても、経済活動による関係性が保たれている間は、戦争という大災害の予防効果が期待できる。

 中国は、その役割を果たしていた。


 しかし、歪んだ牽引力にも限界はある。そこで必ずしも公平であるとは言えないが、強国による秩序ある経済活動の場所が作られた。


 その具体的な場所が’HAKATA’である。世界的経済活動の中心地であり、特別の自治が認められた経済都市である。


   ・


 旧博多湾、2050年時点での公式名称はテダコ湾。

 HAKATAが設置されたと同時に、この名称テダコに変更されている。


 港湾内のプライベート船の停泊エリアに、福岡厳一の常座である高速船ジラフ号が入ってきた。海上保安庁の高速パトロール船と同タイプの船体(機種)である。が外観は異なる。テダコ湾を走る遊覧フェリーに似せたカラーリングと、それらしく見えるように形状が変更されていた。


 ジラフ号の操舵室。痩身の若い女性が操舵輪を掴んでいる。ジラフ号はコンピューターで制御されているから操舵輪は不要である。が操舵輪を掴んで立つ、この女性の姿は美しい。合理性では計算できない価値である。


 女性は、黄色の体操着を着ている。体操着の側面には黒色の波線が三本が入り、背中には顔をスッポリと覆えるフードが垂れている。白い首飾りをしていて’ジェンマ’と黄色い文字が書かれていた。

 

 操舵輪の周辺には、制御装置とインターフェースする入出力を兼ねたパネルタイプのディスプレイが並べられている。


 ディスプレイに、通信ソフトが立ち上がりウインドウが開かれ福岡厳一のバストショットが映った。

 「より、覇01(ハゼロイチ)へ応答願う」

 と福岡。


『HAKATA』05


 福岡厳一が表示されているウインドウの隣に、別のウインドウが開き、自衛官の制服を着た男が映った。その男は敬礼したまま応答してきた。

 「覇01(ハゼロイチ)です」


 「セル(都市監視装置)の監視エリア外をモニターしたい」と福岡厳一。


 「了解です。作戦規範レベルの通知は、私からしておきます。よろしいでしょうか准将?」

 と自衛官の男が返答する。

 同時に別のウインドウが開き背広の男が話してきた。

 「通知は確認している。規範レベルは、スサノヲ、で承認します」

 と背広の男は言いながら、左手を軽く握り人差し指を突き立てた。 

 

 「了解した」

 と福岡厳一も人差し指を突き立てた。


 通信ソフトが、新たなウインドウを開き’セキュリティーOK’と表示した。三者通信の安全性が確認された事を意味している。


 三者が映る、それぞれのウインドウのネームタブに、文字が表示された。

 自衛官の男のタブには、儀間信条中佐。

 背広の男のタブには、社本史彦内閣府。

 福岡厳一のタブには、福岡厳一と表示されたが、すぐに別の文字’須佐之男’に書き換えられた。


   ・


 テダコ街の一室。

 部屋の中央、野球帽の男と他に四人の男たちが、テーブル代わりの木箱を囲んで座っている。


 「組織から指示された逃走ルートは三つ」

 と野球帽の男は言いながら他の四人の男たちに、ラップトップPCに表示された、三つの逃走ルートの地図を見せた。


 男たちの一人が言った。

 「テダコ湾を経由するルートがいいだろう。逃走用の船に乗れれば、後は海の上だ。朝鮮半島まで直通だ」

 続けるようにして別の男が言った。

 「そうだが、テダコ湾内のセキュリティーをパスでくるのか?」

 と、その声からは明かな懸念が感じ取れた。


 さらに別の男が、野球帽の男を見ながら言った。

 「この男が、アンダーカバー(潜入捜査官)ではないと言えるか?」

 

 野球帽の男は’アンダーカバー’と声にした男の目を見て言った。

 「その疑いは当然だ。あんたの胸ポケットに入っているカプセルは、その為の保険だろ?」


 男は、胸ポケットから二つのカプセルを取り出して、ラップトップPCのキーボードの上に置いた。カプセルの一つは赤色、もう一つは青色。


 野球帽の男は、赤色のカプセルを指先でつまんで、口に入れ、軽く前歯の上下で挟み、皆に見せた。

 「赤色が毒、青色はその解毒剤。12時間以内に解毒しなければ死ぬ」

 と野球帽の男は言うと、赤色のカプセルを飲み込んだ。


 「いいだろう」

 と、カプセルを所持していた男は、残った青色のカプセルを取り上げ別の男に渡した。

 

 窓の向こうから、この時代には珍しくなったガソリンエンジン車の音が聞こえてきた。エンジン音はゆっくり近づいてきて止まった。


 男たちは驚いた。

 野球帽の男は、ラップトップPCのキーボードを叩いて、ある情報を表示させた。

 

 男たちの一人が言った。

 「香椎警察の、あの刑事だ」

 

 PCの画面には、古沢祐一警部に関する情報が表示されている。古沢を識別する二つの特徴。それは’青のクラシックカー’と’左目の義眼’である。表示された情報には、その部分が反転色でマーキングがされていた。



『HAKATA』06


   ・


 古沢祐一は117を降車し、黒のコートを羽織ると目の前の交差点を、反対側の歩道へと歩いて渡る。

 古沢祐一は交差点を渡りながら、背中からフードを引き上げ、左手で腰の辺りにあるであろう、スイッチボックスを探した。


 「通信回線、NGだっけ?。記録の為にも言っておく。これより作戦オブジェクトに接触する。B作戦だ。Cだっけかな。まぁどちらでもいいや。対象オブジェクトである野球帽の男に接触するぞ。バカな連中でもさすがに誤魔化せなくなる頃だ」

 と古沢が話していると、着ている黒のコートの表面に、格子状の模様が浮いてきた。


 「もしも俺が死んだら先ほどのセクハラ発言は許してくれ、117を譲からよ。生きていれば、コミュニケーションの範囲内、会話の潤滑油ってやつだ。おっぱい発言ぐらいで怒るなよな」 

 と古沢が、話している間に黒のコートに浮いた格子状の模様は、複雑に形を変えながら周囲の景色にとけ込むように変色した。まるでカメレオンのように。


 反対側の歩道へ渡りきった頃には、古沢の姿は朧気な状態となっていた。

 「記録終了。タイムインデックス。宛先、エミリ金城」

 と古沢は言ってから、左耳に差し込んであったコム(交信装置)を左手で取り出して襟の内側に隠した。


   ・


 部屋の男たちは、驚いて窓の方へ近づいた。

 「奴に見つかったな。どうする?」

 と窓に一番近い男が言った。


 「いいさ、どうせ殺すつもりだった」

 と別の男が言った。




『HAKATA』07


 部屋の中央、テーブルを囲んで座る5人の男達。呂(リョ/ボウリョクダン)の仕事を請け負う連中である。


 その中の一人、野球帽を被った男がパソコンの画面で、古沢祐一警部の情報を男たちに見せていた。

 男たちは互いを確かめるような目つきで見ながら、日本語と中国語を使い分けて話している。  


 ボウリョクダン組織には派閥間の抗争、また外部からのスパイの危険がある。警戒の緊張を止める事は死につながる。同じ組織に属していても信頼関係は無い。利害関係が一致してる間だけ協力するだけだ。

 男達に完全な信用、信頼関係があるわけではない。場合によれば敵対関係となる間柄。

 そのような協力関係の微妙なバランスが、日本語と中国語の混ざる不合理な会話を作り出していた。


 このような関係は裏社会だけではない。一般の企業活動においても同じ事だ。利潤の追求が優先され、そこでの人間関係はその為にある。


 男達の利害関係は、古沢警部から逃れる事で一致していた。


 パソコンの画面に地図が表示され、赤のラインで三つの逃走ルートが示されている。

 逃走ルートの始点、そこは地図の中央、男達の居るこのビルである。逃走ルートの行く先は三つに別れる。最も逃走の成功率が高いとして示されているルートは、北方の港湾を通り海上へ延びている。地図上の表記は、テダコ湾、旧博多湾と二つ名で併記されていた。



 部屋の男たちは、驚いて窓の方へ近づいた。

 「奴に見つかったな。どうする?」

 と窓に一番近い男が言った。


 「いいさ、どうせ殺すつもりだった」

 と別の男が言った。



 突然、男達の背後からガラスの割れる音が響いた。


 気づいた男達は振り向くが、すでに古沢が部屋に飛び込んでいた。


 古沢は床を転がり起きて両手の銃を男達に向けた。男達との距離は15メートル程。全身を覆う黒色のコートを着ている。左右の眼はそれぞ色が異なり右眼は東洋人を表す黒色。左眼はどの人種にも属しない青の蛍光色に光っている。

  


 男達の背中に銃を向けた格好で。

 「簡単すぎる。低脳な連中だぜ」

 と古沢はニヤリと微笑んだ。

 

 振り向いた男達は一瞬で理解した。男達に突きつけられた二つの事実。ガソリンエンジン音、青に光った義眼。理解と事実との因果関係は単純であり確実であった。


 

 男達は五人。同時に動かれたら一人か二人は逃げられてしまう。男達が振り向く前に古沢は両手の銃を同時に発砲した。二人の男が向こう側へ飛ばされ、壁に当たって気絶。そのまま床に倒れた。

 

 続けて両手の銃を発砲。一人は同じように壁に当たって気絶した。が、もう一人は何ともない。着弾を逃れた、その男は古沢を襲ってきた。


 古沢は両手の銃を素早く上方に短く投げる。落ちてきたところを銃身の部分を握って持ち変えた。

 右手に持った銃で、襲ってきた男の顔面を殴ろうとしたが、その男は寸前でかわし古沢の腹部に蹴りを入れた。


 男の動きは止まらない。続けて古沢に襲いかかる。

 古沢は後方へ、よろめきながら左手の銃を男の顔めがけて投げた。がその男は寸前で避けた。

 

 古沢は右手の銃を投げ捨てると、男に体当たりした。二人は床を転がった。


 男は床を転がりながら、古沢が投げ捨てた銃を床から拾って立ち上がり銃口を古沢へ向ける。

 だが古沢は躊躇する事なく、床から立ち上がると同時に男へ向かった。


 完全なタイミング。

 男は引き金を引くだけで古沢を射殺できる。男はそうしたが射殺の弾丸は発射されない。

 銃の握の部分にある生体認証システムにより、古沢以外の者では発射できないよう安全装置が機能していた。


 男はもう一度引き金を引いたが発射しない。

 男の心に’困惑’の感情が湧いた。その感情に誘発された「なぜ」の表情が顔に浮かぶ前に、古沢が男の腹部に蹴りを入れていた。


 男は腹を抱えるようにして前のめりになる。

 古沢は、両手を握り併せて作った拳で、男の後頭部を殴った。男は床の上にうつ伏せに倒れた。


 古沢は男の手から銃を取り上げた。自分の手の内側で確かめさせるように深く握ると「カチリ」と鳴って銃の安全装置が停止した。

 「拾った銃で撃てると思ったのかよ、低脳」

 と古沢は、ニヤリと頬をゆるめた。



『HAKATA』08


 古沢は部屋に突入してから誰も殺していない。

 男達を行動不能にし、残るは野球帽の男だけ。

 部屋の中を見回すが野球帽の男は消えていた。

 

 古沢は左手でコム(通信機)を取り出し左耳に差し込んだ。人差し指でコムを軽く押さえながら言った。

 「段取りと違うぞエミリ。ってこの通信キャッチできてるのか?」



 エミリの声がコム(通信機)に応答してきた。

  <記憶を消してあるから本人は必死よ。便利な機能は止めてあるけど思考力はそのままだから、そのつもりで>


 「了解しているが、俺よりも賢いのなら、捕まえられないぜ」と古沢。


 エミリは偉ぶった口調で言った。

  <だから私がいるの。裏口から出て建物の南側、大通りを渡り、カフェの二階へ向かう階段を移動中よ>




『HAKATA』09


 古沢は裏口を出ると鼻を突き刺すような不快なニオイに驚いた。そこは隣の建物との狭い路地で、壁沿いには溢れ出したゴミ箱が並んでいる。表通りに近い方の壁には幾つものシミの後があり、まだ濡れているシミから小便の強烈なニオイが発せられていた。


 古沢は背中の方に垂らしていたフードを引き上げ、頭部全体を隠すようにして被せた。フードの上から左耳に差し込んであるコム(通信機)を左手の指先で押さえ「使い方は」とエミリに聞いた。

 

 エミリが応答してきた。

  <背中側の腰の部分に付属するボックスのスイッチを押して。遮蔽効果は動かない状態で最高値90%、早く動けば、それだけ遮蔽効果は低下するわ>

 エミリの説明が言い終わる前に、古沢はスイッチを押していた。

 古沢の着ている黒いコートに細かい格子状の線が浮かぶように表れる。格子単位で変色を繰り返し周辺にとけ込むように色を変えていく。


 古沢は不快なニオイに苛立ちながら、路地を表通りの方へ歩いて行く。歩きながら表通りの向こう、カフェの大きなガラス窓に、自分の姿を探したが見あたらない。


 見あたらない、とは完全に姿が消えているのではなく、何か知ら曖昧とした物体が微かに見える程度、という意味である。


 古沢は茶化すような口調で言った。

 「いい感じだな、この忍者服」


  <軍の最高技術よ。まだ数がないから、破損しないでね> とエミリ。


 古沢は建物の端まできて立ち止まった。すぐそこの交差点に保安パトロールカーが見えたからだ。保安パトロールカーは無人であった。 


 保安パトロールカーの上部にはサイレン灯や録画カメラなどの測定機が取り付けられている。周辺の様子を測定機で確認し警察署へ情報が送信されている。

 サイレン灯は消えているが、ゆっくりと右に回転し、録画カメラはサイレン灯とは逆方向に回転していた。

 

 古沢が不安を声にする前にエミリが先に答えてきた。

  <遮蔽効果で人の目を騙せても、電子デバイスには無効よ>


 「そうも言ってられないぜ」

 と古沢は言ってから、保安パトロールカーに検知されない何らかの具体的方法について、エミリから何らかのアドバイスがあるだろうと、数秒待ったが応答は無い。

 

 「おまえ117のアクセルペダルを踏んでこい。近くにいるんだろ」

  <了解、もう移動している。ドアを開くにはどうするの>


 「渡してあるだろ、鍵だよ。ドアノブのところに鍵穴があるから差し込んで回せ」

  <鍵って、金属片を加工したやつね、使った事ないから>

 とエミリが言い終わる前に、唸り声のようなエンジン音が聞こえてきた。停車していた保安パトロールカーは、エンジン音の方へと動き出した。


 「車を降りる時はコンソールパネルにあるアフターアイドルのダイヤルを回すんだぞ」

 と言いながら古沢は、動き出した保安パトロールカーが建物に隠れて見えなくなると歩きだした。

 表通りを渡りながら古沢は、カフェのガラス窓にボヤケた感じであるが自分の姿が映っているのに気づいた。


 古沢は道を渡りきると、そのままカフェの二階へ向かう階段を上った。



『HAKATA』10


 「るーどくも」と読み上げたのは野球帽の男。部屋にはこの男しかいない。


 ガラス窓に書かれた文字を読み上げたのだが、その文字はカッティングされたシートを外側からガラス窓に張り付けたもので「もくどーる」と読むのが正しい。


 部屋の中は、天井までの網棚が幾つも並び、部屋を狭くしている。網棚には玩具の部品が乱雑に並べられ、壁沿いには、それら部品を組み立てれば完成する、タリンドール(人型をした玩具のロボット)が並んでいた。


 タリンドールは1メートル程の高さがあり、金属のパーツが剥き出しの状態のものや、警察官や自衛官をイメージした外装で覆われたのがある。


 タリンドールは、ロボットやミリタリー系のプラモデル、また自動車模型など男性用の玩具に類するもので、ドロール(作業用人型ロボット)を模倣して作られている。


 外観は似せて作られているがサイズは小さい。また機能も自動車模型と実物の自動車とを比べるようなもので、二足歩行ができるだけである。そういう意味で、タリン(足りない)という音とドール(人形)をつなげて、タリンドールと呼ばれていた。



 野球帽の男は、今いる部屋の奥に、別の部屋があるのを見つけると、そちらの部屋に足早に移動する。

 積み上げられた段ボールで埋めつくされた部屋の奥に、デスクに置かれたパソコンが見えた。

 そちらに近づきキーボードを適当に叩くと、消えていたディスプレイに電源が入り、散らかるようにしてアイコンが並んだ画面が表示された。野球帽の男は、上級者用の画面を立ち上げた。


 上級者用の画面は、GUIグラフィカルユーザーインターフェースの下位で起動しているプログラムに直接操作する方法である。

 GUIでは扱えないコンピューターの機能、また効率的な操作が行える。しかしその操作は専門知識が必要なことから一般の人には利用されていない。


 野球帽の男は両手を素早く動かしてキーボードを打ち込む。打ち込んだ内容が画面に表示されるのだが打ち込む早さに表示速度が追いつかずに画面の文字は霞んでいた。


 コンピューターと人のコミュニケーション方法は、人による入力、及びコンピューターからの出力を適切に行う事で進行する。

 人同士のコミュニケーションと同様、コンピューターとのコミュニケーションもその内容が具体的になるほど誤解が発生する。その都度、コミュニケーション内容を相互に確認しながら、誤解を修正していかなければならない。


 誤解の修正作業を、人同士の場合は会話を重なることで行う。コンピューターの場合は入力と応答、それぞれの内容を画面に表示して行う。

 しかし野球帽の男は、入力と応答、どちらの内容も画面で確認もせずに続けた。すでに内容を知っているかのように。

 数十秒してキーボードを叩いていた両手が止まった。さらに数十秒後、スクロールを続けていた画面が止まった。

 野球帽の男は、コンピューター本体に張られてあるスペック(性能値)が表示されたシールを見てつぶやいた。

 「思ったよりも遅い。表示のスペックならこんなものではないだろう。物理デバイスではなく論理回路が低レベルなのか?。それとも通信回線の帯域不足だろうか?」 

 

 ここまでの行動を見ると、野球帽の男は焦っている、と言えた。焦りを証明するのは次の三点である。読み上げる必要もないのに、しかも逆に読み上げた店名。コンピューターからの応答を確認しない一方的な入力。またコンピューター処理が遅い事について考えた事だ。


 だが焦りを示す最も分かりやすい’顔の表情’が野球帽の男には無かった

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