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第六話:絶望の歌を、歓喜の旋律へ

名器と呼ばれる楽器は、往々にして扱いが難しい。

 ほんの少し湿度が変わっただけで機嫌を損ね、素人が弾けば耳障りな不協和音しか出さない。だが、ひとたび本物の調律師が手を加えれば、それは世界を変えるほどの音を鳴らす。

 僕が拾い上げた「白雪凛」という楽器は、控えめに言って最悪の状態だった。

 錆びつき、ひび割れ、自ら音を鳴らすことを拒絶している。

 だが、だからこそ。

 この壊れた楽器が完璧な和音を奏でた時、偽物たちは恐怖に震えることになる。

新宿の路地裏での契約から三日後。

 僕はなけなしのマネージャー給料をはたいて、都内にある場末の貸しスタジオを押さえていた。壁の吸音材はタバコのヤニで黄ばみ、備え付けの機材も一昔前の型落ち品ばかり。かつて如月アサヒとして使っていた、一時間数万円のハイエンドスタジオとは雲泥の差だ。

 だが、今の僕らにはこれで十分だった。

「……で? ここで私に何をさせたいわけ。まさか、あの掃き溜めから私を連れ出したのは、ただのカラオケに付き合わせるためじゃないでしょうね」

 パイプ椅子にふんぞり返り、不機嫌そうに腕を組む白雪凛。

 すっぴんに黒いパーカーというラフすぎる格好だが、それでも隠しきれない目鼻立ちの鋭さは、やはり天性のものだ。

「カラオケじゃない。君の『査定』だ」

 僕はミキサーの電源を入れ、各種フェーダーを調整しながら答えた。

「君の喉には、百万人に一人の強烈なエンジンが積まれている。だけど、運転技術テクニックが三輪車レベルだ。今のままじゃ、三万人を感動させる前に君自身の喉が破綻する」

 僕はプリントアウトした数枚の楽譜を、凛の膝に投げ落とした。

「あの夜に見せたUSBの曲……僕が書いた曲だ。一度だけオケを流す。譜面を追って、君なりの解釈で歌ってみろ」

 凛は忌々しげに楽譜を拾い上げた。

 その曲――『カタルシス』は、ルナのために書いたものではない。ルナの薄っぺらい感情表現では絶対に歌いこなせないと判断し、僕の頭の中だけで完成させていた、文字通りの未発表曲だ。

 変拍子が入り乱れ、低音域から一気にハイCまで跳躍する、狂気じみた難易度のメロディライン。

 オケが流れ出す。

 重厚なベースラインに、切り裂くようなピアノの旋律。

 凛は目を見開き、食い入るように楽譜を見つめた。音楽を憎んでいると言いながら、本物の音を前にした彼女の細胞が、無意識に反応している証拠だった。

「……いくよ」

 マイクの前に立ち、凛が息を吸い込む。

 そして、第一声。

『――剥がれ落ちた、嘘の数だけ』

 防音室の空気が、ビリッと震えた。

 やはり凄まじい声量と、声の芯にある「怒り」の熱量。地下アイドルの劣悪なモニター環境で、無理やり声を張り上げてきたせいだろう。

 だが。

「ストップ」

 僕はサビの手前で無情にもオケを止め、トークバック(指示用のマイク)のボタンを押した。

「ダメだ。全然ダメ。話にならない」

「……はぁ!? あんたが歌えって言ったんでしょうが!」

 凛がヘッドホンを外し、マイクスタンドを蹴り飛ばしそうな勢いで睨んでくる。

「熱量『だけ』は認める。だが、それはただの怒声だ。君は喉仏を無理やり押し上げて、声帯を削りながら歌っている。その胸式呼吸のままサビの高音にいけば、一発で声が裏返るぞ」

 僕はコンソールの前から立ち上がり、防音ブースの中へ入った。

「ルナ……いや、巷に溢れる偽物のアイドルたちは、そのピッチのズレを機械オートチューンで修正して『完璧』を装っている。でも、僕は君の歌にそんな安っぽい魔法はかけない。君の剥き出しの刃で、世界を刺し殺してほしいからだ」

 僕は凛の背後に回り、彼女の肋骨の下、横隔膜のあたりに両手を当てた。

「……っ、ちょっと、何すんのよ!」

「動くな。プロデューサーの指示だ」

 僕は冷徹な声で押さえ込み、指示を出す。

「息を吸う時、肩を上げるな。ここに空気のタンクを作るイメージだ。そして高音を出す時、喉を締めるんじゃなく、頭蓋骨の裏側……共鳴腔に音を当てる感覚を持て。君の憎しみを、声帯で爆発させるな。頭のてっぺんから針のように突き抜けさせろ」

 凛は歯を食いしばり、反抗的な目を僕に向けながらも、指示通りに深い呼吸を繰り返した。

 僕がルナを指導していた時は、こんなに反発されることはなかった。彼女は僕の言うことを「はい、アサヒ」と大人しく聞いていた。だが、それはただの「従順な人形」だったからだ。

 凛は違う。彼女は自分という確固たる自我を持っている。だからこそ、ぶつかり合う。

「もう一度だ。頭から行くぞ」

 僕はブースを出て、再びオケを流した。

 凛が目を閉じる。

 先ほどまでの粗暴な空気が消え、張り詰めた糸のような緊張感がスタジオを包んだ。

 イントロが終わり、彼女が息を吸い込む。肩は上がっていない。完璧な腹式呼吸。

『――剥がれ落ちた、嘘の数だけ』

 先ほどとは打って変わって、静かに、這うように始まるAメロ。

 そして、徐々に熱を帯びていくBメロを経て、難関のサビへと突入する。

『――燃やし尽くせ、この絶望を!!』

 ゾワッ、と。

 僕の全身の産毛が逆立った。

 それは、綺麗なだけのベルの音ではない。歪みまくったエレキギターを、世界最高のギタリストが掻き鳴らしたかのような、圧倒的で暴力的な「美しさ」だった。

 ピッチは寸分の狂いもない。それでいて、彼女の奥底にある「世界への憎悪」が、一切のフィルターを通さずに音の塊となって防音室の分厚いガラスを叩き割らんばかりに響き渡った。

 アウトロが終わり、静寂が訪れる。

 凛は肩で息をしながら、信じられないものを見るような目で、自分の両手を見つめていた。自分がこんな音を出せたことに、彼女自身が一番驚いているのだ。

 僕はゆっくりと立ち上がり、マイク越しに声をかけた。

「……合格だ」

 僕は、十九歳の神代朔になってから初めて、心の底からの笑みを浮かべていた。

「素晴らしい。ルナなんか足元にも及ばない。君は間違いなく、世界一の化物になる」

 凛はまだ呆然としていたが、やがてフッと自嘲気味に笑った。

「……あんた、本当に何者よ。魔法使いか何かなの?」

「言っただろう。ただの調律師だ」

 原石のカットは終わった。

 次は、この圧倒的な光を、どうやって世間に見せつけるかだ。

 黒岩やルナが支配していた既存のテレビやメディアを使うつもりはない。そんな古臭い土俵で戦う気など、毛頭なかった。

「さあ、帰って準備をしておけ、凛」

 僕はノートパソコンを開き、ある動画配信サイトの画面を立ち上げた。

「明日の夜。君のその歌声で、日本中のネットをジャックする」

 地雷は設置された。

 偽物の王座が崩壊した今、本物の歌姫が玉座を奪いに行く時間がやってきた。

第六話、最後までお読みいただきありがとうございます!

 今回は、朔の「プロとしての顔」と、凛の「圧倒的なポテンシャル」がぶつかり合う、音楽モノの醍醐味であるレッスン(調律)のシーンを描きました。

 「ルナは従順な人形だったが、凛は自我を持った化物」という対比が、今後の二人の関係性を面白くしていく鍵になります。

 そして次話からは、いよいよ凛の世間へのお披露目、つまり『反撃編』が本格的にスタートします!

 既存のメディア(テレビ等)をすっ飛ばして、ネットの力で一気にバズらせる朔の敏腕プロデュース手腕にご期待ください。

 「凛の歌声の描写に鳥肌が立った!」「早く世間に見せつけてざまぁしてほしい!」

 と思っていただけましたら、ぜひページ下部の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして、この二人の快進撃を応援してください!

 皆様のポイントが、凛をスターダムに押し上げる力になります!

 次回、第七話――「名もなき化物の、宣戦布告」。

 お楽しみに!

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