11.知りたくない気持ちは
授業が終わると弓は音丸が教科書などを片付けるのを待っていた。
「ちんたら片付けてんなよ?こっちは待ってんだ」
「勝手に帰ればいいだろ?勝手に待っていて文句言われちゃぁ…」
音丸は鞄を閉め、背負うと弓に向かって言った。
「…ぉい、お前忘れてないか?」
「へ?…何が?」
音丸は弓の呆れた眼差しを首を傾げて見た。別に忘れているようなことはない気がするのだが…。
「お前ん家にエロ本があるか見るって言っただろ?」
弓の言葉が聞こえたクラスの何人かは、クスクスと笑った。音丸は顔を真っ赤にし、教室を出た。ズンズンと進んでいると後を追うように弓が追いかけてきた。
「な…変なことをクラスで大きな声で言うなよ」
「ん?普通の声だったぜ?」
「んなもん持ってないんだからさっ」
音丸はスタスタと足早に昇降口に向かう。
「だーかーらー、それを調べるって言ってんだろう?」
「勝手にしてろよ…」
音丸は投げやりな口調で言うと、弓はにやりと笑い、言った。
「ふーん、いいのかなぁ?もう一度ここで“エロ本”って言うぞ?」
「あぁ、はいはい。わかりましたよ。確認したければきなよ、もう…」
音丸はうんざりとした表情で弓を見、諦めた。生徒でにぎわうこの昇降口でまたそのような単語を言われて赤面、及び恥をかかなければならないのは音丸なのだから…。
「よし、決定♪」
「…ほんっとお前、嫌な奴だな」
「いやぁ褒めても何もでないぜ?」
弓の台詞に音丸は大きなため息をついた。
「えーと、まずはベッドの下だな。当たり前すぎて逆に見落としがちだからな」
弓は楽しそうに音丸の部屋捜しの予定を立てている。この話を聞いている限り、かなり荒らしていきそうだ。ありもしないエロ本のためだけにベッドをひっくり返されてはたまらない。
「あ、すぐ入れろよ?ありのままの部屋見せてもらうからな?隠滅などさせん」
「嫌な奴だな…ほんっと」
「きしし、男の子の部屋って見ないからさ」
あともう少しで家につくという、塀の角を曲がったところ。家の前が騒然としていることに気が付いた。大きなワゴン車やカメラを片手にした人達が徘徊している。
「芸能人でも来んのか?」
弓は期待して彼らを見たが、音丸は違った。歩いていた足を止め、塀に隠れるように戻り、睨みつけるように彼らを見ている。
「ごめん、弓。今日ちょっと用事あったんだ」
音丸は急にそう言い、元来た道を戻り始めた。
「一人暮らしなんだから用事もなんもないだろ。隠蔽させっかってんだっ」
音丸が走りだしたのでそれを追って弓も走りだす。音丸は弓をまくためか、家の角を曲がり、さらに曲がり、ぐるぐると移動した。元々ここらの地形は把握していないので何度も見失いかけた。
音丸が姿を消した角からコロコロと赤い小さな玉が転がってきた。弓は気付かずにその玉を踏んだ。
パンッ
大きな破裂音がし、ツンと火薬の香りが漂った。弓はこの破裂音に驚き、胸に手を当てた。
「な、火薬玉?ったく驚かせやがって…どんな嫌がらせだよ」
音がしたということで、家の前にいたカメラを持った人々はキョロキョロ見回し。音のした方向へやってくる。弓は何だか自分が追われている気分になり、走って逃げた。
前を見ると音丸が塀の向こうに消えるところだった。
「逃がすか…というか、あたしも隠れさせてっ」
弓は塀をよじ登り、飛んだ。すぐそこに音丸がいることに気付かずに…。
「ちょっ……うわっ」
突然陰になったので音丸が振り向くと弓の下半身が迫っていた。音丸は顔に弓の全体重を受け、倒れた。
「あいたたたた……」
「…痛いのはこっちなんだけど…」
音丸は弓の下敷きになりながら言った。顔の上に弓が乗っかっている。むしろ弓のズボンの素材が堅いジーパンなのでそれがすれて痛いという。
「お前がにげ…んぐっ」
弓が呆れた口調で言いかけたところ、音丸の手がのび、口を塞がれた。結構しっかり塞いでいて息苦しい。
「ふぁふぁにふ……」
「走ったいったの女の子だっただろ?」
「カメラ映りたくてあんな悪戯したんじゃないのか?」
「ったく、迷惑な話よね。そんなことより音丸さんはいつ帰宅かしら」
塀の向こうから数人の男女の声が聞こえ、通り過ぎていった。弓はもがくのをやめ、そば耳を立てていた。声が聞こえなくなったころ、音丸の手が離れた。
「ぷはぁっ…ったく。何もかも説明なしで…わかってんだろうな?」
弓は顔を真っ赤にしながら小さな声で言った。弓の顔はただの怒りだけで赤くなっているわけではないようだった。
「…より、重い…」
うめき声とともにわしっと音丸は弓をどかすため、弓の両太ももをつかんだ。
「~~~~~!」
弓は声にならない叫びをあげ、音丸の頭をかかとで蹴飛ばした。
「…すごく腫れてるんだけど」
恨みがましく音丸は弓に向かって言う。片手で氷袋を持ち、後頭部を冷やしている。顔はジーパンでこすれた跡が赤く残っている。
「ごめん、ほんとごめんねー」
弓は苦笑いしながら手を合わせて謝る。あのあと、弓がやっとどけ、痛い頭を押さえながら裏口から弓を連れて家にはいったのだ。
「ま、女の子の口を塞ぐわ、太ももを撫でまわしたりしちゃあ仕方ないかもね」
「撫でまわしてないし…反省する気ないでしょ…」
「ちょっとあるから大丈夫」
「何が大丈夫何だか…」
「女の子のお尻に顔つけてたんだから少しは喜べよ」
弓はちょっと顔を赤らめ、ムキになって言った。しかし、あれはジーパンでこすれて正直ラッキーだったとかそういうものでは全然なかった。
「まさに尻に敷かれる。だな…」
音丸は深くため息をついた。散々な思いをした気がする。
「…それより、表の奴ら何なんだ?借金取りか?」
「違うよ…」
カーテン越しから覗くと、先程のカメラなどを持った男女がキョロキョロ見回しながら何かを待っているようだった。格好や身なり的に借金取りなどの類いではなさそうだが…
「何でマスコミに追われているんだ?」
弓が言った瞬間、トゥルルルルル。と、けたましい音をたてて電話がなり出した。すぐに留守電に切り替わる。
「はい、音丸です」
母親と思われる優しい女性の声が応答する。前以て録音し、そのような設定をしたのだろう。すると向こう側が喋り始めた。
「あ、もしもし。岩国出版の岩本と申しますが…そろそろ取材受けて頂けないでしょうか?『春の惨劇、あれから7年。みず…」
プツン―…
音丸は電話のコードを抜き、電話回線を遮断した。
「あ、おぃ…」
常識的に考えて留守電とはいえ、通話中に電話を突然切るとは弓も予想しない驚きだった。
「7年前って…」
「すっかり切り忘れてたや…。僕の家族がいなくなった日さ…」
「いなくなった…?」
音丸は学ランのボタンを外すと脱いで椅子にかけた。
「あ。えーと、うーんと…水崎事件か。水崎の方で起きた自衛隊護衛艦、『はくおう』と大型客船『フェアリー・クイーン』の衝突事故」
「そう。父さんも母さんもお姉ちゃんもその船と一緒に消えたんだ」
水崎事件というのは、7年前。水崎というところで港から出航し、船上パーティーをしていた処女航海の新型大型客船『フェアリー・クイーン』に、演習中だった自衛隊所属の護衛艦『はくおう』が衝突し、フェアリー・クイーンが沈没した事件のこと。その一連の騒動で防衛庁のトップ、防衛大臣が交代したという話だが、衝突した責任のあるはずの護衛艦は国ぐるみで責任のがれをし、フェアリー・クイーンは「沈み損」とまで言われるようなことになった。
「護衛艦がぶつかったのにまるでこっちがぶつかったようにベラベラと防衛庁の報道官が言っていたアレか」
「うん。それ以来からあんな感じに雑誌の出版社やマスコミがきて…」
「7年も経っててか?」
「両親がいないのに一人暮らしの可哀想な子。みたいな感じでね、マスコミは事実を歪めるから嫌いだ」
弓が以前、テレビで見たことがあると思ったのは水崎事件の直後に騒がれていた音丸の取材場面だったのだ。芸能人のスキャンダル並に大きく取り上げられ、報道された。
家族を突然亡くしたのにこの家で一人で暮らすと言った幼い音丸に対しての周りからの興味は大きかった。そこを狙って各週刊誌やテレビ番組は音丸のところに取材に押しかけてきたのだ。
「通りで見たことあるわけだ…」
「学校でも話題になってね…すごく居辛かった」
「学校って中学校か?」
「うん。中学も小学校も」
音丸は疲れたようにドサッと座った。弓は大きく目を開き、ずっと立っていた。
「みんな言ってたのか?」
「だね。無駄に同情してきたり、避けたりとかだね。だから隔たりなく付き合えた弓だけが特別に思えた」
「なんてこったい…一番あんたのことを理解していると思った自分が一番あんたのことみんなより知らなかっただなんてな」
弓は頭を抱え、呆れたように言った。自分のことを自嘲しているのだろう。
「僕は船長を死なせてしまったんだ」
「事情聴取後ボートで入水自殺だろ?」
「その理由が僕が言ってもいない、『絶対に許さない』や『船長がいきているのはおかしい』という言葉を週刊誌で読み、死んだんだ」
「嘘かかれたってことか?」
普段暇つぶしに週刊誌などを読むので、そのような嘘を掲載されているなんて言われれば黙っちゃいられない。ついつい声を荒げてしまう。
「そうだよ。デタラメをね。以来取材は一切受けないんだ」
「なんつー世界だ…」
音丸は大きく息を吸うと立ち上がり、台所へ向かった。そろそろ夕飯の時間なので支度にとりかかるのだ。
「帰る時は裏口から頑張ってね?夜遅くまでいるから彼ら」
「暇人だな…大人ってそんなもんなのか?」
「じゃないの?(笑)」
弓はリビングを眺め回した。あちこち、ちょこちょこと写真立てが置いてあったが、全て伏せられている。見ると辛くなるからだろうか…。普通の一人暮らしとはわけが違う。周りからの冷たい視線、孤独さ…弓は小さく見える音丸の背中を寂しそうに見つめていた…――




