第3話
サビは遺跡の階段を上り、地上へ出た。
すぐには動かず、巨剣槍を担いだまま周囲を見渡す。
魔物や人間の気配はない。
鬱蒼と茂る木々の中、地上へ突き出した遺跡の壁には、長い時間をかけて植物が絡みついていた。
出口の周辺には、黒い車体を複数の車輪で支えた魔導車が数台停まっている。
魔石を燃料に走る乗り物で、サビも遺跡荒らしの拠点から、これに乗せられて運ばれてきた。
だが、動かし方は知らない。
いつ仲間が戻ってくるかも分からなかった。
(歩くしかねえな)
サビは道路へ直接出ず、道脇の茂みへ身を滑り込ませた。
貧民街でのゴミ漁りと、遺跡での奴隷生活。
サビが知っているのは、その程度だ。
見知らぬ土地で何を信用してよいのかも分からない。
それでも、森の中にじっと隠れ続けているわけにはいかなかった。
身の丈近い茂みをかき分けながら、少し離れた旧時代の道路に沿って進む。
路面はところどころ崩れ、亀裂から草木が伸びていたが、完全には埋もれていない。
(体まで軽くできりゃ、もっと速く動けるんだがな)
サビは肩に担いだ巨剣槍へ意識を向けた。
重量変化そのものに使う魔力は少ない。
だが、巨剣槍と自分の体を同時に軽くしながら、周囲の気配まで探るのは難しかった。
武器は今のサビにとって命綱だ。
手放すという選択肢はない。
サビは軽量化した巨剣槍を担ぎ直し、木々の奥へ警戒を向けながら、黙々と道路に沿って歩き続けた。
しばらく進むと、サビは前方の道路に見覚えのある魔導車を見つけた。
(バーグか!)
サビは道外れの茂みに身を潜め、息を殺す。
遺跡荒らしの一団は、魔導車に乗って遺跡へ向かっていた。
外側の足場に立った見張りが、周囲へ目を光らせながらこちらへ近づいてくる。
その時だった。
サビの反対側の森から、ワイルドボアが三頭飛び出した。
そのまま一団へ襲い掛かる。
「ッチ!」
男たちは魔導車から飛び降り、それぞれ剣や槌を構えた。
だが、ワイルドボアの突進を避けるだけで手一杯で、反撃へ移れずにいる。
そこへ、赤い防具に身を包んだバーグが魔導車から降りてきた。
不機嫌さを隠そうともせず、周囲を睨みつけている。
「てめえら……こんな雑魚相手にちんたらしてんじゃねえぞ!」
バーグへ向かって、ワイルドボアの一頭が突進した。
バーグはギザギザの刃を持つ鋸刃剣を振りかぶる。
そして、無造作に振り下ろした。
魔力の込められた一撃だった。
周囲の男たちとは比べものにならない圧が走る。
剣を叩きつけられたワイルドボアは、引き千切られるように両断された。
バーグは残り二頭も剣を雑に振るうだけで始末すると、気まずそうにしている部下たちを睨みつけた。
「どこまで役立たずなんだ! このクズどもが! この前のマヌケみてえなミンチにされてえのか!」
バーグは周囲へ怒鳴りつけると、苛立たしげに肩を揺らしながら魔導車へ戻っていく。
(……かなり強いな)
森の影から一部始終を見ていたサビは、顔をしかめた。
(あいつらを倒せるとは思えないな。……だが、後を追えば、アオがどこにいるか分かるかもしれない……)
サビの脳裏に、青い髪と、体の一部に鱗を持つ少女の笑顔が浮かぶ。
サビは大きく息を吐いてから顔を上げると、バーグたちの後を追う様に、慎重に動き出した。
バーグたちは遺跡の惨状を確認すると、残っていた物資や魔導車を回収し、来た道を戻るように移動していた。
木々の少ない開けた道路を、複数の魔導車が朝日に照らされながら進んでいる。
丸一日近く後を追っていたサビは、一部が崩れた背の高い建造物の陰から僅かに身を乗り出した。懐から双眼鏡を取り出し、見よう見まねで目に当てる。
最初は上下すら分からず、何度か持ち替えた末に、ようやく遠ざかる魔導車へ焦点を合わせることができた。
遠目からでも、バーグの機嫌の悪さは分かる。
数時間前には、休憩中に食糧を渡す順番を間違えた部下の一人が、鋸刃剣で容赦なく切り刻まれていた。
サビは双眼鏡を覗いたまま、その光景を思い出し顔をしかめる。
(……相変わらずだな……なんだ?)
そのまま一行を追っていた視界の端に、何かが動いた。
双眼鏡の向きをずらす。
崩れた建造物が並ぶ一画に、巨大な牙を持つアリ型の魔物が何匹も這い回っていた。
ファングアント。
一匹一匹が大人ほどの大きさを持ち、砕けた道路や建物の隙間を出入りしている。
その数は、双眼鏡の視界に収まっているだけでも十を超えていた。
幸い、バーグたちが進む道路からはかなり離れている。ファングアントの群れも、今のところ魔導車へ反応した様子はない。
(あの群れに絡まれたら、さすがにマズいな)
単体ならともかく、あの数を相手にする気はなかった。
サビは群れの位置を頭に入れると、再びバーグたちへ視線を戻した。
追跡には、遺跡へ連れてこられるまでに見た風景が役に立った。
どこで道路が大きく曲がっていたか。どこに崩れた建造物があり、どの辺りで魔導車を止めていたか。
奴隷として運ばれていた時には意味もなく眺めていた景色を思い返し、おおよその進行方向を予想する。
魔導車が休めば距離を詰め、動き出せば姿を捉えられるぎりぎりまで離れる。
速度では到底敵わないが、道路から外れた瓦礫や建造物の陰を使えば、どうにか見失わずに済んだ。
サビは遺跡から持ち出した水筒を傾け、残りの量を確かめてから口を離す。クッキー状の携帯食料も1つ取り出し、味わうこともなく噛み砕いた。
爽やかな風が頬を撫でていく。
その間も、視線だけは遠くを走る魔導車から外さなかった。
やがて、先頭の車両が突然速度を落とした。
(……?)
続く魔導車も次々と減速し、本来進んでいた道路から外れていく。
サビは双眼鏡を構え直した。
(何で急に向きが変わったんだ?)
前方から、一台の魔導車がバーグたちへ近づいている。
車体はあちこちが傷つき、一部の外装も剥がれていた。運転席の男が身を乗り出し、何かを必死に訴えている。
声までは聞こえない。
だが、話を聞いたバーグは露骨に顔を歪めると、道路脇に広がる廃墟の方角を指差した。
直後、一行が動き出す。
今まで進んでいた道路を外れ、崩れた建造物の間へ続く脇道へ入っていった。
(あいつが何か知らせに来たのか?)
サビは双眼鏡を下ろした。
(どこへ向かってる?)
警戒心が一気に高まる。罠かもしれない。
自分たちを追っている何者かに気づき、誘い込もうとしている可能性もある。
だが、このまま見失えば、アオへ繋がる唯一の手掛かりまで失う。
サビは少し迷ったあと、魔導車の残した轍へ目を落とした。
(ここで見失うわけにはいかねえ)
巨剣槍を担ぎ直し、足早に動き始める。
バーグたちは速度を上げたらしく、ほどなく魔導車の姿は完全に見えなくなった。それでも湿った土や草を踏み潰した轍は残っている。
サビは周囲へ魔力の感覚を広げながら、その痕跡を追った。
しばらく進んだところで、不意に足が止まる。
「……!」
前方から吹いてきた風に、濃い魔力の気配が混じっていた。
(魔物か!?)
サビは巨剣槍へ手を掛け、近くの崩れた壁の陰へ身体を滑り込ませた。
息を殺し、前方を窺う。
だが、何も現れない。
獣の足音もない。木々が揺れる音も、何かが近づいてくる気配もなかった。
ただ、風に混じった魔力だけがサビの周囲を抜け、次第に薄れていく。
(……何だ?)
これほどはっきり魔力を感じたなら、近くに相応の魔物がいるはずだった。
それなのに、どこを探っても生き物らしい気配がない。
サビはしばらく物陰から動かなかったが、やがて巨剣槍から手を離した。
(分からねえ)
気にはなった。
だが、バーグたちとの距離は既にかなり開いている。
サビは前方を警戒したまま、再び轍を辿り始めた。
そこから少し進んだ時だった。
背後の瓦礫の向こうで、硬いものが擦れる音がした。
サビは即座に足を止めると、振り返る。魔力の気配も、強くなった。
そして、砕けた壁の隙間から、黒褐色の頭部が覗く。
「ギチッ――」
巨大な牙が開く。
大人ほどの体長を持つファングアントが、瓦礫を乗り越えて姿を現した。
(さっきの群れの奴か?)
遠くで見た場所からは、それなりに離れている。
群れから逸れた一匹なのか。
考えている間にも、ファングアントはサビを見つけると、六本の脚を忙しなく動かして突っ込んできた。
「チッ……邪魔くせえ」
サビは軽量化して肩に担いでいた巨剣槍を構える。
ファングアントが牙を大きく開き、サビの胴体へ食らいつこうとする。
サビは半歩横へずれながら、軽くなった巨剣槍を頭上へ振り上げた。
そのまま一気に振り下ろす。
刃が頭部へ触れる寸前、軽量化を解除した。
巨剣槍の刀身が、ファングアントの頭部ごと地面へ叩きつける。
同時にサビの両腕に、凄まじい反動が返ってくる。
跳ね上がろうとする、巨剣槍の柄に殆ど叩き上げられるように体が浮いた。
「グッ……!」
轟音と共に、硬い外殻が砕け、石片と黒い体液が周囲へ飛び散った。
六本の脚が一度だけ激しく痙攣し、そのまま動かなくなる。
サビはすぐに巨剣槍を軽くし、潰れた頭部から引き抜いた。
「……一匹なら、こんなもんか」
両腕の痛みに顔をしかめながら、巨剣槍に付着した体液を振り落とすと、倒れたファングアントへ目を向ける。
先ほど遠くで見た群れが、一瞬だけ脳裏をよぎった。
その時、どこか遠くで石の転がる音がした。
サビは顔を上げる。
今度は、一度ではない。
ガラガラと瓦礫が崩れる音に混じって、硬いものが地面を叩くような細かな音が続いている。
「……?」
巨剣槍を握ったまま、周囲へ意識を広げる。
すぐに、1つの魔力の気配を感じた。
さらに、その後ろにもある。2つ、3つ。
サビは眉を寄せた。
数えようとしたところでやめる。
「……おい」
振り返った先、崩れかけた建造物の間から、一匹のファングアントが姿を現した。
その後ろから、さらに別の個体が瓦礫を乗り越えてくる。
次々と黒褐色の身体が現れ、崩れた道路へ広がっていった。
サビの表情が強張る。
(さっきの群れか!?)
双眼鏡越しに見た光景が脳裏へ蘇った。
かなり離れていたはずだ。
こちらへ向かってくる理由もない。
だが、今目の前にいる群れは、明らかにサビのいる方向へ進んでいる。
「ギチッ、ギチギチッ――!」
先頭の一匹が牙を鳴らした。
それに呼応するように、後方からも耳障りな音が重なっていく。
「やべえな……!」
サビは巨剣槍を握り直した。
一匹なら倒せる。二、三匹でも、やりようはあるかもしれない。
だが、見えているだけでも十を超えている。その後ろにも、まだ魔力の気配が続いていた。




