聖闘士アシュリー
アシュリーは聞き取るのが困難な速度で呪文を唱えた。祝詞のようだが、如何せん早すぎて表記不可能であった。すると、過たずしてワンドの宝石に光が点る。大きく息を吸うと、アシュリーはハッキリと発声した。
「セイント!」
ワンドから光線が発射される。デーモンは腕を交差して光を防ぐ。この一撃がエクソシストの得意とする浄化魔法なのだろう。デーモンは両腕にひりりとした痛みを感じたが、未だ健在であった。粋がっていても所詮は子供、魔法の実力も大したことはない。
高を括っていたが、仲間の様子を目の当たりにして愕然とする。
「親分! 腕がぁ、腕がぁぁぁ!」
滅びの呪文を受けたラピュタ王の勢いでスケルトンが喚く。彼が情けない声をあげているのも無理はない。左腕が肩からすっぽりと消滅していたのだ。
骨なのだから、どこかに落としたという間抜けも考えられる。だが、一部始終を目撃していた手下ゾンビはそんな生易しい事態ではないことを把握していた。アシュリーの浄化魔法をデーモンが防いだまではいいが、腕で弾かれた魔法はそのままスケルトンの左腕に被弾。知覚した時には既に腕は消え去っていたのである。
「うむ、低級魔法では威力が低すぎたか。ならば、今度は確実に消す」
「てめえ、あれが本気じゃなかったってのかよ」
もし、最初からデーモンではなく手下たちを狙っていたなら、間違いなく昇天していたところだった。昼間から宿屋を占拠して自堕落に酒を仰いでいたデーモンだったが、これまで遊んでばかりの人生を送って来たわけではない。魔物たちが跋扈する戦場で生き抜いてきた経験からして警鐘を鳴らしている。この娘はやばい。冗談抜きで消される。
「わ、悪かった。意中の女にプロポーズしたんだが、『おじちゃん、きもちわるいから、いやだ』って断られたんだ。そんで、むしゃくしゃして酒に溺れていただけだ。これからは真面目に働く。だから、見逃してくれ」
威圧的な態度はどこへやら、必死に命乞いをする。アシュリーは冷めた表情で手下ゾンビを睨みつけた。
「お前に問う。このデカブツが惚れた女はどんな奴だった」
「えっと、年端のいかない、そうさな、六歳くらいの女の子です」
「そうか……情状酌量の余地なし」
アシュリーのワンドが先ほどとは比べ物にならないほどの輝きを放つ。辺り一帯は月光の仄かな灯に照らされた闇夜であるにも関わらず、宿屋だけは煌々たる真昼間の光を灯していた。
「悪しき者よ! 己の罪を悔やんで消えよ! セイント・セイバァァァァァァァァァ!!」
小さい体のどこにそんな声量があるのかというシャウトを放ち、先ほどとは比べ物にならない勢いの光線を発射した。ここで断末魔の叫びをあげるというのがベタな展開だが、アシュリー最強の魔法の前では口を開くことすら許されなかった。なぜなら、被弾した瞬間に身長三メートルに迫ろうかという巨体は即座に消え去ったからだ。
汗を拭って満足そうに胸を張るアシュリー。対して、ゾンビとスケルトンはたまったものではなかった。自分たちの親分が瞬殺されたのだ。次は我が身と思うと生きた心地がしない。
そんな両者にアシュリーは無慈悲に歩み寄る。彼女は幼女体型ではあるが、彼らからすると数十メートルの巨人が迫ってくる圧迫感があった。
「ゆ、許してくれ。俺たちは親分に誘われて調子に乗っていただけだ」
「そうそう。俺たちにできることならなんでもする。だから、消すのだけはやめてくれ」
外面などお構いなしに情けなく低頭で陳謝する。ワンドを構えていたアシュリーだったが、ふと思案すると武器をしまった。
「私も無益な殺生をする趣味は無い。反省する意思があるなら許す」
「へへえ。寛大な処置、感謝します」
「ただし、踏み倒した民宿の宿泊料。および、迷惑料を加味して、えっと、10000ネフス。そいつを宿屋の主人に払う」
「10000ネフス!? そんな大金持ってねえぞ」
「貯金を切り崩せば払えるはず」
尤もな指摘にゾンビはぐうの音も出なかった。10000ネフスあればファントミック国の一般的な宿屋に三ケ月ぐらい連続して宿泊できる。ちなみに、ネフスはこの国で流通している硬貨の単位である。
結局、ならず者アンデットたちは賠償金を払うという誓約を交わし、有り金すべてを置いて逃げていった。
宿屋占領問題は解決したものの、アシュリーは焦燥していた。好物につられて敵のいいようにたぶらかされたのは自らの落ち度だ。そのせいで大事な依頼人を怪我させてしまっては面目丸つぶれである。エクソシストは聖なる光の魔法を得意とすることから、応急処置レベルの回復魔法も扱うことができる。それでどうにか治療できれば。
不安で胸が押しつぶされそうなアシュリーだったが、彼女の懸念は一瞬のうちに払拭されるのであった。
「まったく、ひどい目に遭ったぜ」
頭をさすりながら優がフラフラと歩み寄ってくる。外見からするとどこも怪我をしていない。アシュリーは破顔すると、優の腰に抱き付いた。
「本当にすまなかった。私としたことがむざむざ敵の術中に嵌まるなど不覚の極み。どこか痛いところはないか。私は回復魔法も使えるから、無料で治してやる」
「心配しなくても、どこも怪我してませんよ。確かにものすごい勢いで殴られたんだが、どこも痛い所なんて無いんだよな」
「やせ我慢しているのなら正直に言った方がいい。デーモンに殴られたら、普通の人間なら一月は寝たきりになるはず。ぶっちゃけ、骨折で済めば可愛いレベル」
過度に優を気に掛けるアシュリーだが、優は冗談抜きでどこも怪我をしていないのだ。大男のパンチを真正面から受けて無傷でいられたなど、優当人もにわかには信じられない。
とりあえず、依頼もこなし、優も無事だったということで一安心だ。これにて、一件落着。と、言いたいところだが、次なる災難はすぐそばにまで近づいていた。
「ありがとうございます。あのデーモンにはほとほと困っていたところでした。アシュリー様にはなんとお礼を言ってよいか」
「エクソシストとして当然のことをしたまで。約束通り、依頼料を払ってもらえればいい」
腰が壊れるのではないかと心配するほどにお辞儀をする宿屋の主人にアシュリーは優しく諭す。すると、唐突に主人は手を打って、宿の大広間を指差した。
「そう言えば、アシュリー様たちがデーモンと戦っている間に、あなた方に会いたいという客人が訪ねてきましたよ。あの別嬪さんは知り合いですかな」
「自慢じゃないが女友達は多くないから、別嬪の知り合いなど知らない」
「アシュリーさん、さりげなく可愛そうなこと自白していますよね」
交友関係は乏しいということだろうか。町の人からは慕われているのに意外ではある。
アシュリーの交友関係も気になるが、まずは謎の訪問客だ。身構えもせずに大広間に入室した優は死ぬほど後悔した。
「やっほ、ユー君。もう、あちこち探し回ったんだぞ。いきなりいなくなるなんて、メッなんだから!」
優の命を狙っている張本人がニコニコ顔で手を振っていた。