初級の呪文が難しすぎる件
その日、優は朝から意気揚々としていた。脇にはきれいに包装された棒のようなものを抱えている。
「どしたの、ユー君。朝からきわどいAV見つけたような顔して」
「まかり間違ってもそんな顔はしてねえよ」
男子高校生である優がそんなものを見たことはない、はずだった。
「むう。エーブイとは新しいアクセサリーか。どんな効果があるんだ」
「アシュリーさんは興味持たなくていいですから」
おそらく、異性の相手を魅了するとかだろう。使いどころが限られそうなアイテムだ。
もちろん、いかがわしいビデオを手に入れてニヤニヤしているわけではない。優はどや顔で包装を破り捨てた。
そして現れたのは槍のような切っ先を備えた杖だった。部屋の明かりを反射してきらりと輝く。アシュリーは「ほう」と感嘆を漏らし、クロナは興味津々に身を乗り出していた。
「ギルドでの報酬金を溜めて数か月。ついに手に入れたぜ。念願の武器、ランスロッドを」
優が構えていた武器は、かつてイッケーさんの店で憧れていたランスロッドだった。資金不足で購入することができなかったが、報酬金をコツコツと貯金して、先日ついに2000ネフスに達したのだ。軍資金を握りしめてイッケーさんの店に突入し、ようやく購入に至ったというわけだ。
「ランスロッドは遠距離からの魔法はもちろん、近距離戦闘もできる万能武器。優はお目が高い」
「いいな~。私も新しい服とか欲しい」
「クロナは報酬金ですぐ変な物を買う。だからお金が貯まらない」
アシュリーが指差した先には不細工な顔をした人形やら、小学生が夏休みの宿題で作ったような壺とかが山積みになっていた。お金が入るとすぐ散財するクロナは未だに初期装備のままである。ただし、それでも十分に強い。デスサイズがチートすぎるからだ。
「お金はここぞという時に使うのが鉄則だぜ。ああ、ランスロッド! お前を手にするのをどれだけ待ち望んだことか」
「いいもん。難しいクエストクリアして、一気にお金手に入れるもん」
「クロナは博打に嵌ってすぐに破産しそう」
アシュリーの指摘はあながち間違ってはいなかった。とりあえず、金銭の管理をクロナに任せるのだけは止めようと決めた優であった。
新しい武器でさっそく依頼をこなす。そう息巻いたのだが、アシュリーから意外な提案が為された。
「うむ。優が新しい武器を手に入れたことだし、そろそろエクソシストとして本格的な授業を始めてもいいかと思う」
「本当ですか。じゃあ、俺もアンデットを倒すための魔法が使えるようになるとか」
「うむ。ちょうど、基本呪文のセイントを教えようとしていたところだ」
これぞ、異世界転生の醍醐味。前世ではどう逆立ちしても習得することができなかった魔法が使えるようになる。否応にも優のテンションは上がっていくのであった。
向かい合うようにして着席する優とアシュリー。クロナも興味深げに同席している。黒板とか教壇があれば教室っぽかったが、あいにくそんなものは個人宅で有していない。雰囲気は家庭教師とか私設塾みたいだった。
「この世界の魔法には基本構文がある。これは、正確に唱えることができれば、赤子でも魔法が使えるというものだ。魔法を習うとはすなわち基本構文を暗唱することにある。これ、魔法を学習する鉄則」
「暗記か。俺、あんまり得意じゃないんだよね」
「ユー君は学校の勉強全般が得意じゃないよね」
「ほっとけ。っていうか、どうして俺の成績を知ってるんだ」
「ユー君のことならなんでもお見通しだよ」
無駄話を繰り広げたが、アシュリーが咳払いをしたので押し黙った。
「そこにある教本にセイントの基本構文が載っている。まずはこれを全部空で言えるようになるのが課題」
「どれどれ」
アシュリーに促されてページをめくっていくと、紙面一杯に呪文が記されていた。
汝、魔力の恩恵を受けんとするものよ。大いなる流れに身を任せよ。さすれば神々の奔流を甘受せん。意思を保て。大いなる意思を以て邪悪を討て。祖は偉大だ。感謝感涙を忘るるなかれ。さすれば力により悪は滅されん。忘我せよ。滅撃にあたり障壁となるのは邪念なり。邪な心を捨てよ。そして、祈るのだ。清純なる光により未来は開かれん。迷うことなき一途な精神がそなたの道しるべとなるのだ。討つべきは悪だ。怠慢なる心。欲情せし心。嫉妬深き心。暴食せし心。憤懣たる心。傲慢なる心。欲深き心。すべて悪だ。汝、克服せよ。すべてを消去せしは難儀。弱き心を認め、向上せよ。道は常に開かれている。己に従うか抗うかは各々より超越せし者が決める。運命の大河からは無力。自覚せよ。その心が礎とならん。己が無力を認めてこそ、多大なる力が得られん。解放せよ。汝には力がある。理を知り、御言葉に従いし者のは力が宿る。滅すべきは愚者だ。教義を知らぬ愚者を悔い改めさせよ。天啓により彼の者は救われるだろう。後悔するな。そなたの導きにより、粛清を与えるのだ。今こそ叫べ。生を受けた瞬間を想起し、身に受けた魔導を放出するのだ。滅するがいい。己が心のままに。
「なげぇえええよ!」
「別名黄金の五百文字とも呼ばれる。エクソシストなら誰でも暗記している」
想像以上に暗記しにくい文章だった。おまけに、呪文というよりも変な宗教団体が町中で諭している教義みたいである。
もう一度読み直すが、覚えられる気がしなくてゲンナリする。そして、ふと疑問が沸き起こった。
「アシュリーさんは浄化魔法を使う時にいちいちこれを唱えてるんですか」
「いや。実戦で使う際は大幅に省略している。私なら滅するがいい。己が心のままにだけでも発動できる」
「最後の一文だけで使えるのなら全部覚える意味がないんじゃ」
「人によってどの部位を省略して発動できるかは異なる。一度全部覚えて、どこを省くのか試行錯誤していくのが基本」
つまり、優が「滅するがいい。己が心のままに」とだけ唱えても魔法が発動できるとは限らないのだ。さすがに一瞬で魔法が習得できるという虫のいい話は無いようである。
「よっしゃ。いっちょ暗記してやるか。こいつを覚えるだけで魔法が使えるのなら安いもんだぜ」
教本を片手に鼻息を鳴らす優であった。




