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Ⅶ くらやみの記憶はどれくらい?

 旧人類の再生には、社会的地位の高い人物が優先されたが、ほどなくして、芸術分野にて優れた者たちも受肉をはじめ、本や映画なども新しく生産されるようになった。

 最初のうちは、旧人類が現代によみがえったことを感動的なストーリーに仕立てた作品が評価を受けていたが、新人類の観客をもターゲットに定めてからは、両者の感性をすり合わせたエンタメ作品が幅を利かせるようになっていった。

 映画作品としては、SFものが量産されることとなった。ファンタジー作品における魔法は科学技術によって可能になり、そこに神秘性が感じられなくなったのが理由である。ドラゴンはキメラを作る技術で再現でき、空中浮遊は当たり前、不思議は不思議でなくなったのだ。

 代わりに、理論的に不可能とされている似非科学技術に、夢を見る風潮が生まれ、監督たちはこぞってメガホンの方向を右にそろえた。

 そういうわけで、今回コークハイを片手に、サロと観ることになった映画も、時間移動を題材にしたSFだった。高等教育機関の実験室で見つけた香水を、からだにかけることで、少女が数日前にタイムスリップするストーリー。そこに青春もの特有の青臭くも儚い恋愛要素がからみ、目が離せない名作であった。

 夕焼けの情景。放課後、少年が、少女に愛の告白をする場面のとき、俺のあとに風呂を上がった麻里が、タオルで頭をふきながら、隣に座り込んだ。

「…………」

「…………」

 互いに喋らない。ただ、肩を寄せ合い、映画の愛と現実の愛を重ねる。

 やがて、エンドロールが流れると、麻里はあくびをして瞼を閉じた。

 俺は、テレビを消すと、聞こえてくる寝息に耳を澄ませた。


 明日は、少し寝坊しよう。


 翌日は、一日仕事が休みだった。ポッドにメンテナンスが入るらしい。本当ならこういう日に麻里とデートをするべきなのだろうが、今日は一月前からの先約があったので、まだ起きない麻里の頭を撫でてから、身支度を整えて家を出た。

 人工照明の光が目を刺激する。俺のなかの力を使えば、光を弱めることも可能なのだが、さすがに他人の迷惑になることはしない。俺は遅起きの代償を甘んじて受ける。


 待ち合わせ場所は、図書館だった。この図書館は、かつて俺が、事故、あくまで事故であるが破壊してしまった場所に新たに建てられたものである。すっかり新築になっているので、嫌な記憶を思い出さずにすみ、俺も利用できる。

 カウンターそばのテーブルに、小説を読んでいる女性がいた。スーツ姿で、脇にはカバンが置いてある。俺が声をかけると、顔をあげた。

「お久しぶりです、園崎さん」

「元気そうね、獅子頭くん」

 園崎さんは、小説を閉じて正面の席に座るように促した。

 しかし、周りには本を読む利用者たちが、静かにページをめくっている。それに気が付いた園崎さんは、コホンと咳払いをして立ち上がった。

「やっぱり、ここじゃなんだし、移動しましょうか。うえにカフェがあるのよ」


 ラビットコインハウス二号店。図書館の上にあったのは、愛りん系列のカフェであった。メイド服を着た店員たちが、盆を胸に抱いて歩き回っている。そのなかに、俺は見知った顔を見つける。

「あれ、陣地屋さんじゃないですか」

 ピタリと足を止める店員さん。俺のほうを振り返り、冷たい目を浴びせる。

「……久しぶりね、坊ちゃん」

 陣地屋えるさんは、蟻沢(旧)春さんの親友であり、同業者である。蟻沢さんが愛りんを辞め、自分の店を持ったことに対し、陣地屋さんは店舗の拡大路線に出たそうで、チェーン店を展開していると聞いていた。かつてのバニーガールの格好から布生地の多いメイド服に変更しているあたり、全年齢対象らしい。

 陣地屋さんは、園崎さんにも頭を下げると、注文を聞いた。

「ケーキがおすすめ、……ぴょ……ん」

「じゃあケーキセットで」

 口をもごもごしながら、陣地屋さんは厨房に帰っていった。キャラは模索中らしい。

 園崎さんは、さて、とカバンから一冊の本を取り出すと俺に差し出してきた。

「最近私が出した本です。差し上げます」

「ああ、どうも」

 『炎天下の時代』。読むかはわからないが、とりあえず貰っておくことにした。

 園崎さんは、マボロシ探偵社を引き継ぎ、柊サマンサとともに、出版社を立ち上げた。園崎さん自身も執筆者として雑誌のコラムや本を書いており、時折本を出すと、俺にくれるのである。

「商売のほうは上々そうで羨ましいですね」

「試行錯誤しながらですよ。先代にもアドバイスを貰いながら。ふふ、あのおじいちゃん、引退してからのほうが元気なんだから困った者です」

 マボロシ探偵社の先代社長は、妹が世話になったと聞いている。高齢なようなので、早いうちにお礼に伺わなければと考えているが、鳥取なのでなかなか足を運べない。

「まあ、元気ならいいじゃないですか。そういえば、昨日やっていた映画も、園崎さんのところの小説が原作でしたよね」

 ふと思い出したことを口にすると、園崎さんが大きく頷く。

「見ていただけました?あれ。あんまりこっちにはお金入らないんですけどね、なかなかいい出来なのは嬉しかったです。でも原作だと香水じゃなくて、カシューナッツなんですよ」

「へ、へえ」

 熱意に押される。自社のものということで、結構思いやりがあるようだった。

「ま、タイムスリップなんて実現不可能だとは思いますけどね」

「あ、そこは冷めてるんですね」

 急に冷静になる園崎さん。緩急についていくのが難しいが、彼女の論に耳を傾ける。

「だって、そもそもこの時代に生きているひとたちは、今に満足しているひとが多いですからね。過去に進むも、未来へ進むも、物語ならともかく実際にそれをやりたいと情熱を持っているひとなんていないんですよ。科学者たちも、需要がないお金にならない研究に手をかけてられないってことです」

「へえ、……理論的にはどうなんでしょうね」

「いやあ、専門家ではないので詳しいことは言えませんが、一通り調べたところ難しそうですね。でも、技術的に不可能であっても、ヒトの記憶なんて次々に消えていくものですから、実質過去は改ざん可能って見方もできますけど」

 俺は首をひねる。

「ううん?ああ、確かに、言った言ってないみたいなのは、真実がどうであれ声がでかいほう強いですけど……園崎さんは、そういうの、辛そうですね」

 園崎みかんさんには、瞬間記憶能力があるという。彼女が見た過去は、現実であり、確実な再生である。だが、もし立場がうえの者に違うといわれれば、絶対に間違えていない確信があっても、彼女は頷かなければならない。社会人として才能を隠すのは、勿体なくも仕方がなことだった。

「うん、辛い。だから、私はそういうやつらのことを心のなかでタイムトラベラーって呼んでる」

「きつい皮肉ですねえ」

 そのとき、陣地屋さんが、ケーキセットを持ってきた。よく見ると、彼女の胸にはうさぎのバッヂが付いていた。

「……バニーにまだ未練あるんですか?」

 テーブルに並べる陣地屋さんに、勇気を出して聞いてみると、鋭い目で睨んできた。

「なんの話?……ぴょ……ごゆっくり」

 年単位でつけたキャラは数年かけてとかなければならない。彼女は時間旅行に向いていないらしかった。


 園崎さんは、東京で取引先に挨拶しにいくと言って別れた。俺は、家に帰ってもすることがないので、せっかくだからと図書館に戻り、貰った本を開く。

 『炎天下の時代』を読むと、新人類が形成していた社会と、その発展および衰退の歴史について書かれていた。自分が経験した時代の話なのに、案外実感がないというか、記憶に薄い部分も多くあった。園崎さんには申し訳ないが、普通のヒトは忘れる生き物だ。それをどう修正するかが俺たちにできるせめてのことなのだ。

 あるページに、横浜の写真があった。

「あー、懐かしいな、横浜……。赤レンガっていまどうなってんのかな」

 狩場瑠衣の千人隊に追われた記憶がよみがえる。無表情に追いかけてくるあのゾンビ兵には恐怖したものだった。しかし、その周辺の記憶は、意外と朧げで、際立つ場面以外は、思い出せなかった。

「命がけだったんだけどなあ、あの時は」

 情けない。そりゃ、覚えているひとはいらいらするわけだ。

「…………」

 本を閉じ、ぼうと棚のほうを眺めた。新しい棚。これはいつ作られたのだろう。家具なんて、炎天下のときには全然作られなかったから、旧人類の会社が作ったのだろうか。

 立ち上がり、棚のどこかにメーカーが書いていないかを探す。『KUROBAKO』。やはり新しい家具メーカーだ。俺は、試しに『天照』を発動させる。

 KUROBAKOの工場をカメラで覗く。作業している人間はいない。機械がネジを打ち込んでいる。技術力には舌を巻くが、少し味気ない。創業当初の機械設置前の絵はないのか。

 このカメラで撮影した映像は、すべて俺の脳に記録されることとなっている。普段開くことのない領域なので、少し集中して、過去の記録のなかから、該当映像を探す。すると、見つけた。工場に、機械が運び込まれる昔の映像を。広い工場に機械を詰め込む作業員たちは、笑顔で、これからの展望に夢を持っていた。

「幸せそうで、なにより……なんだ俺。偉そうに神視点かよ」

 神術型の倒達技術『天照』は、非常に便利なのだが、使いすぎると調子に乗りそうなので、普段は発動させないようにしている。プライベートを覗くのは、気が引けるのだ。

「……あれ?」

 そのとき、俺はふと気が付く。炎帝のカメラは、ドーム都市建設当初から設置されていたと聞いている。ということは、炎帝からすべてを引き継いだ俺は、過去の映像すべてを再生できる。


 さらにそれを応用すれば……。

「…………。なあ、サロ。起きてるか」

 不機嫌そうに、サロが答える。

(なに、昼間から。僕はお昼寝で忙しいんだけど)


「もしかして、俺って……タイムスリップできるんじゃないか?」


 しばらくの沈黙ののち、サロは答えた。

(できるよ)

「え、まじでできるの?」

 思いつきで言ってみたことなのだが、まさかの回答が来た。


(ただし、それは僕が握っているちからを使ったらの話だけど。うすら気づいてたろ?きみは、サロの能力を最大限には使えていない。それは、僕が実権の半分を握っているからだよ)


 サロは、俺が追いこんだ人格だ。幼い少年のこころを持っている彼は、俺を大人げなく恨んでいる。たまに表のほうに引っ張り出してあげているのだが、満足はしてくれない。同居人同士仲良くできたらよいのだが、経緯からそれはなかなか達成できていない。


 サロはつまらなそうに言う。


(第一、タイムスリップしてどうするのさ。なにかしたいことがあるの?)

「……いや、ないんだけどさ。……いや、違うな……」

 俺は頭を振るう。言語化がうまくいかない。どうにか、なんとか文章を成立させる。

「サロ。常々思ってたんだけどさ。なんか……曖昧なんだよな俺の記憶。知っているはずのものを……なにかを、俺は忘れているんだ。それがなんだかわからないんだけど、大切な、知っていなければならないなにかを……」


 炎帝を倒す以前。

 俺は、なにかのために戦っていた。逃げたりもしたが、行動原理の中心には、いつも戦わざるをえない理由があったはずだ。

 どうして俺は、サンジェルに従って炎帝を倒したのか。

 自己保身?それだけか?

 なにを忘れている?なにを?なにを!?

 違う。そんなことを考えても意味がなかった。大事なのは、なぜ思い出せないかだったのだ。思い出せない原因は、間違いなくある。

「サロ、確信したよ。お前はなにかを隠している。俺の記憶を、隠しているだろ」


(…………)


 喋らないサロ。


「俺は知りたいんだよ。お前が隠している記憶を。それがだめなら、タイムスリップでいい。過去に戻って忘れたなにかを取り戻したい。ちからを貸してくれないか」


 沈黙が続く。いつのまにか、照明は、夕焼けのモードになっていた。オレンジ色の光が俺を照らす。

 そして、ついにサロが白状する。

(ここまで隠してたのになあ……。そうだよ。たしかに僕は君の記憶を一部見れないようにしていた。君がのぞむなら、その部分をあげてもいい。でも、タダじゃダメだ。僕にも条件を出させてほしいな)


「……なんだ?条件って」


(それは、あとで教えてあげる。……それと、この記憶を受け取ると、君は失われてた記憶を取り戻すことにはなるんだけど、同時にやっぱりタイムスリップをしたくなるはずだ)


「……? どういうことだ? お前が隠していた記憶を俺が知ることができたなら、もうする必要がないんじゃ……」


(見ればわかる。さ、渡すよ。受け取りな)


 その瞬間、莫大な量の映像が俺に流れ込んでくる。永遠に止まらない絵巻が、ぐるぐるとうねり続ける。そのなかに移っているのは、一人の少女。

 ポニーテールをぶらさげ、拳を振るい、舞い、血を浴び、流し、俺のまえに立つ少女。


 俺を、これ以上なく愛してくれたあの少女!!!


「ああ、あああ!」


 俺の口から声が漏れる。

 バカな!俺はこんなに強烈なヤツを呑気に忘れてたってのか!?


「風犬!お前そんなところにいたのか!?」


 記憶の中で、滋養風犬がほほ笑んだ。俺の幼馴染で、俺を愛してくれた女の子。俺を形作ってくれた女の子。俺を、常に守ってくれた女の子!


 そして最後は……、凄惨に、命を落とした。


 いつのまにか伝っていた涙をぬぐい、俺はサロに言った。

「そうか、そういうことか。わかったよ、サロ。お前の言っていることが。たしかに、これはタイムスリップしなくちゃ気が収まらないわな」


 俺は、立ち上がった。

「過去に戻るぞ、サロ。過去を変えて、滋養風犬を生き返らせてやる!」


 サロは、あきれたように言った。


(だから嫌だったんだ。めんどくさいったらない)

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