少年と風犬 あるいは……
渋谷、ハチ公直下、地下研究所。
脳が焼き爛れた北条リリィの死体を、研究員たちが運ぶ。
サンジェルは、富士月見に刺さったコードを引き抜く。滋養風犬が与えた打撃の痛覚は、北条リリィまでで止まっていたらしく、オリジナル富士月見の脳は無事だった。
「ふう、よかった。これでなんとか計画は進められそうね」
サンジェルは、自室に帰り、小さなからだをソファに投げ出してひと眠りしようとする。そこへ、ドアを叩く音がした。
「はい?」
仕方なくからだを起こしたサンジェルは、ドアを開ける。そこに立っていたのは、獅子頭奈保を背負った園崎みかんだった。
「……おかえりなさい、みかんちゃん」
園崎は、無言で部屋の中に入ると、ソファに獅子頭を寝かしつけた。そして、怒りのこもった声でサンジェルに尋ねる。
「どうして、風犬を殺したんですか」
園崎は、伊豆麻里との戦闘後、大急ぎで風犬らを追いかけていった。彼女が追い付いたときには、風犬と、富士月見v2が相対している状況であった。
そして、放たれた打撃……。
園崎は、一部始終を瞬きすることなく見届けた。
富士月見v2を打ち砕くと同時に、滋養風犬の肉体はぼろぼろと砕けていき、溶けかけの氷のように、肉塊と血がまじりあった非生命体に姿を変えた。
獅子頭奈保は、その事実を認識できずにいたようで、半狂乱となって叫んだ。しかし、その時点で彼のからだもスプラッタ同然の状態であったため、わめくだけで暴れることはできなかった。
そして、砂川とともに、園崎は獅子頭奈保を落ち着け、ここに帰ってきた。
「目から……離れないんです。あの瞬間の、輝きが。命を燃やした一瞬の煌きなんて、どんなに美しくても、それは本当ならあってはいけないものなんですよ」
サンジェルは、やれやれと肩をすくめた。
「そんなこと言っても、風犬はあたしたちにとって邪魔ものだった。排除しなくちゃ目的が果たせないほどの重要案件だったんだから、しょうがないでしょ。あたしだって、好きで殺したわけじゃないよ」
拳を震わせる園崎。彼女は、瞬間記憶能力を生まれながらに持っていた。それゆえ、記者として、常人なら見逃すほどの一瞬の出来事を記録する類まれなる才能を発揮していたのだが、こうした辛い記憶も通常以上に色濃く残る。
滋養風犬のすべてを知ったわけではなかった。だが、追っていた対象が、ああも残酷に散るのを目撃してしまい、彼女の心は無念であふれていた。
「ねえ、園崎。お願いがあるんだけど」
サンジェルが、うつむく園崎を、下からのぞき込む。
「なんですか……?」
「滋養風犬と、獅子頭奈保の半生を、あなたに記してもらいたいの。……あの子たちが、生きたしるしを、残しておいてあげるのが、せめてあたしたちにできることだから……」
差し出された紙の束。小さな指が、それを握っている。
「どのくちがっ……」
声を荒らげ、幼女の手を払う園崎。しかし、サンジェルの顔を見て、はっとする。
サンジェルは、目に涙を浮かべていた。
「あなたには言ってもわからないかもしれないけどね……結構、辛いのよ。あたしも……」
「……っ」
園崎は、どうしようもない感情を、その場に落ちたペンと、紙束にぶつけた。
○
「好きなやつが死ぬっていうのは、結構くるものなのだな」
病室で、砂川徹は、北条リリィのもの言わぬ死体を見てぽつりとつぶやいた。
結局、彼には、人の気持ちというものがわからなかった。だが、胸に残るもやもやした感情は、砂川のなかにしっかりと居つくこととなった。
〇
僕は、今日も道場で練習をしていた。風太さんは優しく指導をしてくれるけど、なかなか僕は言われたようにできない。からだの運びかた、拳の出し方。全然うまくいかない。
そんな風に納得ができない、情けない気持ちになるときも、疲れれば休みたくなる。休憩時間の声に、僕はほっと肩を下ろした。座って水を飲んでいると、風ちゃんがタオルを渡してくれた。
『お疲れ様っ』
見たことはないが、太陽のような笑顔というのは、こういう晴れ晴れしたものをいうのだろう。健康的な歯が口からちらりと見えて、ほほえましい。
『ありがとう、風ちゃん』
短いショートヘアが可愛かった風ちゃんは、僕の意地悪な一言によって、いまはポニーテールになっていた。頭が重くなってしまい、こけそうになる様子を見かけると、ちょっと申し訳なくなるのだが、本人に切ったら?というと、いいの!と断られてしまう。
どうやら気に入ってしまったらしい。
『ねね、終わったらなほちゃんの部屋に遊びいってもいい?』
『あーうん、いいよっ』
遊びの約束を取り付けられ、また僕は練習に戻る。
ううん、なかなか上達しないなあ……。
夜、部屋でごろごろしていると、風ちゃんがドアを開けてきた。
『どーん!なほちゃんまだ寝てないよね!』
ドット柄のパジャマを着た風ちゃんがそこにいた。指にナイトキャップを巻き付けぶんぶん回している。
『もうすぐ寝るけどね。風ちゃんは一日動き回って、眠たくならないの?』
すると、風ちゃんは細い腕で力こぶを作るポーズをした。
『若いからねっ』
『あはは、誰のまね?』
『おにーちゃんがおじちゃんたちにバカにされたときこう返してたの』
『風太さんも大変だねえ』
風ちゃんは、ん!と声を上げると、ぬいぐるみを指さした。
『あー!直してくれてたんだ!』
くまの目の周りには、僕のつけたワッペンがあった。
『まあね、おかあさんがくれた本を見て、やってみたんだ』
お母さんは、妹とともにブコウカイを出ていった。でも、僕に何冊か役に立つ本を残していってくれていた。こういうとき、風ちゃんが喜んでくれて、とてもうれしい気持ちになるので、お母さんには感謝している。
『うわーえへへ。このくま、なほちゃんに似てて可愛いんだあ』
頬づりをして、目を細める風ちゃんは幸せそうだった。
『今度なほちゃんの名前に合わせて、獅子のたてがみつけてよ~くまから、らいおんにしちゃおうよ~』
『いいけど……そうすると、顔こすりつけるときにざらざらしない?』
『んーそのときは、なほちゃんに抱き着く』
僕は、うっと顔を赤らめてしまう。さすがに、そろそろそういうのは恥ずかしく感じる歳になってきたからだ。
『ねえ、なほちゃん、ちゅーしよ』
『ええ?恥ずかしいよ』
『ねええ、おねがーい』
『ううん、おとなになったらね?』
『えーおとなになったら、もっと面倒になるよー。みぶん?とか。なほちゃん家偉いんでしょー?』
『ううん、そうだね……あ。だったら、大人になったらふたりでブコウカイやめちゃおうおか?僕全然強くなんないし……』
『ええー?あんなに頑張ってるのに?』
『でもさ、絶対こんなところから出たほうが自由で、好きに生活できるよ』
『あ、そしたらちゅーしてくれる?』
『え』
話をそらそうとしたのに、戻ってきてしまった。逃げられない。僕は仕方なく、いいよと答えた。
『そのときはいっぱい、ちゅーしようか』
そう言うと、風ちゃんは、ぱああと、顔を輝かした。
『うん!楽しみだね!』
俺は目を覚ました。
頬には、涙が流れたあとがあり、少し痒い。
「ああ、そうか……。思い出した」
風犬は、強くなって、自由になりたいって言っていた。
自由って、このときの約束のことだったんだ。
それを、俺はいつのまにか忘れてしまって。武功会がなくなったあとも、風犬から言い出すことはなかった。あれは、乙女心から、自分で言い出せずにいたのだろう。あいつは、意外と純情なのだ。
つまり、いちからじゅうまで、俺が……。
いや、僕が至らなかったんだ。
「ごめん、風犬……」
僕は、手を天井に伸ばした。
当たり前のように、そこにはなにもなく。
なにも、掴めなかった。
○
サンジェルは、病室で、北条リリィを眺めていた砂川の肩を叩いた。
「砂川、いままでありがとうね」
砂川は振り向くと、ああ、と頷いた。
「ついに、このときが来たんだな。倒達者たちの頭部はそこにある。俺も……いつでも死ぬ覚悟はできている」
箱に入れた三つの頭部をサンジェルの前に並べ、最後に懐から、大きななたを取り出した砂川。彼の太い首は、仰々しい刃物をもってしないと、跳ねることはできないほど、頑丈なのだ。
「………ごめんね。あたしのために」
サンジェルは、なたを持った。
砂川は、いいさ、と言ってベッドのほうを向きなおした。
「壊すことしか能のなかった俺に、役割をくれたあなたには、感謝しかない。今世でわからなかったことは……来世で考える」
そして、砂川は目を閉じて、なにも喋らなくなった。
「…………。さよなら」
血が、辺りに飛び散った。
〇
数か月後。
サンジェルの研究所にて、液体ポッドのなかに入った、ひとつの『人型兵器』が完成した。
それは、すべてを超越する、人智を超えた神の兵器。
その名も、『サロ』。
炎天下のこの時代に、終焉をもたらすもの。
多くの犠牲のうえに成り立ったその兵器は、これより大いなる旅に出るのだった……。




