災禍の中心で愛を叫んだけもの あるいは愛
「動けるとも思わんが、一応閉じこめさせてもらうぞ」
野太い声とともに、俺の視界が若干歪む。目覚めとしては最悪の部類だ。動かないからだで、どうにか上を見上げると、そこには砂川徹が立っていた。
「晶壁術ですか。酸素は残しておいてくださいよ」
「いや、そんなに長くはかからんだろ」
砂川さんがゆびを指す方向を、また苦労して向くと、そこには、ぼろ雑巾のような風犬と、無数の触手を支えに、空に浮かぶ女がいた。
「……どういう状況、ですか。砂川さん、新しい刺客を連れてきたんですか?」
首を振る砂川さん。
「いや、予定外の接触だった。だが、現在彼女が刺客としての役割を担っているのは違いない。それに、数えてみれば……」
砂川さんは、指を折りながら、人名を言っていく。
「八つ墓景文、八つ墓文佳、浜田総司、翼、陣地屋える、久本美影、伊豆麻里、北条リリィと富士月見version2が別々になるとしたら、もう九人目になる。彼女を倒したら、君らにとっても有益ではないか」
俺は、回らない頭で、知らない名前を混ぜられたので、よく理解できなかったが、どうやら、九人目になったらしい。なるほど、刺客は全部で十人という話だから、あと少しということか……。
「いや、こんな追撃みたいなまねされて、よしとはならないですけど」
「だから、偶然そうなっただけだ。恨んでくれるな。まあ、見てみろ。あの空に浮く女は、いままでお前たちが戦った奴らの中で、最上の力を持つ。風犬もさすがに殺されると思うぞ」
「…………」
砂川さんの言う女は、たしかに異彩を放っていた。背なかから複数の触手をはやした金髪の女。目には感情が窺えず、まるで機械のような存在だった。しかし、風犬は明らかに異形の相手に臆することなく、千鳥足で女に向かって歩いていた。
女が、触手を飛ばす。風犬の左腕に絡みつき、前進を止める。すると、風犬は、顔をしかめると、パン!と局部を叩く。
「あ……」
思わず声がこぼれた。
あまりに強くたたきすぎたのだろう。打撃の数秒後、一本の線が腕に浮かび上がると、ゆっくりと線は楕円形になっていき、糸を引いた断面が現れた。
そしてさらに一秒後、皮一枚繫がったその結合も、力を失い、どでん、と音を立てて彼女の前腕が地に落ちた。
久本美影に切断された左前腕。Bondによってくっつけていたが、衝撃によってちぎれてしまったようだ。ぴろり、ぴろりと断面から血が少しずつ飛び出してくる。
俺は見ていなかったが、伊豆さんとの戦闘から時間も経っていない。この傷に加え、風犬には疲れが溜まっているだろう。消耗が、勝敗にどう働くかなど、考えるまでもない。
この状況、風犬は圧倒的に不利。勝機が、薄い。
こちらの事情を知る由もない空の女は、無情にも触手を飛ばす。
横に払うような軌道を描く触手。風犬は、腕でガードしようとするが、触手は直前でピタリと止まるフェイントを披露し、脇腹を穿った。
「うぐっ」
痛みに口から泡を零す風犬。浜田総司との戦闘で、風犬はあばら骨何本かにひびを入れていた。大丈夫だと本人は言っていたが、やはりそこを責められると、身に響く。
足をずりながら、それでも前へ進む風犬。陣地屋えるとの戦闘で、彼女は足と膝を粉砕している。いま彼女が歩けているのは、絶妙なバランス感覚によりからだを支えている驚異の技術による。
女まで、あと三メートルのところで、足を止める風犬。息が荒い。風犬は、八つ墓兄妹との戦闘で、背中に受けた打撃から、筋肉がよじれ、肺が圧迫されて、呼吸が苦しくなっていた。放てる打撃の威力も、あれ以来減少していると語っていた。
顔面に鞭のように振り下ろされる触手。もろに受け、顔をのけぞらせる風犬。翼くんに受けた矢により失った眼球の影響は、変形的な攻撃よりもむしろ正面からの攻撃への対処を鈍くさせていた。
「……いったいなあ」
呟いた風犬は、再び歩き出す。足を砕かれ、骨を折られ、肉を潰され、それでも歩を止めない。
「すごい、な……。よくここまで戦ってきたものだ」
腕を組みながら、驚嘆のまなざしを送る砂川さん。対して、俺は……涙をこぼしていた。
なんで、なんで、こんなにもなってる女の子をまえに、俺はなにもできない?そして、なにもしてこなかったんだ?
園崎さんの言葉を思い出す。
俺は、本当に風犬のことを好きだったのか?
○
北条リリィは、攻めあぐねていた。
さきほどから、何度か触手をヒットさせることに成功しているが、ことごとく急所をねらった攻撃はかわされているのだ。満身創痍の相手に、なぜここまで時間がかかるのか。北条は、そのトリックを、掴めずにいた。
「……ならば、隙間なく打てばいいだけか」
一撃で、きれいに決めることが不可能なら、数を打てばいいだけのこと。北条は戦法を変え、一度に何本もの触手を打ち出すことに決めた。
富士v2が、指先を風犬に向ける。空に浮く支えとなる触手以外のすべてが、少女に向かって襲い掛かる。
だが……。
ふらり、ふらり、ふらりふらりふら
り……。
揺らめくカゲロウを相手にしているかのように、触手は風犬のからだを通りすぎる。
「なぜ……!?」
苛立つ北条。どうして当たらない……。
そのとき、彼女は気が付いた。
風犬の歩いてきた道に残った血の筋に。
ほとんどは、一筋の赤い線として地面についているが、ごく数か所、丸い血だまりがでいている。その場所は、富士v2が攻撃を繰り出し、かわされたときの風犬のいた位置であり、そばには外して、地に残した触手の穴が開いていた。
かわしたときに、激しく身をよじっていたなら、このような血だまりが生じるのにも頷ける。だが、風犬の動きはあまりに自然だった。攻撃が当たってもいないのに、大量出血が起こるようなことはあり得ないはずだった。
と、すれば……。北条は、ひとつの突飛な発想を思いつく。だが、そんなはずは。
「確かめて、みるか……」
再び、触手の雨を風犬に放つ富士v2。切れ目のない、隙間のない触手。それなのに、風犬には一本たりともその身に鞭を受けない。さきほどより、回避精度があがっているとさえいえた。
「…………。あなた、本当に人間?」
ようやく、トリックに気が付いた北条の本体は、冷や汗を流した。
間違いない。彼女は、滋養風犬は、からだから血を絞り出し、各部位の体重を変化させ、わざとバランスを崩すことで、紙一重の回避を続けていたのだ。
傷口の筋肉を収縮させる自傷行為による回避。天才的な感覚と、奇才な発想力がなければできない技術である。
いつのまにか、風犬は、富士月見v2の足元に立っていた。
「高いねえ……。降りてきなよ」
そういうと、風犬は、右手を振りかぶると、凄まじい速度の手刀を、富士を浮かばせていた触手に叩き込んだ。
「…………うわ!」
声を上げる北条。触手の頑丈さは、開発者である彼女はよく知っている。ただの手刀で、切れることはない。それをわかっていながら、下から伝わってきた振動に、墜落を予期してしまった。
「ん……切れないな。じゃあ、これはどうかな」
再び、風犬が右手を構える。瞬間。風が吹く。
真下を見下ろす富士v2。触手は、切れていない。今度は振動もほとんど伝わってこなかった。
しかし。
焦げ臭い……。
「な、まさかっ!?」
一本、触手を上に持ち上げて確認する北条。すると、触手は焼け焦げており、力を籠めるとぶちんとちぎれてしまった。
滋養風犬は、獅子頭奈保と同じく、武術型の倒達者である。普段は、その力を使わずともあらゆる勝負に勝てるゆえに使っていないだけで、彼女は火を自在に操る新人類の極に達するもののひとりなのだ。
ほどなくして、富士v2のからだを支えていた触手が次々に焼き切れていき、女はその身を地に落とした。
残りの触手で受け身を取った富士v2は、滋養風犬の前に立つ。ここまで近距離だと、リーチの長すぎる触手の攻撃は打てない。そうなれば、風犬に分がある肉弾戦の土俵に乗らなければならないが……。
否、いまの富士v2は、浜田総司の脳からボクシング技術を吸い取った。近接格闘でも、負傷した風犬には十分に通じる。
優位さを確認した北条は、肩で息をして、顔も上げない風犬に尋ねる。これで最後になるだろう。だからこそ、答えを得なければならない。
「ねえ、滋養風犬。教えてくれない?愛って、ナニ?」
風犬はゆっくりと顔を上げて答えた。
「一生かけても、追究したりないほど深い、深い大切な感情だよ」
北条はふうんと呟いた。どういう意味か。彼女には、よくわからなかった。しかし、それは風犬を殺してから考えればいい。富士v2は、胸の前に拳を構え、後ろに引いた。
そのとき、風犬が、くるりと獅子頭奈保のほうを振り向いた。
「自由になるって、難しいね……起きたらキスしてね」
○
「え……?」
俺は、風犬がなにを言ったのか、聞こえなかった。だが、口の動きから読み取ったのか、それとも非科学的にテレパシーが脳に鳴り響いたのか、定かではないが、はっきりと彼女の伝えたかったことが理解できた。
それに対して、俺は、わかった、と自然な気持ちで呟いた。聞こえるはずのない距離。それなのに、風犬は満面の笑みを見せて、前を向きなおした。
『滋養風犬流暴力術最終奥義 愛』
あたりが光に包まれた。
○
滋養風犬史上最強の打撃。
それは、片腕で放たれた、ただの正拳突きであった。
骨がひびだらけの脚で、巨人の鉄槌がごとく大袈裟な威力で地面を踏みぬく。反作用で戻ってくる衝撃は昇竜のように猛き唸りをあげながら、足の裏、下腿、膝、大腿を駆け上がり、腰に巻き付いた。
腰骨をかみ砕くほどのじゃじゃ馬をあやしつつ、鍛え抜かれた背筋が右腕を後方にこれでもかというほどに引っ張る。地引網を生業とする荒ぶる海の漢らでもこれほどの引力を操ることはないだろう。この力はもはやひとのものではない。海坊主のような妖怪じみた膂力がここに宿っていた。
溜まり切ったエネルギーは、千を超える仁王像が一か所に凝縮されたかのような内部エネルギーとなる。弾は装填された。あとは破壊兵器として打ち出すのみ。
からだじゅうのシナプスが雷撃を発し、激情の命令を下す。
行け!往け!逝け!!!
あらゆる破壊の化身の支援を受け、突入する一番槍は、五本の指が固められた小さな拳。その先端は、風を切り裂き、音を切り裂き、光を切り裂き、時代を切り裂いて、先陣を切る。
無の空間となった道を悠々と直進する肘は、あとから付いてくる肩に、遅れてくるなよ、と忠告し、得意顔をする。それが勘に触った肩は、肘を飲み込むために大口を開けて牙をむく。
進め、追い越せ!肉体に宿った万を超える意思が各々暴れまわり、そのうねりの末に、最終的に一つにまとまる。
『破壊せよ!!!』
憎き世界を!
愛を謳うことがままならないほど息苦しいなら、世界中の酸素を使い果たすほどの、自分勝手な我儘で、一気に深呼吸して独占してしまえ!そして、その力をもって!己が信じるものを!命を懸けて秘めたものを!解放せよ!
その瞬間、世界の中心は、おのれとなる。渦巻く災禍は一点、我が身の中心に収束する。進むべき道を持つ者には、背負うべき罪が降りかかる。だが、反省する必要はない。こもった熱をさらにヒートアップさせれば、罪は焼却され、濁りも曇りもない新世界の扉が開く。
叫べ!いま!世界の中心はお前だ!
滋養風犬の本質!うちに秘めたもの!動力源!すべてを焼き払う鬼子母神!
血流がどけどけと押し進み、膨れ上がった血管がはじけ飛ぶ!上がった内圧に耐えきれず、外に出たいと泣き叫ぶ体液が、濁流のごとく胃からせり上がり、口から惜しみなく飛び出す!
これまで主を献身的に支えてきた骨や筋肉は、最後の無茶にやれやれとあきれ顔で、されど地獄に付き合うぜと、尽力を惜しまず、その結果断裂と、崩壊を巻き起こす!
歯は、鉄をも砕く咬合力によって、砂塵となり、きらきらと白い霧で、顔面に化粧を施す。
血涙は、悲しみによるものではない。
すべては、この感情を押し上げるためのもの!
その、正体は!
「 愛 ! 」
○
ゆっくりと、瞼を開けると、女、富士月見version2が絶叫とともに炎上しているのが眼に映った。
「ああああ頭が、頭が熱いいいいいいいいい!!!!」
胴には、一瞬穴とも思えないほどに、ぽっかりとした空間ができており、消失した肉の部分ははるか後方に炭となってばらばらに落ちていた。
膝をついた富士v2は、そのまま崩れ落ち、火のなかにからだを沈めた。揺らめく赤い大口にすっかりと飲み込まれ、女は煙とともに姿を消してしまった。
俺は、刺客の死を見届けてから、左右を見渡す。
風犬の姿が、ない。
砂川さんが、晶壁術を解いた。
頬を、火傷するほど暖かい風が撫でた。




