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炎天下 ~日傘に入るは吉なのか。熱中症に気を付けて、今日も俺は走ります~  作者: 鷹枝ピトン
第三章 災禍の中心で愛を叫んだけもの ~滋養風犬暗殺計画のすべて~
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満席御礼 あるいは謀殺

 翼が園崎を連れてきたのは、「渋谷」ハチ公の銅像であった。翼が錆びに錆びたハチの鼻を撫でると、スクランブル交差点の中心に穴が開き、そこに地下へ降りる階段が現れた。



 地下は、研究所になっており、白衣姿の人間が右往左往していた。そして、つい先ほど廃ビルで会ったばかりのテロリスト、サンジェルが園崎を迎えた。



 ベッドが並ぶ部屋に園崎は通される。そこには、三十を超える怪我人たちが、静かに眠っていた。



「……この部屋は、いったい?」



 異様な光景であった。地下にこのような病院施設があるとは聞いたことはなかったし、そもそもこんなにも大勢の人間が大けがを負う事件など、ここ最近では起こっていないはずである。



 サンジェルは、翼を空いていたベッドに寝かしつけ、カーテンを閉めた。



「何だと思う?」


「……見当もつかないです」


 サンジェルは、伏し目がちに告げた。



「ここで眠っているひとたちはね……全員、滋養風犬に挑んで返り討ちにされたやつらなのよ」



「………っ!!!」


 園崎は言葉を失った。



 彼女は知る由もなかったが、先日、京都にてサンジェルとブレーメンが衝突した事件があった。


その同時期、風犬は北海道から京都までの道中で、幾人ものサンジェルからの刺客を退けていたのであった。



 サンジェルは、各地に散らばる腕の立つ信者を、風犬に向かわせていたのだ。だが、結局風犬はそのすべてを打ちのめし、京都に到着した。



 つまり、実態は一方的なサンジェルによる加害なのであるが、しかし事情を知らない園崎の目から見て、これだけの人数に大けがを負わすなど、決して正義の行動とは思えなかった。



 部屋の奥で、大きな影が動いた。ぬっとあらわれたのは、白衣姿の大男であり、手には大容量のBond缶を持っていたことから一目で医者とわかった。



 医者の男は額に浮かべた汗をぬぐいながら、二人のほうに近づいてきた。



「浜田の一命は取り留めた。だが、予後は確かなことは言えない。ここに眠る患者に総じて言えることだが……。翼くんは、どうだった?」



 サンジェルは、さきほど翼を寝かしたベッドを指さした。



「眠ってる。外傷はないけど、心に傷を負わされた。再起は……難しいかもしれない」



 医者は、そうか、と呟くように言った。そして、園崎に気が付く。


「こちらのお嬢さんは?」


「記者だよ。滋養風犬を探ってるらしい。あれ、名前はなんていうんだっけ」


「そ、園崎みかんです」


「そう、みかんちゃん。この大男は、砂川徹。うち専属の医者で、……まあ、ばらしてもいいかな、魔術型の倒達者だよ」



 慌てたように、砂川と呼ばれた医者はサンジェルをとがめる。



「どういうつもりだ?このお嬢さんを深入りさせる気か?」


「別にいいんじゃない」 


 サンジェルは気にしていないふうにいったが、一方で園崎は混乱していた。


 倒達者。


 それすなわち、「火」を使えるようになった人間。



 炎帝府が支配する時代「炎天下」。この時代に生きる人類たちは、「火」を扱う術を失っている。そのなかで、火を使う者として語られているのが、倒達者である。その存在は一般人として生きる園崎にとっては、都市伝説のようなものであった。



 この医者が倒達者……?


 園崎はまじまじと砂川の全身を見る。



 巨体は、魔術型であれば確かに優秀な個体であるといえる。しかし、それ以外の要素は、倒達者のイメージである神秘的な様子は皆無であった。闘争心のなさそうな、どこか抜けた顔。シミのできた働き者の証の白衣。


どこにでもいそうな医者である。


「失礼ですけど、信じられませんね。本当に倒達者というのなら、火を使うところみせてもらえます?」



 砂川医師はぼりぼりと頭をかく。サンジェルは、いいよ、やってやりな、と許可を出した。



「……では、やってやるが」


 ひとつまみのガーゼの切れ端を大きな手のひらのうえにのせる砂川。園崎は首を傾げる。手から炎を出すというのだろうか。



瞬きをする園崎。



次に目を開けた時、砂川の手にはガーゼはなく、代わりに小さな黒い箱がちょこんと乗っていた。



「完壁コンプリートクリフ。圧縮により、燃やす」



 砂川の声とともに、箱は消失し、真っ黒な炭が残った。



「どうだ?」


 しばらくの沈黙のあと、園崎は尋ねた。



「……んん?火は、どこですか?」



「…………」


結果だけを見せられても、理解できない。



 サンジェルは肩をすくめると、園崎を別の部屋に案内した。





 次に訪れた部屋には、四人の白衣を着た男女がテーブルを囲んで茶を飲んでいた。



「……俺を抜かして休憩か」



 砂川はふてくされたように、空いていた大きな椅子にどかんと腰を下ろす。ぎしりと悲鳴が上がる。



「いやあ、砂川さん遅かったんで。ちゃんと残ってますから安心してください」



 四人のうち、ひと際若い青年がカップを掲げた。しかし、砂川のために、動く様子はない。


 意外なことに、彼のために茶を注いだのは、このなかで最も異彩を放った格好の人間だった。


服装は白衣なのだが、特筆すべきが、顔に装着した真っ白な仮面である。線の細さと、胸のふくらみから女性であると推測できるが、それにしても不気味な格好である。 



 彼女は、ポッドを傾けて、コップに液体を注ぎ込む。



「狩場、三人ぶんね。昼の女の子もいるから」


 サンジェルの声に顔を上げる女性。園崎と目が合う。すると、女性は小さく舌打ちをして、園崎に向かってずいとカップを差し出した。



「……関わらないほうがいいっていったのに」


「……? ……あっ」


 園崎は聞き覚えのある声に、はっとした。間違いない。昼間、サンジェルと手錠で結ばれていた女性である。なぜ仮面をつけているのかはわからないが、事情があるのかもしれない。



 サンジェルに薦められた椅子に座る園崎。続いて、サンジェルも横に座る。


「じゃあ、全員いるようだし、話をしようか。まず、この女の子は園崎みかんちゃん。マボロシ探偵社で記者をしているの。このタイミングで、『滋養風犬』について調べ始めたっていうアンラッキーガールよ」



「なに……?」


 険しい顔をした男が、園崎を睨む。男の眼光は初対面の相手に向けるには鋭すぎるもので、園崎は委縮する。



「サンジェル、一般人を巻き込むつもりか?まさかもう、俺たちの計画を離したんじゃないだろうな」


「土方、怖い顔しないの。計画はいまから教える。そして、そのうえで、どうするかは自分で決めてもらう。むしろそのほうが下手に首突っ込むよりは安全でしょ」


 土方と呼ばれた男は、まだなにか言いたそうだったが、口をもごもごしながら座りなおした。



「ほかに異議は?」


 ひとりの女性が手を上げる。丸いサングラスをした中年女性である。彼女は赤い唇をたゆませて口を開く。



「その子の身の安全を考えるあたり、善人の土方くんらしいけど。私たちのことが、世間にしられちゃうことのほうが問題じゃない。今回のことは記事にされていいの?テロリストさん?」



「ああ、それは問題ないよ。っていうか、実は書いてもらえたほうがうれしいんだよね。滋養風犬という人間は、私たちにとっても、炎帝府にとっても予測のできない厄介な存在。そいつを殺したことを大々的に発表して、炎帝府との開戦の準備ができたことをむこうにも知らせるのよ」




「炎帝府に知らせる?馬鹿正直なのね。奇襲したほうがいいと思うけど」



「ははっ。それは私情入ってるんだけどね。なんせ、炎帝はあたしが生んだ子どもだからね……正々堂々、戦いたいの」



 そう、と女性は頷く。


 ほかに、意見する者は現れなかった。サンジェルは満足そうに園崎のほうを向いた。



「そういうわけで、なんとなく察していると思うけど、私たちの目的は、『滋養風犬の抹殺』。園崎みかん、歓迎するわ」



 






 滋養風犬暗殺計画。







 始まりは二週間まえ。



 俺、獅子頭奈保は、サンジェルに喫茶店ねこかだらけに呼び出された。



 丸いテーブルで対面したとき、彼女の雰囲気がいつもと違うことに気が付いた。サンジェルに仕事を依頼されたことは何度かあるが、大抵彼女は俺をからかって遊び、飄々とした態度を一貫していた。



 しかし、この日の彼女は、目の前の俺を認識していないかのような上の空でコーヒーを飲んでいた。無駄話をせず、無言で黒色の液体をすすりあう。重たい空気が個室を圧迫し、息苦しいことこの上なかった。



 時計の針の音だけが響く数分ののち、ようやくサンジェルは口を開いた。


「奈保には悪いけど、ここで宣言させてもらうよ」



「……?なんの話だ」



 嫌な予感がした。ねっとりとした、ベトベトした、粘性の強い蛇に絡まれたような嫌悪感。



 サンジェルは、ばん、と一枚の写真をテーブルにたたきつけた。小さな手のひらがどけられ、そこに映る人物が明らかになる。



 鼓動が速くなった。



「こいつが、どうしたのか」



 残酷だ。サンジェルが発する言葉は常に残酷だ。俺がどう願ったところで、最悪の想定から外れることはなく、彼女の魔弾は俺を貫く。



 幼女の姿を借りた悪魔は、小さな口を開いた。



「滋 

風 

犬 を 殺 す」





 咳とともに目を覚ます。喉に異物が侵入したらしい。気分の良くない朝である。昔、蟻沢さんに、お前はホームレスをやったら体調を崩すみたいなことをいわれ、甘く見ないでほしいとムッとしたものだが、野宿七日目、すでに体には疲れが溜まっている。




 武功会を追われて、拠点を移した廃ビルでは、ベッドなんて高級品はなく、風犬がどこからか拾ってきた布団をコンクリートの下に敷いて寝ていた。あのときも最初のうちは、ごつごつとした硬い床に背中から尾てい骨にかけたところが悲鳴を上げる夜が続いたものだが、次第に慣れていくことができた。




 ただし、今回は勝手が違う。いままで便利グッズをどこからともなく持ってきてくれた風犬は、怪我を負っているため、動けない。野生の勘が備わっていない俺には、あのようなサバイバルに役立つものを探し出す力はなく、草むらのなかに諦めて寝転がるしかなかった。




 東京の街には廃墟がたくさんあるのだから、そのなかに入ればいいと思うかもしれないが、風犬に断れた。サンジェルからの刺客はいつどこから現れるかわからない。それならば、死角の多い建物のなかよりは、周囲を見渡しやすく、なおかつ(俺には理解不能な領域の話だが)気配を感じ取りやすい、野外のほうがよいとのことだった。



 冷えたからだをさすりながら、上体を起こす。炎帝の空調システムは、夜間から朝方にかけては温度が低く設定されている。暖かくなるまえに起きてしまったようだった。鼻水が垂れる。



 横を見ると、からだじゅうが赤色で滲んだ少女が仰向けで寝ていた。適当に巻いた包帯が風でそよそよと揺れる。普段は頭の後ろでひとつに結んでいるポニーテールはほどき、ばらばらになった髪の繊維が寝顔を隠している。



「…………」



 俺は風犬に近寄り、髪の毛を探ってその顔を伺う。 



 凄惨だった。失われた左目に巻かれた包帯は、むしろむごさを際立たせ、腫れた頬は、痛々しさの塊である。鼻から洩れる呼吸の音が、生きていることの証になるという、最底辺の安心である。



「奈保ちゃん、起きちゃったの?」



 風犬は、目を開けずにしゃべり始めた。俺の接近に気づいていたらしい。安眠を妨げてしまい、申し訳ない気持ちになる。



「ごめん、起こしちゃって」



「ううん。……でも、奈保ちゃんが起きてるなら、見張り頼んでもいい?私、もう少し寝なくちゃ回復しないや」



「……任せて、風ちゃん」



 化け物と言われる風犬も、人の子である。あの激戦のあとでは、さすがに動けない。医療用Bondで応急手当はしてあるが、完全回復にははるかに遠い。



 俺は、立ち上がり、辺りを見渡す。



 誰もいない。



 できれば、今日は刺客にも休んでほしいのだが……。






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