第蛇足話 『炭』
今話で、第一章は最終話です。ありがとうございました。
サンジェルは炎帝府打倒のため、再び地下に身を潜めた。砂川医師も、彼女に付き添い、失踪したため、俺の退院を見届けることはなかった。
俺のからだは三か月で、完全に復活し、さらに一か月で、自在に動かせるようになった。さきに退院した蟻沢さんは、たまに見舞いに来て、リハビリを手伝ってくれて、心の支えにもなった。風太さんは仕事に復帰して、書類に追われているらしい。紙は貴重品だというのになんと贅沢な話だ、と蟻沢さんは楽しそうに恋人のことを笑っていた。
退院当日、病院の前には伊豆が待っていた。久しぶりに顔を合わせる。彼女は、出会ったころのように無表情で、喫茶店にでもいきましょうか、という。俺は思わず笑ってしまう。彼女もこらえきれず、噴き出す。俺たちは、蟻沢さんの働く店、ねこかだらけに向かった。
店員さんに聞くと、蟻沢さんは今日は非番らしい。サービスしてやる、といわれたことがあったが、またの機会に受けよう。俺はコーヒーを、伊豆はオレンジジュースを頼んだ。
しばらくして、伊豆が泣き出す。どうしたのか聞くと、実は風犬から伝言を預かっているのだという。あと一時間後に、とあるビルで風犬が待っている。そうですか、と極めて冷静に返しつつ、運ばれてきたコーヒーを一口で飲み干す。
「伊豆さん、二番目でよかったら、好きですよ、あなたのこと」
我ながら、クズな発言をしてみた。伊豆さんが号泣する。
「よかったあああああああ………」
この人、大丈夫かな、と思いつつ、俺は店を出る。そういえば、支払いをまた彼女に任せてしまった。まあ、いいか、と思うあたり、俺はくずなのだろう。
ビルのなかは生臭かった。ザシュッザシュッと音のするほうに進むと、風犬は、十人ほどの千人隊の兵を相手に楽しそうな顔で戦っていた。散らばる肉片をよけつつ、俺はその部屋に入る。壁際には、死んだ目をした狩場瑠衣。仮面はつけていないが、顔に火傷の跡はない。新しい手足もついており、治療をしてもらったのだとわかる。しかし鎖でつながれており、逃げられないようだ。部屋のすみにはサンジェルもいた。目があい、肩をすくめあう。
「あっ奈保ちゃん!」
振り向く風犬。狩場の目が光る。千人隊が発光し、熱を帯びる。風犬はノールックで、回し蹴りを決め、兵を壁にたたきつける。狩場は意気消沈し、うなだれる。
風犬は、俺に抱き着く。そして、顔を俺にすりつけながら、言う。
「デート、さきにしててごめんね!」
俺は、彼女の頭を撫でながら、いいよ、といった。
「で、どこにいこうか?」
「ううーん、どうしようかなあ。そうだ、奈保ちゃん、あそこに行きたいな!」
風犬が俺を連れてきたのは、東京タワー跡である。草の生い茂る荒野には、ポツン、立て看板が突き刺さっている。ここには、かつて搭がそびえていた。東京という場所を象徴してきたその搭は、旧人類が滅びた後も、保護されてきたが、経年劣化により、十数年前についに倒壊した。俺の記憶には、その搭の外見が残っていないが、風犬は覚えているという。
「やっぱここはいいなあ!血の臭いがこびりついてて」
くるくるとバレエのように舞う風犬。俺には感じない、この場に漂う悲劇の歴史を彼女は好んでいる。
東京タワーの地下には、武功会の主催する格闘イベントの会場が存在した。炎帝府の目をかいくぐり、開催を続けていたこの大会には、腕の覚えのある格闘家たちが参加し、しのぎを削っていた。結局、見つかって、中止に追い込まれたこのイベントであったが、隠れファンは多く、再開の声は今もなおあがっている。
風犬は熱狂的なこのイベントのファンであった。いわく、弱い人同士が争っているのは、見ていて滑稽で、楽しい、とのこと。立っている場所が違うので、視点がほかの観客とは違う。彼女は、常人とは、はるかにかけ離れているのだ。
「さ、奈保ちゃん、久しぶりに、やろうか?」
すっと構える風犬。
自然と、俺もそれに合わせて構える。
勝てるはずがない。そんな相手だからこそ、戦う意味がある。
「うおおおおおおおおおおおお」
とりあえずは、初手は、貰う!
からだが一回転し、地面にたたきつけられる。……技を、かけられたのか?気が付かなかった。見上げると、にやにやする風犬。ちょいちょい、と指を動かし、挑発してくる。なめられたもんだっ!!
起き上がりざまに顎に向かって、アッパーを。
仕掛けたはずだったのだが。拳の先には風犬の姿はない。直後、首が締まる。
「おっそいよ~」
嬉しそうな、風犬の声が耳に吹き込まれる。回り込まれたのか。チョークスリーパーを、決められている。このままでは、意識が。
勝負が決まるにも関わらず、パッと風犬は腕をほどく。
「まだまだ終わりじゃないよ!」
死に絶えそうな息を整え、俺は立ちあがる。
滋養風犬は、俺や狩場瑠衣と違い、完全に自分の道を極めることで、倒達者に至った。
才能を備えたものの、努力に勝るものはなし。俺たちのズルは、彼女にとって気にもかけないものだった。
無限に加速し、隕石となる力?そんなの、走り出す前にねじ伏せられたら、どうにもならない。
千人を電気によって操る力?そんなの、指揮者を潰すか、千人全員を蹴ちらすかすれば、なんの脅威にもならない。
滋養風犬は、まっすぐ、ひたすらまっすぐに我が道を歩くだけ。その道を塞げるものは、存在しない。彼女に挑むのは自殺行為もいいことだろう。
だが。
それでも……、それだからこそ、俺は。
「望むところだよ……」
そうだ、これだ。俺が風ちゃんを好きな理由は。
言い訳のしようがなく、完膚なきまでに俺をズタボロにしてくれる。
もやもやした気持ちなど、みじんも残さず、消し炭にしてくれる。
俺は、風犬に殺されるために、生きているんだ!!!
俺は突進する。格闘技術の未熟な自分に、そもそも打撃は似合わない。かといって、タックルこそ技術が必要だ。すなわち、俺が放てる最強の攻撃は、『体当たり』だ!!!
体重すべてをのせた一撃。ぶつかるだけの簡単な技。重量とスピードを掛け合わせたこの原始的な技が、俺!
風犬に接触しようかというその瞬間、突如視界が遮られる。棘が目に入る感覚。痛い。砂利か?なんだ?気がそがれ、ここまで乗せたスピードが、減速する。
と、ここで、いままで感じたことのない強力な蹴りが腹に打ち込まれる。
体当たりへの緩いカウンター、前蹴り。腹筋が崩壊し、胴に穴が開いたかのような感覚に陥る。
呼吸が奪われ、苦痛に脳が支配される。
「奈保ちゃん、ありがとね!この髪、本当に感謝してるよ!」
なるほど目に入った棘は、ポニーテールの毛先か。彼女は頭を振るって、髪の束を視界を奪う武器として使ったのだ。
「ははっ……」
皮肉なものだ。幼少のとき、俺が枷として彼女につけた鎖を、凶器として、振り回されるとは……それによって倒されるとは……。
膝をつきながら笑うと、痛みが広がる。いいなあ……ほんとう。俺は、幸せものだ。
炎天下のこの時代。倒達者である俺は、もうまともに生きることはできないだろう。憎たらしいが、サンジェルの傘下に入るのが、意外と一番安全なのかもしれない。
だが、俺が少女、滋養風犬に熱をあげ続ける限り、どんなに慎重にいても、身には少なからず火の粉が降り注ぐはずだ。いくら走っても逃げられない。そんな運命が課されてしまう。
混濁する意識のなか、最後に見たのは、楽しそうに笑う風犬の姿。
どう想像しても幸せにはなれない未来に思いを馳せ、俺は幸福に気を失った。
〇
炎天下~日傘に入るは吉なのか。熱中症に気を付けて、今日も俺は走ります~
第一章 炎天下の倒達者 完
第二章は長いので、時折目を休めながらお読みください。




