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第四話 『火』④

 仮面の奇術師が、蟻沢さんの顎をツーと指でなぞる。


「美人とデートかい?敵陣でいい気なものだね」


 何故だ。何故こいつがこんなところにいる?

 

 大将は、城に籠れよ!


「……おい。赤レンガ倉庫に向かっていたやつら、つーか、風太はどうした!」


 蟻沢さんの怒気がこもった叫び。鋭い眼光が、奇術師を切り付ける。しかし、奇術師にとってそれはかすり傷に過ぎなかったようで、彼女に目もくれない。


「君は獅子頭奈保だね。ふふ、先日の少年が、まさか、私の想い人だったとはね、まったくこんな偶然は、運命としかいえないなあ、そうだろう」


 奇術師は饒舌に仮面の下から声を届かせる。不気味さと、その発言に、警戒を強める。俺の名前を知っている、だと。……考えられる流出ルートはサンジェルしかない。

 

 つまり、この仮面の奇術師の正体は、倒達者、狩場瑠衣でほぼ、決定である。

 

 しかし、俺を探していた口ぶりなのはなぜだ。暫定、俺はサンジェル側だ。俺たちは、仲間にはなりえないはずだが……。



 その時、蟻沢さんは、予想外の行動に出る。


 ワイヤーをものともせず、腕を振り上げたのだ。だが、物理には逆らえない、彼女の意志についてこれなかった左手首をその場に置いて、奇術師の眼前に、手の失われた切断面を突き付けた。


 さすがに、奇術師も、度肝を抜いたらしく、うおっと声をこぼす。蟻沢さんは、そこに呪術を炸裂させる。


 その呪術は、呪術型にとってスタンダードな技術であるが、使うものは滅多にいない。なぜなら、この技術はデメリットの大きさが冗談にならないのだ。最悪、死。手軽に使える自爆攻撃。この技術があることで、呪術型の十五歳未満の呪術使用は規制されているほどである。


 その技術の名前は、血流術。

 

 呪術型はエネルギーを吸収し、体内で変換、そして放出することができる。転送術は「距離」をため込むことで、一瞬での移動を可能にするため、発動するには前々からの準備が必要となるが、この血流術はそのようなコストがかからない。


 血流術が利用するのは、その名の通り、全身にめぐる血流のエネルギーである。

 

 このエネルギーを回収し、変換しなおすことで、呪術型は自らの血液を体外で自在に操ることができる。ある時は鞭。ある時は小刀。

 

 そして、ある時は。



 血の槍に。



 奇術師の頭を、槍が貫く。


 

 崩れる、奇術師のからだ。頭蓋から噴き出す、血しぶき。



 殺した、のか?


 なんという、あっけなさだ。

 

 見ると、蟻沢さんの脚を掴んでいた手が、離されている。操作者が死んだからだろうか。


 しかし、代償は大きい。蟻沢さんは苦痛で顔をゆがませている。このままでは、出血多量で、死んでしまう。早く戦線から離脱するべき重傷だ。


「蟻沢さん!早く転送術を!」


 からだの酷使を促すのは心苦しいが、いまはそれが最善の判断のはずだ。俺は彼女に駆け寄ると、沈み込みそうな彼女のからだを支える。重い。もはや自分のからだを制御できていない。


「だめだ。風太が、風太が……まだ残っている……」


「……!」


 敵の長である、仮面の奇術師がここに来たということは、赤レンガ倉庫に最短のルートで向かった風太さんの隊は、足止めされているか、もしくは、……全滅?


 俺は、深く息を吸い、考えをまとめる。


「金沢には呪術師が待機しています。風太さんたちのことは、その人たちに任せましょう。いまは、その増援の必要を伝えるため、この場から逃げましょう」


 蟻沢さんは、浅い呼吸を繰り返しながら、俺を見つめる。


 その眼は、侮蔑の感情がわずかに混じっている。

 

 そうだ。この提案は、俺が助かるための口実だ。だが、筋は通っている。苛立っても、それをぶつけることはできない。


「……わかった」


 蟻沢さんは、残った右手で、転送術のゲートを発生させる。小さな黒渦が手のひらに浮き出る。生成のスピードが明らかに遅い。ここで急げというのは、さすがに鬼畜だろう。俺はあたりを警戒しながら、短いスパンで、その渦の大きさを確認する。


そのとき。


「大金星、と思ったかい。残念ながら、君のような凡才に私は倒せないよ」


「なっ……!」


 倒れた奇術師の死体から発された声ではない。もっと遠くだ。こつこつ、と足音が迫る。


 仮面の奇術師が、道の曲がり角から、現れる。二人目、だと……?さっき倒したのは、影武者か!?くそ!仮面を被っているから、どれが本物なのか、わからない!


 再び現れたその女は、誰かのからだを掴み、ひきずっていた。男、だ。その服装は、軍服であり、著しく見覚えがある。


「って、え!?蟻沢さん!風太さんが!」


 奇術師が運んできたのは、驚いたことに、俺たちの知る人物、風太さんであった。ぼろ雑巾のような、酷い有様だ。意識はなさそうだが、時折、からだが、びくんと動いている。


 風太さんは、隊長として、別のルートから赤レンガを目指していた。彼が、捕縛されている、ということは……部隊は、やはり、壊滅……?こんな、こんな短時間で?



「てめえ、風太になにした……。その手を放しやがれ!」


 蟻沢さんが叫ぶ。しかし、さきほどより、迫力はない。着実に消耗している。


 奇術師はその様子に、くくく、と笑った。自分の優利に、酔っている。


「そうか、上玉が手に入ったから持ち歩いていたのだがね、この男、風太というのか……いわれてみれば、どことなく、そんな顔だな」


 奇術師は、風太さんを掴んでいた手を放すと、彼の首に剣を押し当てた。


「せっかくだから、交換条件、というのをやってみようか。私にとって、いまや情報を知られのは、弱みではないからね。この男や、そこの女は、生かして帰しても、なんら問題ないのだよ。だが、そこの少年、獅子頭くんは別だ。君に、個人的に用がある。君が私についてくるのなら、その二人を見逃してあげよう。ちょうど、転送術の用意をしているようだしね」


 思わぬご指名に、心臓が跳ねあがる。なんで、俺……?こんなやつに気に入られるような要素を俺が持っているというのか。


 蟻沢さんをちらりと見る。転送術はあとわずかで人の通れる大きさになる。無理やり、俺が逃げることはできるだろう。しかし、そんな屑に、俺は、なりたくはない。かといって、危険に身をさらしたくはない。


 どうする……?俺が悩んでいると、風太さんが、唸り声をあげながら、目を覚ます。そして、大きく目を見開くと、せきを切ったように、吐血する。


「がはっ……はあ、はあ……。おい!奈保、逃げろ!こいつ、妙な術を使う!殺されるぞ!」


 妙な術……。おそらく、人間を操る術のことを言っているのではない。倒達技術、火の使用を、この奇術師が使ったのだろう。火を生まれて一度も見ていない彼は、認識できなかったのだろう。旧武道館に残されていた焦げ跡も、ただの汚れとして処理されていたのだから。


 俺は、悟る。もはや、逆転の道はない。


 ならば、残されたのは、この一本道。


 一歩、前に出る。


「わかりました。なにが望みか知りませんが、俺の身ひとつで二人が救えるのなら、どうぞ」


 我ながら、虫唾の走る綺麗な言葉。本心は、ここから逃げたい。俺が、本気で駈け出せば、どうにかなるかもしれないが、そうなれば、二人は死ぬ。それは目覚めが悪い。結局、俺は、自分が気持ちよくなれる方法を選択する、自己中心的な人間なのだ。


「ふふふ……賢い選択だね」


 奇術師は、風太さんの首を掴むと、再び引きずり、蟻沢さんが作ったゲートに、そのからだを押し込む。そして、次に蟻沢さんを抱きかかえると、渦の中に放り込んだ。彼女は抵抗しなかった。力尽きていたのか、それとも、俺を見捨てることを受け入れたのか。


「さあ、邪魔ものはいなくなったね、獅子頭奈保」


 ゲートが閉じ、静寂が訪れる。中華街の静けさが、俺の孤独を強く感じさせる。俺がこれからどうなっても、助けは来ないのだ。


 仮面の奇術師は、パチンと指をならす。突如、轟音が周囲にのしかかる。見渡すと、閉じたシャッターが、がしゃがしゃと動き出した。


「住人を避難させないとは、なんという怠慢だろうね。結果、こんなにも炎帝府は犠牲を出した。罪深いことだ」


 ドンッと、一斉にあたりのシャッターがぶち破られる。雪崩出る人の山。やがて、倒れた人間たちは起き上がると、俺の周りを囲み始める。


 そうか、静かな町だというのは、勘違い。すでに、俺たちは大幅に後手に回っていたのだ。住人は、皆奇術師によって、すでに……。



 奇術師は、かつかつと俺に近づくと、俺の首に手を伸ばした。



「ようこそ、私の街に」



 瞬間、からだ中に、刺激。




                                            暗闇。


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