第五話 『風』①
いつからか、俺は風犬を避けるようになっていた。
度重なる敗北。あがいてもあがいても手の届かないレベル差の実感。俺は、弱い。風犬どころか、誰にだって勝てない。
逃げ出したい。逃げ出したい。逃げ出したい。こんなところにいたら、心が壊れてしまう。
俺は逃げた。しかし、俺は弱かった。すぐに帰られる場所に逃げたのだ。
武道の練習には、わざとしたケガを理由に長期欠席し、旧武道館の地下にある図書館にこもった。
そして、ひたすら知識を蓄えた。武術の類の古文書ではない。旧人類の生活をえがいた小説、漫画から、「昔の普通」を学んだ。遠い時代の別世界の話を読むことは、俺にとって安らぎとなった。いわゆる、現実逃避だったのだ。
このような本は禁書指定され、炎帝府に回収されていたため、偶然残ったものくらいしかないはずなのだが、ある日見つけた図書館の隠し部屋にはこの類の本が大量に保管されていたのだ。
そんな風に、本を読み漁るなか、ある部分で違和感が生じた。
旧人類と俺たちの体の構造が、明らかに異なるのだ。
伝承では、炎帝が旧人類の滅んだ世界に、俺たち新人類を作り出したことになっているが、それを信じているものはいない。
一般に、現在新人類のあいだで広まっている説は、気候変動により人類が生存のため進化をし、生きながらえた結果、新人類が生まれたとされるものである。
武術型など六つの型があるのは、多様性を持たせることで、絶滅を避けようとしたのではと考えられている。
しかし、だ。繁殖の仕方が異なるのは、同じ人類の枠で考えていい話ではないはずなのだ。
小説や漫画の中では、女性が「妊娠」する描写が存在した。
これは、多くの本に存在していたことから、創作ではない、一般的なことであるはずである。だが、現在の人間には「生殖器」はあるが、性行為により母体に命が宿ることはない。
新生児がこの世に生を受けるには、男女、技術型の組み合わせの区別なく、両者同意の上の性行為が行われた後、炎帝府の役所に届け出を出すという手順が必要である。
そして、二週間後最寄りの「コウノトリプラント」で赤ん坊を「二人」を受け取ることができる。ひとカップルに子が二人が生まれるのは、人口維持のためである。
世間では、これが常識として、まかり通っている。
おかしい。なんだ、この体の仕組みは。
武術型の形態変化や魔術型の魔力生成は、進化により得られたといわれて、ギリギリ納得できる。しかし、こんな徹底管理された繁殖方式は、生物として、異常なのではないか。
そこで思う。新人類が誕生したといわれている元年から千年近く経っているのに誰もこんな疑問を抱かない、誰も研究してないなんてことがあるだろうか。
旧人類の技術の復元は、神術型企業「ルネサンス」が行っている。神術型は旧人類の残した記録端末から情報を読み取ることができる技術を持っているのだ。なにか情報が見つかるとしたら、この企業の研究資料からだろう。
俺は、武功会の幹部になる将来を、蹴ることにした。戦闘行為を行わない武功会会員は研究者や経営陣としても所属できるが、それは俺が望む未来ではない。俺は、ルネサンスに入社し、研究者になることを目標に設定した。逃げた先で、見つけた夢。逃避したからこそ、見つけられた。
ルネサンスに入社するには、炎帝府立学校の卒業が学歴として必要になる。難関なうえ、学費も高い。俺は、蟻沢さんに倣い勉強を始めた。そして、親に頼み込み、入学金を用意してもらった。正確には、勘当を言い渡され、手切れ金としてその分の金を渡された。望むところであった。俺は旧武道館を出て、一人暮らしを始めた。
大変だったが、充実していた。これまでの生活のなかにあった息苦しさから解放されたのは、とても嬉しかった。
旧武道館を出て、三か月が経った。
俺は勉強場所としてよく府立図書館を利用していた。利用者は数人の常連しかいなく、静かで、勉強がはかどるからである。
そんなある日、見慣れない顔が来館していた。絵本の少ない図書館には不釣り合いな、幼女である。
この辺では珍しい、金色の長髪を足首のあたりまで垂らしている。何かの拍子に自分でその髪を踏み、須っ転んでしまいそうで、見ていて気が気でない。
さらに危険なことに、彼女は高い位置にある本を取ろうと四苦八苦していた。つま先を立てて背伸びしているが、そのふらつきは尻餅や頭部打撲の未来を予想される。
しばらくの間は、横目でその様子を窺いながら勉強を続けていたが、誰も助けようとするひとが現れなかったので、さすがに重い腰を上げた。
「どの本を取りたいんだい」
幼女が指をさす。指示した本は分厚い名簿だった。三十六年前にあった地震の死亡者、行方不明者名簿である。……訳アリそうだ。
「お兄ちゃん、ありがとう」
幼女はえへへ、と笑って名簿を受け取る。絵にかいたような笑顔。逆に言えば、自然には絶対に作りえない笑み。違和感は抱いたが、自分の幼少期にも無邪気は存在しなかったので、そういう子どももいるものだ、と納得した。幼女は、小脇に名簿を抱えると、俺の服の袖を引っ張った。
「お礼にいいところに連れてってあげるね」
脈絡がないわけではないが、突飛な発想である。自分であれば、目的が名簿なら、お礼もそこそこに、本を開くことを優先する。俺と同類の、冷め切ったガキではないらしい。しかし、勉強は途中だ。入学試験までの時間は長いようで短い。ままごとに付き合う暇はない。
幼女が俺の手を掴む。幼いとはいえ、女の子に触れられると、邪見にしにくい。たいてい俺はこの場面では、照れて体温が上がるのだが、なぜか今回は勝手が違った。
「こっちだよ」
まるで心臓が握りつぶされるような感覚がしたのだ。
〇
座っていた。
起きた時に、背筋を伸ばして椅子に座っているのは、不思議な感じだった。
目を暗闇にならす。からだは縄で椅子に縛られている。数日前の伊豆の監禁もどきを思い出す。その経験からか、頭が働いていないからか、俺は驚くほど冷静であった。
記憶を復旧させる。横浜で、俺はどうなった。いつ、気絶した。いや、まずは現状確認だ。ここはどこだ。
見渡すとレンガ造りの室内。赤レンガ倉庫の中か。左を向くと窓。光は指していない。日光システムが作動していないということは、夜だ。横浜についたのが、たしか午前だったから、気を失ってから少なくとも七時間は経過している。一日以上経過している可能性もあるが、腹の虫は騒いでいない。
閉じ込められているのか?窓があるということは、脱走の道は潰し切っていない。軟禁ってところだ。捕虜にされているのかされていないのか。室内には俺以外いないようだ。監視の目すらない。俺が縄から抜け出すことを考慮にいれていないのか。なめられている。まあ縄抜けなんて習得していないが。
「起きたか」
声がした。後ろからだった。首は90度くらいしか回らないので、振り向けない。監視がいないというのは早とちりだったらしい。まさか真後ろにいるとは、灯台元暮らしである。
「ここはどこですか」
物怖じせずに質問してみる。わざわざ捕らえているということは、多少反抗的でも人質を即座に殺そうとはしないだろう。……別室に俺以外の人質がいれば話は別だが。
「少し待て。いま縄を解く」
眠っている人間を縛っておいて、起きた人間の縄を解くとは。本気で俺が逃げないと思っているのか。
……思っているのだろうな。ここが赤レンガ倉庫ならば、そとには大量の見張りが構えているはずだ。そんな愚かな逃走を画策する俺ではない。
「立て。案内する。ついてこい」
言われた通り、俺は立つ。めまいが酷い。ここで初めて話者の姿を確認する。警備員の制服を着た、初老の男だ。……見覚えがある。
そうだ、伊豆とともに行ったショーで、赤レンガ倉庫のトイレを借りたときに、俺たちを通してくれた男だ。しかし、その眼光は淀んでおり、とても同一人物とは思えない。操られている、ということか。
男は俺を先頭に歩かせ、まず部屋から廊下に出た。暗い。徐行せざるをえない。すると、急に足元が光で明るくなった。光?なんだ?
「明るくなったろ。進め」
振り向くと、男の全身が光っている。
人間照明。これはあの奇術師が見世物小屋でみせたものだ。なるほど、気味が悪いが、これが正しい使い方なのかもしれない。無理やり自分を納得させる。
廊下を歩いた時間はさほど長くなかった。出た部屋から四番目に見た扉の部屋に、俺は入れられた。その部屋の中央にはテーブルと、二つの椅子が置いてあった。テーブルの上にはティーカップとポッドがある。お茶会でも始まるのだろうか。
と、ここで、部屋全体が明るいという異常に気付く。
俺の最初にいた部屋は真っ暗で何も見えなかった。しかし、ここでは入室の瞬間全体像がつかめた。夜の明るさは、この時代には一部の特権階級にしか実現できない。照明器具はほとんどがロストテクノロジーなのだから。
さて、ではどのようにして部屋を明るくしているのか。
答えは簡単である。
俺の後ろの男に使った奇術を使った人間を部屋中に配置しておけばよいのだ。
四隅に立たせておくのでは不十分である。より室内全体を照らすには、真上、天井に照明が設置されるべきだ。
ゆえに、見上げると天井には、一定の間隔を空け、人間が、ぶら下がっていた。
全身が発光している、人間照明。首にひもを巻き、それを天井に取り付けたフックに掛けている。
そのとき、なにかが地面に落下する音がした。近い。ちょうど俺の後ろあたりだ。振り向くと、さきほどまで光っていた、案内役の男が倒れていた。受け身を取った様子はない。起立の姿勢を維持したまま、顔から地に伏している。使い捨て、なのか。こいつらは。
吐き気が、した。胃の中の内容物がここから出せと暴れまわっている。俺は口を押え、しゃがみ込む。こんな光景を前に立っていることなどできるわけがない。
カツン、カツンと、足音が近づいてきた。かろうじて顔を上げると黒い脚が迫る。
「ご機嫌用。わが姉弟」
脚が止まる。その膝が折れたたまれ、顔が降ってくる。白い仮面。間違いない。あのときの奇術師だ。彼女はすっと俺の前に手を差し伸べる。
「席に着きたまえ。最高級の茶葉を用意した」
フラッシュバックするあの小屋での惨劇。俺は、震えながらその手を取った。




