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人類最高の筋力の持ち主は愛を知る

 中々開かぬ鉄格子を目の前に、久しぶりに湧き出る感情を抑える。

 恐怖。闘技場に出て、常連となった時にはすでに抱かなくなっていた感情。


 今まで数多の闘技者を見て来た。そのおかげか、どの筋肉が発達しているかでどのように戦い、どれほどの実力があるのか見て判断出来た。

 しかし、今回の相手のホンドーについてはまるで分からない。


 筋肉の発達具合から見て、それほど強くはない。いや、弱い。間違いなく弱い。この闘技場に参加できるほどの実力を持っているとは想像しにくい。


 しかしホンドーは一回戦を勝った。知者のようなので何らかの薬品を使ったのかと思ったが、ホンドーが私への秘密兵器として持ち込んだのは大きな机。

 出っ張りや突起物があり、何かを書く机としては非常に不便。振り回せばよい武器になるとは思うが、ホンドーは運ぶだけで手いっぱいの様子。


 相手の実力が分からず、何をしてくるかも不明。完全な未知の相手。

 だから、どうだと言うのか。この鍛えた筋肉で勝てない相手なのか。そのはずがない。


 腕を叩き、胸を叩いて気合を入れる。それと同時に目の前の鉄格子がゆっくりと開いた。

 もう弱音はなしだ。


「さあ! 二回戦最終試合! 人類最高の筋力を持つ男、バリッシュ・ストロンガー対ただのおじさん、ホンドーの試合を始めます! オープン!」


 聞き慣れた司会の声といつも僅かに変わる観客たちの声を浴び、ゆっくりと真っ直ぐ入場する。

 対するホンドーは、あの机を持って非常に疲れた様子で入ってきた。持ち運べておらず。若干引きずっている。

 

 ……あれを攻撃して良いものか。逆に実は誘っている可能性が?

 迷っている間にホンドーが、よいしょぉぉと叫びながら一気に押し出して、机を闘技場中央まで運んだ。代わりに体力を使い果たしたのか、その机に寄りかかり肩で息をしているが。


 どうしたものかと悩むも、前に出ないと攻撃すら出来ないため警戒しながらゆっくりと近づく。

 机を挟んで対面に立ち、殴るなり蹴るなりすれば勝ちなのだが。


「さて、バリッシュさん。力比べをしませんか?」


 それをホンドーは口一つで止めた。

 力比べと言われては、筋肉について誰よりも自信のある私がそれを断ることなど出来るはずがない。

 ……いや、筋肉についての知識であれば目の前のホンドーも決して侮れない。むしろ私より詳しい可能性がある。まさか、私の知らない筋肉の作用を利用して勝つつもりなのでは?


「……ん? 怖いのですか?」


「受けよう」


 弱音はなしと入る時に決めたのだ。それにこの勝負に逃げるわけには絶対にいかない。

 見世物としてはつまらないかもしれないが、この勝負から逃げるのは私の矜持が許さない。


 では、と言ってホンドーは持ち込んだ机の使い方を説明してくれた。

 中央から手前の出っ張りと思われた小さな台に肘を置き、左にある突起物を左手で掴む。そして相手と手を組み、その手を倒し切れば勝ち。

 見たことがある。こちらに来る時に船員たちが樽の上で行っていた競技だ。それをより明確にした腕相撲と言うやつか?


 それから反則となる行為、両手を使ってはいけない、台から肘を浮かしても落としてもならないなど説明を受けた後に、机の確認をお願いされた。


 机に仕込みがある可能性があるためだ。念入りに調査し、その上どちらに立つかも私が決める。

 机に不審な点はなかった。更に立つ場所もこちらが決めたため不正もしにくい。となれば。

 

「では始めましょう。合図は私がしますが、良いですか?」


「構わないとも。ではやろう」


 肘を付け、手を組む。左手も突起をしっかりと握り、上体は傾けずに起こしておく。何が起きても対応できるように。

 

「それでは、始め!」


 腕に力を籠める。この勝負、相手の手を倒せば勝ちだがそれ以外にも勝利する方法がある。

 相手に反則をさせればよい。例えば肘を引っ張ったり、押したりして台から肘を落とすなど。

 故にまずは不動の構え。相手の様子を見る。だが。


「ふぬぬ……! 駄目だ、動かん」


 おそらく、全力でホンドーは腕を倒しに来た。指二本でも容易に耐えられそうな非力な力だったが。

 このまま何もなければ問題なくこの腕を倒すのだが。


「バリッシュさん、勝ちを譲っていただけませんか?」


 八百長の申し込み。だろうとは思っていた。ホンドーが言ったあの別れ道での一言。嫌いになっていなければ。逆に言えば嫌われるようなことをするということ。

 こうなるとは思っていた。しかし今まで八百長を申し込まれたことがないと思ったのだろうか。幾度もその話が来ては、全て断った。


 私の望みは研究を進めること。闘技場で何度も優勝し、筋肉の優秀さを証明。私以外の研究者が生まれることを望んでいる。

 何より、そのようなことで負けては、今まで鍛え続けた肉体に顔向けが出来ない。故に断る意味を込め、腕に力を――。


「バリッシュさんには奥さんがいますよね」


「妻に手を出してみろ! 闘技場のルールなど関係なしに捻り潰すぞ」


 無意識に手に力が入り、ホンドーの手を握り潰しそうになる。


「いたたたたた! そんなことしませんよ。普通に観客席でバリッシュさんを応援していますよ」


「……ならば、何だ?」


「いえ。単純に奥さんは幸せですかと聞きたかっただけでして」


 予想だにしていなかった方向からの指摘に、自然と手の力が緩む。

 私が妻、ルリを幸せに出来ているかどうか。


 私の研究のためにこのような遠い地に住むことになり、それなりに稼いでいるが不安定な収入。そして肉体維持のためにどうしても減らせない食事。

 不便をかけているとは思う。私は妻を愛しているし、妻も私を愛してくれている。しかし愛だけで全てが解決できるわけではない。


 幸せに出来ているか。その質問に、私は肯定出来ない。


「なるほど。幸せにしている自信はないと」


 その通り。しかし、だからと言って金や地位に釣られては、私の研究を応援してくれている妻への冒涜! だから、一気に決着を!


「そんなバリッシュさんにお譲りしましょう。砕氷ハチミツ、王都への観光、そして北への旅行を」


 力を込めたはずの腕が動かなくなる。


「お話によれば奥さんは甘いものがお好きだそうで。砕氷ハチミツはただ甘いだけではありません。採れる場所が限られており、貴族、いや王族ですら易々とは手に入らない逸品。しかしその味は極上の一言。丁度伝手を持っておりまして、お一人分程度であれば確保が可能です。また王都につきましては公爵家との縁がありますので、それを利用すれば安全に良い旅行が出来ましょう。北の観光地については私が少々関係しておりますので、きっと満足できる旅行をご用意できると思いますよ」


 卑怯、卑劣。まさか私の欲ではなく妻の欲を突いてくるとは。

 思い出すのは過去に祭りで妻が甘い砂糖菓子を大量に持って嬉しそうに食べていた姿。甘味は珍しい。私の食事では甘いものがなく、確かに妻に不満を与えているかもしれない。

 

王都への旅行は別に妻も好きでは。いや、違う。王都であれば品物も多い、最近は妻に着飾る物を何一つ渡せていない。妻好みのものも多く見つかるだろう。


 北の観光地については知らないが、このホンドーが言うのだから決して悪いところではないだろう。それも一時的な旅行。妻の良い気分転換になることは容易に想像できる。


 妻のことを考え、妻のことを本当に愛しているのであれば……。


「……済まぬ、済まぬルリよ」


 涙が溢れてくる。妻を満足に出来ぬ、自分の不甲斐なさに。それでも尚、自分を優先する自らの愚かしさに。

 負けたくない、譲りたくない。それだけのために、妻の幸せを遠ざける。


「それは残念ッ!」


 交渉決裂と判断したか、ホンドーは口から針を吹き出すが。


「ハードスキン!」


 皮膚を硬化させる魔法で防ぐ。針が皮膚に弾かれて机の上を転がる。

 警戒していた。交渉が決裂した際に何をしてくるのかと。この針もただの針ではあるまい。毒針だろう。

 

「魔法!?」


 使えるとも。この国の出身ではないのだ。学者、研究者は魔法を使った際の作用も確認するため、魔法をいくつか覚えている者も少なくない。

 しかしこれで、ホンドーに打つ手はない。


 卑怯であり、卑劣ではあったが、今までの誰よりも私を追い込んだ。それも口先一つで。

 よって敬意を表し、全力でこの腕相撲に勝たせてもらう。

 私が全力で腕を倒しにかかれば、ホンドーの力などないも同然。一瞬だった。


 大きな音が二度、響いた。

 一つは私がホンドーの手を机に叩きつけた音。

 もう一つは。


「……なんと」


 私の肘が台から落ちた音。

 腕を引いたり、押したりして私の肘を落とすのではないかと。最初は警戒していた。しかしホンドーの本命が八百長と知った時に警戒を緩め、毒針を吹き出したのが最後のあがきだと思った。

 

 だがもしも、最初からこれを狙っていたとしたら。交渉と毒針で気を逸らし、最後に私が腕を倒すために横への力に全力を出した直後に縦の力を、腕を引くことで台から肘を落とすのが目的だったとすれば。


「これを最初から狙っていたのか。八百長も、毒針も、ただのフェイク」


「手の甲が砕ける……! ええ、そうですね。交渉が上手くいくなんて思っていませんし、毒針なんか仕込んでいません。ただの爪楊枝ですよ。毒を口に含むなんて怖いじゃないですか」


 叩きつけられた手が痛むのか、ホンドーは手を抑えながらも平然と言ってのけた。

 私が最初から腕力に物言わせればこのような結果にならなかったというのに。違うか、妻について知っていたのだ。私が警戒し、様子見をする程度は計算の内。

 観客たちにはつまらぬ見世物を見せた。最後に私がホンドーの手を叩きつけた瞬間だけは盛り上がってくれたようだが……。


 この勝負をしていた私が一番良く分かっている。

 ホンドーの手を叩きつける前に、私の肘が落ちていた。

 もちろんこれはただの腕相撲。この勝負で試合を決めるなどとは一言も言っていない。しかし。


「降参する!」


 大声ではっきりと宣言する。

 力比べで負けたのだ。つまり私の筋肉が負けたのだ。目の前の非力なおじさんに。

 たとえそれが口先一つに翻弄され、最後が小賢しい一手だったとしても。


 もっと鍛えねばならない。今度は簡単に負けぬように。

 おっと、そうだ。


「ホンドー殿、この腕相撲専用の机。頂けませんか?」


「どうぞ? もう使いませんし、捨てるしかないものですから」


 それはありがたい。机を抱えて初めて敗者専用の通路に向かう。


「なにやってんだー!」「馬鹿野郎!」「金返せ!」「つまんねーことしてんじゃねえ!」


 途中で罵詈雑言を浴びせられ、時に何か食べかけの何かを投げられもした。

 しかしそんなことはどうでもよい。むしろ清々しい気分だった。負けて清々しいと言うのもおかしな話だ。


 ただこの試合結果に、不思議と私は満足している。


「おかえり、ダーリン」


「済まない、負けてしまい、賞金を得られなかった。これで今月は少し切り詰める必要が出てくるだろう。不便をかける」


 敗者の出口はそのまま闘技場外に通じており、そこにはすでに観戦していたはずの妻が待っていた。

 妻は満面の笑みで迎えてくれるが、今日ばかりはその笑みを正面から受け止められない。妻の幸せを蹴った上に、負けてしまったのだ。


「大丈夫」


 屈んで頭を下げていた私の顔を妻は持ち上げると小さな小瓶を見せてきた。


「砕氷ハチミツ。貴方のファンだって言う商工会会長から試合前に貰ったのよ。その人の物じゃないらしく頼まれたから持ってきたと言われたけど。もの凄く欲しそうな顔をしていたわ。それと王都への往復馬車券。宿屋の手配は行く日にちを教えてくれれば手配するって」


 砕氷ハチミツの入った小瓶と、東の辺境から王都までの往復と言う高価な馬車券の二つを見せられ、唖然とする。

 それらはホンドーが負けてくれたら渡すと言っていたもの。……いや、そんな話は一切していない。最初に勝ちを譲ってくれないかと言っただけ。

 これらも妻を幸せに出来ていないのなら譲ろうと言っただけ。


「ハハ、ハハハ。アッハッハ!」


 完全にホンドーの手のひらで踊っていたようだ。なるほど、なるほど。理解した。ここまで見事に嵌められては笑うことしか出来ず、それが清々しい理由なのだ。


「ルリよ、良かったな。それと更に北の領地の旅行もくれると思うぞ。そちらは手配が間に合わなかったのかもしれないな」


「いえ、これを売って少しでも家計の足しにします」


「な、何を言う! それはお前のためのもの。お前から幸せを奪うなど」


「何を言っているのです、ダーリン。私はあなたと一緒にいられるだけで幸せです」


 妻の女神の如き言葉に先程まであった罪悪感が流されていく。私は妻を、何があろうと幸せにする。


「おおおぉぉ!」


 流れる涙をそのままに、妻を抱き上げて立ち上がる。

 私にはなんと勿体なき妻よ。王都への往復馬車券は高値で売ろう。いずれ必ず私が妻を王都に連れて行く。だがその砕氷ハチミツは妻が食せ。それは希少すぎて金で買えるものではないらしいのでな。


「うふふ、ダーリン。ちょっと高い」


 妻が何か言うが今はこの感情を抑えることが出来ない。しばし待ってくれ。


 なお私の身長は二メートルを超え、妻の身長は百四十と少し。確かに私が抱き上げては少し高かったかもしれない。


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