おじさんは秘密裏の交渉をする
ギリギリ、本当にギリギリで勝利を掴めた。
今なお闘技場は私へのブーイングが続いているし、先ほど机に叩きつけられた手は未だに痛い。骨が折れてはいないだろうが、ヒビ程度は入っているかもしれない。
ただゴミとなるあの机をバリッシュが持って行ってくれたのは助かった。今の私ではあれを持ち運ぶなど不可能。
さてさて、次の準備をしないと。
手以外に怪我もないのに満身創痍とばかりに壁に手をついて歩く。それほどに、体力を消耗した。
ただ、選手の待合室前に珍しい人がいた。
「ルルクス伯爵?」
この領地の領主であり、この闘技場の支配者。それが何故こんなところに? 専用の席で眺めていたはず。抜け出してきたのだろうか。
「ホンドーさん。次の試合は棄権してください」
はは、ゴールを目の前にこの人は酷いことを言う。
次の相手は。
「ニック・ロール・グランは危ういのです。権力に呑まれ、実力に呑まれています。すでにあれの魔法を食らい二人の闘技者が長い休養を要することになりました。多少は加減をしているつもりのようですけど、雷の魔法を一般闘技者に向けるとは。私が対策装備を隠れて渡していなければどうなったか。想像以上の馬鹿なのです、だあれは」
そう、次はようやくニック・ロール・グランなのだ。
あれの狙いはリリーナだ。例えこの闘技場で優勝したところでリリーナが認めない限り問題ないだろうが、言い寄られる理由は一つでも減らしたい。
「申し訳ありませんが」
大丈夫。上手くいけば問題はないのだ。ちょっと危なく、少し失敗するともう駄目だが。経験上、綱渡りには慣れている。
こちらが引く気がないと分かるとルルクス伯爵は大きくため息を吐く。
「召喚獣ゆえに召喚主を大切に考えるのは分かりますが」
……それは勘違いだ。確かに一般的な召喚獣であれば召喚主への忠誠心があるだろう。しかし私にそれはない。
これは私に歩み寄り、少しでも親しくなろうとしているリリーナへの誠意だ。自分が悪いことをしたと認め、謝罪をするだけでも良いことだ。そこからばつが悪いであろう相手と友好的な関係を築こうとするなど並の者には出来ないことだ。
その努力に対しての誠意なのだが。事情を知らないルルクス伯爵に話しても分かることでもないし、事情を話すには少し面倒。
どのように話せば問題なく伝わるかと考えていれば。
「ふう。ニックに対して何か思うところがあるのかもしれませんが、あれの運命は決まっています。グラン公爵の考えを教えますので納得して頂きたい。ホンドーさんに大怪我をされてルイス公爵家との確執が出来ては意味がない。一回戦はともかく、バリッシュにまで勝てるとは思っていなかったんですけどね」
私が悩んでいるのを勘違いしたのか。何かを話してくれるようだ。
しかし随分とはっきりと言ってくれる。やっぱり仕込んでいたな。私がニックと戦う前に敗れるように。
まあ実際、誰も私がバリッシュに勝てるなど思っていなかっただろう。あれは筋肉の化け物。鬼と正面から戦えるような人間だ。
「グラン公爵の考えと言われましても。ニックは恋心、ではないな。もっと下心や邪心が入り混じりながらお嬢様を求めていると思いますが」
「あの馬鹿は知らないことだけど、これが最後のチャンスなのよ。ただこちらはもう遊びに付き合う余裕がなくなった」
「最後? 遊び?」
真相は何ともニックにだけ残酷で、私たちには迷惑なだけだった。
「つまり、グラン公爵とルルクス伯爵だけはどう転ぼうと問題なかったと?」
「そうね。そうでもない限りあんな馬鹿に好き勝手はさせないわ」
何とも汚い大人の世界。これではニックもかわいそう、とは思わない。あれも自分の欲望のためにこちらに迷惑をかけているのだから。
それにどのように転ぼうも私たちには一切の利益はなく、どんな形になろうとも得はない。
「私が辞退することに対する利益は?」
「それは……」
「ないのでしょう? では話にならない」
ルルクス伯爵はこうして裏の事情を話してくれたが、それは保身のため。私の身を案じてでもなければ、罪悪感に駆られてでもない。
もしも仮に私がここで辞退したとしても何の利益もなく、数日間はあの馬鹿にまとわりつかれることになる。ルルクス伯爵はそれを止めはしないだろう。
「怪我では済まないかもしれませんよ」
「私は怪我をする予定はありませんので」
残念だったな。裏の事情など話すべきではなかった。適当に利益を与えて辞退を促すべきだった。
裏の事情を話してから辞退を願うなど、足元を見て交渉してくださいと言っているようなものだ。
ここは強固な意志を見せて、ルルクス伯爵から搾り取れるだけ絞る取るべきだ。問題はそこまで欲しいものがないということ。エルフと東の最前線の情報だけでは少し安すぎる。
「そこまで仰るのでしたら仕方ありません。ご武運を」
その瞬間。私の考えが全て霧散した。
予想外なことにルルクス伯爵があっさりと引き下がった。万が一、いや二が一で私が大怪我を負えばルイス公爵家との関係が悪化する。それをルルクス伯爵が許容するとは思えなかったのだが。
待ってほしい。しかしかける言葉がない。私は勝算があると言ってしまっている。ここでルルクス伯爵に声をかけては私の足元を見てくださいと言っているようなもの。
去り行くルルクス伯爵を私は笑顔で見送るしかなく、ルルクス伯爵は巧妙に通路に偽装された隠し扉を開き。
…………あ!
少しの間こちらを見てから隠し通路に入っていった。
うむむ、わざとらしく見えてしまったか。
ルルクス伯爵が最後にこちらを見たのは私が虚勢を張っていると思ったのだろう。だからルルクス伯爵も強気な態度に出て、私が困って声をかけるのを待っていた。
だがまさか出ていく素振りを見せて声をかけないため、最後に私を見てしまった。
私もルルクス伯爵も強気に出過ぎた。私としても少し欲をかきすぎたかもしれないが、ルルクス伯爵も少しは譲歩すべきだろう。
ルルクス伯爵の性格を見誤ったか。とぼとぼと待合室に戻れば今度はここまで勝ち残った闘技者たちから驚愕をもって迎えてもらった。
きっとバリッシュが勝つと思っていたのだろう。そりゃただのおじさんがどうやってバリッシュに勝てるというのか。
「ホンドーさん、武器が届いていますよ」
「あ、はい。取りに行きます」
まあ、良いか。勝算があると言うのは嘘ではないのだ。私の予想通りに事が運べば問題ない。
……上手くいくだろうか。自信のある交渉が失敗したからか、どうしても不安になってくる。あと一つか二つは小細工が欲しくなってきた。
しかしそんな時間など。………………悪いこと考えた。
これなら運が良ければ容易に勝てるし、悪くても相手の降参を引き出しやすくなる。協力が必要な人物がいるのだが、それは後で無理にでもしてもらおう。まずはそのために……。
私は対ニック用の秘密兵器を受け取りに行く。




