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元々が飲食店として建てられているので、東旬菜館の建物としてのセキュリティは高くない。見取り図をざっと確認しただけでいくつかの侵入ルートが想定できた。中でも一番確実な方法を選ぶことにした。厨房に繋がる裏口を突破する。そもそもの設計が甘い勝手口では、セキュリティを強化するにしても限度がある。
という見立てさえ無意味なほど裏口の警戒は甘かった。ママチャリの鍵と同じくらい簡単に開いた。
建物の侵入に成功した水本は、厨房の物陰に隠れた。床には埃が積もっている。熱感知式暗視ゴーグルで周囲を伺った。物質が放出する赤外線を感知し、暗闇でも周囲の様子がくっきりと映し出される。視界の広さは光の下と大差ない。もちろん軍用品で、正規の輸出入は規制がかけられている。ということは、個人で購入しようとするとしかるべき闇ルートを使って、多額の金が必要になる。ワシントン条約に抵触するリクガメをペットにするのと同じだ。価格は同じようなものだが、こっちはリクガメと違って実生活で換えが効かないほど役に立つ。一部の仕事をする人間に限ってのことだが。
厨房は什器と調理器具が並ぶばかりで人の気配はなかった。音を鳴らして様子を見たが動きはなかった。念を入れて物陰に隠れながら移動しコンセントを探した。コンセントの口にペンシル型の検電ドライバーを刺し入れる。検電ドライバーのネオン管が点灯した。建物の電気は生きている。
厨房を通ってエントランスに抜ける。フロントカウンターに隠れて周囲を見回した。やはり人の姿はなかった。ゴーグルを外して頭上を見上げると、闇の中で布袋の笑顔がぬっぷりとこちらを見下ろしていた。エレベーター脇の陶器は片方が倒れて割れていた。大理石風のタイルに所々埃が拭われた箇所があった。ここ最近この建物で何者かが活動した形跡である。確かめてみたがエレベーターは動かなかった。
上階に上がるには階段を使うしかない。
熱感知式暗視ゴーグルを付け直して、暗闇に目を凝らした。
人影はない。折り返し階段の踊り場までに人が隠れられる物影もない。ただ、それはこちらも身を隠す場所がないということだ。一度上り出せば、上りきるか戻るか以外に逃げ場はなくなる。下階からは折り返した先を確認することはできない。
待ち伏せするにはもってこいの場所である。
待ち構えているとすれば階段の途中ではなく二階に上がりきったところだろう。そうなると凶器は攻撃範囲の広い拳銃になる。
状況としては圧倒的に不利だが、相手が人間となればつけ入る隙が生まれる。
いつ来るかわからない侵入者の監視は、ほとんどの場合は何も起こらずにただ長時間待機するだけで終わる。その経験が幾度か続くと、監視者の意識は階段を上がってくる侵入者から時計の針へと変わる。決められた場所に立って時間が過ぎるのを待つことが目的となる。水本自身まだ空き巣稼業をメインにしていた時期、それも下っ端のころ、よく監視役を命じられてこの状態に陥っていた。
スタンガンを握りしめて音をたてずに階段にあがった。
スタンガン2万円。
ずいぶんと安くなったものだ。以前ならこれよりもでかいくせに威力の弱い製品でさえ数倍はしていた。痴漢とストーカーの増加によって、スタンガンの価格は一気に下がり、品質は格段に向上した。もうしばらくすればワイヤレスのテ―ザー銃も手が届く価格になるのではと期待している。十メートルを超える射程距離を持ったスタンガンは使い勝手抜群である。安くなれば色違いで揃えて、その日の気分で使い分ける予定だ。
踊り場で一旦立ち止まり、呼吸を整えた。本来なら煙草を一服するところだが、そういうわけにはいかない。一呼吸おいて、一気に階段を駆け上がった。
構えたスタンガンを振り降ろす先はなかった。
誰もいない。
水本は息を吐いて緊張をほぐした。
スタンガンを構えたまま二階を調べた。廊下を挟んで十個の個室が並んでいる。どの部屋も扉をあけると四、五人が囲める円卓のある飲食スペースになっていた。内装も全部屋共通である。
エントランスと同様いかにも中華風な趣味の悪い調度品が置かれている。襖で仕切られた部屋の奥は、三畳ほどの狭い座敷になっていた。鰻屋の個室という風情はない。布団一枚敷いて、枕元にティッシュ、避妊具、ローションを並べたら終わりの違法風俗店そのもののそっけない空間である。
二階の個室を調べ終わると、三階に移動し、三階の十部屋を調べたがどこにも水本を待ちかまえる刺客の姿はなかった。それどころかどの部屋もここ最近使われた形跡がなかった。個室の扉をあけると埃っぽい空気に混じってカビの臭いが鼻をつき、奥の座敷はどこも青臭かった。
最後の個室を調べ終えた。残る可能性は四階の大宴会場にいるか、情報屋がガセを掴まされたかのどちらかだ。ケチらず言い値を支払っているのだ。ガセだったら承知しない。
水本は青臭い座敷で仕事道具を検め、元通りに詰め直した。それから仕事鞄を背負って、納得いくまで何度も道具を取り出す練習を繰り返した。息が弾み額に汗が滲んできたところで、水本はいよいよ決心を固めた。
四階に上がる階段にも待ち伏せしている中国人はいなかった。
四階に上がるとすぐ大宴会場への扉になっていた。両開きのでかい扉には、尾の長い鳥の細工が施されていた。水本は扉の材質を確認した。この頑丈さなら拳銃や小型ライフルの弾ぐらいであれば食い止められそうだ。扉を開けていきなり襲撃を受けたらこの扉を盾にして応戦しよう。動きのイメージを頭に描いた。
襲撃がなかった場合は、そのときはそのときだ。
扉を盾にするようにして屈み、ノブに手をかけた。ゆっくりと力を入れていく。重たい扉がゆっくりと開いた。
扉の隙間から光がこぼれた。
心臓が早鐘を打った。ジャンの音が高らかに響き、モデルのウエストより太い太股に全身のヘモグロビンが送り込まれて踏み破らんばかりにペダルを踏んだ。聳え立つバンクにカーボンフレームのピストバイクが突っ込んでいく。生活費と今夜の酒代のかかった車券を握りしめたオヤジが、抜けた前歯の隙間からどら声を響かせた。
首にじとっと汗が浮かんだ。無意識に手で拭ったが、首は乾いたままだった。
扉を開けた水本は、扉の陰に隠れて様子を伺った。
銃声はしなかった。水を打ったような静けさのままである。
「どうした。こそこそしていないで入って来いよ」
高取の声が静寂を破った。
水本は呼ばれるまま熱感知式暗視ゴーグルを外して、大宴会場に入った。
これまでの個室にあったのより二周り大きい円卓に、一人、高取が座っていた。
「えらく大げさな格好だな」
水本が背負う仕事鞄を指さした。高取は手ぶらだった。
「まあ、座れよ」
水本は仕事鞄は背負ったまま高取の向かいの席に座った。
「そんなに身構えなくていい。はるばるやってきた客人を篤くもてなすのが中国の習慣だ」
広い円卓を挟んで向かい合っているので、まだ互いの間合いに入っていない。高取の両手は卓の上に置かれている。高取の背後に誰か隠れている様子もなかった。
「中国人じゃないでしょ」
久しぶりに発した声は、喉がカラカラに乾いていていがらっぽかった。
「おいおい、なんだそのぎこちないつっこみは。腕が落ちたんじゃないか」
高取に気の高ぶりは見られなかった。平常心のままである。殺気も感じさせない。油断させようとしているようには見えなかった。そもそも高取はそういうまどろっこしい計略は使うタイプではない。
「少し話をしようじゃないか」
高取は両手を広げて、武器を持っていないことを改めて強調した。
「どうしてここに来た」
どうして、その答えは簡単だ。
「仕事だからですよ」
本心かどうかは関係ない。それが事実であり現実だ。
水本の意を汲んだ高取は頬を緩ませた。
「どうしてあんな雑な奴らを寄越したんですか」
「オレは反対したんだけどな。中国人っていうのは、どうにも他人に任せるというのができない性質なんだな。無駄だって言っても自分たちでやろうとする。それで勝手に失敗してこっちに責任を押しつけようとしてくるんだから、ほとほとお行儀の悪いやつらだよ」
高取は売れないアメリカ人コメディアンみたいに大げさにため息をもらした。
「じゃあ、どうしてそんなやつらと手を組んだんですか」
「言っただろ。オレは出世することにしたんだ。今からこの業界で出世するには、あいつらと手を組むのが一番手っ取り早い。やつらは組織力があり、野心がある。金も勢いもある。ただ、致命的に技術がない。やつらは、仕事ができるプロの技術を喉から手が出るほど欲しがっている。鹿島たちから安い金でいい様に使われるより、中国人と組んだ方が見入りもいいし、将来も明るい」
今度は水本が売れないアメリカ人コメディアンのため息をこぼした。
「がっかりです。そういうことには関心がないんだと思っていました」
高取の顔色は変わらない。平然としたままである。
「ああ、以前はなかった。人間半世紀も生きていると考え方も変わるものだ」
水本が出会ったころ、十五年前の高取は今の水本と同じ年齢だった。
「オレが一度引退したのは知っているよな」
「ええ、風の噂で聞きました」
「風の噂か。オレも風の噂でおまえの活躍はよく耳にした。仕事を教えた身として誇らしい限りだ」
「オレに殺し屋の素質があると見抜いて、あのとき声をかけたんですか」
「どうだったかな。随分と古いことだから詳しいことは忘れてしまった。そうだな、敢えて言うなら、あのころのおまえはまるで若い頃のオレを見ているようだった」
左の眉をぴょこんと吊り上げた。昔から高取が気に入っている表情だ。どういうときにどういう感情を表現する顔なのかよくわからないが、何かというとこの顔を多用する。
「それ、言いたかっただけでしょ」
「さすが。お見通しだな」
高取はうれしそうに左の眉を吊り上げた。それから、じっと両の掌を見つめて真顔になった。
「腕が落ちたという自覚はなかった。ただ、長いことやりすぎてうんざりしてしまった。別に人を殺すのが好きなわけじゃないからな。金を得ておもしろおかしく生きたところで、所詮、駒は道具でしかない。オレはいい歳して道具以外の生き方を探そうと思った。遅ればせながらの自分探しってやつだ」
高取は目を細めて遠くを見つめた。相変わらずいちいち芝居がかった人だ。場末の安居酒屋で一服吹かすときでさえ波止場でニヒルに決めるニューヨークのハードボイルドな探偵を気取り、昼間にタクシーに乗れば憂いを帯びた目でひこうき雲を探した。
「殺し屋の仕事を辞めて普通の仕事に就いた。でもなあ、道具として扱われるのは裏の世界だけのことじゃない。お天道様の下であくせく働いている奴らもほとんどが道具だ。ブルーカラーもホワイトカラーもクリエイターもヤングエグゼクティブも、結局は誰かもしくはどこかの組織のための道具だ。オレたちみたいなドロップアウトしたろくでなしが道具として体よく扱われるのは仕方ないにしてもよ。全うに成長して、レールの上をきっちり歩んで、君たちの将来は光り輝き、君たちの命は地球よりも重いって言われてきた人間の行き着く先が十把一絡げの道具だっていうんだからやるせないよな」
水本は相づちもしないで黙って聞いた。瞬きを止めて高取を凝視した。
「オレが就職した会社の同僚が自殺した。まだ若かった。売り上げノルマの追求に押しつぶされて会社のトイレで首を括ったんだ。その会社はその年、十億円以上の経常利益を計上した。十億円の利益が数百万円減ろうと会社がどうにかなるわけじゃないし、誰もそれほど気にしない。それなのにそいつは、何のために必要か、必要かどうかさえわからない数百万円のノルマを人生の全てにされて、そのノルマのために死んだ。お題目みたいな数字が一人歩きして人の命が奪われる。こんな下手な道具の使い方があるか。それをきっかけに、オレは道具を使う側になることを決めた。オレがこれまで見てきた悪党共よりかは、うまく道具を使ってやれる自信があるからな。そういうわけで、今はその途中段階で、とびきり道具の使い方がわかっていない中国人の道具をやっているってわけだ。おまえや鹿島のおっさんは勘違いをしている。これはオレと鹿島のおっさんの争いじゃない。鹿島のおっさんと中国マフィアの抗争だ。おまえたちはオレのことを買い被りすぎだ」
高取は頬だけで薄く笑った。
高取の意に添わない中国人が襲ってきたのも、今夜ここに高取しかいない理由も理解した。
「もう一度訊く。どうだ、おまえもこっち側に付かないか」
水本は考えるまでもなく首を横に振った。
「オレは依頼された仕事をするだけです」
「道具はどこに行っても道具だぞ」
「道具だとしても誰かに必要とされるってのは、それほど悪いことじゃないですよ」
「交渉決裂だな」
高取の声に落胆の色はなかった。
「そうですね。最後にもう一つだけ訊いていいですか」
「なんだ」
「どうして、オレを巻き込んだんですか」
高取は何かを言おうとして止めた。何かを思いついたのか、うれしそうに左眉を吊り上げた。
「今のおまえを見ていると若い頃のオレを見ているようで放っておけなかったんだ」
「それ、言いたかっただけでしょ」
水本は笑った。
高取は胸ポケットから取り出したタバコに火をつけた。それからタバコとライターを円卓に置いて回した。タバコとライターがちょうど水本の目の前で止まった。
「吸えよ。仕事の前の一服だ」
水本は勧められるままタバコを一本くわえた。ジッポのライターは水本が見たことのあるものだった。
肺の奥深く、まだニコチンを知らない肺胞にまで煙を吸い込む。口をホの字に突き出し、舌で押し出すように煙を吐き出す。口から出た煙は、ポッポッポッと輪っかになった。しばらく宙を漂って、広がって消えた。
じりじりとタバコが短くなっていく。
様々なことが胸を去来した。郷愁も悔いも怒りも喜びもすべてが灰になって消えた。仕事の段取りは考えるまでもなく決まっている。
「そろそろ終わりにしよう」
二人同時にタバコを吸い終えた。吸い殻を指で弾いて、椅子から立ち上がった。
仕事鞄からバタフライナイフを抜き取った。
その時にはすでに高取は水本の間合いに入り、ナイフを構えていた。
二人の吸い殻が同時に床に落ちた。
高取のナイフが、正確に水本の頸動脈を捕らえた。
ガキン。
鈍い金属音が耳元で響いた。高取が顔をしかめた。水本は高取の鳩尾にナイフを深く突き刺した。
高取のナイフは水本の首の皮膚を真一文字に裂いたが、動脈を破ることはなかった。裂けた皮膚の下からセラミックプレートが露わになった。高取の正確さを逆手にとって、首をセラミックプレートで保護し人工皮膚で被っていたのだ。ハリウッド仕込みだという特殊メイクは、大学生のハロウィン仮装十人分以上の費用がかかっている。セラミックプレートの特殊加工は、思い出すだけで血圧が下がるほどの金がかかった。
「すみません」
殺し屋の腕で競えば圧倒的大差で高取に軍配が上がっていた。申し訳ない気持ちはあったが、自分の選択を否定するつもりはない。水本の仕事は正面から技術を競って華々しく散ることではない。どんな手を使おうと頼まれた依頼を成し遂げるのが、水本の仕事だ。
「結局、オレの器は殺し屋止まりだったってことか」
高取はこれまで見せたことのない穏やかな表情を浮かべた。透き通るほど純粋でバカっぽい顔だった。
「オレ、仕事続けます」
「そうか。あまりオススメはしないが、まあがんばれや」
高取は震える手で水本の肩を叩くと脱力した。
膝から崩れ落ちた高取の背中にサブマシンガンを乱射した。耳をつんざく音を轟かせて、道具屋で仕入れた一発一福沢さんの銃弾三十二発を二秒足らずで撃ち終えた。弾倉を付け替えて再度連射する。さらにもう一度。高取の背中から上がった血しぶきが硝煙を赤く染めた。
弾をすべて撃ち終えるとサブマシンガンを放り捨てた。
煙が目に染みる。水本は鼻を啜った。
仕事鞄から最後の道具を取り出す。そして、まだ道具の詰まった仕事鞄をかつて水本の師であり、憧れの殺し屋高取だった物体めがけて叩きつけた。鞄の中で何かが割れる音がした。
円卓には高取のタバコとライターが置かれたままになっていた。
大宴会場の扉まで来て、水本は高取を振り返った。ここまで離れるとそこに横たわっているのが高取かどうかさえわからなかった。
大宴会場の両開き扉を押し開けた。扉の向こうには暗闇が広がっている。
水本はもう一度高取を振り返り扉を閉めた。分厚い扉がゆっくりと閉じていく。
高取は大宴会場の扉を背にして座り込んだ。最後の仕事道具の携帯電話を手のひらで弄んだ。
部屋を出たのにまだ目が染みた。
携帯電話の連絡先を呼び出し電話をかけた。
仕事鞄に入れたプラスチック爆弾が爆発した。背にした扉が大きく波打った。東旬菜館のビルが大きく揺れた。
爆発音で鼓膜がやられ、周囲から音が消えた。目の前は闇が広がるばかりで何も見えない。
これで仕事は終わりだ。仕事完了だ。
水本は起爆装置に使った携帯電話の電源を落とした。
明日は脳味噌に湯葉が浮くほど眠ろう。それから胃が溺れるほどうまいものを食おう。
そしてまた、仕事をしよう。




