そして、現在
両手を組んで、浩一に向かって頭を下げた。
「一人暮らし資金貯めたらおしまいでいいから!付き合ってくださいっ」
「いいよ」
「ふえ?」
拝んでいた手をほどいて、目をあげれば、手に持ったノンアルコールビールを飲み干す浩一がいた。
「こんな話外でするのもなんだから、オレんち行こう」
私にも飲み終われと促して、車のキーを片手に、さっさと会計を済ませてしまう。
「浩一の家?今から伺うんだったら……」
「オレ会社に近くで一人暮らし始めたんだ。だから、ここから近い」
「えっ?知らなかった」
最近忙しいと言われていたけど、引っ越ししていたのか。
店の外に出ると、生ぬるい風が吹いていた。
もうすぐ梅雨だ。
「沙知」
駐車場までの道で、呼ばれてふり仰げば、驚くほど近くに浩一の顔があった。
「オレのことは?」
「ひぇっ?」
反射的にのけ反った私を、浩一が捕まえて、それ以上離れられなくなる。
「オレのことは好きだった?」
「なななななななっ」
正直な自分が辛い。
暗いからきっと赤くなった顔は気づかれていないとか、そんなことは微々たることだ。
修也と隼人のことはあれだけ弁舌軽やかに否定したというのに、どもって言葉が出ないことがなによりも証明している。
「―――マジで?」
「何も言ってないっ」
「いつから?」
「話を聞かない奴だなっ」
「車乗って。行き先を変える」
助手席のドアを開けられて押し込まれた。
シートベルトをしているときに運転席に乗り込んできたえらく機嫌の良さそうな浩一に一応訴えてみる。
「一人暮らしの家に行ったからって、別に襲わないよ?連日押しかける真似はしようと思ってたけど、それも私が一人暮らし始めるまでだし」
浩一はちらりと一瞬だけ視線をよこしてから、車がゆっくりと発進した。
「結構長い間、これでも友達づきあい出来てたし。このまま友達でいたい…んだけど」
無理かなあ?
私の気持ちなんて無視して、気の合うやつって状態で一緒にいるでよかったんだけど。
幸いなことに、浩一にも彼女がいたようなことは無いと思う。
「長い間って、どれくらい?」
下がってしまった視線をあげると、まだまだ機嫌の良さそうな浩一がいた。
友達関係継続ってことでいいんだろうか?
「え、と…?高校生になったばっかりの頃からかな」
「そこまで長くないな」
長いよ!?
「オレは小学生からだ」
………?
「中学の時、告白しようとしたら、修也からオレの彼女だと言われた」
「……何の話?」
「あれは嘘だったんじゃないかと高校の時に告白しようとしたら、隼人から僕たち二人のものだと言われた」
理解したくなくて、思考が停止した。
誰が、僕たちのモノだって?
「木村にも、修也と隼人に近づくと沙知にいじめられると訴えられたことがある」
「してないっ」
「それは知っていたけどな」
何をしているんだ、あいつら。マジか。
「いい加減諦めて離れようと一人暮らし始めようとしたんだが」
車が停まって、運転席から浩一の姿が消える。
外を見れば、どこかの公園?みたいなところだった。
「降りて」
助手席のドアが開いた。
「行き先変えるって、ここ?」
食事ができる場所でも何でもない。
夕食の途中だったし、あれくらいじゃ私はお腹いっぱいにならないぞ。
「夕食は後から買って帰るから」
不満そうな私にため息を吐いて、腕を引っ張られた。
車から降りると、ここは低いながらも高台になっているらしく、夜景が見えた。
柵のところまで引っ張って行かれて、振り返った浩一の表情は見えなかった。
「まあ、こんなもんだろ」
何が?
首を傾げる私に腕を伸ばして抱き寄せられた。
「………ふえぇ?」
長い付き合いだが、抱きしめられたことはさすがにない。
なんだこれは。
パニックになる私を強く抱きしめたまま、浩一は言った。
「好きだ。沙知。ずっと好きだった」
そして、目を白黒させる私に、触れるだけのキスをした。
「ここまで来たのは何でっ?」
「ファーストキスのシチュエーション作り」
妙なところでロマンチストだ。
「で、今からオレんちで脱童貞」
「下品っ!」
―――この後、浩一の予定通りになってしまった。
流されたよ。
長い片想いだったし、浩一がファーストキスさえまだだったってことに浮かれたのもある。
「片思い中にそんなことできるわけないだろ」
魔法使いになる覚悟だったと言われたが、よく意味が分からない。
さらには、私の一人暮らし貯金は、
「一緒に暮らせばいいだろ?」
浩一のその言葉で、結婚資金に変貌を遂げた。
何より、
「修也や隼人がいつも出入りする場所にいて欲しくない」
というぐでぐでに溶けそうな甘いセリフをかまされたことが決め手になった。
朝帰りをした私に、隣のご兄弟がいきり立った。
「沙知はオレのことが好きだったんじゃないのか?」
「オレは前から沙知が好きだった!」
などという何かをこじらせてしまっている兄弟がいた。
浩一が一緒に私の親に会いに来るなどというこっぱずかしい真似をするというのを、拒否してなくて良かった。
「お前ら、馬鹿だろ」
私を背中に隠したまま、浩一は修也と隼人に対面して、冷静に反論してくれた。
「浩一君、私の事好きだったんじゃないの?」
兄弟二人の反応にヒステリーを起こしていた心愛ちゃんが、浩一にも迫っていた。
私は背中で隠れていたのだけれど、「噛みつかれるかと思った」と後から浩一が言うほど、顔が怖いことになっていたらしい。
その様子を見た親が私の言い分を聞いてくれた。
絶対に住所を教えるなと親に厳命し家を出ることに成功したのだった。
現実を見ない顔だけの兄弟たち。
家事能力どころか、嘘つき能力もあまり高くない女の子。
この人たちがこの後どうなるかは、関わりたくない。
心底、他人で良かったと思う。
そして―――
十数年の片想いを実らせた男は、
「沙知、可愛い。愛してるよ。こっち見て」
何かとんでもないものに変貌を遂げている。
「浩一っ、今料理してるんだけどっ」
「オレは手伝っている」
「嘘を吐くなっ」
私は、それなりに幸せになっている。