人の感情を弄ぶ人外について
16(3).
妹に僕と話し合おうという意志はないらしかった。
だって僕を見た瞬間から身構えている。まず殴り飛ばす、口も腕もなんなら命を吹き飛ばしてしまっても別に構わない、そう思えるほどの敵意が妹からはほとばしっている。
妹は僕の右手側に回ろうとしている。僕の左手に触れられると、怪物を殺すことができる右手の光がなくなってしまうことは学習済みだからだ。だから、僕を殴るとしても右手は使わないだろう。殴るなら左手か、それか飛び込んで蹴り飛ばしてくるか、もっと直接的に肩から体当たりでもしてくるか。いつ襲いかかられてもおかしくない。恐らく、僕が少しでも動いたその瞬間に、妹は攻撃を開始するだろう。
「剣呑な雰囲気、とでも言うのかなあ、これは」
背後から苛ついている人間をさらに苛つかせるような甘い少女の声、そして僕の方に両腕が回された。僕は青髪に抱きつかれたのだ。人の臭いがする。女の臭いがする。ここまで人間臭さを醸し出せるなら、こんなに人が集まるところで食事なんかしなきゃいいものを。
「盾に使ってるつもり?」
妹は右手を光らせながら、しかし右手以外も繰り出せるように気をつけながら身構えている。もちろん友好的に会話をしようなんて雰囲気は少しも感じられない。
「ねえ君、そこの身構えている、中学生くらいの君。恋をしたことはある?」
妹の眉が少しだけ動いた。心理攻撃だと思ったのだろう。
「僕はねえ、しているんだ。こんな一人称だけど、触れたい、話したい、一緒にいたい人がいるんだ」
何を言っているんだ、この青髪は。こんなに知恵が回るなら昨日の公園で人間と名乗ったほうがいいなんて入れ知恵をする必要なんかなかったじゃないか。
「誰だか分かる? ヒントは、君の目の前にあるんだけど。見事に言い当てることができるかな?」
殺されてもしょうがないくらいの勢いで青髪は挑発を続けている。一体どういった意図の挑発なんだろう。
まさか、妹と僕の間には情があるとでも思っているんだろうか。
繰り返すが、僕は妹のことをほとんど知らない。大学に通うために引っ越すまでずっと同じ家で暮らしていたにも関わらず、妹のことをほとんど知らないまま生きてきた。妹だってそうだろう。僕に興味を持っているような素振りを見せたことは一度もないし、実家で最後に僕に話しかけてきたのがいつだったか、なんて覚えていない。
僕と妹の仲は良くない。そして、悪くもない。つまり最低の関係である。
青髪はそれを知らないんだろう、そして家族の間には絆とかそういったものがあり、誰だって家族を人質に取られれば心が揺り動かされるとでも思っているんだろう。妹の表情を見れば分かるだろうに、そんなことはあり得ない。必要であれば家族を殺すだろうし、必要がなければ家族に無関心だろう。
妹の右手の光が強くなった。もう講義は始まっているというのに、なぜかその辺をうろついている学生たちの注目が集まっているが、そんなことは僕達当事者二人とひとつは気にしちゃいない。大体光が強くて妹の表情すら見えない。
いい加減眩しすぎるので僕は目を閉じた。そして腹パンを警戒して、腹筋に力を入れて左手を腹に当てた。あの光る右手で人間を殴るとどんなことになるのかはわからないが、少なくとも痛いだろう。もしかしたら腹をぶち抜かれて死ぬだろう。いや、腹を守っていることが見えていたら頭を狙ってくるだろうか。
「ねえ君、まだまだ思春期であろう君。羨ましいかい?」
僕の耳元で、青髪は妹に声をかける。吐息多めで僕に囁くようになっているのは何の意図があるんだろう。面白半分、という考えが一番しっくりくる。
薄目を開けて妹の動向を見てみる。妹は光り輝く右手を振り上げた。
「羨ましいわ!」
そして右手を振り下ろした。鈍い音、そして密度の濃い物質が割れる音が響いた。
「ああ羨ましいわ! 私だって恋の一つもやりたいわ! 何やってんだよそこで! 何やってたんだよ二人で!」
ここで僕が青髪のペースに合わせる必要があるだろうか? いや、それはない。これ以上苛ついている人間を苛つかせたら激情に任せて本当に殺しに来る。
「何もやってない」
僕は正直に答えた。青髪と少し会話をしたが、この場合は何もやっていないのと同じだ。
「ああそう。ああそうなんだ。ああそうですか。ああそうなんだ」
そんなに大きい声で確認しなくてもいいだろうに。いや、妹は自分に落ち着けと言い聞かせているのかもしれない。
「こっちは戦士の仕事で大変なときにトイレの個室でセックスですか。羨ましいなあ羨ましいなあ! こっちは毎日死ぬかもしれないんだよね。あーあーあーそうだ死ぬかもしれないんだよねー」
妹の右手の光が弱くなっていく。
ひょっとして、妹は青髪とは別のなにものかを殺しに来たところで、昨日自分にムカつく仕打ちをした僕をたまたま見かけてムッとしたところで、青髪が挑発をかけてきたからさらにムカついて一発殴ってやろうかと思ったがアホらしくなった、とかなんだろうか。
だとしたら、……なんだろう。このアホみたいな気持ちは。
「ったく! 死ね!」
それだけ言い残すと妹は背を向けて立ち去ってしまった。後には妹が殴ってヒビの入った壁が残った。やっぱりあの右手で殴られていたら人間でも重症を負いそうだ。
「それで、この行動の意図は何」
僕はまだ後ろから抱きついている青髪に尋ねた。
「人間の感情のゆらぎって、見ていて退屈するものじゃないんだよ。食後のちょっとした暇つぶし、程度に思ってもらえればいい」
感情を弄ばれるのは思っていた以上に腹が立つ事を、僕は今日初めて知った。
「そして、僕がまだ君から離れていない理由があそこにあるんだ」
青髪の視線の先に僕も目をやってみた。
「あ、なんか、あー、ん」
無明さんがものすごく気まずそうに僕達を見ていた。




